出会いはいつも、必然的。

 そして、別れはいつも――偶然的……?

















 


 第11章<分岐A>〜よならは、突然に〜
















「はい、千絵子」

 私は千絵子にお茶を入れた。千絵子は何だかとても緊張しているようで、そわそわして落ち着きが無かった。
 一体どうしたのだろうか。こんな時に訪ねてくるのだ。何か重大な事なのだろう。
「堀之内さん。一体どうしたの?」
 義高が優しく声をかけるが、千絵子は俯いたまま黙ってしまった。
「千絵子……私たちに話したい事って何?」
「………」

 千絵子は何も言わなかった。ただただ、何かを必死に考えているようだった。
 私と義高は顔を見合わせ、肩を竦めた。そして、どうしたものか……と目線を送った時だった。
「あのね……私……」
 千絵子が小さな、今にも消えてしまいそうな声で呟く。
 私と義高は千絵子の話に耳を傾けた。
「私……見たの……確かめたくて、一階に降りたの……」
 千絵子は気が動転しているのか、話の主旨がつかめず、何が言いたいのか分からない。
「見たって……何を見たの?」
 義高がゆっくりと、千絵子が落ち着くように言う。千絵子はようやく落ち着きを取り戻し、私たちの顔を見ながら、言った。
「私、まっすーの部屋に入った時に――」


――ドンドン!!


「!?」
 突然また、誰かが部屋をノックした。千絵子はビクッと身体を震わせ、私と義高は身構える。義高は今度は扉に向かって呼びかけるように言った。
「誰!?」
 すると意外な声が返ってきた。
「義高? ちょっといいか?」
「……吉文?」
「ああ。少し話をしないか?」

 義高は私と千絵子を振り返った。
 千絵子は小声で「さっきの話はまた後でするから」と言い、居住まいを正すように座りなおした。私は義高に「開けたら?」と言い、部屋の隅の方へと寄った。
 義高は用心深く扉の鍵を開け、須山を中へと招き入れた。
 須山は私たちに気付くと「何か寝付けなくてさ」と、照れ臭そうに頭を掻いた。私と千絵子は苦笑した。

 それからしばらく私たちは、他愛のない会話をしていた。といっても、ほとんどは義高の仕事内容についての質問だったが。刑事の仕事も改めて聞いてみると、とても興味深いものだった。
 しかし私は思う。刑事と探偵。二つ揃ってこそ、初めてお互いの力が最大限に発揮できるんじゃないかと。

 刑事の洞察力と執念。
 探偵の観察力と行動力、物事に対する探究心。
 この二つを併せたら、向かうところ敵無しなんじゃないか? そう思う。
 
 いつも一人で行動するのは、本当は辛いし、心細い。
 自分の行動が合っているのか分らない時、いつも不安がつきまとう。
 誰かに助言を受けたいと思っても、誰も頼れないこの孤独感。度胸や自信は付くかも知れないが、、心へかかる負担は半端じゃない。それを乗り越えた後、得るものは大きいけど……なんとなく虚無感を感じてしまう。
 それを埋める事ができないまま、次へと進まなくてはならないのがこの仕事。
 仲間に打ち明けられない苦しみに、押し潰されそうになる日々。
 今思えば、よく耐えてきたなあと自分でも思う。
 でも今は――逃げたい。

「――麻衣ちゃん?」
「えっ、あ、ごめん」
 私は千絵子に声をかけられ、我に返る。今こんなこと思ってる場合じゃなかった。今は事件の事だけに集中しなくては。
 そんなこんなで時は過ぎ、気付けば時刻は午前五時を回ろうとしていた。
 少しずつ明るくなってきた窓の外を見やると、誰ともなく「談話室に行こうか」と言った。仮眠をしたならば、もう十分な時間かもしれない。  私たちは皆の部屋を回り、起こして回りながら、下へと降りる事にした。



 幸い、誰にも異常はなく安心した。
 私と義高は、みんなを先に談話室へ行かせ、まっすーの部屋の様子を見に行く事にした。
 正直、気は進まなかった。






























 まっすーの部屋に入ると、鼻を突く異臭と共に萌の姿があった。
 萌がまっすーの傍で蹲っていた。泣いているのだろうか。私は、まっすーを見ないようにしながら萌に声をかけた。

「萌……大丈夫?」
「麻衣……」
 萌はやはり泣いていたらしく、目が赤く腫れていた。
 私は萌を嗜めると、部屋から出て行くように言った。萌は俯きながら部屋から出て行った。その後ろ姿は、もはや生気が微塵も感じられなかった。私は思わず身震いをした。
「麻衣! 益子君の胸に刺さっていたナイフ、無くなってる!」
「えっ!?」

 私は突然の義高の言葉に驚いた。
 しかし、見れば本当にナイフは無いようだ。実際、ナイフの刺さっていた辺りは、浴衣に隠れてしまって見えなかったが、膨らみもないし、おそらく誰かが抜いたのだろう。
 私が「一体誰が……」と言ったのと同時に、義高が叫んだ。

「津久井さん!」
「えっ?」
 私が言うと、背後でガタンッと音がした。
 振り返ると、萌が扉の前に、震えながら立っていた。私は立ち竦んだが、義高はつかつかと萌に歩み寄ると、萌の腕を掴み上げた。

「痛っ!」
 しかし義高は腕を離すことなく、静かに、囁くように言った。
「ナイフを抜いたのは君だよね?」
「あ、あの……私っ」
「萌……本当なの?」
 信じられず、呟く。萌がナイフを抜いたなら、理由は……。
「津久井さん……隠さないで。君の服に……血が付いてる。それは益子君のだろ?」
「わ、私……」
 萌はそう言うと、その場に座り込み、泣き出してしまった。私は、呆然としてしまって動けない。
「私、まっすーが可哀相で……ずっと、こんなナイフが刺さったままなんて! 私、だから……」
 萌は後は泣くのみだった。私は萌の気持ちが分るから、萌に駆け寄ろうとしたが、私より早く義高が萌にハンカチを差し出して、言った。
「津久井さん……気持ちは分かるよ。でもね、現場を荒らしてしまったら、益子君を殺害した犯人だって、分からなくなってしまうんだ。僕は……いや、みんな犯人を見つけたいんだ。そのためにも、現場に触れてはいけないんだ。君ほどの人なら、分かるはずだよね?」
「義高君……ごめんなさい」
「いいんだよ。僕だって、刑事なんて職に就いてなければ、君と同じ事を思っただろうし、同じ事をしたかもしれない。僕に謝る必要はないよ。早く……犯人を見つけよう」
「うん……」
 萌はそう言うと、義高のハンカチで涙を拭い、すくっと立ち上がり、私たちに向かって頭を下げる。
「も、萌!?」
 萌が人に頭を下げるなんて! 明日は雪か嵐かもしれない。
 萌は頭を上げると、はっきりと、よく通る声で言った。
「麻衣、義高君。犯人捜し、お願いします! そして必ず、法廷まで連れてきて!」
「萌……」

 私は頑張る。みんなのために。私自身のためにも。

「了解!!」
 私たちの声が、同時に響いた。



















 萌が去った後、私たちは俗に言う「現場検証」をすることにした。
 しかし、私と義高。共に知識はあるものの、実際の殺害現場を検証した事なんてあるはずがなく、ぎこちない手つきでそれは行われた。  ……と言っても、実際に死体に触れているわけではなく、シーツが掛けられた死体の周りの確認と、気になったときのみシーツを捲る、といったものだ。

「とりあえず、ナイフはビニールに入れておくのよね」
「うん。傷は確かめなくても……平気だな」
「さっき確認したしね。あまり見るのはまっすーが気の毒だわ」

 ちなみに、「さっき」とは最初にまっすーの死体を見た時である。
 あの時確かに、ナイフが深深と彼の心臓に向けて、刺さっていた。胸の周りの浴衣が、真っ赤に染まっている。
 しかし、この遺体。妙な点が多かったのだ。
「ねえ義高。もう気付いてると思うけど、なんでまっすーの浴衣、上半身が濡れていたのかな?」
「そう。僕もそれは不思議に思っていたんだ。これは犯人の仕業だと思うけど、理由が分からない。死体を濡らす必要性なんて、あったのか?」
「うーん……強いて言うなら、犯人は何かを隠したかったのかも」
「隠す?」
「そう。犯人は、まっすーの殺害の時の何らかの証拠のようなものを、隠すためにわざとやったんじゃないのかしら」

 私の推理はこうだ。
 犯人はまっすーを殺害する時に何らかのトリックを使ったに違いない。そのトリックはとても巧妙なものに違いは無いが、今の段階では分からない。しかし、それは何か証拠を残してしまうもので、犯人はそれを隠すため、カモフラージュとして、水を後からかけたのだろう。これによって、何かが消されたのだ。

「そうだな……じゃあ、その点についてはそういうことにしておこう。他にはない?」
「ないかな……むしろ、この死体が人形だった! みたいなオチならいのにね」
「それはまた、素晴らしいオチだな」

 そんなとき、疲れがピークに達したのか、私はふらっと倒れそうになった。
 何とか踏みとどまった時、視界に映る義高は、制止して見えたが、逆にまっすーの死体は動いたように見えた。
 目の錯覚なのだろう。なんせ徹夜明けなのだから。
「麻衣、そろそろ談話室に行こう」
「うん。ここから少し、離れたいかも……」
 私たちは、半ば逃げるようにしてまっすーの部屋を後にした。



 私は一階に降りている間、ふと思い出す。
 そういえば、まっすーの手が妙に赤かった。おまけに濡れていた。

 しかし、やっぱり何が分かったわけではなかった。
 私はそのまま階段を下り続けた。横では義高が、何かを考え込みながら、ぶつぶつ呟いていた。
 ……少し、怖かった。














 一階に着くと、みんな談話室に集まっていた。
 私たちが入ると、千絵子が「コーヒーでも入れようか」と言って席を立った。
 「俺も行くわ」と言って、千絵子に続いたのは須山だ。本当は二人きりにしてあげたいけど、今はそんなこと言ってる場合じゃない。何より、犯人がこの中にいるのだ。二人のうちのどちらかかもしれない……。
 義高に目配せすると、「私も行くよ」と言って、二人の後を追った。



 私たち三人は宴会場に来た。ここにはお湯の入ったポットや湯飲み茶碗等がある。
 私と千絵子がカップを用意し、須山がお湯をカップに注ぐ。
 コーヒーの香りが漂う。一瞬、休日の朝を思い出した。

 九つ分入れ終わると、ポットの湯はほとんど空になった。
 須山がカップの乗ったお盆を持つ。本当は千絵子が持つと言ったのだが、須山が自分が持つと言い、千絵子から奪ったのだった。こういう所に千絵子は惹かれるのだろうか……。
 私は二人の姿を無言で見つめながら、後をついていった。






「お茶入ったよ」
 私たちが戻ると、みんなは既に席に着いていた。見れば、テーブルが九つの椅子に囲まれていた。須山はそのテーブルへコーヒーを下ろすと、一つ一つお盆からカップを下ろした。私たちは適当にそれを取った。ちなみに席は、私から時計回りに、萌、千絵子、須山、縁、義高、小倉先輩、華子、ユリエである。
「あ、砂糖とミルクがない」
「持ってくるの忘れちゃった!」
 萌が気付き、千絵子が答えた。千絵子は立ち上がると「今持ってくるね」と部屋を出て行った。
 私はストレート派のため、そのままカップに口を近づけた。が、縁の呟きが聞こえ、カップを置いた。縁は、手にタロットカードを持ちながら、いつに増して青い顔で言った。

「まだ……まだ、思いは遂げられていない……」
「それって犯人の…?」
 私が言うと、ユリエが突然怒鳴った。
「もう二人ともやめてよ! みんなを不安にさせるような事言わないで!」
 皆、押し黙ってしまった。が、縁は冷ややかな目付きでユリエを睨み、冷たい声で言った。
「私は占いの結果を言っただけじゃない。私たちは皆、容疑者なのよ? それはユリエ、あんたも例外じゃないわ。そんなにムキになるなんて、ユリエが一番怪しいんじゃないの?」
「なっ……何てこと言うの!? 私は犯人なんかじゃないよ!」
「みんなそう言うに決まってるわよ。誰も自分が犯人です。なんて言うわけないじゃない」
「ちょっと! 二人とも落ち着いてよ」

 私と萌が仲裁に入り、何とか縁とユリエの争いは治まった。
 男性陣は皆、ぽかんと口を開けてこの光景を見ているだけだった。

 義高……口閉じなさい。
 先輩、眼鏡ずれてます。
 須山、目、乾くよ。
 男って駄目駄目だなぁと思う。

 華子はユリエを宥めていた。
 義高がはっと我に返ったように、縁へ声をかけていた。そこへ、千絵子が戻ってくる。
「持ってきたよーって、あれ……なんかあったの?」
「ううん。何でもないよ」
 私はそそくさと千絵子に席に着くように促した。千絵子は頭から「?」マークを出しながら、希望者に砂糖とミルクを配った。
 砂糖を入れたのは……義高が五本――って、い、入れすぎじゃ……υυ 私は義高がかなりの甘党だということを知った。つーかそれ、もはやコーヒーじゃないっすよ……。
 見れば、何も入れなかったのは、私と先輩だけで、他はミルクと砂糖を入れていた。……ぶっちゃけ私、コーヒーは苦手なんだよね。本当は紅茶が良かったんだけど、生憎無かった。
 私はカップに口を付けた。徹夜明けの胃には悪い事この上なかった。
 案の定一口飲むと、胃が痛くなった。私はカップを机に戻す。それとほぼ同時だった。

「うぐぅっ……!?」

――ガシャーンッ

 誰かの苦しそうな声と、カップが割れる音がした。

「!?」

 そこには、口を押さえて顔を歪めている千絵子の姿があった。

「千絵子!? どうしたの!」
「堀之内!?」
「堀之内さん!?」
 皆が一斉に千絵子を見た。千絵子は青ざめた、苦痛に歪んだ顔で何かを言いかけたが、そのまま倒れてしまった。
「千絵子っ!?」
 私は急いで千絵子の元へ駆け寄った。幸い、息はしているようだが、とても辛そうな表情が浮かんでいる。
「とにかく、部屋に運ぼう!」
 須山はそう言うと、千絵子を抱き抱えて、部屋から出て行こうとした。私たちも慌てて後を追った。


















 千絵子はそのまま布団へ寝かされた。かなり辛そうで、段々ぐったりしてきた。
「千絵子……」 
 私が呟くと、須山が私たちに言った。
「少しの間……二人きりにしてくれないか?」
 私たちは皆、無言で二人を見つめると、静かに部屋を出て行った。もう、千絵子は……須山の気持ちを思うと、今の言葉に抗う事はできなかった。



 どれくらい時間が経っただろう。とても長く感じた。
 十五分……いや、ほんの四、五分だったか。
 私と義高は、須山たちがいる部屋から少し離れた、ちょっとした休憩が出来る所にいた。他のみんなは、各々部屋に戻ったり(扉は開けっ放し)していた。
 みんな、千絵子の容態が思わしくない事は分かっていた。
 そして、確信もしていた。

――千絵子はあのお茶を飲んで、こうなったのだ。
 これは、犯人の仕業なのだ。
 千絵子は犯人の手にかかってしまったのだ――と。

 その時だ。須山が部屋から顔を出し、私たちに向かって手招きをしたのは。
「堀之内が……お前らと話したいらしい」
「……」
 私と義高は急いで千絵子の元へと向かった。






 部屋に入ると、今にも消えそうな程弱った千絵子がいた。顔は青白く、その青さは縁を遥かに凌いでいた。
「千絵子……」
「堀之内さん……」
 私たちは呟く。千絵子は私たちへ視線を向けると、苦しそうに、眉間に皺を寄せながら、途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「麻衣ちゃん……義高、君……私は、もう、ダメ……」
「千絵子!? 何言ってるの!?」
 私は思わず千絵子の手を取ったが、その冷たさに驚く。千絵子は私の手を掴んで、声にならないような声を上げた。
「麻衣ちゃん、義高く……犯人は――っげほっ! かはっ!」

 千絵子は一際大きく咽ると、口から一筋の赤い血を流した。
 そして、私たちの後ろに視線を向けると、悲しそうに笑みを浮かべ、そのまま目を閉じて動かなくなった。
「堀之内っ!?」
 須山が駆け寄り、千絵子を揺すったが、千絵子の目が開く事はもうなかった。



 私はショックのあまり、何もできなかった。
 泣く事は愚か、声を出す事すらできないのだ。
 頭が真っ白で、目の前は真っ暗だった。千絵子が、自分の目の前でいなくなってしまった。

「千絵子!? そんな……まさか」
 背後で声がした。萌の声だ。そしてその声に続いて色々な声が聞こえた。
 しかし、私にはもう、誰が何を言っているのか分からなかった。何だか全てが、遠くの出来事に思えた。
「麻衣……脈がない」
 隣で義高が呟いた。私はただ頷く事しかできなかった。



 夜が明けた。
 朝日が差し込んでくる。
 私は今までにこんなに綺麗な朝焼けを見たことはない。



 ――これで五人。残りは八人。




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分岐A編の11章です。もう、事件は佳境を迎え、探偵と刑事の推理が始まってきました。
さてさて、このコンビ、無事事件を解決できるんでしょうか。生温かく見守ってやってくださいね(llllll´▽`llllll)