第八章 「華麗なる捜査一課





「失礼します……」

 私は普段あまり立ち入ることの無い、捜査一課へ足を踏み入れる。思ったとおり……誰もに訝しげな目で見られた。ええ、分かってますとも。私は所詮、余所者ですもん。気付かれないように、ため息をつく。
 一応念のため言っておくと、誰も私の存在を知らないわけではない。本当に最初は、私だって警視庁に通っていたんだから! 
 というわけで、私のことを知っている子だっていることにはいる。……もっとも、その子たちには「何故か突然、県警に異動になった奴」として認識されているのだけれど。はあ、何とも微妙。
 指定されたデスクの上から、必要な書類を探し出す。さっき捕まえた四人組の事情聴取の際、使用するものらしい。私が聴取するわけではないが、こういった雑用を頼まれるのは何故か。それは「特捜課」の在り方が大きく関係していることは言うまでもない。つまり「警視庁の何でも屋」である特捜課は、平たく言えば「雑用係」。危険な仕事はもちろんだけど、それよりも何よりも「めんどくさい仕事」が舞い込んでくるのである。例えば、書類作成とか、
書類作成とか書類作成とか。報告書は私の十八番になりつつある。多分、いや絶対、聴取後の報告書は私が作ることになるのだろう。
 書類を探しながら、先ほどの警視との会話を思い起こす。



「警視、巴里のことなんですけど……」
 切り出した私に、警視はニコニコしながら頷いた。
「うん。巴里が帰国したんだよ。嬉しいね」
「それはまあ……って、そういうことじゃなくてですね!」
 あまりにも嬉しそうに言うもんだから、危うく流されそうになる。が、ここで流されてはここに来た意味が無い。警視には聞きたいことが、山ほどあるのだ。
「私は……巴里が何故イギリスに研修に行くことになったのか、理由を知りません。何のための研修だったのか知らないんですよ?……連絡先だって私には教えてくれなかった……。なのに今度は、突然帰国するなんて……警視はいつからご存知だったんですか?」

 そうなのだ。
 巴里が研修に行った後、こちらから連絡する手段は無かった。巴里は勿論のこと、警視だって連絡先を教えてくれなかったのだ。そんな巴里から連絡が来たのは、年始の挨拶文のエアメールが一通と、誕生日の伝言メッセージだけ。それ以来、連絡という連絡はぱったりと途絶えてしまった。

「……その件に関しては、すまなかったと思っているよ。ただ、言い訳をさせてもらえるなら、私でさえも巴里とは全く連絡が取れない状況だったんだ」
 警視は肩を竦めて、溜め息をついた。
「どうやら……Metropolitan Police Services――いや、スコットランドヤード、と言うべきかな。彼らが一枚、絡んでいたようでね」
「イギリス警察が?」
「フフッ……私の弟は優秀だからね。才能を手放したくない……あわよくば、自分たちの仲間として引き入れようとしていたのかもしれないね」
 合点が言った私は、頷いた。
「そう言えば巴里と警視は、ロンドン暮らしが長かったんでしたっけね」
「ああ、彼らとは、旧知の仲……とも言えるかな」
 含みを持たせた言い様に、私は何となくだがイギリス警察に同情してしまった。警視がこういう微笑を見せる時、大抵その話に出てくる相手は、手痛い目に遭っている。
 警視の経歴の詳細は不明だが、数年前……まだ、警視になっていない頃の砂原刑事は、イギリスと日本を行き来する、まさにグローバルな刑事だったらしい。国際刑事警察機構、通称IC POの局員としてもオファーがかかっていたというから驚きだ。
しかし、ここからも察するに、イギリス警察とは色々な衝突があったんじゃないかと思う。むしろ、警視が日本の警視庁で落ち着いている時点で、イギリス警察とは何らかの関係があったと思わざるを得ない……。

「フフフ……あの頃は若かったな……」
「あはは……」
 この人なら若気の至りで、人も殺しそうだと本気で思いつつ、巴里の話へと戻す。
「……巴里が研修に行った理由、今ならもう、教えてくださいますか?」
 しかし警視は、曖昧に微笑むだけだった。
「警視っ」
「心配しなくても、巴里から話すと思うよ。ただ……」
 ここで話を切った警視は、眉を下げて微笑んだ。
「君にとって、難しくて辛い選択を強いられるかもしれないな」
「……辛い選択?」
 聞き返した私の言葉に、警視は何も言ってくれなかった。

――――緊急事態発生!

 しばしの沈黙を破るかのように鳴り響くアラート。現金輸送車強奪事件の始まりだった。 必然的にこの話はここで打ち切られ、犯人たちや現場に向かった刑事たちの動向に神経を尖らせる。しばらくして、巴里が一人で犯人たちと応戦中との報告を受け、慌てて現場に急行したという流れだった。

 久々に見る巴里の立ち回りは、一年前よりもより鮮やかで、キレが増していた。これも研修の成果なのだろうか。
 でもそんな巴里が私の射撃を褒めてくれたということが、私にとっては大きな自信になった。特捜課の意地とプライド、また他の課に対する体裁が保てたとも言えるかもしれない。空いてる時間を見つけては、隠れて練習していた甲斐があった。

 でも……肝心なことは、聞けず終い。
 手を叩き合ったって、巴里の心は何も分からなかった。

 
 ねえ巴里……。
 私があの後、どんな気持ちでいたか知ってる?



 そんなことを考えていた時、ふと目に留まった机。綺麗に整頓されたそこには、写真立てが飾ってある。何気なく目をやると、そこには懐かしい思い出が佇んでいた。

――――20××年4月 桜山荘にて

 満開の桜の下、微笑む私たち。
 中心にいるのは、私と義高。
 半年前が、目の前に甦ってくる。

「ふふっ……」
 思わず笑みが零れ、慌てて口を押さえる。
そうか、ここは義高の机らしい。この写真を飾ってくれていることが、何だか嬉しいような恥ずかしいような不思議な気分だ。でも、あの時の出会いが無ければ、今の私たちはいないわけで。私にとって忘れられないあの思い出を、彼も大切に思ってくれているんだと思うと、素直に嬉しかった。

「何笑ってるわけ? 書類まだかって、上がごねてるけど」
「うわっ」
 突然横から声を掛けられ、思わず手が写真立てに触れる。その反動で、写真が倒れてしまった。巴里が、呆れ顔で見ていた。
「そんなに驚くなよ……」
「だって、突然声掛けるんだもん! 驚くよ」
「何か、後ろめたいことでもしてたわけ?」
「なっ……違うよ!」
「ククッ……冗談だよ。それより、さっさと書類持ってった方がいいんじゃない?」
「そ、そうだった! ええっと……これと、あれと……」
 再び書類探しに没頭し始めた私の横で、巴里が写真を見始めた。
「この写真……いつ撮ったの?」
「え?」
「これだよ。ここって、アイツの机だろ」
 書類を片手に振り返ると、巴里が不機嫌そうな顔で写真を眺めている。
「それはほら、桜山荘で撮ったんだよ。巴里も見たんでしょ、アレ。あの時、記念に撮ったの」
「ふーん……あれ? この子って、確か……」
「津久井萌。弁護士だよ。知ってるの?」
「ああ、思い出した。業界じゃ結構有名だね」
 巴里の言葉に、萌が有名人だという事を嫌でも認識せざるを得ない。今にも萌の高笑いが聞こえてきそうな気がする。
「……やっぱそうなんだ。実はね、この子とずっと、事務所切り盛りしてたの」
「へえ……」
 興味深そうに写真を眺める巴里。どうやら萌に興味津々らしい。そう言えば、萌と巴里って、何となくだけど話合いそうな気がする。……自己中なところとか、上から目線なとことか、プライドの高さとか。あ、何ていうか猫っぽいところとかがそっくり。
「あ、あった!」
「急ぎなよ」
「うん。あ、ねえ巴里……」
 写真から顔を上げ、私を見る巴里。
 でもいざ巴里を目の前にすると、何も言えなかった。
「いや……何でもない」
「何だよ?」
「何でもないって! じゃあね」
「あ、おい」
 駆け出した私は、巴里が何か言いたそうにこっちを見ていたことになんて、気付かなかった。






 取調べ室には、義高と大塚先輩、そして何故か警視がいた。三人の前には、ぶすっとした態度でだんまりを決め込む、四人組の一人。私が入ってくると、あからさまに嫌な顔をした。あ、そう言えばこの人、私が撃った人だっけ。目を合わせないようにして、警視に書類を手渡す。
「ご苦労様。今日はもう戻ってくれていいよ。余計な仕事を頼んで悪かったね」
「いえ……じゃあ、お先に失礼します」
「あ、麻衣……」
 義高に小声で声を掛けられた。
「義高?」
「その……アイツのことなんだけど……」
「アイツ……って、巴里?」
「うん……その、麻衣は……」
 義高がその先を言おうとした瞬間、机を叩き割るような轟音が鳴り響く。
「いつまで黙ってりゃ気が済むんだ!? あぁ? こっちはテメエらと違って忙しいんだよ! 捕まったら潔く洗いざらい白状しやがれってんだよ! 分かってんのか!?」

 出た。……大塚先輩流、取調べ。
 何と言うか、一昔前の刑事ドラマを思い起こさせる感じ。思わず耳を塞ぎたくなるような轟音だが、誰一人として動じないところは流石というか何と言うか……。警視なんて、何も聞こえていないような様子で、微笑を浮かべている。私と義高は平静を装っているものの、内心では冷や汗を流している状態。先輩ってば、この調子で高校時代も怒鳴るもんだから、たまったもんじゃなかった。何度その怒声に縮み上がったことか……。私は一度、本気で殺されかけ……初めて人間に殺意を抱いた相手が、この大塚先輩だったりもする。もっとも今では、私以上にツキから見放された、不運で哀れな先輩として、妙に親近感を感じたりしてしまうのだが……。
 しかし、どうやら相手の方が一枚上手だったしらしい。
「けっ。今時そんなやり方で白状する馬鹿なんているかよ。刑事さん、時代遅れ」
 あっかんべーをする辺りが、お前も十分古いだろ……と思ったが、それはそれ。この犯人の言葉に、大塚先輩の動きがぴたりと止まる。あー、嫌な予感。
 先輩は無言のまま私に振り返ると、静かに言った。
「おい岡野。例のアレ、持ってこい」
「え、で、でも……」
焦る私を急かすように、顎で合図をしてきた先輩。……何で私に指示するのか意味不明。でも、この意味を知っている人物も限られているわけで。この場で動けるのは私だけなのかもしれないわけで。私は渋々頷くと、足早にロッカールームへと急いだ。幸いロッカーは一課のすぐ近くにあり、時間はかからない。
 大塚と書かれたプレートのロッカーを開け、中から例のアレを取り出す。ていうか先輩。こんなもの、警視庁のロッカーに常備してるなんてどうかしてます。しかもかなり年期入ってるし。あーあ……これで散々甚振られたんだよなぁ。いっそのことコレ、壊してやりたい……なんて思ったことは秘密。
「先輩、持ってきました……」
「おう」
 犯人を見据えたまま、後ろ手でアレを受け取る先輩。ここからが先輩の本領発揮らしい。
「おいテメエ。舐めた口聞いてっと、その顔に網型が浮かび上がることなるぜ?」
 手に握られたソレを振りかざしながら、まさに極悪面を見せる大塚先輩。これじゃあどっちが犯人か分かりませんって。あ、ちなみに言っておくと、何もアレを持ったからって人格が変わるとか、そんなどこぞの少年漫画のような展開など無い。先輩はあくまで、自分の相棒を片手に犯人に向かい合いたいだけだ。
「ぷっ! 何言ってんの刑事サン。そんなバドミントンのラケットなんかで何が出来るんです? アハハハハッ」
 笑い転げる犯人。でも私は笑えない。この人は知らないから。この人の恐ろしさを……。
 隣を見れば、義高が腕の前で手を組んで祈りを捧げていた。彼はクリスチャンらしい。きっとこの先に起こる未来を予見し、それに対し畏怖の念を抱いているのだ。そして祈っているに違いない。しかしこういうのを、俗に「悪あがき」と言うのだ。

――――バシュッ!!

「っ……!?」
 壁に何かがめり込む音が響く。目の前には、壁を見て震え上がる犯人A(勝手に命名)と、ラケットを回しながら犯人を見据える先輩がいる。義高と言えば、祈祷も忘れその光景に見入っている。警視は相変わらず微笑んでいる。
 壁にめり込んでいるのは他でもない、シャトル。バドミントンで使う羽のことだ。壁にめり込むなんてあり得ない。そう、あり得ないと思うだろう。しかし実際あり得るのだからしょうがない。
 バドミントンのスマッシュは、最速300q/hである。つまり、最大速であれば、人をも吹っ飛ばす威力に満ち溢れているというわけだ。もっとも、試合中においては相手のラケットに当たるまでに時間がかかるため、威力は激減している。しかし、実際にスマッシュの最前線にいたとして、それが直撃したら…………顔面お岩さんになることだけは確かだ。ちなみにこれ、体験談なのであしからず。顔が大切な人は、極力前衛に出ないことをお勧めする。
 とまあバドの豆知識はいいとして、つまり大塚先輩は、壁に向かってスマッシュを放ったというわけだ。こんな狭い部屋で、どうやってここまでのスマッシュを放ったかなんて考えるだけ無意味だ。先輩の運動能力は人間レベルを超えていることは、高校時代より実証済みなのだから。殺されかけた私が言うのだから間違いない。
「次はコレ、テメエのどたまにぶち込んでやろうか? ああ?」
 ヤクザもびっくりな、まさしくマルボウ並みの恐ろしさで凄む先輩に、犯人Aは呆然としている。大塚先輩はあれだ。一課に配属になったことが間違いだ。貴方は対ヤクザ専門の部署に異動するのがいいと思います。バドを駆使してヤクザとやり合う刑事……うわ、微妙。
「せ、先輩、もうその辺に……」
 義高が我に返ったように言うと、犯人Aは両手を挙げて降参した。大塚先輩は面白くなさそうに椅子に座ると、煙草を咥えて聴取の体制に入った。それを見た警視は、静かに立ち上がると私に目で合図した。どうやら一緒に外へ出ろ、とのことらしい。

 部屋から出ると、警視が笑った。
「フフッ……大塚とは高校時代からの知り合いだっけ?」
「ええ、まあ……」
「例のアレで分かるなんて、相当な意思疎通力だね」
「……」
 殺されかけた経験が私に、先輩の心を読む術を身に付けさせたのだ。私の言いたいことが分かったのか、警視は苦笑する。
「バドミントンとは意外だが……でも、あれなら今後も強情な犯人の取調べは大塚に任せられそうだな」
「その前に先輩が、犯人を殺しかねないですよ……」
「フフフ」
 警視も殺しそうですよね、という言葉が出掛かったが咄嗟に飲み込む。そんな時、女の子の声が聞こえてきた。
「佐伯さん!! さっきは本当にありがとうございましたっ。私、本当に貴方に感動しました!!」
 一課中に響き渡る声に、周囲は唖然。しかし、当の本人はお構いなしで続ける。
「私、もう……本当に、佐伯さんを尊敬します! 私、これから佐伯さんを人生の目標にして生きることにしました! というか、佐伯さんのために生きます!!」
 何ともまあスゴイ大胆な告白……。しかし私は、ふと彼女が口にしている名前が引っかかった。佐伯……?
「お前ね……ここがどこだか分かってる?」
「はい! 警視庁捜査一課です」
「……」
 興奮気味な女の子の前に座り、ぐったりした様子を見せているのは……
「巴里!?」
「フフ……どうやら早速、ファンが増えたみたいだね」
 巴里の苗字が佐伯だったということを思い出した私は、苦笑いをした。
「しかも今度は中々……お強い感じですね……」
「彼女のこと、知らないかい?」
「さっき、犯人に絡まれていた子ですよね? 名前は確か……」
 新入刑事の名簿を見た時は、捜査一課にはいなかったような気がする。誰だろう。
「白瀬夏枝。元々は交通課に配属されていたんだが、非常に有能でね。急遽、捜査一課に配属になった子なんだ」
「へえ……すごいんですね」
「まあね。大塚が指導しているんだが、色々苦労しているみたいだよ」
「色々苦労……ですか」
 そんなことを話していると、その子が私たちに気付いた。巴里に一礼すると、こちらに駆け寄ってくる。
「あのっ! 先程は助けていただいてありがとうございました」
 そう言ってぺこりと頭を下げる彼女――――白瀬夏枝ちゃんは、短い髪と大きな目が可愛い子だった。
「いいえ。無事で良かったね」
 警視も微笑みながら頷いた。すると、彼女ははっとしたように口を押さえた。
「申し遅れましたが、私、少し前に捜査一課に配属されました白瀬夏枝と申します。ええと……」
「あ、ごめんね。岡野麻衣です。今は他県にいるんだけど、籍は警視庁に置いてる刑事です。よろしくね、夏枝ちゃん」
 私の答えに、彼女は首を傾げた。
「県警に出向……ですか?」
「え、ええと……まあ、そんな感じ、かな? あはは……」
 腑に落ちないような顔で私を見る夏枝ちゃんに、内心冷や汗ものだった。
「出向なんてあるんですか? そんなの聞いたことありませんけど」
「いや、あの……」
 この子、中々痛いところ付いてくる。流石有能だと言われてるだけあって、矛盾点にすぐに気付いたらしい。
「白瀬君、巴里にも言われたと思うが……興奮して周りが見えなくなるのは、刑事としてやってはいけないことだよ」
 窮地を察したらしい警視が、やんわりと話を遮ってくれた。夏枝ちゃんは俯く。
「そうですよね……私、つい佐伯さんが素敵で……」
 その理由はちょっとどうかと思うけど……まあ、巴里に見とれちゃって、我を忘れちゃう女の子は多いから、納得の理由になるのかしら。
「大事に至らなかったから良かったけれど、一歩間違えば命に関わる大問題にだってなりかねないからね。これからは気を付けて行動するんだよ?」
「はいっ……本当にすみませんでした」
 警視の叱り方は、怒鳴るわけではなく、諭すようで聞いているのも苦ではない。この辺が、人気のある理由の一つなのかもしれない。
「フフッ……そんなに佐伯刑事に陶酔してしまったのかな?」
「はいっ! もう佐伯さんにメロメロです!!」
 はっきりと言い切った彼女に、警視は苦笑した。
「フフッ……じゃあ、佐伯刑事のためにも、もっとしっかりやらないとね? 頑張って」
「はい!!」
 何と言うか、飴と鞭を使い分けていらっしゃる。でも夏枝ちゃん。この人の実態は……ドSだから。とにかくSだから。飴とか無いからね。
「……麻衣、何か言いたそうだね?」 
 ……人の心を読むの、いい加減やめてください。
 適当に笑って誤魔化しながら、私はそっと後ろに下がる。このまま退散してしまえば、夏枝ちゃんにこれ以上突っ込まれることも無いだろう。彼女の前だと、いつボロが出るか分からない。
「じゃあ、私はこれで……」
 踵を返そうとした瞬間、取調べを終えた三人が出てきた。犯人は精根尽き果てたような憔悴し切った顔で、ぐったりと項垂れている。その後ろにはこれまた浮かない顔の義高。先輩は相変わらずダルそうにネクタイを緩めながら、犯人を引きずっている。
「おら、岡野。これまとめて報告書作っとけ」
「先輩……もうちょっと丁寧に書いてって言ってるのに……」
 私の愚痴も聞こえないフリをして、自分のデスクに戻る先輩。渡された書類を抱えて溜め息をつく私に、義高が同情の眼差しを向けてきた。
「麻衣……僕もメモしたから、良かったらこれも参考にしてよ」
「義高……ありがとう」
「ねえ麻衣……あの……」
「ん?」
 何か言いたそうな義高。すると、後ろにいた夏枝ちゃんが手を叩いた。
「もしかして岡野さんって……北林さんと一緒に、桜山荘の……」
 え?! 何で知ってるの?
 焦る私の隣で、義高が疲れた笑みを浮かべた。そして耳打ちされる。世にも恐ろしい真実を……。

 マジで!?
 ありえないからーーーっ!!!

(ちょっと警視!? どういうことですかぁ!!)
 あくまで小声で警視を怒鳴る。すると警視は、にっこり微笑んだ。
「君たちは一躍有名人というわけだね」
「……」
 反論する気力もなくし、がっくりと肩を落とすと、義高に肩を叩かれた。ほら、だから言ったじゃん。警視はドSなんだって……。
「すごい……!! たった一日で、こんな有名な方々にお会いできるなんて……」
「いや、あの……」
「岡野さん、北林さん! お二人に、色々お伺いしたいことあるんですけど!! 今日お時間ありますか!?」
 突然の言葉に唖然とする私たちを他所に、彼女は勝手に一人で話を進めている。そして気付いた時には、今夜一緒に食事をすることになっていた。慌てた私は、咄嗟に首を振った。
「こ、今夜はちょっと……」
 今渡された書類の山を見てくれよ、と突っ込む。今夜中に完成させないと、また文句が来るに決まっているのだ。しかし彼女は聞く耳を持ってくれず、店の場所はどこだとか何とか。どうしようか考えあぐねていると、目の前に人の気配。
「――――今夜コイツは、先約が入ってるんだよ」
 見上げた先には、金髪碧眼。巴里がいた。
「佐伯さん!」
 頬を高潮させた夏枝ちゃんに、巴里は疲れた表情を浮かべている。ていうか先約? 何だそれは。
「……悪いけど、コイツには今夜、僕と食事っていう大事な先約があるんだよ。だから今夜はソイツと二人で話して」
 な、何ですと? 巴里と私は食事することになっているらしい。いやいや、一体いつ決まったんだよ。
 思わず口を開こうとする私に、巴里がウインクする。うわっ……星が飛んだ。ばちこーん☆っていう効果音付。流石巴里。……って違う。つまり巴里は、私の窮地を察して助けてくれた、ということ。
「え!? 佐伯さんと岡野さんがお二人で、ですか?」
「そうだよ。何か問題あるの?」
「問題ありありですよ! 私もご一緒させてください!!」
 夏枝ちゃんのこの発言には、流石の巴里も驚いたようで。……この子、巴里に相当ご執心のよう。相変わらず巴里人気は凄まじいなぁ。
「お前ね……」
「だって、佐伯さんからもお話聞きたいんですもん!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! 巴里、お前何で麻衣と……」
 何も気付いていない義高が、間に入ってくる。私は一生懸命ジェスチャーするも、彼はまったく気付かない。
「いや、あの義高……」
「僕も行く!」
「へ?」
「僕も巴里に聞きたいことあるんだ!」
「……」
 私はいよいよ頭を抱えたくなってきた。この刑事は、一体何を考えているのだろうか。そもそもこの食事という話自体がでっち上げなのに、どうするつもりなんだろう。案の定巴里も、呆れを通り越して肩を竦めて溜め息をついている。
「……お前ら、バカ? 白瀬、オレは麻衣と二人で話したいんだよ。お前に来られたら困るんだってことが分からないわけ? そして義高。オマエ一体何なわけ? オレと何話すっていうんだよ。オマエと話すことなんて何もないんだけど。ていうか、少しは話の流れ理解しろよ! オマエが一番最低だっつーの!」
 マシンガントーク出た。巴里のコレを聞くのも約一年ぶりで、思わず笑ってしまう。あの頃は、よく息が続くなぁと感心したものだったが、今聞いても凄いの一言しか出ない。
 義高と夏枝ちゃんは、何も言い返せないようで……義高は口をパクパクさせながら、青くなったり赤くなったりしている。信号機? 夏枝ちゃんは……あらら、ちょっと泣きそう。
 そっぽを向いて腕を組む巴里。すると、俯いてしまっていた夏枝ちゃんに、突然名前を呼ばれた。
「岡野さん!」
「はい!」
 思わず返事をすると、彼女にキッと睨みつけられる。
「……今日、この時を持って、岡野さんは私の敵です!」
「……は?」
「貴女は、佐伯さんとかーなーり! 親しいとお見受けしました!!」
 力説し始める彼女に、私は口を開けてしまう。巴里のマシンガントークを受けて、頭がおかしくなっちゃったんだろうか。
「しかも見たところ、貴女は佐伯さんファンクラブの人たちよりも、遥かに佐伯さんと親密なご様子!!」
「ファンクラブ……?」
 さっき出会った、過激なお姉さまたちのことか……と思い出した瞬間、目の前に指を突きつけられる。ぎょっとして目を見開く。
「岡野さんに宣戦布告します!! 私は絶対、貴女には負けません! 刑事としても、女としても!!」
「えぇ!?」
 一課中に響き渡る宣誓。全ての人が、私たちに注目している。
 今度は私が、口をパクパクさせる番だった。これには巴里はもちろんのこと、義高や警視も唖然としている。大塚先輩は、遠くからも分かるほど盛大にお茶を吹き出していた。
「あの……夏枝ちゃん……」
「夏枝ちゃんなんて呼ばないで下さい! 私と貴女は敵同士なんですから」
「いや、あの……」
「とにかく! 今日のところは引きますけど、絶対に負けませんから。佐伯さんは、私の全てになったんです! この気持ち、半端じゃないんです!」
「いや、だからね…」
 私の弁解の言葉も聞く耳持たず。彼女は私から目を逸らすと、隣にいた義高に頭を下げた。
「というわけで北林さん。本日の食事会はナシにしましょう! 私、色々と戦略練らなくちゃならないんです」
「は、はあ……」
「また今度、岡野さん抜きで! お話聞かせてくださいね」
「え、あ……」
 義高の言葉も遮って、今度は巴里へと向き直る夏枝ちゃん。
「佐伯さん、見ててくださいね! 私、ぜーったいに岡野さんには負けませんから!!」
 巴里は呆れ顔で言う。
「あのな、オマエはもうちょっと、人の話を聞くようにした方がいいんじゃない?」
「?」
「別にボクとコイツは、お前が思ってるような関係じゃないよ。敵視するのはオマエの勝手だけど、ボクを巻き込まないでくれない? はっきり言って、スゴイ迷惑」
 ……元はと言えば、アンタが余計なこと言うからこんなややこしい問題に発展してんでしょーが! と怒鳴りたくなる気持ちを何とか押さえ込む。巴里のマシンガンに勝てる気がしないから。でも、ちょっと酷いんじゃないの? 迷惑なのは、むしろ私の方なんですけど。
 夏枝ちゃんが口を開くよりも早く、巴里が続けた。
「とにかく、コイツに意味もなく絡んだりするのはやめろよ」
「……佐伯さん、岡野さんのこと庇ってるんですね」
「別にそんなんじゃないよ。ただボクを巻き込んでほしくないだけだって言ってるだろ」
「……やっぱり私は、岡野さんには負けません! 失礼します!!」
「あ、ちょっと……!!」
 その場から駆け出していった夏枝ちゃんに、私は無意味に手を伸ばした。ああ……何だかゆゆしき事態に発展しそう。
「フフフ……修羅場、勃発……かな」
「白瀬さん……熱いね……」
 警視と義高の呟きに、私はがっくりと肩を落とした。胃がキリキリと痛み出す。
 私は同じく肩を落としている金髪の腕を引っ掴むと、そのまま一課から連れ出した。何も言わずに黙ってついてくることからも、ちょっとした罪悪感でも抱いているのだろうか。



 人気の少ない休憩所まで来ると、私は溜まっていたものを吐き出した。
「ちょっと巴里! どうしてくれるのよ!? 私、あの子に敵対視されちゃったよ!?」
「そう言われてもね。ボク、アイツ苦手なんだよ」
 サラリと流す巴里に、私の怒りは沸点に達した。
「アンタに陶酔した結果がああなのよ? ここは元凶の巴里が何とかするのが筋ってもんでしょ! どうにかしてよ!!」
「どうにかって言われても。さっきの見ただろ? ボクじゃ役不足」
「私の方が、もっと役不足よ! どうすればいいのよ! あの子絶対、私の事調べるに決まってるし、そうしたら私は一環の終わりなんだよ?! 特捜課は愚か、捜査一課だって外されて……もしかしたら、懲戒免職なんて事態になりかねないよ……。元公務員が簡単に再就職なんて出来るはずないし、そうしたら私無職じゃないのよ……。うぅ……こんな理不尽な結末、神が許すはずがないわ。いや、例え神が許したとしても、私が許さない!!」
 一気に捲し立てた私に、巴里はきょとんとしている。
 やばい……一気に酸素を使ったら、ちょっと立ちくらみ。ふらついた私に、巴里は笑い出す。
「アハハハッ、お前のマシンガントーク、久々に聞いたよ。興奮すると捲し立てるのは、相変わらずだね」
「だ、誰のせいだと……思ってんの……ぜえ、はあ……」
 息切れしながら呟く私の肩を、ぽんぽんと叩く巴里。
「ま、世の中にはどうにもならないこと、不可抗力的事項っていうもんが存在してるんだよ。白瀬夏枝がそれ。ボクたちの力を持ってしても、アイツを打ち負かすことは不可能なんだよ。これはもう、その運命を受け入れるしかないってことさ、岡野クン」
「そんなぁ……」
 あまりに無責任かつ軽く放たれた言葉にショックを受け、椅子に座り込む。そんな私をおかしそうに見ている金髪を、私は見上げた。
「……巴里は酷い」
「そう?」
「悪魔よ」
「ククッ……悪魔ねえ」

 今のことを言ったのではない。一年前のことを含めて、巴里は酷い。私には、肝心なことは何一つ教えてくれないのだ。
 友人、そして理解者を失った私の気持ちなんて、何も知らないで……。

 そのまま黙ってしまった私に、巴里は呟いた。
「……ボクが悪魔なら、お前も相当酷い悪魔だと思うけどね」
「……何で私が悪魔なのよ」
 不本意な言葉に眉根を寄せると、巴里は肩を竦めた。
「……そういうところが、悪魔なんだよ。肝心なとこで鈍いし」
「何言って……」
「まあいいけど。今夜、ちゃんと空けとけよ」
 突然話を切って、しかも新たな話題を振る巴里。
「今夜って……さっきのは嘘でしょ?」
「嘘じゃないよ。お前と話したいことがあるんだよ」
 巴里には聞きたいことが、山ほどある。これは願ってもないチャンスだった。
 沈黙は肯定の証と取ったのか、巴里は続けた。
「今夜七時、駅前の時計塔の下で」
 頷いた私に巴里は微笑むと、そのまま休憩室から出て行った。

 巴里は私に全てを話してくれるつもりなんだろうか。
 気持ちだけが逸る。
 とにかく、早く夜が来てほしい……。

 私の頭の中から報告書はすっかり消え、巴里との約束でいっぱいになっていた。




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 大変お待たせしてしまいました。もう話を忘れちまったよって方も、こんにちは。続探8章です。何だかただのラブコメ化してますが、一筋縄では終わらない予定です。私は恋愛ではなく、親愛至上主義ですから(何だそれ)はてさて、次回は巴里っ子と麻衣語りですかね。どうする義高(私次第ですがね……にやり)ちなみにサブタイトル「不運な二人……」とは、麻衣と大塚のことです。