第二章 「真冬の街道」





 あれは、コートが恋しい季節……十二月のことである。

 街はすっかりクリスマスカラーで彩られ、カップルたちが幸せオーラを纏いながら街を練り歩く、そんな光景が目に付く季節。
 私といえば、そんな幸せを語り合う相手などいるはずもなく、今日もこうして警視庁の内部事件の調査をこなすべく、寒い中一人車に乗り込んでいた。

 この現場を押えれば、少なくともこの街から逃げられるし、家に帰れば暖かい布団と、自分の為に自分で買った、最近巷で評判の『らぽっ○』のケーキが待っている。そーいえば、今日は『世にも珍妙な物語〜冬の特別篇〜』が九時から放送されるんだった。これは急がないと。

 そんなことを考えながら、ターゲットが来るのをひたすら待った。暖房を効かせているとはいえ、この季節、車の中は冷え込んでいた。
 私は傍を通るカップルや、子供たちを横目に大きく溜め息をついた。

「あ〜……せめて助手席に誰かいてくれればな……」

 そうなのだ。
 誰か他に同行してくれる仲間がいれば、今こんなにも憂鬱な気分に浸ることもなかっただろうに……。少なくとも、この場の退屈凌ぎくらいにはなったに違いない。

「うー……砂原警視に後で慰謝料請求してやるから!」
 そう悪態をついた時であった。
 突然、助手席側の窓を叩く音が聞こえたのだ。
 驚いて振り向くと、そこには良く見知った顔が映っていた。
 私は急いで、ウインドウを開けた。

「巴里……何でここに……」
「ふぅ……相変わらず仕事熱心だね」
「……アンタが不真面目すぎるだけでしょ」


――――佐伯巴里。東京警視庁捜査一課の刑事。
 金髪碧眼、シルバーのピアス、ネクタイ無しのスーツスタイルは、警視庁の中でもかなり異例である。
 しかし、容姿端麗、頭脳明晰、その上かなりの毒舌、と来れば誰も彼に太刀打ちできないのも事実。しかも、彼の兄は何とも恐ろしいことに、あの「砂原雅輝」なのだ。これは極秘情報で、このことを知っているのは警視庁内でもごくわずかである。苗字の違いは、彼らの両親の意図だとか……詳しいことは不明。
 私と巴里は一応同期。部署は違うのだが、どういうわけか会う機会が多く、まあ一般的に見れば『仲良し』の部類に入るのだろう。

「おい! お前、ボクをこのままの格好でいさせる気?」
「へ? ……あぁっごめん。今開けるから」
 見れば彼の手には、テイクアウトのコーヒーが二つ握られていた。どうやら私の分も買ってきてくれたみたいだ。
 助手席を開けると、車内が途端に冷える感じがした。しかし、すぐにコーヒーの良い香りと、巴里の付けているコロンのほのかな香りが広がった。

 こういうさり気ないお洒落が、女性たちを惹きつけるのかもしれない。
 くどくない、爽やかでほのかに香る巴里のコロンは、私のとても好きな香りであった。
 …………こんなことは、口が裂けても言えないけど。

「ほら、これ」
「あ、ありがとう!」
 巴里からコーヒーを受け取ると、カップに口をつける。すると目の前に、突然手が差し出された。
「……何?」
「250円」
「は?」
「だからコーヒー代」

 ……そうよ。こいつはこーゆう奴だった。

「……払えばいいんでしょ払えば」
 私は泣く泣く彼にお金を支払った。
 巴里はそれを受け取ると、ポンポンと私の肩を軽く叩く。
「世の中そんなに甘くないんだよ、麻衣君」
「……けち」
「何か言った?」
「いえ……何でもありません」
 私は大きく溜め息をつくと、助手席でおいしそうにコーヒーを飲む金髪に尋ねた。
「で……一体どうしてこんなところにいるの? 今日は巴里、非番でしょ?」
 この私の問いかけに、巴里は呆れた表情を浮かべた。
「……あのね、お前の記憶力は幼稚園生以下? ボクの家はこの近くだろーが。この前来たのにもう忘れたのかよ?」
 あ……そうだった。
「あ……あはは……ごめんごめん」
 こんな私に、巴里は大きく溜め息をついた。
「全く……それでも本当に特捜課なわけ?」
「ええまあ一応……って、だから何でここに? わざわざコーヒーまで買ってくれちゃってさ」
 すると巴里は、途端に真剣な顔で私を見つめた。
「巴里……?」
 私は目を逸らせず、そのままたじろいだ。
 何!?
「……どうしてだと思う?」
「へ……あの……」

 冷や汗に似た嫌な汗が流れる。
 これは……えぇっ?

「それはな……オレが……」
 巴里は段々と顔を近づけてくる。
 私はパニック寸前だった。思考回路はショート寸前どころか、既に火花と煙を上げていた。つまり、ショートしている……。
「えっ?! ちょ……巴里っ――」
「ぷっ!……クククッ………アハハハッ」
 私がたまらず顔を逸らすと、突然奴は笑い出した。ぽかんとした表情で彼を見つめる。
「……は?」
「麻衣ってば、何照れてんだよ。あはははっ」

――その時私はやっと気付いた。
 こいつにやられた! と。

 もちろん、私は巴里を怒鳴りつけた。
「ぱ、巴里ぃ〜っ!! アンタはまた人をからかって!!」
 しかし、こんな攻撃巴里に効くはずもなく、私の言葉を無視するように彼は続けた。
「クククッ……ここに来た理由は暇だったからだよ。同じく退屈そうにしてるお前を見かけたから、相手してやろうかと思ってね」
「……それはどーも!」
「フッ……でもまあ、お前といると退屈しないよ。見てるだけでおかしいし。アハハハッ」
「…………」

 おい。見てるだけでおかしい≠チて何だよ。
 一緒にいて楽しいとか、そういう気の利いた言葉の一つや二つ掛けられないのかよ。

「もうっ! 邪魔しに来たんなら帰んなさいよ!」
「おー怖い怖い。でも、そろそろ退散した方が良さそうだね……ほら、お前のお目当ての奴が向かってくる」
 そう言って巴里は助手席から軽やかに降りた。

 ちっ……降り方も決まってやがるわ。そーいうところが、厭味なのよ! 

 しかし、今はそれどころじゃない。
「あぁ! 証拠押さえなきゃ」
 バタバタと車内を動き回る私に、巴里は苦笑しながら車の扉を閉める。
「まあ頑張りなよ。ボクはこれから家に戻るからさ。あ、仕事早く片付いたら食事くらい一緒してやってもいいけど?」
「え……?」
 巴里の言葉に私は一瞬耳を疑った。
「本気なの……?」
 私が恐る恐る尋ねると、巴里は呆れ顔で肩を竦めた。
「……嘘言ってどうすんだよ。ホントだよ」
 私は嬉しさで目を輝かせた(と思う)←お腹が空いてた。
「やったー☆ もちろん巴里のおごりっ――……あ」

 ついノリで、おごりなんて調子に乗って言ってしまったことに私は後悔した。今更口を押さえても仕方ないのに。
 ああ、きっと毒舌の嵐が降ってくるに違いない!
 「馬鹿じゃないの?」とか「ボクが一緒に食べてやるだけでも有難いとか思えないの?」とか「何様のつもり?」とか。
 ほら、巴里が運転席側へ移動してくる! ぎゃー! 怒られるー!

 しかし、返ってきたのは意外な言葉で、思わず拍子抜けしてしまった。 
「ああ、いいよ」

 な、何と! おごりを簡単にOKしちゃったよ!? 

 私は焦りながらウインドウを開けた。
「ぱ、巴里……一体どうしたの?! 熱でもあるんじゃ――――痛っ!」
 突然額に痛みを感じ見上げると、巴里がにっこりと氷のような微笑を浮かべていた。多分でこぴんを喰らったんだろう。
 ていうかお兄さん、顔、凍りついてますから……!!
「……別に嫌ならいいんだよ? ボクの好意を無駄にしたいならね」
「ご、ごめん! 私そんなつもりじゃ……怒らないで? ね? 私巴里が誘ってくれたのがすごい嬉しくて信じられくてちょっと調子に乗っちゃったというか何と言いますかっ」
 私が青くなりながら謝ると、巴里はもう一度私の額を軽く小突いて言った。
「ハイハイ……分かったから早くしろよ」
 声は怒っていたが、その表情がとても柔らかく微笑んでいるように見えたのは、私の気のせいだったに違いない。
 でも……少なくとも私は嬉しかったのだ。
「巴里……ありがと! じゃあまた後で連絡するね」
 そう言って車を急いで発進させようとしたところを、何故か止められた。
「待てよ。これ、忘れ物!」
「――え?」
 振り向くと、助手席のウインドウから小さく丸まった何かが投げ込まれた。
 何を投げたのか聞こうとしたのだが、巴里の姿はもう見えなくなっていた。



「何?」
 運転しながらその包みを広げ、思わず苦笑した。
 巴里らしいというか、何と言うか……。
「本当、あまのじゃくなんだから……」


 包み紙はメモ用紙。
 包まれていたのは数枚の硬貨。

『――くれぐれも安全運転するように。あと、淋しい女探偵へコーヒーの差し入れ』


 私は運転しながら、自然と顔の筋肉が緩むのを感じていた。
 今まで寒かった車内が、何だかとても暖かく思えてくる。
 
――――巴里となら……きっと上手くいくのに…………
 


 しかし巴里は、それからすぐにイギリスへ行ってしまった。
 時と場所を選ばないこの仕事のため、彼を見送ることすら叶わなかった私は、巴里のことは良い思い出にしよう……そう心に誓った。

 頑張っていれば、またいつか会える。
 そんな気がした。




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 麻衣、追憶篇ですね。別名、思い出ぽろぽろ(笑)まあ、これが本タイトルだと、あまりにもアレなのでwちょいと洒落てロマンス街道にしましたが。行ってみたいな、ロマンティック街道……vvv ていうか、兄弟揃って美形。いいなーオイ。あ、少しはロマンスっぽいですかね、今回の章。ま、見事次章でそれは総崩れなんですが(え!?)
 さて次回は……ついに、あの男の視点にチェーンジ!? シリアス雰囲気は微塵も無いと思われ。