第11章「紳士に真摯に」



 事務所がノックされていることに気付いたのは、扉が突き破られそうになり、テーブルのお茶が倒れかけた時だった。
 慌てて扉を開けると、憤慨した様子の萌が立っている。かなりご立腹のようだ。
「私相手に居留守使うなんて、大した度胸じゃないの。いつからそんなに偉くなったわけ?!」
「……」
 萌の嫌味も、右から左へ抜けていく。
 徹夜明けの朦朧とした意識の中では、萌の怒鳴り声さえ遠くの出来事に感じられた。
「ちょっと……聞いてんの?」
「……」
 反応の無い私に、萌は盛大にため息をついた。ていうか、今何時?

「ったく……もう昼になるって言うのに、こんなダラダラしてるなんて、社会人失格ね」
「……昼…………昼!?」
 萌の言葉にハッとなる。
「ごめん、萌。私今から警視庁行かなくちゃ」
「そんな寝不足ふらふらで車運転するつもり? 確実に死ぬわよ」
「う……」
「築地上町で手を打つわ」
 そう言って身を翻した萌に、私は財布の中身を確認したのだった……。



「萌の車乗るのなんて、久々……」
「アンタの安い軽自動車より、遥かにいいでしょ」
「いや……萌の運転怖いし……」
「何か言った?」
「いえ、別に……」

 昼前の道路は、さほど混雑はしておらず。この分だと、後20分くらいで着くだろう。書類を確認しながら、窓の外を眺める。
 ……平和だ。
「何か結構美味しい目に遭ってるらしいじゃない」
 萌の言葉に、思わず目を見開く。
 バックミラー越しに視線を合わせると、萌は全てお見通しという顔を浮かべていた。
「美味しいって……」
「だってそうじゃない。美形の男二人に求愛されてんでしょ? アンタの分際で、そんな目に遭うなんて、一生分の運を使い切ったわね」
「言いたい放題言ってくれるわね……萌、どこで聞いたのよ、そんなこと」
「警視庁の噂は、すぐ耳に入るわよ。しかも、相手はあの有名な御三家絡みだもの。アンタ、警視庁中の女を敵に回すつもり?」
「け、警視は関係ないし……義高だって……。萌の知らない人の話よ」
「佐伯巴里クン、だっけ? 何かすごい美形らしいじゃない。義高君に負けず劣らずな。御三家の一人ってことは知ってるけど」
 御三家とはトップ3の別称だろうか。どっちにしろ、彼らがどれだけ崇拝されてるのかが嫌でも分かる呼び名だ。というか萌の情報網の広さに、感服する。もしかしたら私以上に、警視庁のことを知っているのかもしれない。
「……話しなさいよ。アンタが徹夜したのって、別に報告書が大変だったからじゃないでしょ。どうせ考え込みすぎて、眠れなかったくせに」

 萌はこういうところに鋭い。
 親友だから何でも話す。そういう間柄ではなかった私たちだけど、きちんと心は繋がってるんだと思える言葉。
 私は観念したように、全てを話すことにした。

「巴里は……同期の友達。でも、半年過ぎてイギリスに行っちゃった」
「へえ……全然知らなかったわ」
「ごめん。特捜課のことは、絶対秘密だったから……」
「別にいいわよ。それで?」
「うん。巴里はね、私が特捜課に配属されてることを知る、唯一の友達だったの。でも突然イギリスに行っちゃった。私には何も詳しいこと教えてくれなかった。連絡もくれなくて……」
「で、突然帰ってきたってわけ?」
「うん……それで、理由をやっと聞けたの。そうしたらね……全部、私のためだったのよ」

 言いながら、胸が痛んだ。
 巴里は私のためにイギリスに行った。そして、私のために戻ってきてくれた。

「イギリスに渡ることを条件に、自分を特捜課に配属させてほしいって、上に直談判してくれたんだって。私が、一人が嫌だって言ったから……」
「……」
「巴里に言われたの。パートナーを組もうって。オレを選んでくれって」
「……それって勿論、義高君との関係を解消しろってことよね?」
「……」

 しばらく無言になる私たち。
 萌は何かを考え込む仕草を見せると、ため息をついた。

「アンタは一体どうしたいの?」
「……」
「巴里クンと組みたいの? それとも、義高クン?」
「私は……」
「まさか、『三人一緒がいい』とか言ったんじゃないでしょうね?」
「うぐ……」
 ここまでお見通しとは……伊達に親友(?)を語ってはいない。喉を詰まらせた私に、萌はまた、深い溜め息をついた。
「……アンタ、それが一番最低な答えよ。そんな中途半端な答えじゃ、何も解決しないわ」
 萌の言葉が胸に突き刺さる。
「曖昧な答えじゃ、結局全部を失いかねないわよ。巴里クンは、アンタ以上のリスクを侵しても、アンタと組みたいって言ってくれてる。それに対して、アンタはもっと、真摯な答えを出さないといけないんじゃないの?」
「それは……」
「アンタがそんなじゃ、義高クンだって困惑するわ。選択権はアンタにしかないんだから」
「……」
「選ぶのはアンタ。私が選んであげることは出来ないわ」

 萌はその後、何も言わなかった。私も何も言えなかった。
 私は警視庁より少し手前で車から降ろしてもらうと、萌に礼を述べた。

「……ありがと。自分でちゃんと答えを出すよ」
「そうしなさい。きっとそれが、一番の答えのはずよ」

 萌の車を見送って、私は空を仰いだ。
 秋晴れとは程遠い、重たい曇天。
 私の心を表しているようで、ため息が出た。

「でも……」

 『三人一緒』は……本当に駄目なことなの?
 私の答えは、彼に真摯に応えていることにはならないのだろうか……。






――――昼、警視庁。

「萌?」
「あ、砂原さん!」

 麻衣が一人悩んでいる時、萌は警視庁へ来ていた。
 そんな萌を見かけた砂原が声を掛ける。

「どうしたんだ? こんな時間に」
「ちょっと砂原さんとお話があってv」
「フフッ……それは光栄だな。部屋に入るかい?」
「ええ。ちょっと、人には聞かれたくない話なので」
「おや……それはそれは。急を要する話みたいだね」
「……ええ」
 萌の声のトーンが低くなる。
 表情も、真剣そのものだった。その様子に、砂原は無言で頷く。そんな時だった。

「あれ、アンタってもしかして……」

 振り返った萌は、目を丸くした。
 目の前には、金髪碧眼の、超絶美青年が立っている。
 萌は自分の幸運を喜んだ。彼が麻衣を悩ませている張本人なのだ。

「初めまして、佐伯巴里クン?」
「へえ……ボクのこと知ってるんだ。津久井萌サン」
「…あら? そっちこそ、私のことご存知みたいね」
 しばし見つめ合う二人。
 萌は心の中で「想像以上にイイ男じゃない。麻衣ってばもっと早く紹介しなさいよ」とごちていた。
「ククッ……アンタも中々イイ女だよ」
「!」
 心の中を読まれた!? と内心焦りつつも、余裕の笑みを崩さない萌。伊達に法廷に立ち続けてはいない。そんな萌に、巴里は楽しそうに微笑んだ。
「フフッ、流石はアイツの親友だね。気に入ったよ。ボクのことは巴里でいいよ。萌、よろしく」
 そう言って軽くウインクを寄越す巴里に、萌も不敵な笑みを浮かべた。
「こちらこそ宜しくね、巴里クン」

 笑みを交し合う二人を、砂原は意外そうな表情を浮かべ見ている。その視線に気付いたのか、二人が同時に砂原を見やる。

「二人は間接的に知り合いだったようだね……」
「萌の名前は有名だろ? まあ、ボクのことはアイツに聞いたんだろうけど」
「うふふ、巴里クンだって有名よ。警視庁御三家の一人ですもの。実物を見たのは初めてだけど、話には何度か聞いたことあったわ」
「フフッ……息もぴったりってところかな?」
「フッ、それはどうかね? 何たって相手は法廷の女神だし」
「うふふ……褒め言葉…として受け取っておくわ」

 お互いの手の内を見せないような、スリルいっぱいの会話。
 こんな風に話が出来る相手は珍しい、と三者は同時に思っていた。
 ……のちに、この三人はある意味での『三強』(三凶とも言う)となるのだが、またそれは別の話である。


 
 しばらくの歓談の後、萌はふと巴里を見た。
 その視線の意図に気付いたのか、気付いていないのか、巴里は軽く眉を下げて微笑む。 その瞬間、何となく、巴里の心の内を垣間見たような気に萌はなった。不敵な笑みと混在する、少し苦しそうな、そんな笑み。

 こんな笑みを浮かべる時、大抵の人間は……不安を抱えている。
 萌も苦笑気味に笑みを零した。
(麻衣……アンタやっぱり、今一生分の男運使ってるわよ)
 そんな風に心の中で思うのであった。






――――同時刻。警視庁、捜査一課にて。

「はあ……」
「何しけた顔してやがんだよ」
「……先輩」

 溜め息をつき顔を上げた先には、大塚先輩がいた。珍しく、書類を抱えて仕事をしているようだ。
「珍しいですね、先輩が書類片手に仕事なんて」
「てめえ、俺を何だと思ってんだよ」
「仕事嫌いの怠け者。おまけ粗野」
「……殴られてえみてえだな」

 いつも以上に、嫌味な僕。
 ……本当に最低だ。先輩に当たるなんて……どうかしてる。

 先輩は大きくため息をつくと、書類へと目を戻した。どうやらこんな僕には、もう付き合っていられないらしい。それもそうだ。仕方ない……。

 書類を流し読みしながら、僕は昨夜のことを思い出していた。
 麻衣は巴里のあの言葉を聞いて、どう思ったんだろう。今、何を考えているだろうか。
 今日は直接警視庁に来ているため、麻衣には会っていない。……正直、どんな顔をして会えばいいか分からなかった。

 学生時代を思い返す。
 あの頃の僕は、こんな風に女の子のことで悩んだことなんてなかった。もっと言えば、友達のことでも悩んだことなんてなかったかもしれない。それは、表面的にしか付き合ってこなかったと言えるかもしれないし、ただ単に恵まれた環境にいられたのかもしれないけれど。
 だから……正直、今の状態をどうしたらいいのか分かりかねる。最近は恋愛もしてなかったせいで、今の自分の気持ちがどういうものなのかさえ分からなくなっていた。
 だから……何となく、口を付いて出た。
 目の前で、珍しく熱心に仕事をする先輩に、問いかけていた。

「先輩は……本気で好きになった人を、手に入れられたんですか?」
「……」
 僕の言葉など聞こえていないように、先輩は無反応だった。僕はもう一度、少し強めの口調で問う。しかしやはり、先輩は無言を決め込んでいる。
「……すみません。業務中でした」
 顔でも洗ってこようと立ち上がった僕に、先輩が呟いた。
「……手に入れられてたら、とっくに手に入れてる」
「え……」
「俺もお前にどうこう言えた義理じゃねえんだよ」
 自嘲気味にそう漏らし、立ち尽くす僕の横を通りすぎていく先輩。その横顔は、とても辛そうだった。
「先輩、あの……」
「あ! 北林さん!」
 呼び止めようとした僕の言葉を遮ったのは、白瀬さんだった。
「あの、少しお伺いしたいことがあるんですが!」
「へ、あ、はい」
 思わず間の抜けたような、変な返事をする僕。白瀬さんは、咳払いをすると、僕に指を突き付けた。
「ずばり! 単刀直入にお聞きします。岡野さんは、あの噂の、特別捜査課に配属されていますよね?」
「………………え?」
 彼女は今、何て言ったのだろう。
「とぼけても無駄です。岡野さんの経歴を、少し調べさせていただきました。そうしたら、いくつか不思議な点が見つかって……少なくとも、県警に常駐しているとは考えられません」
「な、何を言って……」
「そんな時、警視庁の都市伝説、『特別捜査課』を思い出したんです。今まではただの噂としか認識していませんでしたが、もしかしたら……そう思って」

 麻衣のことが、ばれた。
 これがどういうことなのか……そんなこと、考えたくもなかった。

 僕は咄嗟に、誤魔化すことにした。このまんま、無言でいたら肯定しているようなものだろう。
「……白瀬さん。残念だけど、特捜課なんて僕は知らないよ。どこでどう調べた結果そういう結論が出たのか知らないけど、少なくとも僕は聞いたことすらない」
 僕の言葉がよっぽど意外だったのだろう。大きな目を、さらに大きく見開かせて驚く白瀬さん。
「まさか……誤魔化すおつもりですか?」
「誤魔化すも何も、本当に知らないんだ。そもそも、どこでそんなこと調べたんだい?」
「それは言えませんけど……でも、あの人は…岡野さんは、何か隠しています! 北林さんは何かご存知なんじゃないですか!?」
「麻衣とは……同期だ。友達なんだよ。僕が知っている彼女の経歴は、疑わしいところなんて微塵も無い。普段は県警で活躍している、女刑事だ」
「そんなの嘘です! 県警とは採用枠から違いますし、就業条件だって違います。入署して数年で、そんなことが行われるはずありません」
 声を荒げる白瀬さんに、僕は極力穏やかに否定の言葉を繰り返す。
「そうだとしても……僕はそれ以上のことは知らないよ。本当に……」

 我ながら、上手く誤魔化せたような気がする。
 彼女レベルに、機密が漏れるはずもない。いや、例え何か嗅ぎ付けたのだとしても、それを裏付ける証拠までは出ていないようだ。まだ誤魔化しが利く。
「ごめんね、お役に立てなくて。それじゃあ」
 そう言って踵を返そうとした僕の背後で、白瀬さんの声が響く。
「北林さん! 貴方と岡野さんのご関係をお教え願います!」
「へ?」

 突然の話の展開に、僕の頭はついていけそうになかった。どうして突然、特捜課から僕と麻衣の関係に話が繋がるのだろう。
「白瀬さん、一体何を……」
「私にとっては、岡野さんがどこの所属であるかなんて、大した問題じゃないんです。私にとって重要なのは、佐伯さんが岡野さんとどういう関係にあるのか、それだけなんです」
「はあ……」
「つまりですね! 貴方が岡野さんとどのような関係にあるか分かれば、佐伯さんと岡野さんの関係も必然的に分かると考えたんです」
「……」

 彼女の行動力と発言力には感服せざるを得ない。会ってまだ、1日しか経っていないけれど、僕にもこれだけの度胸と勇気があれば……と思う。

 でも……彼女のこの質問には答えられない。
 答えが無いから。
 僕と麻衣の関係に、名前を付けるとしたらそれは……。

「言っただろう? 僕と彼女は友達だよ。それ以上でも、それ以下でも無い」

 自分で言ってて、何だか虚しくなった。

 本当は、相棒だって言いたい。
 友達よりも、ずっと強い絆で繋がっている関係なんだって言いたい。
 それが友情なのか、恋情なのか、愛情なのか……そんなことは分からなくても、少なくとも「ただの友達」では無い。そう言いたかった。

「そうですか……」

 落胆したのかそうでないのか。彼女はぺこりと頭を下げると、そのまま部屋から出て行った。残された僕は、何だかやり切れない気持ちでいっぱいになった。
 溜め息だけが、部屋に響く。



 この時の僕は、まさかこの先に、あんな出来事が起きるなんて思いもしなかった。
 僕と巴里、そして麻衣との関係を大きく変える、あの出来事は、すぐ眼前に迫っていたのだった――――。



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 大変ご無沙汰しておりましたが、11章です。くぁ……もう半年経ってしまった(汗)半年スパンで完結させる予定が、只今大幅に狂い始めております……。
  さてさて、それぞれの思いは色々あるようですが、次回はちょっと急展開!? な予定。一気に話が進みます……(はず)