第13章<分岐A>〜、簡易理〜






 片付けが終わり、大体の目星がついたところで僕は皆を呼び集めた。今から本格的に犯人を絞り込むため、一人一人のアリバイ検証をするつもりだ。
 僕は皆に席に着くように促し、麻衣とは向かい合うように座った。僕は皆が座った事を確かめると、言った。
「今から、皆さんのアリバイについて伺いたいと思います。昨晩から今に至るまでの経緯を、簡単に話して下さい」
 僕の言葉を聞いた途端、皆の目つきが変わった。僕はすぐに続ける。
「じゃあまずは……吉野さんから話して下さい」
 僕が言うと吉野さんは、一度目を閉じてから静かに頷いた。
「分かったわ。私から話すのね?」
「うん。お願い縁」
 麻衣が言った。
 吉野さんは麻衣に微笑むと、僕に顔を向け話し始めた。
「まず私がここに来て、最初に話したのは義高君だったよね? 私はちょっとここに来るのが電車のせいで遅れちゃって、玄関の前にいた所に義高君が現れたのよ。これはいいかしら?」
「はい。僕も丁度あの時この旅館に着いたんです。経緯はさっき説明した通りです」
 皆は僕が、また道に迷ったとしか知らない。これを今言ったら僕が一番怪しまれてしまうだろうし、逆効果だ。今はとりあえず伏せておくべきだろう。
 吉野さんは頷いた。
「それで、私はそのまま部屋に案内されて、荷物を置いてすぐに一階の談話室に行ったの。確かあの時は麻衣と義高君はいなかったわよね?」
「ええ。僕らは部屋にいました」
「うん。それで華子が呼びに来て、二人で下に下りていったのよ」
 僕が頷き、麻衣が答えた。
「後はみんなとずっと宴会していたわよ。私は最初、ユリエと千絵子、萌と一緒に飲んでいたわ」
 吉野さんが言うと、岸谷さんが頷いた。
「うん。一緒に飲んでいたよね」
「そうよ。私達はあまりお酒強くないから、弱い組で飲もうってことにしたのよ」
 津久井さんも加勢した。僕は頷きながら言った。
「はい。それは僕も記憶しています。僕はちなみに秋山さん、小倉先輩、麻衣の四人で飲んでいました。吉文は……益子君たちと飲んでいたよね?」
「ああ。俺は最初男同士で飲んでいたよ」
 僕はここで一旦話を切り上げる事にした。
「分かりました。今までの話で、昨晩の事はみんな思い出せたと思います。実はここまでの話はあまり、事件に関係ないんです。吉野さんに代表して話してもらったにすぎません。吉野さんありがとう。問題はここからなんです」
 僕はそう言うと、麻衣に視線を向けた。麻衣は静かに話し出した。
「まっすーが……殺害された時刻は24:05より後。須山が発見したのが24時半過ぎだから、犯人はこの15分間に犯行を行ったと考えられるわ」
「なんでその間だって分かるの?」
 秋山さんが疑問を口にすると、麻衣は携帯を見せた。
「まっすーから永田君にメールが届いたの。それが24:15頃だったのよ。ということは、その時刻までまっすーは生きていたと言う事になるでしょ? そして義高曰く、死後硬直がまだ始まっていなかったと言うから、須山が発見したときはまだ殺されて間もなかったということになる。そう考えると、この時間帯と考えるのが妥当なのよ」
「なので知りたいのは、この時間帯に何をしていたか? ということなんですよ」
 そう言った時、誰かの眼が光った気がした。気のせいか……?
「この間何をしていたって……その15分間は皆で輪になって話していたんじゃない?」
 岸谷さんが言った。他のメンバーも頷いている。
 確かにそうだった。あの時益子君以外は全員一緒にいたはずだ。たとえ誰かがトイレに行ったとしても、時間はせいぜい二、三分。殺人を行えるほどの時間はなかったはずだ。あれだけのことをやるには、最低5分以上はかかるだろう。
「そうよね……確かに皆一緒だったわ」
 麻衣が呟いた。

 おかしい。
 誰にもアリバイがあるのだ。それも皆共通の。

「やっぱり犯人は外部犯なんだよ!」
 岸谷さんが言う。

 そうなのか? 
 本当に外部の仕業なのか? 
 このメンバーの中にはいなかったのか?

「そうだよ。私達の中に犯人がいるわけないよ」

 皆口々に言い出した。
 麻衣は黙っている。
 僕たちの推理は間違っていたのだろうか?
 僕はこの話も一旦切ることにした。このまま続けても埒があかないだろう。
 ひとまず話を変えよう。僕は釣り橋のことについて話し始めた。
「じゃあ次、二つ目の事件について考えてみましょう。佐田君、菅君、永田君の三人が橋から落ちてしまった事件……。それより前に、秋山さんは佐田君と一緒に宿の人たちを送ったとのことだった。つまり、秋山さん達を最後に、誰も縁側を除いては外に出ていないという事になります。そして釣り橋の切れたをロープを確認したところ、ロープはあらかじめこちら側、つまり旅館側からすぐのところ、二、三歩のところに傷がつけられていたようです。これより、犯人もこの釣り橋を渡れなくなったということになります。ですから、犯人がまだ近くに潜んでいるという結論に至ったのです」
 皆は黙って頷いた。
 これはほぼ正しいだろう。
 しかし、僕にはこの釣り橋の犯人と、益子君殺しの犯人が同一犯だとは思えなかった。僕はこの事も説明した。
「僕が複数犯だと言った理由はここにあるんです。僕は益子君の死体を見て、全く抵抗の跡が無い事に疑問を持ちました。普通、人はそんな簡単に殺されるものじゃありませんよね? 必死で抗うでしょう。たとえ酔っていてとしてもそれは変わりません。きちんとした検死をしたわけではないので何とも言えませんが、おそらく死因は麻衣の言った通り、出血多量によるショック死。ただ、もしかしたら、睡眠薬や毒薬などを先に飲まされていた可能性もあります。それからナイフで刺されたのかもしれません。
 問題は抵抗されない為に、薬を使ったのだとしても、部屋にどうやって犯人は侵入したのでしょう? 見ず知らずの相手が部屋に入るなんて、ちょっと想像できません。知り合いの可能性がとても強いと思われます。益子君は何も知らずに犯人を部屋の中に招き入れた。犯人は益子君の隙を見て、飲み物等に薬を混ぜて殺した、あるいはそのまま刺し殺したか。いずれにせよ、益子君が警戒しなかったのは事実です。これによって僕は、あなた方の中に犯人がいると考えたのです」
「でも、みんなアリバイがあったじゃない! あれはどうなるの?」
 秋山さんの言葉に、僕は静かに答えた。
「……確かに。皆アリバイがあるのは事実です。しかし、僕の推理が間違っているとは思えない。このアリバイには穴があります。皆が同じということは、誰か一人の証言で状況が一変するということなんです」
「……」
 秋山さんは黙ってしまったが、僕は自分の推理を変える気はなかった。これは間違っていない。麻衣と考えた末の結論なのだ。いい加減に決めたのではないのだ。そんな失礼な事、僕にはできない(本当かよ?)
「待って。私と麻衣の事はどうなるの?」
 津久井さんが言った。
 そう。これもまたややこしい問題だった。
「はい。これはとても大きな謎なんです。まず、津久井さんを麻衣はすぐに追いかけていった。僕らは二階で津久井さんの悲鳴を聞き、僕と吉文、吉野さん、堀之内さんの四人で一階に下りたんです。確か十分後くらいです、益子君の死体を見てから。僕達四人は二手に別れて、麻衣と津久井さんを探す事にしました。そして僕と吉野さんが、津久井さん、あなたを発見しました」
「ええ。本当にありがとう……」
「いいえ。無事で良かった。そういえばあの時、吉野さん、君は廊下の向こうに『誰かいる!』って言っていたよね?」
 僕はずっと気になっていた事を尋ねた。あの時の吉野さんの震えようといったらなかった。彼女はとても怯えていた。
 彼女は俯きながら答えた。
「うん。確かに廊下の端に誰かがいたの。一瞬だったからよくは分からなかったけど……犯人だったのかな……」
「うん……僕にもそれは分からないけど、犯人は津久井さんを襲い、尚且つその後すぐに麻衣を閉じ込めたんだ。短時間でぎりぎりの事をやってるんだ。おまけにこの時も、僕らには皆アリバイがある。だから僕はこれからも複数説を立ち上げたんだ」
「そうよね。でも私疑問に思う事があるのよ」
「疑問?」
「うん……」
 麻衣が考え込むように言った。
「私、萌を追いかけていたけど、そんなに差をつけられてはいなかったと思うの。なのに一階で萌の悲鳴が聞こえたときには萌はいなかった。あの時萌は一体どこにいたのかな……犯人は私の背後に現れたのよ。萌が犯人に殴られて気絶した後、私が来たとしたら犯人と鉢合わせになるはずなのに。廊下は一直線だし、犯人が隠れられる所はなかったはずよ。もちろん萌を隠す所もね。犯人は一体どうやって萌を襲った後、私の背後に立つことが出来たのかしら……。これが一番の謎」
「そう言われてみればそうよね……確かに不自然だわ」
 吉野さんが言った。
「私は気が動転していてあまりよく思い出せないの。犯人の顔も暗かったから、分からないわ……」
 津久井さんはこう呟くばかりだ。
 言われてみれば、確かにおかしかった。津久井さんがあの廊下に行った事は間違いない。彼女の証言と麻衣の証言が一致している。
 じゃあこれは、一体どういう事を意味しているのだろうか? 

 ……しかし、今の僕にはよく分からなかった。
 僕はその件も、とりあえずは置く事にした。今は皆に事件について説明する方が先だと思ったからだ。
「その件も保留にしておきましょう。次は麻衣発見についてです」
 僕が言うと、麻衣は自分で話し出した。
「私は背後から何者かに口を布で抑えられたの。そうしたら急に意識が無くなって、気付いたら口は塞がれ、手足はロープで縛られているっていう状態になっていた。おまけに真っ暗闇だし、自分がどこか狭い場所にいるっていう事は分かったけど、まさかクローゼットの中の押し入れに入れられていたとはね……で、壁を思いっきり蹴っていたら、義高が来てくれたの。おかげで本当に助かったわ。ありがとう」
「もういいよ。気にしないで」
 僕は、笑顔を返した。スマイルください並の笑顔を。
 実は僕は心の中で、お礼を言われる――人に感謝される――って気持ちいいなと思っていた。また「ありがとう」という言葉に酔っていた。皆っ、もっと僕を褒めて!
ハッ――
 今、もう一人の僕が降臨していたみたいだ……
 これを読んでいるアナタ! 僕は断じてこんなこと思っていませんよ! 信じて! 僕は変態でも狂ってもいない、普通の好青年なんだ!(自分で言っている辺りがやばい)
「義高? 何独り言言ってるの?」
 ――やばっ……
 僕は慌てて真剣な表情を作り、この場を取り繕った。
(こら義高! こんな時に不謹慎だぞ!)
 僕は自分を叱咤する為に、心の中で(義高は悪い子! 義高は悪い子!)→ドビー調  と、壁に頭を打ち付けた。(つもりでいた)
 そんな僕を青い顔で見つめていたのは、言うまでも無く吉野さんだった。彼女は何かを唱えていた……
「義高……本当に大丈夫……?」
「えっ! あ、だ、大丈夫! 続き話さなくちゃねっ」
 僕は吉野さんと目を合わせないように、わざとらしく咳払いをして話し出した。彼女が怖い。怖い。
「そ、それで、麻衣を見つけ談話室へと戻りました。後は皆さんもご存知の通りです。何かここまでで気付いた事等ありますか?」
「あ、あの……ちょっと気になったことがあるの」
 岸谷さんが恐る恐る手を上げた。
 僕は「言ってみて?」と促した。
「あのね……みんなが部屋に戻った時、私眠れなくて窓の外を眺めていたの。そうしたら……」
 彼女はそこまで言うと、頭を抱え込んでしまった。
「ユリエ!?」
 吉野さんと秋山さんが駆け寄った。
 岸谷さんは、震えながら言った。
「いたの……誰かが! 桜の木の下に! 顔はよく分からなかったけど、間違いないわ! きっと誰かがここに隠れていたのよ! あいつが犯人なんだわ!」
 一気に捲くし立てる岸谷さんに、僕たちは唖然とした。
 誰かがいた? それは間違いなく犯人じゃないか?! 犯人はやはり、ここに潜んでいたということになるのか? 
一体そいつは、外で何をやっていたんだ? やはり僕らの行動を見張っているのだろうか。
 そんな時、小倉先輩が言った。
「俺も気になった事がある。まず、みんなに質問だが部屋に戻った後で、部屋を移動……というか部屋から出た奴いるか? もちろん北林たちが、みんなを起こしに回る前まででだ」
 すると、僕と麻衣、吉文が手を上げた。堀之内さんもこの中の一人なのだが、今はもういない。
「岡野と北林と須山か……」
「先輩……堀之内もです。俺たちは四人で義高の部屋で話していたんです」
 須山が言った。先輩は俯き、呟いた。
「そうか……堀之内も……。全部で四人だよな?」
「はい……そうです」
 僕が答えると、先輩は顔を曇らせた。そして言った。
「実は俺、ずっと廊下の物音を聞いていたんだ。案外よく聞こえるんでな。それで、人の出入りの音――つまり鍵が開いて、扉が開閉する音を俺は何気なく数えていたんだ。眠れないし、暇だったからな。……ここで二つ目の質問だ。お前ら四人……もちろん堀之内を含めた四人だが、お前らが、出入りして聞こえるであろう音の回数は何回だと思う?」
「えーっと……開けて締めてまた開けて……」
 麻衣が必死で考えているようだが、僕には一瞬で分かってしまった。僕は答えた。
「12回です。まず、皆自分の部屋を出て締める。この行動で二回音がすると思います。そして、結局四人共僕の部屋で話していたわけなんですが、麻衣が僕の部屋に入って締めて二回。堀之内さんが部屋から出て締めて二回。僕の部屋に入るわけですからここでも二回。同様に考えると吉文も四回。よって全て足した計12回聞こえるはずです」
「義高早いね……」
 麻衣が尊敬の眼差しで僕を見た。僕は少し得意になって話した。
「数学は得意なんだ」
「へー……私は数学だけはちょっと……υυ」
 そう言って麻衣は頭を掻いていた。僕は「てかこれくらいは数学苦手とかいう問題じゃないんじゃ……」とツッコミたくなったが、あえて突っ込まなかった。何か嫌な予感がしたからだ。
「二回少なくないか?」
 僕は思い出したように答えた。
「ああ、すみません。僕と麻衣はほとんど同時に扉を開けたみたいで……麻衣が自分の部屋を出たんです。僕はそのまま麻衣を中に入れたので、二回少ないんですよ」
「そうか。じゃあこれで正解なんだな。……12回だよな?」
先輩は頷いていたが、表情は先刻よりも曇っていた。何か思うところでもあるのだろうか……。
「あの……どうかしたんですか?」
 秋山さんが心配そうに呟く。
 先輩は僕たちの顔を見渡してから、言った。
「……そう。確かに12回だ。なのに、俺が聞いたのは……
16回なんだよ」
「え!?」
「そ、それじゃあ……」
 麻衣が言葉を呑んだのが分かった。
 だって、これが意味するのは……
「誰かが部屋から出ていた……あるいは外から入って来たんだ。お前ら以外のな」

 先輩は僕ら四人を見つめ言った。
 そう。もう一人、確実に部屋から出た人がいる。いや、もしかしたら入ったのかもしれないが。つまりは、誰かが部屋を出入りしたのだ。


 怪しい人物を見かけたという岸谷さん。
 彼女は本当に部屋から一歩も出ていないのだろうか。
 普通、人影を見たなら一人で部屋に篭るだろうか。
 彼女は怖くなって、逃げ出すのではないか?
 少し不審な点がある。


 益子君の横で蹲っていた津久井さん。
 彼女はいつから益子君の部屋にいたのだろうか。
 部屋を回った時には部屋にいた彼女。
 しかし、彼女は一度も部屋を出ていなかったのか?
 

 これといった事がない秋山さん。
 一見何も疑わしいところはない。
 しかし、そもそも今回の同窓会を企画したのは彼女だ。事件に何らかの形で関与している可能性は高い。
 しかも犯人はこの屋敷の構造を熟知している。何せ、壁がウォークインクローゼットになっているという事を知っていたのだから。
 彼女なら……。
 ――!? 
 僕はここで、自分の推理の矛盾を感じた。というか、何故最初からこのように考えられなかったのだろうと思う。
 僕が気付いた事――それは、残りの人を振り返ってから言うとしよう。


 秋山さん同様、特に目立った行動を取っていない吉野さん。
 僕は正直最初、彼女が一番怪しいと踏んでいた。
 しかし、彼女と関われば関わるほど、犯人像とは遠くなる気がする。
 ただ、彼女は何かを隠しているという疑惑も拭えない。
 意味深な言動や、発するオーラから、そのような空気を僕は感じ取っているのだから……。


 僕の部屋にやって来た堀之内さんと吉文。
 堀之内さんが僕らに何かを言おうとしたところを、タイミングよく現れた吉文。
 よく考えれば、偶然にしては出来すぎているような気もする。しかし、部屋の前で吉文が僕らの話を聞こうとしていたとしても、さすがに何を話しているかまでは聞こえなかっただろう。そこまで音が響くとは思えない。
 また、吉文同様に堀之内さんにも不審な点がある。
 彼女は殺されてしまったが、今までの犯人ではないとは言い切れない。むしろ、仲間割れ等という可能性も考えられる。
 それに、何故僕の部屋に来たのかという事だ。麻衣の部屋に行くのが普通じゃないか?
 確かに麻衣の部屋に先に行って、麻衣がいなかったから僕の部屋に来たのかもしれない。 
 堀之内さんは僕らに犯人を伝えようとした。彼女は何かに気付いていたのか? それとも、仲間を売ろうとしたのか? だから殺されたのか?
 今となっては分からない……。


 僕が部屋を出ようとしたとき、ほぼ同時に扉を開けた麻衣。
 彼女を信頼すると言って、彼女が犯人の可能性を考えている僕は最低かもしれない。
 しかし、僕はあくまでも全ての可能性を考えようと思う。それは、麻衣も例外ではないのだ。
 無論彼女の行動に、不審な点はない。僕とずっと一緒にいたのだから。


 そして、これを伝えた小倉先輩。
 彼は、本当に十六回の音を聞いたのか? そもそも、本当に扉の開閉の音なんて聞こえるのだろうか。慎重に開閉を行ったとすれば、音は聞こえないのではないか? しかも、音を数える。こんな事普通はしなくないか?
 第一に、この屋敷には色々な音が響いていた。例えばノックの音もその一つだ。その中で、扉開閉の音だけを聞き取るなんて事は可能なのだろうか? こんな事を話して、みんなの不安を煽る事は必至。なのに、わざわざ言った先輩には、何か別の意図があるような気がした。



「うーん。でもこれだけじゃあ何とも言えないわね」
 麻衣が言った。
 当然だ。僕も今、ここまで考えた結果、何も結論が出ない事を悟ったのだから。
 僕は座っていた椅子から立ち上がった。
「皆さん、色々思索していると思いますが、残念ながらこの証言からは何も言う事ができません。先輩の証言は、非常に信憑性が低い。何故なら先輩はあの時、一番遠い部屋――奥の部屋――にいました。そこから聞こえる音は、近くの音ならまだしも、遠くの……僕や麻衣の部屋の音までを正確に聞き取る事は、まず無理だと思います。別に先輩を疑っているわけではありません。ただ、実際にはもっと多くの音がしていたかもしれませんし、もっと少なかったかもしれないのです。そしてそれを正確に知りうる事は、残念ながら現段階ではできません」
「そうだよな……確かに北林の言うとおりだ。俺は全ての音を聞いたわけではないかもしれない。俺もみんなも気が動転していたはずだ。そう考えれば、俺のは幻聴だったかもしれないし、岸谷のも幻覚かもしれないな……」
「……そう言われちゃうと、何も言えませんね……」
 先輩の言葉に、岸谷さんは項垂れた。
 確かにそう言われてしまうと、今までの推理は無駄だ。
 全ては幻。そんな結末が一番良いのだが……
「まあでも、全てを否定する事もできません。この証言を信じるなら、これはかなり大きい証言です。確かに廊下は静かでしたし、ちゃんと音が聞こえたのかもしれませんから。こうなると、この中の誰かが嘘をついているという事になります。誰かが部屋から出たことを、隠しているという事です」
「……」

 一同は沈黙した。
 嘘をつく=犯人なのだ。
 この事により、犯人がこの中にいるということが明らかになってしまう。犯人でなければ、嘘をつく必要はないのだ。

「まああくまでもそれも可能性の一つとして心にとめて置いてください。次は……堀之内さんの事についてです。まず死因は……薬物による中毒死。即効性のものではなかったと思います。青酸カリ等はアーモンド臭がしますし、何よりも服用した直後、死に至ります。堀之内さんのは、多分少ししか口をつけなかったこともあるのかもしれませんが、時間の経過と共に効き目が表れるタイプのものだと思います」
「千絵子……」
 誰かが呟いた。
 皆の目の前で人が死んだ。それはどんなにショックなことだろうか。その場に居合わせた人にしか分からないに違いない。
「でも……これって何に毒が入っていたの?」
 吉野さんが言った。
 周りのみんなも、それが気になっているようだ。
 僕もそれが一番気になっていた。
 まず、コーヒー自体には毒は入っていないのは確かだ。みんなも飲んでいたが、無事だからだ。
 次に砂糖とミルク。これは理論的に不可能だと思う。
 市販の砂糖の筒に、あらかじめ毒を入れる事はまずしないだろう。できないといってもいいかもしれない。
 それに、沢山の砂糖の中から毒入りを取る可能性も低い。僕なんて、五本も入れたのだ。その中に当たりがあってもおかしくはなかったはずだ。むしろ、当たらなかった方がすごい。どんな強運の持ち主だよ自分!
 犯人が無差別に人を殺そうとしているのなら、これらの方法が無いとは言えない。しかし、今までの犯行を振り返ると、どうやらただ闇雲に犯行を繰り返しているわけではないようだ。つまり、無差別殺人の線は消えたと言ってもいいと思う。
 そう考えると……
 僕は麻衣に視線を向けた。彼女がお茶を用意した本人なのだ。とりあえずは話を聞くべきだろう。麻衣は静かに言った。
「私と須山と千絵子が……お茶の用意をしたよね。私たちは宴会場にあったカップを適当に持ってきた。まだ少しカップの残りはあったと思うわ。私と千絵子はカップを並べて、須山がコーヒーをいれていたの」
「ああ。確かに俺がコーヒーの準備をした」
 麻衣の話に相槌を打った吉文は、突然声を荒げた。
「言っておくが、俺たちは犯人じゃない! 何しろその場に堀之内もいたんだ! 俺が犯人だとして、堀之内に俺が毒を入れているところを見られなかったはずはないし、岡野が犯人だとしても、堀之内と一緒に用意をしている時に、アイツの目を盗んで毒を入れるなんてできないはずだ!」
「須山、落ち着いて」
 麻衣は、怒りで我を忘れかけている吉文を嗜めた。
「私の考えでは、毒が入っていたのはカップだと思うの」
「カップに!?」
 秋山さんが小さく叫ぶ。
 やっぱりそういう事になるのだろう。消去法でいくとこれしかないのだ。
 しかし、この方法もやはり無差別という線が消えないのではないのだろうか。
「でもそれじゃあやっぱり無差別殺人じゃないの!?」
 岸谷さんが金切り声を上げた。キェーっと。まるでショッカーのようだ。(仮面ライダーより)
 無差別殺人……
 もはや救い様の無い殺人だろう。
 僕は麻衣を見た。すると彼女は、他のメンバーを睨むように立ち上がり、強く言い放つ。
「無差別殺人なんかじゃない! もしそうなら、犯人はコーヒー自体に毒を入れたはずよ。犯人は千絵子に何らかの方法で、毒入りのカップを取らせたのよ。そして、それを行ったのは……紛れも無くこの中の誰かなのよ!!」
「ま、麻衣……」
 僕は思わず呟いた。
 彼女の口から、こんな事を聞くなんて思わなかった。彼女にとっては、一番言いたくない言葉だったろうに。
 これも探偵の宿命なのだろうか。
「でも、そんなこと誰が出来たって言うの!? あの時みんなはカップを囲んで座っていたのよ? 毒なんて入れられなかったはずよ」
 吉野さんが言うと、麻衣は首を振って否定した。
「毒がすぐ溶けるタイプのものだとしたら、須山がカップを置いている時にさり気なく毒を入れる事が可能だわ。それは危険でもあるけれど、一番安全な方法でもある。はたから見れば、普通に手伝っているとしか見えないもの」
 吉野さんは反論した。
「でも! たとえそうやって毒を入れたとしても、千絵子にそのカップをどうやって取らせるの?」
 麻衣はすぐに返した。彼女は一体どこまで考えていたのだろうか。この質問も予測済みなような気がした。
「あの時、皆適当にカップを取った――気になっているだけなのよ。本当は上手く仕組まれていたんだわ」
 麻衣はここまで言うと、席に着き、僕を見て言った。
「今から、それを実践しようと思うの。ちょっと義高と……須山、手伝ってくれる?」






















 しばらくして、僕らは談話室に戻って来た。 
 麻衣の話では、まず、僕が堀之内さん役、麻衣と吉文はさっきの再現をするという事だった。今はその準備をしてきたところである。 皆にはさっきと同じ配置で座ってもらった。
「まず、私たちが談話室に入って来たとき、こういう状態だったわよね? で、私と千絵子が席に着いた……義高座って。千絵子の場所に」
「うん」
 僕は言われるままに座った。
 ちなみに席は、麻衣から時計回りに、津久井さん、堀之内さん(僕)、吉文(今は空席)、吉野さん、僕(今は空席)、先輩、秋山さん、岸谷さんだった。
「はい。じゃあ須山、今からテーブルにカップを置いていってくれる? みんなはさっきのように、須山の手伝いをして」
「分かった……」
 皆はそれからさっきの再現を始めた。
 さっきにより近くする為に、カップはもちろんのこと、中身もコーヒーである。しかし、再現を意識しすぎているのか、皆の動きはぎこちなかった。
「岡野、全部配り終えたけど……」
 吉文が言った。
 麻衣は机を見渡して、少し笑った。
「……じゃあみんな、そのコーヒーを飲んでみて」
「えっ!? 毒入りかもしれないのに?」
 誰かが叫んだので、僕は言った。
「安心してください。カップは綺麗に洗いましたし、コーヒーは新しいのを空けました。密封されていたので大丈夫です。砂糖とミルクは、念のため入れないで下さい」
「そう……」
 皆は口々に何か呟きながら、渋々コーヒーに口を付けていった。皆の表情に変化はない。
 そして僕も、麻衣が一体何を考えているのかを考えながら、カップに口を付けたのだった……が、
「うえっ! 何だこれっ!?」
 僕は思わずコーヒーを吐き出した。
 コーヒーの味でない、ソーダのような味を感じたのだ。しかも、何かイチゴっぽいような気がする。(どうでもいい)気持ち悪い……。まさか毒!?
「麻衣っ!?」
 僕は麻衣を涙目で見つめた。
 こんなまずいコーヒーを飲んだのは初めてだ。ここに来る前に寄った喫茶店のコーヒー以上にまずい。(僕はそこで世にも恐ろしい……いや、おぞましい体験をした。思い出すだけで鳥肌が立つような――機会があれば話すことにしよう……)
 むしろ、これはコーヒーじゃない!!
 しかし麻衣の反応は以外だった。何と彼女は「あ、やっぱり?」と言ったのだ。一体どういうことなんだ!?
 僕は麻衣に説明を求めた。
「一体どういうことなの!? このコーヒーって一体……」
「案外簡単なのね……」
 麻衣はぽそりと呟き、そして立ち上がった。何が始まるんだろうか。
「今、私は義高のコーヒーに『ラムネ』を入れたの。熱いコーヒーの中に入れたら、たちまち溶けてしまったから、誰も気付かなかったね。私は何気なく、カップを義高の前に置いたのよ。違和感の無いように。案の定義高は何も気にせずこのカップを取った」
「っ……」
 僕は麻衣に一杯喰わされたと思った。
 そんな……やられた!
 しかし、この事よりさっきの麻衣の推理が立証された事になる。犯人は追い詰められてきている、はずだ……
「つまり、犯人もこれと同じ方法を使ったのよ。円になっているから、誰にでも犯行は可能だし、カップをさり気なく取り替える事だってできる。失敗したら、そのコーヒーを倒すなり何なりして、また再挑戦できるしね」
「そんな……まっすーの時は全員不可能なのに、今回は全員が犯行可能なんて……」
 岸谷さんが呟く。
 その表情は、もはや明るさの欠片も見えず、暗い影を落としている。
 津久井さんは手を組み、何かを考え込んでいるようだ。顔色はかなり悪い。
 秋山さんは不安そうに先輩を見ていた。
 吉野さんは、タロットをじっと見つめている。
 先輩は俯いていた。
 吉文は「信じられない」といった表情で、ただ座っている。
 そして麻衣は……
「あくまで推測だし、これ以上の事は言えないけど……でも、私は犯人を……必ず止めるわ!」
 彼女はそれだけ告げると、談話室から出て行ってしまった。僕らは呆然とその後姿を見送った。しかし、僕は心配になり、後を追うように部屋から出た。 
 すると麻衣は、扉の前に立ちすくんでいた。壁に寄りかかりながら、何かを考え込んでいるようだ。
 麻衣は俯いたまま呟く。
「私は、自分が本当に犯人を止められるかわからない……」
 そして、「出来ないかもしれない」と続けた。
 僕はしばらく言葉に迷ったが言った。
「そんな弱気でどうするの。さっきはあんなにすごい推理までしてみせたじゃないか。ここで負けちゃ駄目なんじゃないのか?」
「分かってる……だけど、段々色んな事が明らかになってきて――みんな仲間だったのに。みんなのあの表情、言動、行動、その全てが嘘かもしれないのよ? 私が動くことによって、それが表になっていく……これほど怖い事は無いわ……何だか自分の方が悪い事しているみたいで……」
 麻衣は、弱気になっていた。
 でもここまできて、それは無いだろう。何しろ事件を解決すると決めたんだ。ここで諦めるのは駄目だ。そんな事は僕が許さない。初志貫徹が僕のモットーなんだ。これだけは譲れない。相手が誰でも、これを崩させはしない。
 僕は、少し言うことを躊躇ったが、やがてハッキリと言い放った。
「――逃げるのか? 今更」
「………」
 麻衣は言葉に詰まったように、唇を噛み締めている。が、僕は容赦なく続ける。
「それは僕らが、一番やってはいけない事なんじゃないのか?」
「それはっ……」
 麻衣が一歩下がる。僕は前に一歩進み、そして言った。
「そんな半端な気持ちで終わるくらいなら、最初から事件に関わるな!!」
「っ……!!」
 麻衣が震えた。今にも泣きそうだ。
「――……って僕の先輩なら言うと思うな」
 僕は微笑んで腕を頭の後ろに組み、ため息を吐きながら言った。
「本当は僕がこんな事言える立場じゃないのは良く分かってる。僕だって麻衣と同じ気持ちだしね」
「……私は……」
 僕は麻衣に少し近づいて言った。
「だから一緒に頑張ろうよ。一人では辛いかもしれないけど、きっと二人でならできるさ」
 そう言って笑った僕に、麻衣も微笑んで頷く。
「うん……そうだよね」
 ――その時、突然扉が開いた。
「麻衣!……義高君」
「萌……」
 津久井さんだった。
 彼女は僕と麻衣の間に入り、言った。
「皆きっと、麻衣の気持ち分かっていると思うわ。少なくとも私は、分かっているつもりよ?」
「萌……ありがとう」
 麻衣は津久井さんに微笑む。
 この二人の間には、どれ程の信頼関係があるのだろうか。僕の入る余地は皆無だ。
 僕はこの二人が、何だかとても羨ましかった。ああ、僕も女になりたいな〜……
「それに、きっと犯人も心のどこかでは犯行を止めてほしがっているに違いないわ。犯人の心理はそういうのが多いから」
「うん。できることは全てやるつもり」
「……麻衣ならできるわ」
 そう言って笑い合う二人は、親友と思わせるだけのオーラを放っていた。
 しかし、僕は何だか津久井さんに妙な違和感があるような気がした。決して暑いとは思えないのだが、彼女の額からは何故か汗が滲んでいる。さっきまでは気づかなかった。(麻衣の推理の時)津久井さん……?
 ――僕がそう思った矢先だった。
 彼女は突然頭を抑えながら、ふらっと後ろに倒れ掛かってきた。僕は慌ててそれを受け止める。
「萌! どうしたの!?」
「津久井さん!?」
 僕らは津久井さんに声を掛けたが、彼女は頭を抑えて苦しそうな呻き声を上げるだけだった。
 騒ぎを聞き、他のメンバー達が駆けつけた。
 そして津久井さんを見て、悲鳴にも似た声を上げる。
 一体どうしたんだ? 彼女の身に何が起きたんだ?
「萌っ! しっかりして!」
 麻衣が叫ぶ。すると津久井さんは苦しそうに呟く。
「い……痛いっ……頭……」
「頭が!?」
「多分、犯人に殴られたとこ……眩暈がして……吐き気も……うっ」
「と、とにかく休むのよ! 須山! 義高! 萌を部屋まで運ぶの手伝って!」
 僕と吉文は黙って頷いた。





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 13章。怒涛の展開に、作者がついていけません(おい)
 さてさて、決意新たに頑張るお二人。個人的に、麻衣に渇を入れる義高はすごく好きです(笑)びしっと決める時は決めてくれないと、彼の意味がありませんからねーあはは。 でも、悲劇はまだまだ続くのです……(涙)頑張れ、探偵&刑事!!