第五章 「麗しのトップ3」
「義高! 警視はどこ!?」
「えっと、確かこの辺の部屋だったよ」
私たちは今、警視庁にいる。理由はあえて言う必要もないと思うが、巴里の件について警視に直談判しに来たのだ。
直談判……すなわち、何故彼が特捜課配属なのかどうか、詳しい話を聞きに来たと言い換えよう。
元々警視庁勤務だった義高は、実は今でも警視庁に通っている。それもそのはず。彼は表向き、普通に捜査一課の刑事なのだから。特捜課は表舞台には出てはならないのだ。
「あ、北林君! どうしたの?」
突然義高を呼ぶ声がした。見れば、多分義高の同僚らしい女性が不思議そうに見ている。
「やあ。ちょっと砂原警視に用があってね。あ、麻衣ここだよ」
「北林君、その人は……?」
その人――まあ間違いなく私のことだろう。私はいつも通りの挨拶をする。
「初めまして。私は、警察庁公安部の岡野と申します。警視庁の砂原警視にお伝えしなければならないことがありまして参りました」
「え? ま、麻衣」
私の嘘八百に驚いたのか、義高がたじろいだ。私は「ちょっと黙ってて」と合図を送った。
「そうなんですか……で、北林君とはどういうご関係なんですか?」
「は?」
私は予想だにしない返答に間抜けな声を上げた。
「な、何言ってるんだよ。関係なんて……」
「どういうご関係なんですか?」
「ど、どういうって言われても……」
「ま、まさか! 恋人!?」
「は? あの――」
「嫌ぁっ! 義高は皆の王子様なのに! 嘘よね? ねえ北林君!」
「お、おい――」
義高も突然のことに戸惑っているようだ。この女は一体どうしたの!?
「皆ーっ! 私たちのプリンスが奪われたわ!!」
「ちょっと貴女! いきなり何なの――――えぇっ!?」
私が声を上げた時には、時既に遅し。周り十数名の女性に囲まれていた。しかも皆私を睨んでいる。
「アンタ誰なの? 義高の何よ?」
「な、何って言われても……」
「ちゃんと答えなさいよ!」
「お、おい。一体君ら何なんだよ」
「義高! この女は誰なの!?」
「誰って……麻衣は僕の仕事仲間だよ」
「嘘よ! だったら何で名前で呼び合うの? 親しすぎるわよ!」
「別にいいだろ。名前で呼び合うくらいには親しいんだよ」
「なっ――――この女、許せないわ!」
義高の言葉に激昂したのか、一人の女性がヒステリーを起こし、私を威嚇し始めた。
……一体何がどうなってるのだろう。
「ちょ、ちょっと君……!」
いつの間にか義高が間に入ってくれていた。
私は溜め息を吐きたくなった。
義高ってこんなにモテたの……?
この一瞬の間に、私は色々と思い出した。この前、警視に電話で言われたことを。
――北林と一緒に警視庁に来ないほうがいいと思うよ?
――何せ『プリンス様』だからね彼は……フフッ……
――まあ、何かあったら私に言いなさい
こういうことだったのかよ!?
私はがっくりと肩を落とした。そしてすぐに嫌な予感に身震いした。何故か分からないが、この後とてつもなく最悪な事態が起きる、そう確信するような震えがきたのだ。
「義っ――」
私が助けを求める言葉を発しようとした瞬間、その最悪事態は起きた。
「……人の部屋の前で何やってるんだ? 北林」
「け、警視!?」
私は自分の運命を呪った。この男が出てきたら、事態はもっと悪化する……。
「君たちも……一体何を騒いでいるんだ?」
「あ、あの……」
「――……? 麻衣が来てるのか?!」
警視は一瞬でこの状況を把握したらしく、「ふむ……」と一度頷くと、これ以上ないくらいの微笑みを浮かべた。おそらく、この笑顔に隠された本当の意味を知る者はごくわずかだろう。私が、このまま逃げたい衝動に駆られているのは言うまでもない。そんな私の心境を他所に、何人かはこの微笑によって気を失ったらしい。幸せな人たち……。
「君たち……私の大事な客人に、手荒な真似をするのは感心できないな……彼女は私の特別な女性の一人なんだから」
「ぶはっ!」
私は思わず吹き出した。そして同時に、腐れ縁兼親友……津久井萌の言葉を思い出す。
『砂原さんって、警視庁でモテまくりなのね!! 私、びっくりしたわよ』
「ふーん……」
『ふーん……ってアンタ。あのモテようは尋常じゃないわよ! 変なのに絡まれたりしたし』
「ふーん……」
『ま、でも、砂原さんが“素敵な方法で”助けてくれたから良かったけどv あー、気分良かったわvvv』
「ふーん……」
『……アンタ、さっきから全然話聞いてないでしょ』
「ふーん……」
『……殴るわよ(怒)』
萌もおおよそ、こんな感じで庇われたのだろう。これがその『素敵な方法』なのだろうか……。
……はっきり言って、いい迷惑。
しかも「特別な女性の一人」って何……と思ったが、敢えて突っ込むのは止めておく。女性関係について聞いたら、どんな答えが返ってくるか分かったもんじゃないし。少なくとも、こんな言い回しは日常茶飯事――――要するに、私はからかわれている。
……はっきり言って、全く嬉しくない。
「…………はあ」
思わず溜め息が漏れる。それに続き、ヒステリックな声が飛び交う。
「な、何ですってぇ!? 義高だけじゃあ飽きたらず、砂原警視にまで手を出してるなんて! 何てあばずれ女なのかしら!」
「しかも今、溜め息ついたわよ!? 私たちを馬鹿にしたわよ!?」
「へっ!?」
何と、呆れ返って出た溜め息が、こんな風に誤解されるとは。
こんなこと微塵も思わなかった私は、慌てて訂正する。
「いやいや!! 馬鹿になんてしてません!!! 誤解です!! 完全なる誤解なんです!!!」
しかし、私の弁明は聞き入れられないようで……。ま、当たり前かもしれないけれど。
「お黙りなさい! こんな女、こうしてやる!!」
「えぇっ!?」
突然振り上げられた手を、私は避けられそうになかった。
というか、何とも古い言い回しだ……と、ピンチの時ほどどうでもいいことを考えてしまうのは、私の癖だった。
すぐに、我に返って状況を把握する。
(何でこんな酷い目に遭わなきゃいけないの!? 私が一体、何したって言うのよー!?)
「ううっ――――」
ぎゅっと目を瞑った……が、 痛くない……?
その時、自分の視界が金色に染まっていることに気付いた。
この香り……もしかして……
「麻衣、これくらい避けろよ」
「巴里!」
見れば、巴里が私を叩こうとした腕を掴んで止めていた。そんな巴里のことを、親衛隊(勝手に命名)たちは凝視している。
「さ、佐伯君!? いつロンドンから戻ったの!?」
「ついさっき」
「きゃ〜っ! これで警視庁のトップ3が勢ぞろいよ! こんな場所にいれるなんて幸せ〜!」
黄色い声が木霊する警視庁の廊下。私は聞きなれない単語を反芻していた。
「トップ3……?」
恐る恐る尋ねると、親衛隊全員に怒鳴られる。
「貴女! トップ3のことを知らないの!? 彼らはね、我ら警視庁の中の美麗三人衆なの!」
「美麗……?」
権力が一番ありそうな女性が、うっとりとした瞳で語り始める。
あ……何か、彼女の背景に花が舞い始めた……。
「そう美麗……
初めて見た時には誰もが白馬の王子様と見紛うであろう、乙女の憧れ北林義高。
金髪碧眼、中性的な小悪魔めいた顔立ちに、思わずくらっとしてしまう、女の私たちよりも可愛い佐伯巴里。
落ち着いた優しい物腰、まさにその美しさは神の芸術……罪深いお方……砂原雅輝様。
……嗚呼、このような方々をお創りになった神を私は恨みますわ……」
「(か、完璧に世界入ってる……)」
振り返ると、そのトップ3の方々は顔を引きつらせていた。モテすぎるのも問題なのだろう。
よし。……今のうちに退散しよう。
私がどさくさに紛れて逃げようとすると、さっきの女に呼び止められた。
「あ! どこへ行くつもり!? 貴女はこの三人とどういう関係なのか私たちに話す義務があるのよ!」
「いや、ですから私は……」
「いい加減にしなよ、お前ら」
突然巴里が口を開く。これは怒っている口調だ。
「巴里……」
私は巴里の毒舌に、この時ばかりはかなり期待していた。巴里の毒舌に勝てる人なんていないのだから。
早くこの勘違いな人たちをどうにかしてほしかった。
「大体さ、お前らこそオレらの何? はっきり言ってかなり迷惑なんだけど。こんなところで騒いでる暇あるの? 仕事もろくにしないでそれで給料もらってるなんて迷惑な話だよ」
「さ、佐伯く――」
「……何? まだ何かあるの?」
「ご、ごめんなさい!」
そう言うと、彼女たちは逃げるように去って行った。さすが巴里だ――――……いや……やっぱり巴里だった。
「あーそうそう。言い忘れてたけど――」
巴里がおもむろに親衛隊を呼び止めた。
――がばっvvv
「狽ミぃっ!?」
「これがオレとコイツの関係?」
私は巴里に後ろから抱き付かれていた。何とも奇妙な叫び声が上がる。勿論私の。
「そ、そんな……いやぁ〜っ!!」
親衛隊は泣きながら走り去ってしまった。…… 私は、人生の終焉が近いことを悟った。
最後の一人が見えなくなると、巴里が溜め息交じりに呟く。
「ったく……煩い女たち」
「……あのぉ」
平常心を保つ努力をする。しかし、そのせいか語尾が不自然に伸びている。
「何?」
当の巴里は、いけしゃあしゃあと更に私を抱く腕に力を加える。
「そ、そろそろ……この腕放してほしいんだけど……!?」
私は、顔を引きつらせながらも懸命に耐える。ここで動揺を悟られたら(いや、もう悟られてるけど)また良い様にからかわれるのがオチ、それを分かっているからだ。
相手は警視の弟。人をからかうのが生き甲斐の奴なのだ。一々反応していては身が持たないということは、一年前からよーーく分かっている。
しかし、そんな私の忍耐は、次の言葉で完全に消滅した。
「今更、何照れてるわけ? 初めてでもないってのに」
「はいはい、そうですねぇ〜…………はあぁっ!?」
アンタ、何言っちゃってるんですの!?
初めてじゃないだってぇええぇぇぇぇ!?
「わわわわわわわ私がいつつつつどこどどどこで巴里と――――」
口が回らない私が、焦って捲くし立てている時だった。横からぐいっと、誰かに引っ張られた。
「うわわっ」
思わず間抜けな声を上げた私。
「彼女を放せ」
義高だった。彼は私を掴んだまま放さない。
「北林……」
二人は睨み合っている。
「自分こそ、麻衣を放しなよ」
声を聞いただけで、巴里がイラついているのが分かる。片眉がつり上がり、口の端が不自然に上がっている。
「二人共……大人気ないんじゃないか? 麻衣が困ってるよ」
「兄貴は黙ってろよ。コイツの行動に迷惑してるのは麻衣なんだから」
「何だよ! お前こそ、麻衣が嫌がってるのに抱きついたりして!」
(やばい、何か女冥利に尽きるような場面に出くわしてる!?)
私は、乙女なら誰もが一度は憧れるであろう三つ巴を味わっていた!!
そう言えば、巴里も義高も警視も、実はかなりの美形だったということに、今頃気付く。……三人とも、中々癖のある性格だけど。
警視庁のトップ3に囲まれているこの構図は、ある意味とっても役得だった。
「二人ともいい加減にしろ! 北林も麻衣を放しなさい」
「えっ――うわあっ!?」
「うわぁって…………今頃?」
義高のあまりの驚きように、私は少し傷ついた。何もそこまで驚かなくても……というか、そこまで飛び退かなくてもいいのに。彼はゆうに3メートルは飛退いていた。しかも、顔面蒼白。おいおい、私は幽霊かよ……。
「ご、ごめん麻衣! 僕そんなつもりじゃなかったんだ。でも巴里が許せなくて――」
「巴里? お前に呼び捨てにされる覚えはないね。やめてくれない? 馴れ馴れしい」
「う、うるさいな! お前こそ人の事『お前お前』呼ぶな! 僕には義高っていう名前があるんだから。礼儀知らずもいいとこだ!」
「礼儀? お前に礼儀なんて必要ないね。大体何? お前は麻衣の何なわけ?」
「ぼ、僕は――――」
「いい加減にしなさい!」
私は、義高の言葉を遮るように言い放った。
そろそろ我慢の限界。美味しいシチュエーションにも飽きた。
そして極めつけ――――男の口喧嘩は醜いと、古来から相場は決まっている。
義高はもちろんだったけど、巴里は目をぱちくりさせている。二人のこんな顔、初めて……いや、久々に見たかもしれない。
「……巴里、久しぶりに会ったのに、そんな子供っぽい言い争いなんて聞きたくないよ。義高も……二人とも、おとなげなさ過ぎ。どうしてそんな揉め事ばっかりなの? 二人とも、普段はあんなに優しいのに……」
「麻衣の言うとおりだな。巴里、北林。少し時間をあげるから、頭を冷やして来なさい。これ以上ここで騒ぐと、麻衣だけじゃなく、周りの皆にも迷惑がかかる」
砂原警視が、厳しく鋭い表情で言った。
普段温厚な警視のこんな顔、久々に見た気がする。綺麗な顔だから、余計に怖い。
今の警視には、さすがの二人も何も言い返せないようだ。
「す、すみませんでした……」
「……悪かった」
二人は交互に呟くと、渋々といった様子で外へ出て行った。
「警視……あの」
「分かってるよ。巴里のことだろう? そろそろ来る頃だって思ってたんだよ。少し時間がかかってしまったが……さあ中へ入りなさい」
警視は今の厳しい表情とは一転、柔らかな笑みを浮かべると、私を部屋へ入るように促した。
こういう表情を見ると、やはりあの二人に比べてはるかに大人だなあ、と心底思う。
兄弟だけあって、似てるところもあるけれど……やっぱり警視は巴里の兄なのだ。
警視庁人気が一番高いというのにも頷ける。
…………表向き、そう見えるだけだが。
私もつられて笑みを浮かべ、軽く会釈した。
さてさて……どんな事情があるのやら。
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5章です。うーん……中々話が進まない(汗) 麻衣が随分美味しい目に遭ってますが、実際は別に逆ハーでも何でもありません。ぶっちゃけ、義高と巴里の喧嘩に巻き込まれただけって感じです。
巴里や警視はモテるので、一定以上仲の良い女友達に対しては、形は違えど必ずああやって助けます。あとは意味深な口添えしてみたり(笑)でも、美形に助けられるのは、どういう形にせよ乙女の夢(爆笑)
次章は、また刑事視点に戻ります! 男義高、涙のヤケ食い!?