あれから三ヶ月が過ぎ、季節は夏を迎えていた。
私は今、ダンボールに荷物を詰めている最中だ。
「麻衣、そこの書類はこっちに入れてね」
「はいはい」
何故荷造りをしているかというと、実は萌がこの探偵所を出て行くからだ。
萌はあの同窓会の後、見事に裁判に打ち勝ち、その名を世間に轟かせる程になった。
勝利の女神≠ニいう名が、彼女の愛称になるのもそう遠くないだろう。
そして、今まではきちんとした事務所を構えていなかった萌だが、さすがにここまでの人気を持ってそれはないだろうと指摘を受け、結局自分の事務所を構えることになったのだ。
その為の荷造りを、私が手伝っているのだ。しかし当の本人は全く動こうとはせず、今も化粧に夢中だ。
「萌……あんたもやりなさいよ!」
私の言葉を無視して、萌は支度ができたのか立ち上がる。
「よし。全ての荷造りが完了したわね。麻衣、ご苦労様」
「………」
萌はそう言って、何もなくなった自分のデスクを見つめた。
「この机ともお別れね……」
萌の新しい事務所は、私の探偵所から遠く離れたところにできる。もう、今までのように会うことはできないだろう。
「萌……」
私が呟くと、萌は笑顔で言った。
「麻衣、色々とお世話になりました。アンタには感謝してる」
「萌、らしくないってば」
私が笑うと、萌も苦笑した。
「確かにね。まあ、一生の別れじゃないし、また遊びに行くわよ。アンタも来なさいよ?」
「もちろん! 私がいなかったら、萌の事務所、ゴミ箱になっちゃうもん」
「失礼ね!」
「本当のことでしょ」
そう言って、また私たちは笑い出す。
萌とも今日でお別れ。
今までは毎日のように顔を合わせていたのに、それが無くなるなんて、まだ信じられない。
「じゃあそろそろ行くわね」
萌が言った。
荷物は後から郵送するので、萌はこのまま行ってしまう。
「うん……またね」
私は寂しさを堪えながら笑顔を作る。
「麻衣、泣かないでよ? 私がいないからって」
「な、泣くわけないでしょ!」
最後まで萌の厭味を聞きながら、私は萌を事務所から押し出す。
でもこの厭味を聞けるのも、もしかしたら最後になるかもしれない。
人生、何が起こるか分からないのだから。
路上に出ると、夏の暑さが身に沁みる。
世間は夏休みだ。
「じゃあね…………ありがとう」
萌はそう言うと、人混みの中へと消えていった。
私は萌の姿が見えなくなっても、その場にしばらく立ち竦んでいた。
やっぱり寂しい。
けれど……頑張らなくちゃいけない。
義高もきっと頑張っているんだから。
「……さあ! 頑張るぞ」
自分に気合を入れて事務所へ戻る途中、電話が鳴っているのに気付く。
慌てて事務所に戻った私は、急いで受話器を取った。
「はい! もしもし!」
すると、何度聞いてもむかつく声が聞こえてきた。
『フフフッ、慌てた声だね。元気かな?』
「……砂原警視。何か御用ですか? 私忙しいんですけど」
私はこの人が嫌いだ。
容姿はいいかもしれないが、性格は歪んでいる。天使のような微笑の裏には、悪魔が潜んでいるのだ。
私のそっけない態度に、警視が受話器の向こうで溜め息をつくのが分かった。
『……相変わらずだな。でも今日は、ちゃんとした用事があるんだよ』
「え?」
この人が私に電話を掛けてくるなんて、大抵は暇つぶしか、私に対する厭味を言うくらいだ。
しかし、今日はちゃんとした用件があるらしい。
『フフッ……何と君の事務所に、新しい人間が配属されることになったんだ』
「えぇっ!?」
私は驚きのあまり、受話器を落としそうになった。
『ハハハ、驚くのも無理はないか。だけど、そんな君にもっと驚きの情報だ。何と、今日から配属だ。今向かっているよ』
「えぇっ!? ちょっ、そんな急に困りま――」
『というわけだから、まあ仲良くやってくれたまえ。じゃあ』
「あっ、ちょっと警視!?」
私の言葉はことごとく無視され、電話は切れた。
「な、何なのよ……」
私は突然の緊急事態に、頭を抱えた。
今、萌送り出したばっかりで、事務所はすごい散らかっている。おまけにお茶も切らしてるし、ダンボールは散乱していた。
私はとにかく急いで片付けることにした。
「あー! ゴミ袋が無い! げっ! お茶がこぼれてる!!」
私は泣きそうになりながら、事務所と格闘していた。
折角仲間が増えるのに、ここで帰られたらたまったもんじゃない! 第一印象が大事なのだから!!
――その時だ。
扉をノックする音が聞こえたのは。
「嘘っ! もう来ちゃったわけ!?」
『……すみません、誰かいませんか? 今日からここに配属されることになった者なんですが』
明らかに男の声だ。
げっ……マズイ……更にまずい! こんな汚いのを見たら、速攻逃げ帰ってしまう!!
しかし、このまま居留守を使うのは相手に悪い。
「うーん、うーん……」
悩んだ私は仕方なく、事情を説明しようと扉を開けた。
「すっ、すみません! 今、事務所かなり散らかってい――――」
私は目を見開いた。
夢でも見ているのだろうか。
暑さで頭がおかしくなったのだろうか。
だって、私の目の前にいたのは……。
「ま、麻衣……?」
扉の前に立っていたのは、紛れも無く義高だった。
私は、恐る恐る尋ねる。
「も、もしかして……ここに配属になったのって……」
「う、うん。多分……僕のこと…かな?」
「……」
――ぷちんっ
「警視の・・・・っアホ――――っ!!!!」
私の叫びが、事務所にこだました。
「――っくしゅん!」
「警視、風邪ですか?」
「いや……大体の予想は付くが……」
「はあ……? でも警視、良かったんですか? 北林を特捜課に回して。あいつの実力を手放すのは、捜査一課としては惜しいと思うんですけど……」
砂原は部下の言葉に首を振った。
「だからこそ、特捜課がいいんだよ。彼にとってはね。それに……」
ここで砂原は言葉を切った。
「それに?」
部下が続きを促すと、砂原は笑って言った。
「――彼らはまさに、“最高のパートナー”だからね」
「?」
部下は、砂原の言葉の意味を理解できずにいるようだ。
「……まあこれが、警視庁から二人へのご褒美かな」
砂原は部下の姿に苦笑しながら、そっと呟いた。
「麻衣!」
義高が、事務所の片づけを手伝いながら私を呼んだ。
私が振り返ると、彼は立ち上がり私の傍まで来た。
「……これから、よろしくな」
義高は右手を差し出す。
そうだ。
もう私は一人じゃない。
彼――義高がいる。
貴方となら、きっと……ずっと……
私は心の中でそっと呟き、軽くその手を握ると笑顔を返した。
「こちらこそ!」
――刑事は狂い咲き、探偵は乱れ舞う――
二人は後、このフレーズの元、世間にその名を轟かせることになるのだが……それはまだまだ、先の話である。
『探偵乱舞〜桜山荘殺人事件〜』――完――