それからしばらくたった頃だった。

 須山と萌がまっすーを送って帰って来たのだ。

 時刻は十時を指している。もうこんな時間か……。

「まっすー平気だった?」

 須山にまっすーの様子を尋ねる。

「ああ。だいぶ飲んでたみたいでかなり酔ってたみたいだけどな。まあ吐けば治るんじゃないか? 詳しくは津久井に聞いてくれ。あいつを部屋の中まで運んだのは津久井だから」

「えっ? 須山は何してたの?」

「俺も実はかなり酔いが酷くて……部屋の前でしゃがみこんでいたんだ。だから中に入れてくれたのは津久井なんだよ」

「そっか……」

「でもまあ心配だし、今、メールしてみる」

「うん。それがいいかもね」

 私は萌に視線を向けた。

 萌は見ればとても疲れているようだった。さすがの萌でも男一人部屋に運ぶのは大変だったのであろう。

「萌、大変だったでしょ? お疲れ」

「うん。こんな大変なら麻衣に頼めば良かったわ。あっ、なんか飲み物ちょーだい」

「はいはい」

 そう言って立ち上がろうとした時、携帯が鳴った。すると萌は慌てて携帯を探していた。どうやら萌の携帯が鳴っているらしい。

 音はくぐもっていてよく分からなかった。ポケットからうまく出ないようで、かなり焦っている。電話かな?

 何気なく見ていた私に萌は厳しく言った。

「早く!! 飲み物!」

「分かったよ。もう、うるさいな〜」

 何怒ってるんだよ! この我が侭短気女!! と思いつつ、私は萌にお茶を入れるべくポットを探した。ちらっと見えた須山の顔色はさっきよりもはるかに悪い。大丈夫かね?

 でも千絵子が水を持っていったみたいなので平気だろう。

 ここで私はふと気になったことがあった。

「あれ? そういえば……」

 しかし、萌に急かされている私は、すぐにこの疑問を振り払ってしまった。

「えっと……あっ、あそこだ」

 ポットが見えた場所まで行った私は思わず目を見張る光景を目撃した。

「――え」

 私は自分の声が数トーン低くなっていることに気付いたが、そんなことどうでも良かった。

 ただ目の前にある情景を見て、頭の中が妙に冷えてきている、という事実があるだけだ。






 目の前にあるのはある男女の光景。

 女の膝の上に頭を乗せ、気持ちよさげに寝息をたてている男。

 名を、北林 義高と言う……。

「あぁら……随分と気持ち良さそうに眠っているのねぇ?」

「ま、麻衣?! 落ち着いて!! これはユリエが勝手にっ――」

 華子が私の声色が変わっているのに気付いたのか慌ててフォローした……が、ユリエの次の一言でそれは水の泡と化す。

「え〜? そんなことないけどぉ? 義高君が私の膝に倒れこんできたんだよ。私はだから膝貸してるだけ」

「へ〜……義高から?」

「何言ってるのよ!? ユリエが飲ませすぎた上に、無理矢理抱きついたりするからでしょ!?」

 華子が真実を言っていたが、この時の私の耳に届くはずもなく大魔人は覚醒した。

――ぶちっ

 私の中の何かが切れた。

 華子は顔を青く染めている。

 さすがのユリエも思わずたじろぎ、義高から離れた。

 私はおもむろにコップを手に取ると、近くにあった氷水を満杯に注いだ。

 そして……

――ばしゃっ

「うわっ!!?」

 義高が驚いて飛び起きる。顔はなぜかびしょ濡れだ。

「あらごめんなさい? そんな所で寝ていると風邪引くよ? まあ、看病してくれる人もいるみたいだし? 別にいいけどね」

「???」

 義高はまだ寝ぼけているのか、よく状況を把握できていないようだ。

 華子は「あちゃ〜」という顔をしている。

 ユリエは「私、しーらないっ」といった感じだ。

 私はそのまま振り返らずに萌のお茶を手に去った。

 義高にやるせない思いを抱きながら……。










「麻衣、ありがとう……って、どうかしたの??」

「べっつにぃ〜」

 萌が驚いていた。

 私が怒ったことはあまりないからだろうか?

 機嫌が悪い事もあまり無かった私が今最高に機嫌が悪い。というか気分が悪い。もとい、胸くそ悪い!!!

 私はそこにあったビール缶を開けると、一気に飲み干した。

「ちょっと!? 麻衣??! あんた飲み過ぎ!」

「ほっといて!!」

 私は萌が止めるのも聞かずぐいぐい飲み続けた。











「ういっく……」

 周りを見るとみんなそれぞれいい感じだった。

 縁はちゃっかり先輩と占いやってるし、千絵子なんて須山と二人で夜桜鑑賞している。

 華子とユリエは、佐田と菅と永田君と一緒に騒いでいた。萌は一人で何やら難しげな書類と携帯を片手に何かやっている。きっと次の裁判の事だろう。

 私は萌に話し掛けたが、あっさりとかわされた。

「忙しいから話し掛けないで」

「……」





「あーあ。つまんない」

 私が一人ふてくされていると須山と千絵子が戻って来た。

「今隆からメールあって……何とか平気らしいぜ」

「ふーん」

「ふーん……って、お前なあυυ」

 そういうと須山は携帯を見せた。

 確かにまっすーから「何とか平気」と送られている。

 ふと時計を見ると十一時五分。あと一時間で日付が変わる。

 須山が言った。

「俺やっぱ隆の様子見てくるわ。何か無理してそうだしな」

「うん」

 須山が部屋を出て行ったので私は千絵子と話すことにした。まあ私が千絵子をからかって終わったようなものだったが。

 だって千絵子ってば須山がいなくなった途端……

「あ〜緊張した!!」

 なんて言うんだもん。もうからかいがいがあるのなんのって。

 そうこうしているうちにみんなが私たちの周りに集まってきた。そういや永田君達とは全然会話してないや。

「岡野さん……このビール全部飲んだの?」

「えっ……まあ……あはは……」

 永田君に言われてしまった。まあかなりの量だよな〜……。

 苦笑いしていると、義高と目が合った。

 私は当然の如く「ぷいっ」と目を逸らした。

 するといつの間にか横に来ていた華子に耳打ちされる。

(あのね麻衣……さっきのは全部誤解)

(は? 何のこと?)

(だからね、ユリエがお酒を飲ませすぎて義高君がふらふらになってるとこに、抱きついたのよ。そうしたら義高君、酔いが一気に回ったのか倒れちゃって……。で、ユリエがこれ見よがしに膝枕したのよ)

 血の気が引いていく音が聞こえ、眩暈がした。

(……嘘……?!)

(本当。そしたらおあつらえ向きに麻衣がやって来たの。ほんの五分くらいよ)

(や、やばいっ……私氷水かけちゃったよ!?)

(……とりあえず、謝りなよ?)

(うん……υυυ)


 私は何か、大変なことをしでかしてしまったのではないのでしょうか……。氷水かけるなんて!! やばい――やばすぎる!!! いやーっ! 私は探偵失格よーっ!! っていうか人間失格だっーーっ!!!! 恥ずかしい! 穴があったら入りたい!! いやむしろ、穴掘って埋まりたい!!! ごめん!! 義高っ!!

 私は本当に義高と目を合わせられなくなってしまった。

 しばらく何も考えられなくなった私は、意識を取り戻すと同時にユリエを「ぎろり」と睨んだ、が、鼻でふっと笑われた。きーっ!! 悔しいぃ〜!!

 まあここで怒っていても仕方ないので取りあえずは義高に謝らなくちゃ……。

 私は義高に「さっきはごめ――」と切り出したが、須山が帰って来たことで会話はあっさり消されてしまった。おのれ〜! 須山めぇ!

「俺も混ぜろよ」

 須山はどかっと話に入ってきた。どうやらまっすーは平気だったみたいだ。っていうかみなさん。私の邪魔しないでくれるかなあっ!?

「あっ、隆からメールだ」

 永田君が言った。時刻は十二時十五分だ。

 どうやらさっき須山に届いたメールと同じもののようだ。

(まっすーって意外とまめなのかな……?)

 私はまっすーの気遣いに少し感動しながら会話を続けるのであった。








――しばらく経って……



 結局義高に謝れないまま一同は解散となった。

 このまま部屋に帰る者。もう少しここで語らう者。少し外の空気を吸いに出て行く者、など色々だが、私はとりあえず義高に謝りたかった為、義高を引きとめた。

 ちなみに萌と千絵子は先に部屋に戻り、ユリエは永田君達とまだ話すそうだ。

 先輩と縁と華子は夜桜見物(!?)に行くらしい(女の戦いか)

 須山はもう一杯飲んだら部屋でシャワーを浴びると言っていた。

 私は戸惑う義高を誘って縁側に出た。そして二人腰を下ろす。

 義高は何も言わない。

 きっと怒っているに違いない。

 私は縁側から降りると、義高の正面に立ちがばっと頭を下げた。

「えっ!? 麻衣!!? どうしたの???」

「ごめんなさいっ!!」

「へっ? 何が??」

「だからさっき水掛けた事! 私あんなことするつもり――」

「水? あ、さっきのことか。だってあれはあそこで寝てた僕が悪いんだし気にしなくていいよ」

「いや……あの」

 私は何だかとても居たたまれなくなった。

 義高は私がわざと掛けたとは思っていないのだ。

 私は良心がずきずき痛み、本当の事を言おうと口を開こうとした……。


 ……でも……。

 何て言う? 
 
 やきもち妬いて掛けました?

 あれは……縁の占いで、義高を信用しようと誓った直後だったから、なんか腹がたっただけなんですとでも言うの?

 ただユリエにむかついただけ……?

 本当に……?

「あのね義高……あれは――」

「麻衣! 聞いて欲しい事があるんだ」

私が言うのと同時に義高が言った。

「えっ、う……うん」

 突然言った義高に驚いた私は、義高の隣に腰を下ろした。義高の顔を覗くと、顔色は悪い。やっぱりずっと無理していたのであろうか? それともただの飲みすぎ?

 私がそんなことを考えていると義高が口を開いた。

「あのね……麻衣。今から僕が言う話を信じてくれる?」

「うん……?」

 義高は、今から怖い話でもするのか!? と思うほど青い顔で言った。まさか幽霊見たとか言うんじゃないよね?

 義高は言葉を紡ぐ。

「僕が……桜山荘に行く理由。聞きたがってたよね?」
 
 切り出された話に、一瞬鼓動が高鳴った。

 ずっと気になっていたことだけれど……何故か聞きたくないような気持ちになった。

「うん……」
 
 頷いたことを、後悔するほど、この場はとても重い。義高は、しばらく逡巡したあと、ぽつりぽつりと話し出した。

「本当は……僕、本館に行くはずだったんだ。でも――」

「……?」

 義高の言っている意味がよく分からない。
 
 本館に行くはずだった? じゃあ今は違うの?

 私の混乱をよそに義高は続けた。

「でも、それが間違っていたことに気付いたんだ」

「間違い?」


 私は縁の占いを思い出していた。

 確か愚者のカードにそういう意味があったような……縁は本当に当てた……。

「僕が行かなきゃならなかったのは――此処、別館だったんだ」


 私は余計に分からなくなってきた。

 義高が別館に来なきゃならない?

 一体どういうことなのだろうか? 
 
 さっきの疑いは当たっていた??

 やっぱり義高は、重大な何かを抱えているのだろうか。


「つまり義高は本館じゃなく、別館の方に用があったのね?」

「うん……」

「一体、どんな用があったの……?」

「それは……」

 渋る義高を、私は問い詰める。
 
 何か嫌な予感がする。

 聞いて後悔するような気もする。

 でもそれ以上に……私は、聞かなくちゃならない。そうしなければいけない気がして止まない。

 
「それは何?」

「…………」

「義高っ……」

 私が肩を揺すると、俯いていた義高が顔を上げた。


――!!


 彼の瞳は、意を決したかのように、鋭く輝いている。

 瞳を逸らせない。

 彼の瞳が、これから先のことを物語っているようで、不安と好奇心が入り混じったような、おかしな感情が湧いてくる。

 この感情は何……?

 彼の言葉が、スローモーションのような動きで、ゆっくりと紡がれる。






「僕は、殺人事件を止めに来たんだ」






「え……」

 妙にクリアに聞こえたその言葉に、一瞬思考回路が止まった。


――その時!!










「うわああああああっ!!!」













「!?」

 耳を劈くような凄まじい叫び声が二階から発せられた。

 一階にいた面々は何が何だか分からないといった面持ちだ。もちろん私と義高も同様に。

 この声は――須山!?

 とてつもなく嫌な予感がする。

「とにかく二階へ行こう!!」

「うん!!」

私と義高は急いで二階へと向かったのだった。



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