第12章「囚われて、想われて」
「岡野?」
呼ばれて振り返った先にいたのは、仏頂面の大塚先輩だった。彼はつかつかと私に歩み寄ると言った。
「ひでえ顔してやがる」
「なっ」
あまりの言い様に、言葉を失う。この人は、いつも私のことそんな風に思っていたっていうの?! 仮にも数年来の付き合いなのに……酷すぎる。
しかし、当の本人は私から書類を巻き上げると、スタスタと歩いていってしまった。……何だかもう、言葉を発する気力も出てこない。肩を落としてため息をつくと、数メートル先を歩く先輩が、訝しげに振り返った。
「おい、何ぼさっとしてやがんだ?」
「は?」
「茶でも淹れてやるって言ってんだよ。お前、全然寝てねえんだろ? とっとと来い」
「あ……」
ぶっきらぼうに言って、またスタスタと行ってしまう先輩の後姿に、私はこっそり微笑んだ。……やっぱり持つべきものは、先輩ですかね…?
捜査一課は、昼過ぎということもあってか、あまり人がいなかった。義高や巴里の姿も見当たらない。先輩は私に、近くのソファーに座るように促すと、湯飲みを持ってポットへ向かった。
先輩の机は……相変わらず汚い。どれがゴミでそうでないのか皆目見当もつかない。そんな彼の机に、写真の束のようなものがあった。気になって、手にとってみる。
「……これって」
それは、数年前……まだ私が高校生で、彼が大学生だった頃の、部活風景だった。ラケット片手に微笑む先輩。その前で、疲れていながらも……どこか充実した笑みを浮かべている私たち部員。少しだけ色あせたその写真からは、当時の賑やかな声が響いてくるようだった。
「何見てやがる……」
「わっ! す、すみません」
不機嫌そうな声で背後に立つ先輩。私は冷や汗を流しながら、微妙な笑みを浮かべる。しかし彼は、特に何も言わずにお茶だけゴトンと置いた。
「あ、ありがとうございます……」
「……報告書、悪かったな」
「え、あ……いえ」
「お前の報告書、上から定評あんだよ。それで、今更他に任せらんねえっつか……」
珍しく困った様子でそう呟く先輩が、何だかおかしくて笑ってしまった。お茶をごくごく飲み干す仕草が、また笑える。……普段からは想像出来ないほど、可愛い。
「ふふっ……あはははっ……一体どうしたんです? 私は全然、気にしてませんよ」
「いや……まあ、そうなんだろうけどよ。お前の顔、寝不足で酷いし、何となく罪悪感っつーか……」
「顔のことはタブーです! 女の子にそれは言っちゃ駄目ですよ? 萌あたりだったら、確実に平手喰らってます」
「……あいつなら、やりかねねえな」
萌を思い出しているのだろう。軽く身震いをした先輩に、私は苦笑した。
「ふふ……でも、何だか気を使ってもらえて嬉しいです。でも、ホント気にしないでください。これが私の仕事ですし、頼られるのはやっぱり嬉しいものですから」
「ああ……」
先輩とこんな風に話すのは、実はとても久々だった。元々、同じ課ではないし、特別に仲が良いわけでもない。高校時代の後輩だと言えば聞こえはいいが、実際に高校時代にそこまで親しく話した記憶も無い。どちらかと言えば私にとっての先輩は、恐怖の対象でしかなかった。実は後輩思いの優しい先輩……そのことを知ったのは、彼が警察官として私の先輩になった時以降だ。
でも……今なら分かる。
目の前の色あせた写真に写る彼の笑顔は、私たち後輩を温かく見守っていてくれたものなのだと。
「そろそろ失礼しますね。……大塚先輩、ありがとうございました」
「……気を付けて帰れよ」
立ち上がって頭を下げた私に、彼は軽く微笑んだ。滅多に見られないその微笑に、私の胸はほんの少しだけ跳ねた。
事務所に戻った瞬間、丁度良いタイミングで電話が鳴った。慌てて取ったその相手は、警視庁の関係者だった。何度か顔を合わせたこともある。どうやら私に調査の依頼らしい。適当に相槌を打ちながら、そういえば最近めっきり捜査らしい捜査なんてしていなかったなぁと思った。それもそのはず。義高の存在のおかげで、極力危ない任務に当たらないように計らってもらっているのだ。
「岡野君、今回の調査は少し……内密にお願いしたいんだ。警察内部にも出来るだけ伏せておきたい」
「ええ、理解しているつもりです。すぐに調査を始めます」
電話を切った私は、久々の高揚感を感じていた。
事件なんて起きない方がいい……それはそう思う。しかし、平和は時に怠惰になりうる。私の今の暗鬱とした気分を晴らすには、少しばかり強い刺激が必要なのだ。
義高の携帯に電話を掛けようとして……止めた。
今回は私一人でやろう。そんなはずはないのだが、この依頼を一人でこなすことが「彼らに真摯に応えること」に繋がるような気がしたのだ。
大丈夫。これくらいの依頼、一人で十分!
……そう意気込んでいたのはいつだったか。
私は暗い倉庫で横たわりながら、過去に思いを馳せていた。
水滴の落ちる音が、耳障りになってきた。……これは気が狂うのも時間の問題?
「警察って言うからどんなのが来るかと思いきや……アンタ、本当に警察のお仲間なのか?」
「運が無かったな。あの取引は、警察にバレるわけにはいかないんでね。まあ取引さえ終われば、アンタは無事に……とは言えないが、まあ譲歩した形で帰してやるよ」
譲歩した形……がどんな形かなんて想像もしたくなかった。
私を囲むようにして座り込む、黒服の男たちが4人。
いかにもな感じだが、その風貌はやはりとても威圧的だ。きっと私は、何もされずに帰してもらえない。私が口を割らないような、何かをするつもりだ。それが私にとって、どのくらい屈辱的なことなのか、悲劇的なことなのか……嫌な汗が流れる。
「しっかしまあ……ロープで縛られ、口には猿轡なんて、ベタすぎやしねえか?」
ホントにそうだと心の中で頷く。
そう言えば半年前……あの桜山荘でも私はこんな目に遭ったんじゃなかったっけ? あの時は、もっと狭苦しい所に閉じ込められていたのだけど……私は根っからの、囚われ体質らしい。
でも……そう簡単にやられてたまるか。
ロープの外し方なら大体分かる。
その証拠に少しずつ、緩まってきている。あと少し動かせば、手は自由になる。
探偵としての意地とプライドが、私を駆り立てる。
私は……そっと、足元に隠した拳銃の存在を確かめるように身じろいだ。
大丈夫、ちゃんとある……。改造銃ではなく、護身用の本物。
もしもの時は迷わず引き金を引く。
それが相手にか、自分になのかは分からないけど……。
そんな時……ふわりと香った。
いつも私の周りを纏っていた香りと、つい先日から香り始めた懐かしい香り。
この二つが混ざり合った香りは、とても安心できるもので……まさかと思うも、期待せずにはいられなかった。
そして、私の期待は裏切られることはなかった。
目の前で倒れ付す男たち。
立ち回る影×2。
二つの影は、息ピッタリだった。
呆然とする私に、影たちは同時に手を差し伸べた。
「「麻衣! 無事か!?」」
大きく頷いてみせれば、二人の顔は安堵に染まる。
そうだ。
私は根っからの囚われ体質だけど、ヒーローだってちゃんといたんだ。
そんな乙女なことを考える自分に、苦笑しつつも活を入れる。
今はそんなこと言ってる場合じゃない。
その時、外にいたと思われる奴らが異常に気付き中に入ってくる。
二人は私の枷を外し、立ち上がらせる。
「もうすぐ応援が来る。それまでいける?」
巴里が気遣うように私を見やる。私は気丈に微笑んだ。
「もちろん!」
「ははっ、頼もしいな。巴里、僕たちで敵を散らそう」
義高の言葉に巴里は頷く。
そして、それが合図になったかのように二人は飛び出していった。
それからのことは、本当にあっという間だった気がする。
鮮やかな立ち回りに、思わず目を奪われる。
私はそんな思いを振り切るように、引き金を引き続ける。もちろんこれは、改造した拳銃。打っても火傷を負うだけだ。しかしそれでも、それを乱射されたらたまったものじゃないだろう。火傷の痛みに怯んだ隙を狙って、刑事二人が落としていく。
そんなことをどれくらい続けたのだろう。
気づいた時には、応援部隊が駆けつけていて、私を拘束していた一味はまとめてお縄にかけられた。
かくんっと膝の力が抜ける。
私はその場にへなへなと座り込んでしまった。
それを見た二人が、駆け寄ってくる。
私を見下ろす二人を見上げる。
すると、彼らは大きく息を吸い込んで……
「「バカ!!」」
そう怒鳴った。
目をぱちくりさせる私に構わず、彼らは続けた。
「お前、自分が今回どれだけ危険な目に遭ったか分かってる!? もう少しで大変なことになるところだったんだよ!? 誰にも何も言わずに一人で敵地に乗り込んでいくなんて、無鉄砲もいいとこだね! そういうのはただの無知! バカ!!」
「本当だよ! 何とか間に合ったから良かったものの、あのままだったら麻衣、君はあいつらに酷い目に遭わされてたよ!? どうして僕に言わなかったの!? 一人で依頼請け負うなんて、無茶もいいとこだよ!!」
「コイツに言わなくても、オレに言えば良かっただろ!? 何のためにコッチに戻ってきたと思ってんの!? お前を助けられなきゃ、何の意味も無いじゃん!」
「で、でも……これは私の仕事で……」
「「言い訳するな!!」」
「うっ……ごめんなさい……」
「君の仕事は僕の仕事だろ!? 一人で抱え込むなんて、職務放棄だよ!!」
「うっ……」
「「とにかく、反省して!!」」
二人のマシンガントークに、私は何も言えなかった。
しかし、二人の息があまりにもぴったりで……思わず笑ってしまった。
「くすっ……あははっ……二人とも、息ぴったり……ふふふっ……」
「お前ね……ホントに反省してる?」
「もちろん! ホント……心配掛けて、ごめんなさい」
「麻衣……顔、笑ってるよ」
「だ、だって……二人とも、ホントに……あはははっ、仲良しだね!」
「は!? 何言ってんの!? オレとコイツが仲イイなんて、おぞましいこと言うなよ!」
「そ、それはこっちの台詞だよ!! 麻衣、僕とコイツがいつ仲良くなったって言うんだよ! それは君の勘違いに過ぎないよ!!」
「そういうところが息ピッタリなんだもん。あははっ、二人ってホントは絶対、仲良くなれるって思ってたんだ。やっぱり間違ってなかった」
そう言って私が笑うと、二人は息ピッタリに言うのだった。
「「大間違いだ!!」」
笑いながら私は、ある一つの決断を自分の中で下していた。
この答えこそが、彼らに真摯に応えた結果になってほしい。これ以上に最善の策は他に無い……と思う。
口喧嘩を始めた二人を見つめながら、私は頷いた。
「おはようございます」
「麻衣……?」
いつもよりも数段早起きした麻衣は、きちんとした正装で警視庁へと赴いた。その様子を見た砂原は、少しだけ笑みを固くする。
麻衣は警視の前に立つと、鞄から封筒を取り出した。整った文字が書かれたそれを、砂原は驚いた様子で見やる。しかし、麻衣の視線は揺るがなかった。
「フフ……随分思い切ったね」
「はい。もう、決めました」
一瞬だけ躊躇う仕草をみせた麻衣だったが、すぐに視線を上げ、言い切った。
「君がそれを望むなら、そう計らえないこともない。でも、本当にいいのか? 私は、君ほどに適任はいないと思ってるよ」
「……それでも、これが最善だと私は思いました。その方が、結果的に良くなると信じています」
「それは……フフッ、どうだろうね。まあ、これは一応預かっておくよ」
「宜しくお願いします」
頭を下げる麻衣に、砂原は苦笑せざるを得なかった。
多少予想はしていたものの、本当にこうなるとは……。
――――『異動願』。
麻衣の決意の現れが、果たしてどう彼らに作用するのか。
現時点では、知る由は無い……。
戻る/目次/進む
お待たせいたしました。続探12章です。なんかもう、展開速すぎですね……でも、いいんです。このお話には勢いが必要なんです。
さてさて、麻衣がびっくりな決断を下しましたがどうなるんでしょう。巴里と義高の関係は? 次回を乞うご期待!? ですv