「はあっ、はあっ……」
 息切れする胸を押さえながら、私は最後の壁を前にしていた。

 目の前には、無機質な白い扉。
 ここが、目的の地――――コンピューター室。資料室だった。
 私はポケットからカードキーを取り出し、差し込む。

『指紋認証画面に移ります。手を置いて下さい』

 これまた無機質な、感情のこもっていない音声が響く。私は翼に言われたとおり、あらかじめ用意しておいたフィルムを読み込ませた。

『――――研究員jm認しました。扉を開きます』

 しばらくして、静かに扉は開かれた。





 Chapter5: Wish and Hope.





 中に入ると、コンピュータ特有のブゥーンという音が耳についた。見たところ、誰もいないようだ。
 教室一つ分ほどの広さがあるこの部屋には、コンピュータがずらりと並んでいる。
「片っ端から調べないと……」
 一番端から、順にコンピュータを立ち上げていく。幸い、パスワードはかかっておらず、簡単に全てを立ち上げることが出来た。

 手袋をはめ、キーを叩く。フォルダの中身を、全てコピーしていく。
 気持ちは逸り、喉はからからに渇いている。下を向けば、また涙が零れてくるような気がするのに、手は動く。頭も意外とクリアなのには自分でも驚く。窮地に陥ると、意外と冷静になれるタイプだったのか……と心の奥で苦笑いした。

 ふと気付いた時、私は全てのコンピュータの資料を盗み出していた。はっとして時計を見ても、そんなに時間はかかっていなかった。大地が作り出したデータ読み取り機の威力がすごいのか、私の動きが早かったのは分からない。ただ、一つやるべきことを片付けたことには安堵した。
 私は手荒にディスクその他をしまい込む。そして、部屋の奥にある小さな扉を見つめた。

――――Keep out

 立ち入り禁止の札が貼られるその扉の先に、表沙汰に出来ない研究の全てが隠されている。確証はないものの、間違いないような気がした。

 この扉の先に、全てがある。
 悲劇が終わりを迎えるために必要な、全てのパズルがここにある。

 ここで初めて、自分の足が竦んで震えていることに気付いた。手も震えているし、冷や汗が流れ落ちた。極度の緊張を感じているのだ。

 胸元に手をやる。
 硬くて冷たい感触。
 皆の思いが詰まった、リボルバー。

――――「、頑張れ」
 目を閉じれば、皆の激励が聞こえてくる。

 大丈夫。
 私は一人じゃない。
 皆がいる、お兄もいる。日本で待っててくれる親友だっているんだから。

 扉の鍵に向かって、拳銃を構える。
 警報装置は、あらかじめ作動しないようにしてある。
 引き金に手をかけ、照準を合わせる。
 大きく息を吸い込み、私は引き金を引いた。

――――パンッ

 しばらくの間があったあと、扉が静かに開いた。
 しかし、私の動きはそこで止まった。

『動くな! お前はここで終わりだ』
「っ!?」

 扉の向こうでは、三人の研究員が私に向かって銃口を向けていたのだ。
 私は反射的に銃口を向けた。
 ……勝てるなんて、思わなかった。
 でも、ここで引き下がることは出来ない。

「一人で勝てると思ってるのか?」
「……」
「大人しく銃を下ろせ。そうしたら命だけは助けてやる。ただし、『実験動物<モルモット>』としてだがな」
 下品な笑みを浮かべる研究員たちに、私は息が止まりそうだった。
 怒りで、胸が焼けるように熱い。
「……貴方たちは狂ってるっ……人間じゃない……!」

 止めたはずの涙が、頬を伝うのを感じる。
 でもこれは悲しいとか怖いとかじゃない――怒りだ。

「狂ってる? それはお前の方だろう。我々は神をも超える頭脳を持ち、神をも超える偉大な研究をしているのだから! それが分からないお前の方が狂っているんだ!!」
「偉大な…研究ですって? こんな……人の命を弄ぶような、人を人とも思わないような研究が神を超えるなんて……本気で思ってるの……!?」
「我々が神なんだ! 神が全てを創り統治するように、全ては我々の前に跪くのが理だろう!? 選ばれた人間に使ってもらえるんだ。むしろ感謝してもらいたいくらいだよ」
「っ……あんたたちみたいな奴らに……っ……お兄はっ……」

 ……お父さん、お母さん。
 貴方たちは、こんな狂った研究をして、それで満足だったの?
 お兄が犠牲になったことにも気付かないで、私が今どんな思いでいるかなんて知りもしないで。
 
 私たち兄妹は、貴方たちの何なの……!?
 私たちも、ただの被験体《サンプル》にすぎないの?
 ねえ……教えてよ……。

「……おや、さっきまでの威勢はどうした?」
「……」

 私はもう、銃を撃てる気力を失くしていた。
 負けたとは思いたくない。
 動かなきゃいけないとだって思っている。
 でも、力が入らない。
 頭の中がぐちゃぐちゃで、もうどうしていいか分からない。

「生かしておくにも暴れられては困るからな。麻酔銃だけ撃たせてもらう」
 かちゃりという音がして、研究員が引き金を引いた。

――――パンッ パンッ パンッ

 目の前にいた研究員が倒れていくのが、スローモーションで見える。
 背後に、懐かしい香りが漂った。
 私は思わず拳銃を落とした。

 振り向かなくても分かる。
 この香りは……。

 ふわりと背中から抱きしめられた。
 懐かしい腕の感触に、涙が溢れる。

「……

 優しい声音が、私の耳に心地よく響く。

「っ…………!!」

 身体を反転させ、思いっきりその胸に飛び込む。
 しばらくして、優しく抱き返される。
 余計に涙が止まらない。

「……私、頑張ったんだよ? ここまでやってこられたよ……?」
「ああ……よく頑張ったね」
「淋しくても……っ……頑張ったんだから……私……」
「うん……分かってる」
「会いたくて……っ……本当に頑張ったんだよ……!」
「うん……」
「でももう、会えないかもって…………っ…」

 抱きしめられる腕に、力がこもった。
 私も負けじと抱き返す。
 まるで、お互いの存在を確かめるかのように。

 ひとしきり泣いた後、フッと苦笑したような声が降りてきた。
「……だだいま、

 顔を上げた私は、泣きながら微笑んだ。


「お帰りなさい……お兄ちゃん……」









 気を失った研究員を扉の外に出し、二人で部屋の中に入る。
 約一年ぶりに会ったお兄は髪が少し伸びて、少し痩せた。
「……、お前……少し痩せたな」
 お兄にそんなことを言われ、私は苦笑した。「それはお兄の方でしょ」と。
 お兄は微笑んで、私の頭を撫でた。

 正真正銘お兄の手だ。
 優しくて、綺麗で。でも、大きくて力強い手。
 何度この手を思ったか、今となっては思い出せない。
 でも、今この時があればそれでいいと思う。

「コンピューターは……一台しかないね」
「ということは、あそこに全てがあるってこと」

 資料が並ぶ棚の奥、一台のコンピューターが佇んでいる。
 私たちはそれを立ち上げる。
 そんな時、ふと私の目に留まったもの。
 私は自分の目を疑った。

 デスクの端に、色あせた写真が一枚貼られている。
 そこに写っているのは……間違いなく私とお兄だった。

 お兄が息を飲んだのが分かった。
 お兄の視線の先には資料の山。そしてその上の沢山のエアメール。

――――父さん、母さんへ。
――――おかあさん、おとうさんへ。

 それは、幼い頃に私たちが両親に宛てたものだった。
 こんなものが残ってたなんて……。

「お兄……これって……」
「……このデスクは、父さんと母さんのものなのか……?」

 ファイルの横に貼られた名前を見て、私たちは顔を見合わせた。

――――

 どうして二人が……?



 動けなくなった私を下がらせ、お兄は椅子に腰掛ける。
 デスクトップに映し出された、沢山のフォルダ。
 フォルダには、全てタイトルが付けられている。

『クローン体の実験概要及び考察』
『ヒト型クローンとその他生物のクローン対比』
『被験者001〜147 一ヶ月間の経過観察』
『生物理論とクローン』

「……『不老不死に関する研究報告書』か……」
 お兄がぽつりと呟く。

 私は無言で画面を見つめていた。
 これを書いたのは、両親なのだろうか。

 クローン。
 被験者。
 生物理論。
 薬品。

 そんな単語だけが並ぶ中、私は目を留めた。
 見つけてしまったのだ。
 
『ローズ・ドロップ《R.D》概要』

 何故両親がこのデータを持っているのかは謎だった。
 両親は知るよしもない、ローズ・ドロップ。でも、何故かその単語がここに記されている。

「何で……どうして……」
「……」
 お兄は押し黙り、頭を振った。その仕草は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
「……今はまず、これを読み取ることが先決だよ」
 私はただ頷くしかなかった。
 お兄は慣れた手付きで、ディスクを読み込ませている。
「……ここに来るまでのコンピュータには、綺麗さっぱりこれに関する情報は残っていなかった。でも、ココに残ってたなんて……」
 キーを打ちながら、お兄が言う。
「……お兄はここで働いていたんでしょ?」
「形式上はね。でも実際は、実験体という方が正しかったかな」
 ふぅっと息を吐いたお兄は、自嘲気味に笑った。
「色々なデータを採取されたよ。まあ、投薬とかはされてないから身体は平気だったけど。脱走した時なんて『被験体ナンバー』で警告されたしね」
「っ……」
 話には聞いていたものの、実際にお兄の口から聞くと怒りで震えた。
「まあ、逃げ出した時、母さんたちは他国に出向してたから……それを見計らって逃げたんだけど」
「お母さんたちとは、何度連絡を取っても繋がらなくて……」
「そうだろうね。研究所は、基本的に外部からの通信は一切シャットダウンしてるから。僕が逃亡したことは、極秘事項になってるみたいだよ」
 お兄の言葉に納得する。
 こういうことなら、お母さんたちが何も言ってこないのも頷ける。
 要するに、組織ぐるみで秘密にされているのだろう。
「あの人たちも、一種のモルモットさ。組織に飼われてる、ただの捨て駒なんだよ……」
 お兄の言葉には、同情とも哀れみともつかぬ感情が込められていた。

 お母さん、お父さん……。
 私は二人の気持ちが分からない。
 お兄のこと、二人は知っていたの? お兄が犠牲になったことに気付いていたの?
 分からない……分からないよ、二人とも……。

「……よし。これで、外部からでもここのコンピューターに侵入できるようになった」
 お兄の言葉に、ふっと我に返る。
 今はこっちに集中しなくてはならない。
「後はこのデータを盗み出せば、終わり――――……え?」
 お兄の手が止まった。
 画面にはポップアップウインドウが現れていた。

――――『パスワードを入力してください』

 ウインドウには二つの空欄がある。
 パスワードは全部で二つ……?

「ちっ……やっかいなことしてくれるよ、ホント」
「パスワードって、一体……」
「とりあえず、母さんたちが付けそうなもの、片っ端から入力していくしかないね」
「気が遠くなりそう……」



 それから私たちは、二人の生年月日、好きなもの、国名、地名、音楽の名前、偉人、食べ物、色……あらゆる単語を入力していった。しかし、どれも間違いらしくエラー音が鳴り響く。

「もう少しっていうのに……」
「……お、お兄! 画面!!」
「なっ!?」
 数十回目というところで、画面のウインドウに警告文が出現した。

――――『あと三回誤入力した場合、自動的にデータを消去します』

「どうしよう…………」
「くそっ、ここまで来てこんな……」

 チャンスは三回。
 どうしよう……どうすればいいの?

、もう一度落ち着いて考えよう」
 お兄の声に、私は頷いた。

 考えるんだ。
 お父さんとお母さんが付けそうなパスワードを。
 
「パスワードってことは、二人にとって思い入れの強い単語ってことだよね?」
「多分ね。意味の無い言葉を使う人間はあんまりいない」
「例えば……お兄なら、どんなパスワードにする?」

 そう、例えば私なら。
 私なら……自分の宝物、好きな人、思い入れのある年月日を付ける。

「好きなヤツの名前……かな」

 お兄が呟いた瞬間、私は素早く両親の名前を入力した。上に父、下に母の名前を。しかし、鍵は開かない。

「ダメかぁ……」
「二人の名前じゃ、パスワードにならないんじゃない? もっと、別の……二人以外はあまり思い浮かばないような……」
「じゃあ、二人が博士号を獲った日付は? お父さんとお母さん、別々の日だったよね?」
「ああ……じゃあそれを確かめてみるか」
 今度はお兄がその日付を入力する。しかし、結果は同じだった。
「これもダメなの?! ……どうしよう、もう、何も思い浮かばないよ」
「二人の名前でもない、二人の記念日でもないとなると……」
 私は机に置かれた写真を見やる。
 お兄は手紙を読み返しているようだ。


 色あせた四人が微笑んでいる。
 白衣姿のお父さんが、私を肩車している。
 お母さんが、お兄を後ろから抱きしめて笑っている。

 写真の隅には、小さく日付とメッセージが入っていた。


『――年 ×月○日 愛する息子、娘と』


「――――!!」
 その時私の頭に、一つの希望が過った。
 自分にとって都合の良い……と言われてしまうかもしれない、儚い願いが。

「お兄……私、試してみたい言葉があるの」
「……奇遇だね。僕もだよ」
「いいの……? こんな……一番不確かな言葉なのに?」
「……その時はその時。それに僕も……信じたいんだよ。僕らという存在をね」
 お兄の微笑みを見た私は、意を決してキーを叩く。

 お父さん、お母さん。
 私たち兄妹は、私たちの存在を信じるよ。


 上段には――――Kakeru<カケル>
 そして下段には――――……





『――――そこまでだ。兄妹』
「!?」



 画面が移り変わった瞬間、静寂を切り開く声が響く。


「久しぶりだな、翔……いや、被験体417-K」
「……榊……所長…………」

 振り返ったその先には、銃を手にした男性が立っていた――――。




To be continued...


Back/top/next
 
はい、ついに兄と再会したヒロインです! しかしこの兄妹、ラブラブです。何か恋人同士って感じに甘あまです(笑)でもいいんです。ちなみに兄の好きな人は、間違いなく様かと(苦笑)多分も兄の名前を入れるんでしょう。シスコン・ブラコン兄妹万歳☆今回は最後の台詞以外、笛キャラの出演はありませんで……ホント夢かよ!?って感じでしたね。すいません。でも、今回のパスワードシーンはどうしても書きたかったので、満足です(笑)ヒロインたちの名前がパスワードっていう設定は是非とも使いたかった……!!(力説する意味がわからん)
 あと二話だ!私、一話がとっても長いので、ホントどうしようってなります。次回はこの話で一番の盛り上がりを見せる(予定の)、ラスト一個前です!皆さん、どうぞお楽しみに!!