中に入るといきなり黴の匂いが鼻を突いた。どうやら長い間使われていなかったようだ。

 床は歩く度にぎしぎしと嫌な音を立てた。

 僕は心臓が破裂しそうなほどに緊張していた。手は汗ばみ、額からも冷や汗が滲んでいた。

 暫く進んでから僕は、大変な事に気付いた。

 ――懐中電灯を持っていなかったことだった。

 ずっと暗い所にいたせいか、目が慣れてしまいさっきまでは全然気付かなかったが、光というものが全く届かないこの場所は、明かりがないとまるで何も見えず辺り一面闇世界だった。

 入り口周辺は微かに光って見える。(非常灯のおかげ)

「やばい……どうしよう」

 一度引き返そうかと思ったが、この先に在るものを確かめたいという気持ちの方が勝り、結局億へ進む事にした。

 しかし、ほぼ手探り状態で進む闇は、より一層僕の恐怖心を駆り立てる。 

 僕は無意味に腕を振りながら進んだ。

――ガン

 いきなり腕に衝撃が走る。

 手探りで何とかそれが、壁のようなものだと分かった。触ると何か鍵のようなモノが付いている気がする。

 僕がそれをガチャガチャやっていると、突然「バンッ」という音と衝撃が壁越しに伝わった。

「うわあっ!?」

 慌てて飛びのき、尻餅を付く。誰か中にいる!? 

 音は鳴り続けている。

「だっ、誰!?」

 必死に声を絞り叫ぶ。すると音は一瞬止まり今度は今までよりも遥かに大きく音が鳴った。間違いない。中に誰かいて、その人がこの壁を蹴っているんだ!

「いっ、今助けるから! ちょっと壁から離れて!」

 僕が言うと、音はぴたっと止んだ。僕は鍵の位置をもう一度確認すると、思い切り鍵を蹴り飛ばした。すると鍵を固定している蝶番自体が外れ、飛んでいったようだ。

 扉に近づくと、勢いよく開いた。

「ほひははっ!!」

(えっ――今、何て?)

 中に横たわっている人物をまじまじと見つめたが、暗くて顔が見えない。

 僕はとりあえずその人物を抱きかかえ、床へと下ろした。やはり顔は見えないが、どうやら身体の自由が利かないようだ。

「外へ出ましょう!」

 僕はそう言うと、その人物を抱きかかえ急いで今来た道を戻った。その人は何やらずっと何か叫んでいた。

 きっと暗くて怖くて、気が触れてしまったに違いない! 早くここからだしてあげなくちゃ! 

 僕はそう思い、より一層スピードを上げ走った(腿上げで)

 入り口近くになるにつれ、段々と周りの様子が分かってきた。そして入り口が見えた時、僕はその人物の顔に驚き、思わず落としそうになった。






「麻衣っ!?」






「ほおほ! はっひはらひっへふはなひ!!(そうよ! さっきから言ってるじゃない!!)」

「とっ、とにかく早く出よう!」

 僕は嬉しさのあまりそのまま麻衣を胴上げしようかと思ったが、何とか堪え入り口から転がり出た。そして急いで麻衣の腕や足のロープを解き、口に巻かれたタオルを取った。

「ぶはぁっ!! あーっ苦しかった!!」

 麻衣が大きく息を吸いながら叫んだ。浴衣からのぞく腕にはロープの跡が残っていた。しかし、見た感じではそれといった外傷はないように見えた。

 でも……彼女がこんな目にあったのは僕のせいだ。本当に僕は、何て愚かなんだろう。まさに愚人だ。

 僕は思わず麻衣に抱きついた。

「うわっ! 義高っ!?」

 麻衣は驚きの声を上げた。僕は抱きつきながら言った。

「ごめん! 本当に……僕があの時ちゃんとしてれば、麻衣はこんなことにならなかったかもしれないのに! でも……無事でよかっ……」

 僕はこれ以上言葉が出なかった。言ったら泣いてしまいそうだったから。しかし麻衣は、僕を突き放すわけでもなく、また怒るわけでもなく静かに言った。

「義高……ごめんね」






 ――何でだろう



 どうして麻衣も、津久井さんも……みんな謝るんだ? 悪いのは僕なのに……どうして……どうして……

 僕はまるで子供のように言った。

「何で……何で麻衣が謝るの!? どうして……」

 最後の方は泣いてしまいちゃんと言えなかった。

 思わず泣き出してしまった僕に、麻衣は優しく言った。

「泣かないで。義高は何も気にしなくていいんだよ。あの時私はあなたが止めるのも聞かずに、勝手に飛び出してしまった。
自業自得もいいとこだよ。あなたは何も、悪くないよ」

 すると麻衣は僕を少し離し、自分と向き合わせた。

 そして泣いている僕の肩にそっと手を置き言った。

「それにあなたは私を助けてくれたじゃない。それだけで十分だよ」

 麻衣は、泣いている子供を宥めるかのように言った。僕はまたも泣きそうになったが、ぐっと堪えた。そして麻衣をちゃんと見る。


「麻衣……」
 僕は涙を拭い「ありがとう」と言おうとしたが、麻衣に止められた。

「お礼を言うのは私の方!」

 麻衣はすくっとその場から立ち上がると、僕に手を差し出した。 

 僕がその手を掴むと、彼女は笑みを浮かべ言った。



「義高! どうもありがとう!」







(結局助けられたのは僕の方だったな)

 僕は、笑顔で見つめる麻衣の手を取りながら苦笑する。ふっ、とかっこよく。



――きっとこの女には敵わない

これからもずっと――



 僕は立ち上がり、麻衣の手を掴んだまま言った。

「どういたしまして!」



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