第一章 「グローパリゼーション」





――――プルルル プルルル

 ここは、東京警視庁特別捜査課――――通称、特捜課。
 私こと、岡野麻衣が所長を務める探偵事務所兼、警視庁の掃除屋と呼ばれる所である。
 そして今、電話の音が響いているのもここ。

「はいはーい。今出ますよ」
 しかし私が出ようとするより早く、相棒の義高が受話器を取った。
「はい、こちら岡野探偵事務所です。……はあ、分かりました。今代わります…………麻衣、砂原警視から電話だよ」
「……また?」
 今週に入って何度目だろうか。五回……いや、六回は電話が掛かってきた。しかも一日二回は軽い。
 私は、大きく溜め息をつきながら受話器を取った。
「……営業妨害で訴えますよ。警視」
「ぷっ!」
 私の厭味(脅し)に、隣にいる義高は吹き出していた。というか、別に笑いをとろうとしたわけではなかったのだが……。
 受話器の向こうでは、これまた盛大な溜め息をつき、肩を竦めているであろう警視の姿が見える。
「つれないなぁ…………ま――」
「馴れ馴れしく名前で呼ばないでくれません?」
 私の突っ込みに、警視は「やれやれ」とでもいいたげに、二度目の溜め息をつく。
「……何故部下の北林が愛称で呼んでいるのに、私は駄目なんだ?」

――――砂原雅輝。
 警視庁捜査一課の凄腕警視(本当は警視正なのだが、そこまで階級が高くなると、現場に関わることが出来なくなってしまうため、あえて警視のままを保っているという。一体何がしたいんだか……)
 容姿端麗・頭脳明晰のまさにパーフェクト人間である…………が、しかし、その性格は極めて悪質且つ腹黒。

 私は、こんなくだらないことをほざく上司に、心底呆れ返ると同時に、怒りが込み上げてきた。
 こいつはこんなことのために電話してきたのか? しかも警視庁の電話を使って。
 私は冷ややかに言った。
「別に深い意味はありません。ただ、彼……義高と私はパートナー関係にありますし、何より彼は友人です。名前で呼び合ったって、何ら不思議ではないと思いますが」
「私と君だって友人……いや、もっと深い繋がりがあるじゃないか」
 あんたとの間に、深い繋がりなんて持った記憶なんぞ微塵もない! と心の中で叫ぶ。
 この会話をこいつのファンに聞かれていたとしたら、今頃私は滅殺されていたに違いない。砂原警視は、ファンを何十……いや、何百と抱える人気者なのだから。深い繋がり≠危険な意味に捉えられたとしたら…………考えただけでも悪寒が止まらない。というか、身の破滅だ。
 私は、声を大きくして言った。
「警視は私の上司です。そして私は貴方の部下の一人にすぎません。名前で呼ばれたり、呼んだりする関係になれるわけないじゃないですか!」
「私は別に構わないが? むしろそちらの方が嬉しいよv」
「…………」
 で、出やがった……警視お得意のvが……。
 きっと受話器の向こうでは、乙女が完全にやられるであろう「女殺しスマイル」が浮かべられているに違いない。その天使のような微笑の裏には、悪魔が潜んでいるのである。
 その微笑の名称――砂原スマイルv。語尾にvマークがついている時は、必ずその微笑が浮かんでいるのである。しかも別名――乙女殺しスマイル。この微笑を受けた女性は、一瞬で彼の虜になってしまうのだ。あれをまともに喰らったら、いくら私でも目眩を起こすだろう。悔しいが、彼の魅力は本物だった。
 「はあ……」と溜め息をつき、半ば諦めたように答える。
「分かりました……私のことはどう呼んでくださっても結構です。でも、私は警視と呼びますからね。いいですね?」
「うん……まあいいとしようか。少し不満ではあるが……」
「何か言いました?」
「いや?」
「……」
 私は三度目の大きな溜め息をついた。
 そして気を取り直して受話器を握りなおす。さっさと終わらせて、仕事に戻らないといけない。
「で、本当は何の御用なんですか?」
「麻衣の声が聞きたかっただけだよ」
 聞き流し聞き流し。
「最近耳が遠くて……で、何の用ですか?」
「そんなに邪険にしなくてもいいじゃないか」
 早くしろよ。
「で、御用は?」
「…………ふう」
 こんな私と警視のやり取りは、日常茶飯事である。この光景を見慣れている義高は、お茶を淹れながら苦笑していた。
 私はそんな義高に目配せしたが、彼は微笑みを返すだけだった。
 全く……助けてくれてもいいじゃない。
「仕方ない。本題に入ろうか」
 遅えんだよ。
「手短かつ簡潔にお願いします」
 私は早口で言った。警視は疲れた声を返す。
「はいはい……じゃあ言うよ。今日付けで、君たちの部署に新しい仲間が配属になった」

――は?

 私は思わず受話器を落とした。がちゃんという嫌な音が立つ。
 義高が心配そうな視線を向けてきたが、私は何も言うことができなかった。今にも倒れそうだ。
「麻衣、大丈夫?!」
 義高が私の非常事態を察知したらしく、駆け寄ってきた。
「よ、義高……」
 私は思わずよろめき倒れそうになった。が、義高に支えられて何とか踏みとどまる。私は義高の腕にしがみついたまま受話器を拾い、義高の耳に当てた。
「もしもし警視! 麻衣に何言ったんですか!?」
 義高の荒い口調が部屋に響く。
 私はそんな義高にしがみついたまま、彼の会話を見守った。
「えぇ!? そんな話一言も言ってなかったじゃないですか!」
 ああ……。
 おそらく彼も私と同じ話を聞いたのだろう。何故もっと早くに教えてくれなかったのだろうか。
 いつもいつもあの人は、私たちの困ることばかりするのだ。一体何の恨みがあるというのだろう。嫌がらせも大概にしてほしい。
「っ……分かりました。もう二度と掛けてこないでください!(え?!)僕たちは迷惑しているんです!! 失敬っ!!」
 義高が受話器をすごい勢いで置いた。相変わらず、向かうところ敵無しの振る舞いだ。
「義高……どうしよう……」
「とりあえず、人を通せる状態にしよう!」
 義高はそう言うと、足早にキッチンに行き、白いフリルの付いたエプロン(警視からのプレゼント)を着て、洗い物をし始めた。
(に、似合いすぎる……!)
 私は、彼の後姿に将来の新妻(!)を見た気がした。義高はきっと良いお嫁さんになること間違いなしだろう。この私よりも……。
「麻衣! そこのテーブルから食器持ってきて! あと、そこ掃除機かけて!」
「は、はい!」
 気付けば、思わず彼に従ってしまっている自分がいた。
 彼はああ見えて中々の綺麗好きで、掃除の時の指揮を執るのは専ら彼である。まあ私も綺麗好きな方ではあるが、ここは義高に任せた方が良いと感じ、このようになっている。
 私は掃除機をかけながら、てきぱきと食器を洗う義高を見つめ、「結婚するなら家事全般が得意な人にしよう」などという考えを巡らせていた。

「……い……麻衣! 僕まで吸い込まないでよ(汗)」
「え……あ、ごめん」
 私はぼうっとしていていたせいか、義高のズボンの裾まで吸い込んでしまっていた。慌てて彼から離れる。掃除に集中しなくては。
 掃除機をしまった私は、今度はテーブルを拭き始めた。テーブルといっても、来賓用の小さな机だ。しかし、私たちはここで食事やお茶を飲んだりするため、一番使用頻度が高いのである。
 そういえば……新しく特捜科配属になったのってどんな人なんだろうか。私はふと考えた。
「ねえ義高? 新しい人ってどんな人だろうね〜」
 私はテーブルを拭きながら、後ろで洗い物に没頭している刑事に声を掛けた。
「うーん……でも特捜科に配属されるってことは、何かしら特別ってことだよね?」
「うん、そう考えるのが妥当よね」

 私と義高は、ご存知の通り「警視庁特別捜査課」に配属されている刑事だ。まあ、世間一般の認識は「私立探偵」だけど。
 特捜科は、警視庁直結の探偵事務所を営むことが義務であり、ここで一般的に「探偵」として働き、また影では警視庁内部の問題・事件を秘密裏に調査・解決している、言わば「何でも屋」的存在なのである。

 彼――義高こと北林義高とは、半年前……春の半ばに出会った。
 あの時の彼は、まだ捜査一課の刑事になりたての新人で、そんな私も特捜科に配属されて一年も経っていなかった。その時の私はこの探偵事務所を、今ではすっかり有名人と化した<津久井萌>と二人で営んでいた。彼女は弁護士で、その活躍は今も目覚ましい。最近は、お互い忙しいため会っていないが、メールや電話でのやり取りは頻繁に行っており、そこから推測するに元気そうだ。
 特別捜査課。ここは、警視庁が独自に作った課なのだが、どういう理由でここに配属されるのか詳しいことは全くの謎である。唯一つ分かるのは、物事に対する探究心が強く、発想が柔軟。これに秀でているものが、どうやらここに配属されるらしい…………と言っても、これも砂原警視から聞いた話なので定かではない。彼は嘘を付いている可能性が高いのである。私と義高は、警視の嘘に何度騙されたことか……もはや彼の言うことに真実は一つもないような気さえする。

 そんな時だった。背後でどさっという音がした。
「ぎゃあ!!」
 突然の叫び声に振り返ると、白いフリルのエプロンを着た刑事が腰を抜かして、壁の黒い物体に向かって指をさしていた。
「どうしたの!? って……ご、ゴキブリ!」
 義高の指差す先にいたのは、黒光りするゴキブリだった。
「きゃあっ! 私も虫は駄目なのよ〜!!」
「そんな〜! どうすればいいんだ!?」
 私たちは半パニックに陥りながら、あれよこれよと解決策を探していた。が、その間にも黒い物体は縦横無尽に動き回るわけで。挙句の果てには部屋を飛び回り始めたのだ。
「うわっ!? こっち来るな!! 悪霊退散!」
「いや〜っ!!(泣)」
 逃げ回るたびに、せっかくきれいに片付けた部屋の中は、見る見るうちに散らかっていった。ゴミ箱は倒れ散乱し、お茶はこぼれ床を濡らした。
 しかも義高の逃げ方は、尋常ではない。奇声や変な妖しい呪文を唱えつつ、踊るようにして逃げているのだ。
 しかもその表情はジェイソンに追われてます! 貞子から逃げてます! のような恐怖を表している。こちらの方が、よっぽど怖い……。

「ま、麻衣!! 危なーい!!」
「え……」
 義高の悲痛な叫びに振り返ると、今まさに私に留まろうとしているゴキの姿が目に映った。逃げ惑う義高に気を取られ、自分に襲い掛かる恐怖に気付けなかった!!(劇画タッチで)
「あ……きゃ、きゃーーっ!!」
 私はなすすべもなく、身体を丸めて耳を塞ぎ、目をぎゅっと瞑った。ああ、ゴキの餌食になってしまうのね……悲しきかな我が人生。

――――その時。

「麻衣、相変わらず虫駄目なわけ?」
 突然、青年と思われる声が聞こえた。
「え――――」
 声の主は、どこから持ち出したのか分からない殺虫剤を、ゴキに向かって発射した。ゴキは床にポトリと落ちた。
「き、君は……!?」
 義高が白いエプロン姿のまま、上ずった声で尋ねる。私の方からだと、後姿しか見えない。

 でも、彼は私を知っていた。
 私のことを『麻衣』と呼んだ。しかも私が虫苦手とも知っていた……。
 ということは……

 私はスーツに付いた埃を払いながら立ち上がると、その青年の肩を掴んで振り返らせた。そして思わず後ずさりしてしまった。
 まさか……そんな……。

「ハロー? 久しぶり☆」

 この出立ち。
 この☆の付け具合――――間違いなかった。

「巴里……」

「え? 麻衣の知り合い?」
 義高の気の抜けた台詞が、妙に大きく響いた。





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グローバリゼーションを文字って付けた今回のタイトル「グローパリゼーション」。前者は簡単に言えば国際化社会っていう意味です。
ということは、後者は「巴里化社会」?(笑)ハイ、そういう意味がありますです。巴里って誰やねん!? と気になる方、是非次回もお楽しみに……vvv