第9章 「甘い恋情、苦い友情





 午後7時、時計台下。
 少し冷たい風が吹き抜けた瞬間、夜街に映える金色の髪が目に飛び込んできた。彼は少しだけ目を見開くと、苦笑したように微笑んだ。

「……今日は早いね。どういう風の吹き回し?」
「……」
「……ま、いいけどね」
 そっちこそ、今日はあっさり引き下がるね……という言葉を心の中で零す。昔はもっと、厭味を言ってきたのに。
「……巴里、話って……」
「とりあえず夕飯だね。行くよ」
「……」
 何で、言葉が出てこないんだろう。
 何だか、気持ちばかりが逸って、全然頭が回らない。
 おかげで、数メートル先を進んだ巴里が、呆れ顔で私を振り返り呼ぶまで、彼が先に行ってしまったことさえ気付かなかった。さっきまでの勢いは一体どこへ行ってしまったんだ、私……。

 繁華街の隅に、洒落たバーがある。バーだけど、しっかりご飯も食べられるところが魅力的で、以前萌と1回だけ来たことがあった。巴里がそこを指差し、「お前、こういうところ好きだよね?」と笑う。そしてそのまま中へ入っていった。巴里が私の好みを覚えていてくれたことが、一年の月日を感じさせないようで嬉しかった。

 彼について入った店内は、アップテンポのジャズが流れていた。薄暗いオレンジ色の灯りが、心を落ち着けてくれるような気がする。巴里はカウンターの最奥へ進むと、私に先に座るように促す。軽く椅子を引いて。
「ふふっ、相変わらず紳士だね」
 海外暮らしが長かった彼と彼の兄は、それはもう英国紳士の代表とも言えるような気遣いが出来る。辛辣な口調とは裏腹に、こういった優しさが見え隠れする巴里には、昔からドキドキさせられっぱなしだ。
「何飲む?」
「うーん……巴里は?」
「ボクは……じゃあ、ロゼのデカンタ」
 しれっと言った巴里に、思わず目を見張る。初っ端からワインデカンタとは……明日も仕事ってこと、分かって言ってるんだろうか。
「……何? ワイン頼んだら駄目なわけ?」
「いや、そんなことないけど……」
「飲み慣れてるヤツのがいいだろ?」
 巴里の言葉から、毎夜優雅にグラスを傾けている姿を想像する。流石は英国貴族……いや、紳士だったっけ? もうどっちでもいいけど。
「じゃあ私は……ワイン・クーラーで」
 ワインベースのカクテルを頼むと、巴里がクスッと笑う。
「何だよ、お前もワインじゃん」
「だって……巴里が頼むから……」
「ボクが何頼もうが、お前には何の関係も無いと思うけど?」
「何となく、だよ。それに私、ワイン好きだし……」
「何それ。変なヤツ」
 そう言って喉を鳴らして笑う巴里。そう言えば、巴里の笑った顔見るのも久しぶりだ。

 そうこうしているうちに、飲み物が置かれる。巴里は軽く礼を言うと、適当なつまみ系を追加注文する。私はそんな巴里の横顔と、目の前に置かれた紅の液体を見つめていた。
「よし……じゃあとりあえず」
「うん」
「一年ぶりの再会を祝して……乾杯」

 グラス同士のぶつかる、軽い音が響く。
 巴里の軽いウインクが、モロに私に直撃する。でも、眩暈が起こらないのは……多分、それ以上に緊張して、気が張り詰めているから。

 しばらく無言でグラスに口を付けていた私たち。沈黙を破ったのは、意外にも私だった。
「……巴里、あのさ」
「……」
「聞きたいこと、とか……色々ありすぎて……ちょっと、上手く話せないかもしれないけど……」
 目線はグラスに向け、私は途切れがちに言った。隣の巴里は、ただ黙っている。私は顔を上げると、巴里へ向き直った。
「まずは……お帰りなさい」
 微笑を浮かべて言うと、巴里の目が細められる。
「……ただいま」

 大切な友人と別れ、再会する。
 寂しさとか、懐かしさとか、色々な感情が溢れてくる。
 今の短い挨拶の中には、そんな想いを込めた。
 巴里も……そうなのかもしれない。その瞳が、そう物語っているように感じた。

「……イギリスは、どうだった?」
「まあ、それなり」
「そう……」
 核心を突いた台詞が出てこない。ただ聞くだけなのに、いざ言おうとすると何故だか躊躇ってしまう。
 口を開いては閉じる、を繰り返す私を見かねたのか、巴里がグラスを置いて言った。
「フフッ……何挙動不審な行動してるわけ? ボクに聞きたいんじゃないの? 色々」
「うん……聞きたい、けど……」
「でも、聞けないって?」
「う……」
 こうも図星を指されては、何も返す言葉が無い。巴里はおかしそうに笑うと、グラスにワインを注いだ。いつの間にか、空けていたらしい。
「……ボクが何で、研修になんて行ったのか。それが知りたいんだろ?」
「…………突然だったし、理由も教えてくれないんだもん」
「理由ね……」
 グラスを傾けながら、流し目を向ける巴里。あまりにも洗練され、絵になり過ぎるソレに、思わず鼓動が跳ねた。
「お前のためだよ」
「え…」
「お前のために、研修に行ったんだよ」

 時が止まったような感覚。
 グラスに伸ばした手はそのままに、私は巴里を見つめる。

 何で? 今、何て言ったの?

「な……何で……」
 巴里は溜め息ともつかぬ息を漏らすと、肩を竦めた。
「……ったく、これだからお前は『悪魔』だって言うんだよ。お前がいつも、一人で寂しい、つまらない、一課に戻りたいって言い続けるから、ボクが折角動いてやったっていうのに、当の本人は何も気付かないし」
「え、わ、私……あの……」
「はあ……もういいよ。全部話すから、よく聞きな」
「う、うん……」
 混乱する頭を必死に働かせ、巴里の言葉に耳を傾ける。
「つまり、ボクは上に掛け合ってやったんだよ。お前を一課に戻すか、ボクを特捜課に異動させてくれって」
「え!?」
 巴里がそんなことを頼んでくれてたなんて……全然気付かなかった。
「そうしたら、上の回答がコレ。『岡野麻衣を一課に戻すことは出来ないが、ボクを特捜課に配属させることは可能』ってね。でもそれには一つ、条件があった」
「条件……?」
「ああ。それがイギリスへの研修。いや……正確には、イギリス警察との折衝、及び双方の関係を良好状態に持っていくこと、かな。それが出来たなら、ボクを特捜課に配属させてやるっていう話だったんだ」
「嘘……」
 あまりに驚いて、まともに考えることすら出来ない。そんな中、巴里の淡々とした口調が逆に心に響く。
「……イギリス警察とは、兄貴が過去に色々やったらしくてね。弟ってことで、格好の交渉道具だったみたいだ」
 もっとも、結構過ごし易かったけどね。と巴里は付け加えた。
「でも……色々な事も学べたし、行った意義はあったと思う」
「言ってくれれば……良かったのに……」
 ぽつりと漏らした言葉を、巴里がすかさず拾い上げる。
「言うなって釘刺されてたんだよ……悪いとは、思ったけど」
「心配したんだよ……? メールも電話も、全然くれないし……。連絡先すら分からなくて……」
巴里がいなくなった直後を思い出して、胸が痛くなった。毎日連絡を待っては落胆して……その繰り返し。
「……連絡も一切取れなかった。緊急事項以外は、スコットランドヤードに全部シャットダウン。お前の誕生日とかは、監視の目を掻い潜って送ったんだよ?」
「そうだったの……」
 グラスを開けた巴里は、ふぅっと溜め息をつき、頬杖をついた。
「ま、お前は何も気付かないで、ボクを裏切り者だと思ってたわけだ」
「う、裏切りなんて思ってないよ! ただ……」
「ただ?」
「ただ……」
 グラスを掴む手が、微妙に震える。それに気付いているのかいないのか、巴里は頬杖をついたまま、私を横目で見つめている。
「私はただ……」

 淋しかっただけ……だよ。

 口には出さずに、その思いを込めて、巴里の青い瞳を見つめ返した。
 普通恋人同士なら、ここで頬でも染め合うんだろうけど、生憎今はそんな甘い気分に浸れない。
 私たちの瞳に映るのは恋人ではなく、一番の理解者としてのお互いの姿だった。
 
 一番の……友人としての。


「……悪かった。お前の気持ち、考えなかったわけじゃないけど……足りなかったね」
 目を伏せて、呟いた巴里。
 長い睫毛が、瞳に影を落とす。私は慌てて言った。
「あ、謝る必要なんて無いよ! むしろ、私の方が謝らないといけないよ……。私、巴里の気持ちなんて、全然考えてなくて、知ろうともしないで……」
「麻衣……」
 巴里の腕を掴み、俯く。
「ごめん……私の愚痴が、巴里をそんなに心配させてたなんて気付かなかった。そんな風に、私を助けてくれようとしたなんて……本当、ごめんなさいっ」
 謝る私を、巴里は制止した。
「謝る必要なんて無いよ」
「でもっ」
「確かにお前のために……って言えば、かなり聞こえはいいけどね。正直、それだけじゃなかったから」
 自嘲気味に笑う巴里は、デカンタを空にするとグラスを一気に煽った。
「兄貴とは違うってことを、周りに分からせてやりたかったんだよ」
 そう呟いた巴里の瞳は、赤ワインの色が映って紫色に輝いている。
「警視と……まだ、比べてるの?」
「今はそうでもないけどね。一年前は……フフッ、お前も知っての通りだよ」
「……」


 詳しいことは、正直私もよく分からないけれど。巴里は警視を、尋常ならざるほどに敵対視していた。最初は、本当に兄弟かと疑うほどに、巴里の警視に対する態度は酷いものだった。尤も、表向きは違う。警視と二人きりになると、だ。
 実は私が二人の血の繋がりを知ったのも、巴里が警視に向ける、憎悪にも似た感情に気付いてしまったからだった。
 何となく、他人には見えない二人。洞察力と観察力だけは人一倍あると自負している私は、二人には何かがあると確信した。
 そしてある日、私は聞いてしまったのだ。巴里が放った一言を。

「オレは兄貴が大っ嫌いなんだよ!」

 部屋から飛び出てきた巴里とばったり鉢合わせしてしまい、しばらく数秒固まった私たち。巴里はバツの悪そうな表情を浮かべると、私を人気の無い場所へ連れ出して、警視との関係を教えてくれたのだった。「この事実は他言無用」と念を押して。

 回想に耽っていると、巴里が苦笑した。
「あの頃までのボクは、自分でも嫌になるくらい兄貴しか見えてなかった。兄貴に勝つため、兄貴に負けないためだけに生きてた」
「……そう、だったね」
「兄貴から離れて、広い世界を見たかった。だから、この話が来たのはチャンスだと思ってね……」

 一年前までの巴里の世界は、確かに警視中心に回っていたのだろう。
 私のような凡人には、巴里も警視に何ら劣らない凄い人物だが、本人にとっては違うらしかった。
 そんなわけで、私も何となく、巴里と警視を兄弟という目線で見るのを止めた。幸い苗字も違う二人を切り分けて考えることは容易だった。というか最初から、私の中で二人は「砂原雅輝」と「佐伯巴里」という個々の人物だったのだ。

「……でも、向こうに行って気付いたことがあった」
「?」
 巴里はクスリと微笑む。
「ボクは思った以上に、お前に頼ってたんだなって」
「え?」
「普段は感じなかったのに……お前と離れて初めて、友達とか、仲間とか、そういうのの良さが分かったんだよ」
「巴里……」
 巴里らしくないような、意外な言葉に思わず呆気に取られる。
「それでさ、気付いたんだ。ボクの友達、ボクが築いた人間関係は、兄貴は奪うことは出来ない。優劣も無い。永遠の財産になるのかもって……」
 巴里の瞳は私を通して、沢山の人物を見ているようだった。
「恋人は……奪える。でも、友達や仲間なら、絶対に奪われない」
「……」

 そう、その通りだ。
 仲間は永遠に仲間。でも恋人は違う。恋愛感情は、曖昧で不確かで、変わらずにいられないもの。だから、信用できない。自分の気持ちも、相手の気持ちも。ずっとそう、思ってきたけど……。
 でも何故か、巴里の言葉に素直に頷けなかった。そればかりか、思わぬ言葉が口から飛び出た。

「警視から奪われること前提じゃない、それじゃあ。そんなんじゃ、一生誰とも付き合えないよ?」
「奪われたくないし、奪わせる気もないよ。でも……今までみたいに吠えてるだけだと心配なんだ」
「巴里……」
 弱気な言葉に、驚きを隠せない。いつもの大胆不敵はどこに行ってしまったのか、というほどに、今の巴里は弱気だ。
「今度奪われたら、兄貴を許せない」
「っ……」
 握り締めた拳に、力が込められたのが分かった。思わず息を呑む。
「絶対に、奪われるわけにはいかない。そのためには、奪われないような鎖をかけるしかないんだ。保険……って言うね」
 全く酔っていない様子で、語り続ける巴里。
 その言葉には、珍しく熱が篭っていて……自然と引き寄せられる。
「大事なものは……それがどんな形になっても、ずっと傍に置いておきたいんだよ」

 そう言って微笑んだ巴里に、私は複雑な気持ちになった。
 大切な何かを守るために、その形式よりも、共にいられる方を取るという巴里。それは美しいけれど、とても悲しいんじゃないだろうか。
 気付けば私は、ぽつりと零していた。

「奪われても……巴里との繋がりがなくなるわけじゃないよ」
「そうかもしれない。でも、今までとは確実に変わってしまう。それには……耐えられない」
「でも、人は奪ったり奪われたり出来ない存在だよ。皆、意志を持って動いているんだし……」
 私の言葉に、巴里は自嘲気味に笑い、呟いた。
「そうだね……これはボクのエゴ。独占欲とかそういうの」
 あっさり認めた巴里に、苦笑する。
「……そういうのを『恋愛感情』って言うと思うんだけど」
「フフッ……どうだろうね」

 それ以上巴里は何も語らなかった。私も、何も聞かなかった。ただ、お互い無言でグラスを傾け合うだけ。
 その沈黙は、気まずいような、心地良いような、奇妙な感覚を私に与えた。
 微かに酔いを感じる身体の揺らぎは、今の私たちの心を表しているようで……話さなくても気持ちが通じるような気がしたからかもしれない。
 はっとして時計を見た時は、もう既に夜も更けた頃だった。更けたと言っても、23時を過ぎたくらいだが。

「あ……もう、こんな時間」
「そうだね……ちょっと、長居し過ぎた」

 どちらからともなく、席を立つ。
 カウンターにお金を出そうとした私の手をやんわりと制した巴里は、手際よく会計を済ませてしまった。
「え、いいよ、私も払うよ」
「誘った方が払うのがマナーだよ。それに、アルコールを女に奢らせるなんて、ボクのプライドが許さないから」
「う……」
 そう言われては、どうしようもない。今度また、パフェでも奢ろうと心で誓うことにした。



 店から出ると、秋の夜長に相応しい涼しげな風に髪が踊った。
 徐々に色づき始めた木々が、ライトに照らされて金色に輝く。都会の夜だ。

「巴里はまた、あのマンションに戻るの?」
「ああ。荷物はまだ届いてないけどね」
「えぇ!?」
 巴里の言葉に、私は驚きの声を上げる。そんな急に帰国してきたっていうの?!
「帰国できることになって、すぐに帰ってきたんだよ。まあ、ベッドとかはそのままあるし、しばらく生活する分には困らないよ」
「そりゃあ、そうかもしれないけど……でも、ご飯とかは?」
「簡単なものなら作れるからね」
「掃除とか、洗濯とかは?! だって一年間放置状態だったんでしょう? 部屋、汚れてたりしないの??」
 矢継ぎ早に捲し立てる私を、呆気に取られたように見つめる巴里。やがて、思いっきり吹き出した。
「プッ……アハハハハハッ……何心配してんのさ。子供じゃあるまいし」
「だ、だって」
「お前に心配されるほど落ちぶれちゃいないよ。掃除は大丈夫。業者にやってもらってたし。洗濯なんて、洗濯機がやってくれるしね」
「そうだけど……」
 だって、何か心配なんだもん。
 そう言ったら、ぺこんっと頭を小突かれた。
「いたっ」
「心配性だね、相変わらず。ボクはお前より遥かにしっかりしてるから平気だよ。それよりボクは、お前の明日が心配だよ」
「明日?」
 思わず聞き返すと、巴里がさも可哀想な子を見るような目で見てくる。
「いや、明日中に提出しないといけない報告書を作り忘れて、怖い先輩や上司に怒鳴られてるお前が痛々しくてさ」
 巴里が発した三文字の単語に、私の顔面は蒼白になった(に違いない)。

――――報告書

「あぁーーーーーーーっ!! すっかり忘れてたぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 半ば叫ぶように声を上げる私を、巴里は面白そうに眺めている。
 すっかり忘れていたが、報告書という大事な仕事があったのだった。
「こ、こうしちゃいられないわ! 今日は徹夜覚悟で仕上げないと……うぁぁ、一旦一課に戻らないと駄目かも……最悪だぁ……」
「フフッ、ご愁傷様」
「うわぁん」

 がっくりを肩を落とす私。
 すると、不意に巴里に名前を呼ばれた。

「麻衣」
「何よ……」
「ボクをパートナーにしなよ」
「…………え?」

 たっぷり10秒の間の後。
 見上げた先には、真剣な表情を浮かべた巴里。
 その瞳は、深みを帯びて、熱を発している。

「ボクはお前と組みたい。そのために、日本へ戻ってきたんだから」
「巴里……」
「ホントは、すぐにでもお前と組めると思ってた。だからアイツの存在は予定外だったよ」
 アイツ……義高のことだろうか。
 巴里が一歩私に近付く。
「帰国が決まって、兄貴と話して……初めてアイツがお前のパートナーになってるってことを知って、正直……少しショックだった」
「あ……」

 苦笑してそう零す巴里に、私は胸が締め付けられる思いだった。
 私のため……だけではなくても、巴里がイギリス行きを決めた原因は私にある。私を心配して、私のために特捜課への異動を願い出てくれたのだ。

「でも、それも仕方ないことだと思ってる。理由は何にせよ、ボクが黙って行ったのは事実だし、連絡一つしなかったことは言い訳できないから」
 巴里はここで一旦言葉を切ると、私の肩を掴む。
「だから、お前が決めて。オレを取るか、アイツを取るか。特捜課をやっていく上で、お前が必要なのはどっちなのか」
「巴、里……」
 強い光を放つ瞳から、目を逸らすことが出来ない。
「オレがいない間…その隙間を埋めたのがアイツでも、今のオレはそれ以上にお前を支えてやれる自信があるよ。絶対に、オレを選んだことを後悔させない……!」
 掴まれた手に力が篭る。
 痛いくらい肩に食い込むその力で、巴里の必死さが伝わってくる。
「わたし……は……」

 ここですぐに巴里を選べたなら、どんなにかいいと思う。
 でも、それは……出来ない。
 私は、無駄だと知りつつも、懇願にも似た気持ちで尋ねた。

「ねえ……三人一緒は無理なの? どっちかじゃないと、駄目なの?」
 巴里は無言のまま首を振る。
 それはそうだろう。二人も一課から人員が抜けるなんて、上が許すはずが無い。
 そもそも、義高も巴里も、警視庁切ってのエリートなのだ。その二人の穴を埋められる人材が、そう多くいるとは思えない。
「麻衣……今すぐに返事はしなくていいから。来週の日曜、ボクはまた一度イギリスへ戻る。色んな雑務を片付けないといけなくてね。だから、土曜の夜に、もう一度お前に聞く。その時に、答えを聞かせて」
 ふっ、と微笑んで、踵を返す巴里。反射的に私は彼を呼び止める。
「待って……!」
 振り返る巴里の表情は、暗くてよく分からない。
「もし……もし私が……選ばなかった方は……どうなるの?」
「……何てことはないよ。ただの刑事に戻るだけ」

――――ただの刑事に戻る
 この言葉は、とてつもなく大きな意味を持っている気がした。

「じゃあね」
「あっ……」

 巴里の後姿は、すぐに夜に溶けて見えなくなってしまった。
 私はその場で立ち尽くし、やっと動けるようになった時、時計は既に深夜を指していた。

「巴里……」

 掴まれた肩からは、微かに巴里のコロンの香りがした。







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 ぐっはーーー! なんじゃこりゃ!! 何この砂吐き展開!! いやーん! ありえないっ!! ……と、半悶絶状態の桃井です。今回は、めちゃシリアス全開でお送りしてみました。前回の反動で。巴里の「鎖」の意味が分かっていただけてればいいのですが……まあ要するにアレです。巴里は大事なものを近くに置いておくためなら、自分を犠牲に出来るっていうタイプなのです、多分。その大切なものが、友人だったという感じですかね。親愛は恋愛以上に深いものですよ、きっと。それを分かった巴里は、それを遠回しに麻衣に語った……のですかね? いや、どうなんだろ。知らん。
 とにかく、二者択一を迫られたヒロイン化している麻衣ですが、一体どうするんでしょうね。まだ、出てきてないキャラ、いますもんね。まだまだ事態は二転、三転する予感です。はてさて、どうなることやら(;´▽`lllA`` そして頑張れ、義高!(笑)