最終章〜桜色の未来〜
あれから一年が経った。
僕は何も変わりなく過ごしている。
唯一の変化といえば、僕はあの時の実績を高く評価され、今では警部補に昇進した事くらいだ。
「ちきしょ――! 俺はお前を上司だなんて思わないからな!」
と、大塚先輩はいつも悔しそうに言う。
大塚先輩は、仕事に対してやる気が見えない、という理由から昇進できずにいる。実力はあるのにもったいないなー、と僕はいつも思っているのだが。
「北林、この書類まとめといてくれ」
「分かりました、警視」
砂原警視といえば、特捜課直属の上司になったらしく、麻衣とは頻繁に連絡を取っているらしい。
「ふう……」
僕は書類の溜まったデスクを眺め、深く溜め息を吐く。
そして、伸びをした時――携帯電話が鳴った。
「電話?」
ディスプレイを見ると、知らない番号。
まだ、お昼前のこの時間に、一体誰からの電話だろうか。
とりあえず通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『もっしもーし! 義高君っ、久しぶりーーvvv』
「その声は……秋山さん!?」
受話器を通して聞こえる声に、僕は懐かしさを感じる。
それと同時に、彼女の背後に数名の声が重なるのが聞こえた。
『ごめんねー、突然電話なんかしちゃって。実はね、今日あの時のメンバーで会ってるのよ。女だけなんだけど』
「そうなんだ。えっと、じゃあ、吉野さんとかもいるの?」
『うん、いるよー。あと、萌でしょ。それから……あ、麻衣! こっちこっちー』
実は麻衣とは、頻繁とは言いがたいが、時々連絡は取っていた。
ほとんどが短いメールでのやり取りだったが、お互いが頑張っている指標にもなって、僕は麻衣とのメールを気に入っていた。
『〜〜――っ』
麻衣と秋山さんが何か会話しているのが聞こえる。
すると突然、秋山さんが言った。
『もう聞いてよ、義高君! 麻衣ってば、緊張するから義高君とは電話できないーとか言ってるのよ? 番号知ってるのに、1回も自分から掛けたことないんだって? あ、番号は麻衣から聞いちゃった』(ちょっと華子!? 余計なこと言わないでってばーーっ!!)
「麻衣がそんなことを……?」
緊張するから電話できない……
僕はそれを聞いて、何だか笑みが零れた。
麻衣らしいなぁと思うのだ。
『それでね、今私たち、警視庁からすぐ近くの喫茶店に来てるの! お昼休み、まだだよね?』
「え? あ、うん。これから取るところだよ」
僕の言葉に、秋山さんが嬉しそうに答える。
『良かったー! じゃあ、今から喫茶店『チェリー』っていうんだけど、そこに来てもらえないかな? 久しぶりに皆、義高君に会いたがってるの!』
「ははっ、分かった。急いで行くよ」
電話を切った僕は、そのまま喫茶店へと向かう。
何だか、昔からの旧友に会えるような気分だった。
喫茶店に着いた僕を迎えてくれたのは、あの時と変わらない、彼女たちの笑顔だった。
「きゃーっ、義高君! 久しぶりーっ」
「津久井さん、久しぶり」
緩やかな巻き毛を揺らしながら、津久井さんが微笑んだ。
彼女はあの後も、無敗の記録を打ち出し続けている、法廷の女神。
僕は彼女の、胸元の大きく開いた服装に、思わず眩暈を起こす。
警察内では、そんな格好をしている人に出会うことはまずないため、少しばかり刺激が強い……。
「ふふっ、義高君、お久しぶり」
「吉野さん……久しぶり」
銀座の魔女の異名を持つ彼女。しかし、彼女は髪を短く切っていた。
「髪、切ったんだね」
「うん、もうバッサリ」
「でも短い方が似合うよ。明るく見える」
「そうかな? うふふっ、ありがと」
そう言って笑う彼女は、やっぱり美人だ。そして、一年前に比べると、遥かに健康的な感じがして、余計に綺麗に見える。
魔女、という雰囲気は微塵も感じられないが、凛とした強さと、不思議な雰囲気は相変わらず健在のようだ。
「義高君、ホント、久しぶりv」
「うん。秋山さんも元気そうだね」
「おかげさまで、元気元気! あ、そうそう。今度ついに、舞台での主役級を勝ち取ったの!! チケットあげるから、是非来てね☆」
「へぇー、すごいな!」
お芝居の方は、順調に進んでいるらしい。
彼女の演技力は、本当にすごい。きっと良い役者になれると、僕は確信している。個人的には、極道の女役を是非やって欲しかったりするのだが……。
一通り、挨拶を交わした僕は、最後の一人と目が合った。
麻衣だ。
彼女は、一年前と何も変わっていなかった。
相変わらずの、苦笑したような、そんな笑みを浮かべている。
「久しぶりだね、義高」
「麻衣……」
麻衣は僕を見つめたまま言った。
「ふふっ……あの時の約束、すぐに達成しちゃったね」
「え?」
「いつまでも新人やってちゃ駄目だよっていうやつ。義高ってば、すぐに警部補サマになっちゃうんだもん」
「知ってたのか?」
「もっちろん! 特捜課を、甘く見てもらっちゃ困るわよv」
そう言って、悪戯っぽく笑う麻衣。
僕もつられて微笑む。
「あはは。そういう麻衣だって、この前また一つ、迷宮入りの事件解決したんだろ? 警視が喜んでたよ。有能な部下を持って、幸せだーって」
「まあね。やっぱ、真実が闇に葬られていくのを黙って見てるのは嫌だなーって思って。ちょっと頑張ってみました」
そう答える麻衣の瞳には、揺るぎ無い信念のようなものが滲んでいた。
前言撤回――――麻衣は変わっていた。前よりも、格段に成長している。
「麻衣が頑張ってると……僕も負けていられないなっていつも思うんだ」
「……私もそう。一人じゃないんだって、励まされる」
そう。僕たちは一人じゃない。
心の奥で、いつも繋がっている。
「あー…ごほん。ちょっとお二人さん? 私たちの存在、忘れないでくれません?」
秋山さんが、呆れたように声を掛けてくる。
それに続くのは津久井さんだ。
「ちょっと麻衣、アンタ何義高君を独り占めしてるのよ! ちゃっかりメアドなんて交換しちゃって。私、そんな話聞いてないわよ!?」
「べ、別にいいでしょ、そんなこと……大体、何で萌に教えなくちゃいけないのよっ」
少しどもりながら答える麻衣。
そう言えば、他のメンバーとは番号もアドレスも交換していなかったと今気付く。
しかしながら、麻衣と津久井さんの掛け合いが、一年前と何ら変わっていないのには、思わず失笑してしまう。
「いい男は皆私のモノなの。麻衣に義高君は、もったいないわ。そう思わない? 義高君!」
「え!?」
突然振られて、言葉に詰まる。すると、見かねたのか吉野さんが助け舟を出してくれた。
「ほら皆……義高君が驚いてるじゃない。それに、義高君にだって、好みっていうものがあるでしょ? こっちがいくら騒いだって、仕方ないじゃない」
「それはそうだけど……あ、そうだ! じゃあさ、義高君。この四人の中でなら、一番誰がタイプ??」
「えっ!?」
秋山さんの言葉に、僕はさらに言葉に詰まる。
四人の中から選べなんて言われても……。
僕の心を知ってか知らずか、何故かそれを止めようとしない女性陣。
心なしか、皆目が本気な気がするのは僕の気のせいだろうか?
秋山さんが、楽しそうに言った。
「さあさあ、第1回、義高君の好みは誰でしょう選手権!
エントリー1は、今を時めく法廷の女神、津久井萌! 彼女のナイスバディーに、世の男どもはメロメロv ちょっと高飛車な性格とワガママがタマにキズだけど、それもご愛嬌。今流行りの『ツンデレ』だと思えば、それも萌え〜でしょうか!?
エントリー2は、銀座の魔女、吉野縁! 彼女の美貌には、男女問わず惚れ惚れしてしまいます! 最近は血色も良くなり、さらに美人に拍車がかかっているところでしょうか? ただ、見た目とは裏腹に、かなり毒舌家の彼女。口も最上級に悪く、言いたいことはズバズバ言います。そのギャップを魅力と取るか、欠点と取るかは好み次第でしょう!
エントリー3は、嘘みたいな職業ナンバーワン、女探偵、岡野麻衣! これと言った特徴もなく、いたって普通な彼女ですが、スタイルだけはイイですね! あの足は、思わず触りたくなるらしいですよ? あとは、マゾッ気があるので、サド心をくすぐるかもしれません!! 素朴っぽさを求めるなら、この子ですかね!?
そして最後は、この私、秋山華子ですv 女優の卵なので、とにかくお肌のお手入れetc、女磨きに関しては、この中の誰にも負ける気がしません!! あと、特技は歌。コレも自信ありますっ!
さあさあ、今なら選り取りみどり! 今日のご注文は……誰っ!?」
興奮気味に、一気に捲し立てた彼女の肺活量に驚いた。
いやいや、そんなこと言ってる場合じゃない。
「……何か私だけ、全然PRになってないんですけど」
麻衣がぼそっと呟くが、秋山さんは気付いていないようだ。
津久井さんと吉野さんが、にっこりと微笑んで言った。
「「義高君、今日のご注文は?」」
「え……ええっと……」
冷や汗が流れ落ちる。
こんなに緊迫した場面に出会ったのは、まるで一年ぶり。
現場は、四種の雰囲気に包まれている。
自分の語りに陶酔している秋山さん。
じと目で溜め息をつく麻衣。
にっこり笑顔を崩さない津久井さんと吉野さん。
そして、逃げ出したい気持ちでいっぱいの僕。
ああ神様。
僕は一体、どうすればいいんでしょうか?
津久井さんを選んだら……ちょっと心臓がもたないかもしれない。服が……胸元がぁっ……!!
吉野さんを選んだら……美人と歩けるのは光栄だけれど……何となく、胸騒ぎ・・・。
秋山さんを選んだら……楽しそうだけど、ちょっとテンションに追いつけなそうな気が……。
麻衣を選んだら――――
「ちょっと、皆。今日はそういう企画じゃないでしょ?」
僕の思考は、麻衣の言葉によってかき消される。
麻衣は、待機中のウエイトレスを呼ぶと、グラスビールを5つ注文した。
「麻衣!? 今、仕事中じゃ――」
「今日くらいは無礼講! 一杯くらい平気でしょv」
悪戯っぽく微笑む麻衣に、僕は一年前を思い出す。
僕が怒りにかまけて携帯を壊した後も、彼女はこんな風に笑っていた……やっぱり、変わっていない。
グラスビールが置かれると、麻衣はそれを掴んで笑った。
「それでは皆さん、お手をグラスに――」
皆も、悪戯をする前のような顔で、グラスを手に取る。
何だか、子供の頃に体験したような、懐かしい気持ちだ。
ちょっとの冒険に、胸を膨らませていたあの頃。
それが今、僕の目の前にある。
「一年ぶりの再会を祝しまして――――乾杯っ!」
「「「「乾杯!!」」」」
澄んだ声音と、軽やかなグラス音が店内に響く。
またいつか、桜山荘に行けたらいいと思う――もちろん、殺人事件抜きでだけれど。
その時はまた、皆で騒いだり、笑ったりしてみたい。
運命は自ら作っていくもの。
君たちと出会えたこの運命を、僕は大切にしたいんだ。
この先に続く道に、皆の笑顔があることを……
グラスを傾けながら、僕はそっと、未来に思いを馳せる。
桜色の、未来に…………。
『探偵乱舞〜桜山荘殺人事件〜』――完――