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 コンクール当日。
 緊張した面持ちの二人の肩を軽く叩く。
「何しけた顔してるわけ?」
「先輩……」
「大丈夫。いつも通りやれば、何も心配することはないよ。今日が最後なんだ。フィナーレを飾れるように、全力でいくよ」
「……はい! 宜しくお願いします!!」
 一海が言うと、渚も負けじと声を張り上げた。
「絶対に入賞しましょうね!!」
 しかしボクは、渚の言葉に口の端を上げる。
「入賞? お前の目標はそんなもんなの」
「え……」
 二人の肩に腕を回し、ボクは笑った。
「目指すは優勝のみ! だろ?」
「「……はいっ!!」」

 こいつらと組む最後のコンクール。
 絶対に、優勝してみせる。
 入賞にこだわってこなかったボクの心に、不思議とそんな気持ちが湧き上がってきていた。
 そう言えば、優勝したいと強く思ったのは、あのコンクールの時だけだった。あの時は、追い立てられるように、自分を追い詰めるようにただ「優勝したい」と思ったが、今は違う。有終の美を飾りたいとか、そういったことよりもただ「こいつらと一緒に頑張りたい」、そう素直に思えたのだ。



 出番が近付く。
 久々に、緊張している自分がいた。
 でも、心地よいのは多分……ボクは一人じゃないからだ。渚と一海がいる。この二人を支えて、引っ張っているような気になっていたけど。本当は、ボクがこの二人に支えられていたのだと今になってようやく気付いた。

「続いて、エントリー15 国際外語大学音楽部、佐伯巴里さん、白井一海さん、瀬川渚さんによるピアノ三重奏です」

 スポットが当たり、渚と一海が振り向く。その表情は、力強い笑顔だった。不敵に笑い返したボクは、相棒にそっと指を滑らす。うん……コンディションは悪くない。
 そして、二人に目配せして、ボクは指を躍らせる。

 演奏の途中、今までの……この一年半を思い出す。
 コンクール前には、後輩二人にせがまれ、遅くまで練習したこともあった。
 早朝に練習室を貸し切ったこともしょっちゅうあった。
 渚が作ってきた弁当を食べて……意外にも美味くて驚いたこともあった。
 一海がああ見えて、実はスポーツ万能だって知った時は、思わず「嘘つくな」って言ったっけ。

 そして、何だかんだ言いつつも、結局ボクは、一度も練習さぼらなかった。
 ……本気でやるつもりなんて、微塵もなかったのに。

 ふと、渚と目が合った。
 苦手なパートを完璧に弾きこなす渚は、いつもより楽しそうだった。ウインクを返すと、ウインクが返ってくる。……不覚にも、胸が跳ねた。渚がいつもよりも魅力的に見えるのは、舞台衣装のせい? それとも、あんなに楽しそうに演奏する渚を見たのが初めてだから……?
 一海もとても楽しそうに弾いていて……いつもの、自信が無さそうな様子は全く見えない。音楽が楽しくて仕方ない、そんな顔をしている。不思議なもので、いつもはパッとしない一海も、今日は凛々しく見える。そして、そんな風に思うボクも、やっぱりとても楽しい。

 演奏中に、こんなに楽しい気分になるのは初めてかもしれない。
 誰かと視線を合わせて、微笑み合うなんて一度だってなかった。

 いつの間にか、観客が手拍子をしている。
 それに気付いたボクたちも、その手拍子に乗せられるように、より軽快なリズムを刻んだ。

 楽しい。
 ピアノが楽しい。
 コンクールが楽しい。
 コイツらとのトリオが楽しい。

 三人の息がピッタリ合って、曲は寸分の狂いもなく終了した。
 その瞬間、会場は盛大な拍手と歓声で沸き立つ。
 ボクたちは立ち上がって、礼をする。
 会場からは、割れんばかりの拍手が幾重にもなってボクたちに降り注いだ。









 席に着いて、三人で次の一言を待つ。

「第XX回国際音楽祭、学生の部。優勝は――――……」

 心音が煩いくらいに鳴っている。
 隣の二人からも、同じような息遣いが聞こえてくる。

 大丈夫。きっと。
 たとえ優勝できなかったとしても、ボクは……


 そして、司会者の言葉を聞いた瞬間、ボクたちは歓声を上げた。

「エントリー15 国際外語大学音楽部ピアノトリオの佐伯巴里さん、白井一海さん、瀬川渚さんです!!」

 壇上に招かれ、司会者からインタビューを受ける。
「瀬川さんと白井さんは、大学2年生。そして、佐伯さんは3年生とのことですが、この先も続けていかれるんですか?」
 その問いに、渚が首を振った。
「いえ……残念ながら、今日で私たちのトリオは解散します」
 会場からは、困惑と落胆の声が聞こえてくる。意外にも、惜しまれてるらしい。
「そうなんですか……それは残念ですね」
「私は留学で、佐伯先輩は部活を引退されます」
「だから今日は、どうしても優勝したかったんです! マジで嬉しいです!!」
 一海が、渚とボクを見て言った。渚も、一海には話していたのだろう。「俺はまだ、日本でチェロを弾きたいって思ってますから、今度はオーケストラで出場しようかなって思ってます」と笑った。
 その後もしばらくインタビューが続き、最後にボクにマイクが渡された。
「佐伯さん。お二人の先輩でいらっしゃるということで、何か一言お二人にどうぞ」
 二人が、期待と不安に満ちた目を向けてくる。

 ……こういう茶番は、嫌いなんだけど。
 でも今は、素直な気持ちを伝えたい。

「……特にはありません。でも、二人には……感謝してます。またいつか、トリオが組めたらいいな」

 二人は、うるうると擬音が付きそうな目でボクを見ている。
「……うっ」
「うぅっ……」

 何となく、嫌な予感がした。……寒気も。
 そして、その予感は的中する。

――――だきっ! だきっ!!

「「せんぱーいっ!! 大好きです〜〜〜!!!」」

「げっ!! ちょ、お前ら、離れろ!!」
「うわーーーーーーーん、悲しいよ〜〜〜〜!!!」
「俺も……トリオ解散なんて嫌だぁぁぁぁ!!!」

「お前ら……っ、ここがどこだか分かってんのか!?」


 ボクの怒鳴り声と、二人の泣き声。
 そして、司会者の焦った声と、観客の苦笑した声で、コンクールは幕を閉じたのだった。




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