「放して! 放しなさいよっ!!」
「くそっ!」
「大人しくしろ!!」

 私とお兄が連れてこられたのは、研究所の地下施設。
 出入り口は、何重にも施錠してあって、鉄格子の扉が威圧感を漂わせている。
 両腕を後ろ手で組まされ、手錠を嵌められた私たちに逃げる術はない。

「お前たちはここで、一生モルモットとして飼ってやる」
 研究員が私たちを突き飛ばした。
「きゃあっ!!」
「ぐっ!」
 私とお兄は縺れ合いながら壁に激突し、そのまま崩れ落ちた。
 そんな私たちを見下ろす男性――――榊は、お兄に向かって言った。
「……翔、せっかく逃げ出したのに、また舞い戻ってくるとは中々滑稽なことだな」
「っ……俺は、逃げ出したんじゃない……!!」
「一緒に逃げた玲はどうした?」
「……さあね」
「まだまだ減らず口は叩けるみたいだな」

――――ドガッ!!

「ぐあっ!」
「お兄っ!!」
 榊はお兄の横っ腹を蹴り飛ばす。お兄が呻くと、その顔を撫で上げた。
「フフッ……お前は大事なサンプルなんだ。出来れば傷付けたくない」
「触るな、外道」
「っ!」
 唾を吐きかけたお兄を、榊は面白くなさそうに殴った。
「ぐっ……」
「口の利き方には気を付けろ。お前らの命は、私たちの手中にあるんだからな」
 そう言って不気味な笑みを浮かべた彼は、私に目をやった。
「……随分綺麗に成長したようだな。もっとも、翔とは似ていないがね」
「やめろ!! 妹には手を出すな!!」
 お兄の怒声が真横で聞こえる。
 榊は私の顎を持ち上げると、口の端を吊り上げた。
「どうだ? クローンの兄を持った感想は。何でも完璧にこなす兄を持って、幸せだったろう? 容姿端麗で頭脳明晰。世間中が彼を欲しがっていただろう? それをずっと見てきた君はどんな気持ちだった? 嬉しかったか? 優越感に浸り悦に入ったか? それとも劣等感や負い目を感じ続けていたか?」
「やめろ! 言うな!!」
 お兄が喚くのもお構いなしに、男は続ける。
「フッフッ…まさか、君がここまで乗り込んでくるとは思わなかったよ。そんなに兄が好きか? 自分の何倍もの才能を持った! 創られた人間を!」
「っ……い…や……」
 顎を押さえられているため、顔を背けることができない。
 私は彼を睨みつけるように見続ける。
「……翔に似ていなくとも、男を誑かす色気だけはあったようだな。沢山の騎士〈ナイト〉たちに守られて、随分良い思いをしたんじゃないのか?」
「榊!!」
「っ……」
 私は言葉を発することが出来なかった。
 この男は、一体どこまで知っていてこんなことを言うのだろう。
 怒りで体が震える。
「まあ、そんな騎士団は全滅。お姫様一人だけが、魔王を倒すべく単身で楼上に乗り込んできたというわけだ」
 全てを知っているかのような口調で話す目の前の男に、悪い予感が頭を掠める。

「……みん…なを……どうしたの……?」

 声が震えてしまう。
 そんな私を満足そうに見つめた榊は、私を軽く壁に押し付けた。
「え……」
「ただのモルモットにするには惜しいな。君は……研究所の愛玩道具にしてやろう」
「っ!?」
 気持ちの悪い笑みを浮かべ顔を近付けてくるこの男に、怒りと恐怖で胸が潰れそうになる。愛玩……つまりは、研究員たちの慰みものになる……ということ。
「榊!! やめろ!! には手を出すな!!」
 お兄が身を捩って暴れるも、身動きが取れないことに変わりは無い。その身体は、研究員に拘束されているのだ。
「……翔、どうだ? 真横で最愛の妹が汚されるのを見る気分は……」
「やめろ……! コイツは、何も関係ないんだ!! 頼む……やめてくれ……!!」
「お兄……っ……」
 お兄が、苦渋の表情を浮かべ私を見ている。私はただ、お兄と呼ぶことしか出来ない。
「クックックッ……ハッハッハッハッハッハ!!! 翔……お前がそんなに悔しそうに顔を歪めるのを、私は初めて見たよ。どんな時でも余裕の表情を崩さない君が、彼女の前ではいとも簡単に激昂するとはな……」
「くっ……」

 悔しそうな瞳。
 お兄のあんな瞳、私は見たことがない。
 あんな表情をさせてるのは私……。

 私は、こんなところで負けたらいけない。
 この男のいいようにされてはいけないんだ。
 命の危険さえ顧みず、ここの研究所に飛び込んだんだよ?
 今更、何を怖がることがあるの?

「……やめて」
「何だ?」
 突然の私の言葉に、榊は笑いを止める。
「これ以上、私の兄を愚弄するのは許さない」
 私は真っ直ぐに榊を見据えた。
「私は絶対に貴方たちに屈しない。汚されない。この身が汚れても、心までは汚されない」

 だって私はファウスト。
 メフィストの使役し、血の契約を結んだ人間だから。

 しばらく呆けたような顔で私を見つめた榊は、やがて肩を震わせ始める。そしてその後、地下に響き渡るような笑い声が木霊した。
「アーッハッハッハッハッハ!!! 面白い! 実に面白いよ!! 兄妹、私は君たちみたいな人間が大好きだ」
 彼は眼鏡を外し、冷ややかに光る鋭利な瞳を向けた。
「君たちのような――――反吐が出るような親愛を笠に生きている人間がね!!」

――――パシンッ

「っ!!」
!!」
 頬を叩かれ、壁に打ち付けられる。立ち上がった榊は、笑みを浮かべた。
「……このままサンプルにするのもつまらない。気の強い兄妹には、もうちょっと強い刺激を与えてやろう。現実最後の記憶に相応しい刺激をな……」

 榊が手を挙げると、研究員たちが何かのボタンを押した。すると、今まで壁だと思っていたものが、左右に分かれていく。そしてその先に広がる光景に、私は言葉を失った。




Chapter6: Check mate!





 そこには、薄暗い灯りに照らされた、監獄が広がっていた。
 黴臭いような、すえたような、嫌な臭いがする。それに混じるのは、鼻をつく鉄の匂い。

「な……」
 薄汚れた壁にこびりつく、おびただしい血液の跡。
 床に広がる生々しい赤。
 壁にうな垂れるようにして持たれかかる、いくつもの影、影、影――――。
 血の湖中に横たわる、見覚えのある姿形。

 やめて、やめて、やめて。
 そんなはずない。
 違う、違う。

 目の前の惨状はきっと嘘だ。
 こんなもの、狂った私の妄想だ。
 それか私は、白昼夢を見ているのだ。
 そうだ そうに違いない。

「フフフ……どうだい、現実最後の記憶としては申し分ないだろう?」
「……………あき……ら……?」
 お兄の震えた声が聞こえる。

 行かなきゃ、確かめなきゃ。
 嘘だって、こんなの違うって、夢なんだって。
 私とお兄は一緒に、悪い夢を見ているだけなんだって。

 気付けば私たちの拘束は解かれ、ふらふらと立ち上がっていた。
 お兄と私は、そのまま夢遊病者のような足取りで、監獄へと向かっている。

――――ピチャ

 足が赤く染まっていく。でも、そんなこと気にならない。

 壁にもたれかかった影に近付き、顔を上げさせる。
 青白く、血の気の引いた傷だらけの顔に、私の視界がぐにゃりと歪んだ。

「か…ず……ま……?」
「…………」

 息をしているのかさえ分からない。呼吸音も心音だって感じられない。ただそこに、一馬はいた。

「あっ……うぁ……っ!?」

 思わずよろけた先に、何かがぶつかった感触。
 振り返れば、脳天をかち割られた衝撃が走る。

「……シ…ゲ……直樹……っ…光徳…」

 全身がズタズタに切り裂かれ、おびただしい出血をしている彼ら。流れ出た血は、大きな血溜まりを作っていた。そして、一馬に手を伸ばすようにして倒れこんでいる英士と結人にも気付いた。。
「おいっ……亮! 亮!!」
「!!」
 お兄の悲痛な叫び声に、私は我に帰った。必死に呼びかけるその先には、足を投げ出し肩で息をする青い薔薇。でも、もう枯れかけている……。
「亮……っ……」
 お兄の横に並び、呼びかける。すると、僅かにその瞳が開いた。
「か……ける…………………っ………」
「亮……お前、何でっ……」
「亮っ……亮ぁっ……」
「クッ……ざまあ…ねえな……。傷が治らねえのが……こんなに不便なんて…………ぐっ……」
「亮っ!!」
 そのまま横に倒れ伏す亮を、お兄が咄嗟に支える。
 私は、そのまま周りをぐるりと見回した。

 誠二と竹巳が、二人寄り添うように壁にもたれている。
 将君はうつ伏せになって倒れ、柾輝と多紀はそれに折り重なるようにして倒れている。
 竜也は仰向けになって目を閉じ、克朗と大地は座ったまま微動だにしない。
 
 私の瞳からは、雫が流れ落ちる。声も出ないのに、ただ涙だけが流れる。
 きっと私の瞳から流れているのは血だ。
 皆の痛みが、私を傷付けるから。悲しみや怒りが、私に突き刺さるから。

 そして……
 滲んだ視界に最後に映ったのは、彼の姿。
 傷付いて、傷付いて、それでも不敵な笑みを崩さなかった彼が……白い顔に、悲しみを湛えて静かに佇んでいた。

「っ……翼……っ!!」

 駆け寄って、その体を抱き締める。
 あんなに力強かった体が、折れてしまいそうなほど儚く感じられる。
 虫の息――――という表現が相応しい彼は、虚ろな瞳を私に向けた。

「………………」
「っ……ひっく……つば…さぁ……っ……」
「な…に……泣いて………んだ……よ……」
「私っ……わたし……もっ……どうしていいか……わかんなっ……」
「バカ……泣くな……って……」
 震える手を伸ばし、私の頭を撫でる翼。
 弱弱しい感触が、私を更に絶望へと追い込む。
「いや……もう…嫌……わたっ…私……ファウストになんて……もっ…なれない……!」
……」
「みんなが……皆が……いてくれないと……私は……わた――――」

 ふわり、と、額に温かさを感じる。
 目の前には、翼の微笑み。
 その温もりが離れた後、私は初めてキスされたのだと気付いた。

「……お前は……お前だけが……俺たちのファウストだ……もっと……自信持ちな…よ……」
「翼……」
「フッ……額への口付けくらい……多めに見ろよ…な……」
 翼は私の背後に向かって呟き、そのまま腕を付き目を閉じた。

 私だけが……皆のファウストになれるの……?
 翼、私……もっと自信持っていいのかな?
 こんな私でも、皆が必要としてくれてるって、自惚れてもいいってことなの?

「……感動の再会に水を注して悪いが、そろそろタイムオーバーだよ兄妹」
 気付けば、榊が私たちの背後に立っていた。
「っ……!!」
 逃げようとした私たちを、研究員が取り押さえる。
「……これで分かっただろう。我々の力を。神を超える力を」
「っ……こんな……こんなことして何になるの!? どうして彼らを傷付ける必要があるのよ!!」
 感情が溢れて、胸が張り裂けそうになる。
 やるせない気持ちが、爆発する。
「彼らは……っ……ただ、普通の幸せを求めているだけなのよ!? 何も特別なことなんて望んでない!! 元の自分を求めることが、そんなにいけないことなの!? 邪魔されなくてはいけないことなの!?」
 嗚咽が混じり、喉が掠れる。
 こんな取り乱したところで、状況が何ら変わるわけではないのに。
 それでも、言わずにはいられなかった。
「……貴方たちが神だと言うならっ……私は神を許さない!! 神が全てを統治して支配する世界なんて、私は認めない! こんな狂った神が創る世界なんて……滅びればいいのよ!!」
「フン……妹は意外に頭が悪いようだな」
を侮辱するな!!」
「翔……君は、彼女の前だと愚か以外の何者でもないな……正直、失望したよ」
 彼は研究員に何かの合図を送る。
「残念だが、君の出番はここまでだ。今はしばらく眠っていなさい」
「何言って――――あっ!?」
 お兄の体が大きく揺れ、そのまま床に倒れ込む。
「お兄ちゃんっ!!!! っ……どいてっ!!!!」
 研究員を突き飛ばし、お兄に駆け寄る。
「お兄!! お兄っ!!」
「っ……う……っ……」
「安心しなさい。彼は少し眠っているだけだ。彼のような貴重なサンプルを、私が手放すはずがないだろう? 静かにしなさい」
「!!…………」

 お兄の胸は、規則的に動いている。
 それを見た私は、ほんの少しの安堵と、心を焼き尽くしそうな怒りが湧き起こった。
 立ち上がって、正面から榊を睨みつける。

「貴方は……狂ってる。貴方は、おかしいよ……!!」
 彼は私の言葉を聞くと、おかしそうに笑う。
「フフッ……ハハハハハハッ!! そう、そうだよ……狂ってる、狂ってるんだよ、この世界は! 狂った世界に生きてる私たちもまた、皆狂っているんだ!! 私も! 君も! 君の周りも全てが狂ってるんだよ!!」
「っ……」
「狂った世界で狂ったことをして何が悪い? どうせ全て狂ってる、壊れているんだよ。まともなものなんてあるはずもない。世界が狂っているんだ。生物だって狂うのは当然だろう?!」
「…………」

 この人は、とても悲しい人なんだろう。
 狂った世界に翻弄される、弱くて可哀相な人なんだ。
 この人には……負けない。
 たとえ私がここで……死んでも。

「確かに……この世界は狂ってるのかもしれない。まともなものなんて無いのかもしれない……。でも……っ……それでも……そんな不確かな世界だからこそ、人は、一生懸命生きてる! 僅かな希望と……ほんの少しの……確かな幸せを求めてっ……今、この一瞬を……懸命に生きてるのよ……!!」
「!?」
 一歩ずつ、榊に向かう。
「貴方には……この世界を統治するなんて無理なんだよ! 貴方に、皆の命を自由にする力なんて……権利なんてないっ……」
「やめ、ろ……来るな……!」
 榊が怯えたように、一歩ずつ後退していく。
「狂った世界に気付きながら……それにただ、翻弄されてる貴方は、弱くて悲しい人だよ。そんな人が、神になんてなれるはずがない!」
「私が……弱い? 悲しい…だと?」
「そうよ……貴方はとても弱いから、狂った世界に翻弄されてしまうのよ! 強い人なら、どんなに世界が壊れても、その中で希望を見出せるもの!!」
 榊の目に、怯えのような揺らぎが見える。
「お前は何故……ここまでの絶望を見て……どうしてそんなことが言える……? お前の希望は、全て打ち砕かれたはずだろう? 何故、狂っていることを認めながら、そんな期待を抱けるんだ!?」
「絶望があるなら希望だってある……。私は……沢山の絶望の裏に確かな希望を感じてきた。狂った世界にだって、確かな幸せは存在してる!」
「くっ……」
 榊が、震えた手で拳銃を構えた。
 私は怯まずに歩みを進める。
「希望は……信じることから始まるの。絶望を知っても、希望を信じれば必ず這い上がれる」
「やめろ……そんな戯言…っ……聞きたくない!!」
「何度だって言ってやるわ! 信じることが力になる。信じることが、その人の生きる糧になるのよ!!」
「っ……うるさい!! 黙れ!!」
「弱い貴方なんかに、私たちは屈しない! 私は貴方を、私の全てを持って否定する!!」
「黙れぇぇぇ!!!!!!」


 銃が火を噴くのが見えた。
 でも何故か、それは榊の背後にも見えた。
 銃声は二発。


 死を悟って、目を瞑った瞬間――――紅い瞳と目が合う。
 そしてそのまま、私は覆い隠された。

 直後、身体に響く数回の振動。
 見えた口元は、ゆっくりと笑みを象って。
 私の名を呼んだ。

……」

 視界が段々高くなっていく。
 ゆらり、ゆらりと体が傾いていく。
 影は私の身体を包み込んだままだ。

 銃を落とす音が聞こえた。
 榊のうめき声が聞こえる。
 扉の向こうに見えるのは……。

「っ……!!」

 背中に衝撃。
 冷たい床を、直に感じる。
 でも……私の身体は温かい。
 影のぬくもりが、私を包んでいるから。

 そっと、震える手の平で、その影に触れる。
 柔らかな、感触。例えるなら、猫のような。

 手を動かすと、生温かいものに触れる。
 濡れた感触。
 ゆっくりと、それに目をやる。

 赤。
 真っ赤。
 真っ赤……。

「――――!!!」

 ここで私の頭は、ようやくこの事態を理解した。

「いっ……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」





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