学校の怪談。
トイレの華子さん。
アナタは見たこと、ありますか?
花子さんと僕
「秋山さん、お願いできるかな?」
僕が恐る恐る尋ねると、彼女は胸を叩いた。
「OK! 任せて、義高君!」
「ありがとう……」
彼女の明るさ、頼もしさに、僕は胸が温かくなるのを感じた。
「じゃあ二人とも、行ってくるね」
「気を付けてね」
「華子、義高君におかしなことしないでよ?」
「失礼ね! 萌じゃあるまいし」
「何ですって?!」
「二人とも……義高君、本当に気を付けて」
「うん。吉野さんたちも気を付けて」
僕と秋山さんは、懐中電灯を頼りに、そっと壁の中へと足を踏み入れたのだった。
「思った以上に暗いね……」
「ああ……」
壁の中は、思った以上に真っ暗な上、とてつもなく埃っぽく黴臭い。
秋山さんは時折咽る。かくいう僕も同じ状態だった。
「麻衣、いるのかな……」
「……」
秋山さんの問いには答えず、僕は懐中電灯で辺りを照らし続けた。
特にめぼしい物は見つからない。
本当に、物置部屋といった様子だ。
――そんな時、ふと秋山さんが言った。
「ねえ義高君……」
「ん? 何だい?」
秋山さんは、少しの間を置いた後、妙に通る声で呟いた。
「学校の怪談、知ってる?」
「え……」
「その中の一つに、トイレの花子さんっていうお話、あるでしょう?」
「え、あ、うん……」
僕は上ずった声で答える。
突然こんなことを話し出した秋山さんにも驚いていたが、何だか突然、寒気が襲ってきたように感じた。
「あれね、私……試してみたことがあるのよ」
「た、試した?」
「うん。実際に、三番目のトイレをノックしてね、『はーなこさん、遊びましょ』って呼びかけるの」
生温い風が、辺りを漂っている。
秋山さんの、淡々とした口調が、何だか妙にクリアに聞こえる。
彼女は何故、今こんな話をするのだろう。
「私ね、華子っていう名前でしょ? 昔はよく、苛められたの。『トイレの華子さん』って」
「……そうなんだ」
「でね、ある時ふと思いついたの。そうだ、どうせなら、本当に花子さんに成り切っちゃえばいいんだって」
「え……」
「花子さんに成り切って、私を苛めた子たちを脅かすの。そうすれば、復讐にもなるって思って」
「秋山さん……?」
まるで、とても楽しい思い出を語るかのような口調。
僕は全く楽しくない。むしろ、狂気めいたものを彼女から感じる。
これ以上、この話を聞いちゃいけない……。そう、危険信号が告げているような気がした。
「それである日、三番目のトイレに、鍵を掛けたの。内側から」
「それって……」
「勿論、壁をよじ登って、外に出たわ。つまり、中には誰もいないのに、外側からは開けられない。中に誰かがいるように見せかけたの」
秋山さんは、そこで失笑めいた笑みを見せる。
「くすっ……案の定、皆簡単に騙されてたわ。誰もいないはずなのに、鍵がかかってるってね。しかも、誰が付け加えたのか、『水を流す音が聞こえる』とか、『ノックするとノックが返ってくる』とかどんどん広がっていった」
僕は声が出せなかった。
この先を聞くべきが、聞かないべきかと問われたら、間違いなく後者なのに、僕は何故か動けなかった。
秋山さんの話に、引き込まれてしまったのだろうか。
「だからね、どうせならお望みどおりのことを本当にしてあげようと思ったの。わざと、トイレに隠れて、ノックしたらノック仕返したり、水を流してみたりしたの。先生まで巻き込んでの、大事件になったわ」
秋山さんは、とても満足げに笑った。
「気持ち良かったわ、本当! 誰もが私の演技の虜になってた。その頃からかしらね、本格的に女優とか歌手とかを目指そうと思ったのは」
「そうだったんだ……」
「でも……ある日、事件が起こった」
「事件?」
「そう。トイレの花子さんは私。私が全部仕組んでた……はずだった。だから、本当に存在するわけないって、私自身思ってた」
「どういうことだい? それは……」
すると、秋山さんは自嘲気味の笑みを浮かべ、僕を見た。
「花子さんが有名になったら、ますます私に対する虐めはエスカレートしていった。私はそれでもいいって思ってた。だって、花子さんは私なんだもの。
でも、ある日、クラスの子たちに連れられて、トイレに行ったの。そこで、花子さんが自分じゃないことを証明してみせろって言われたの……」
「そんな……」
虐めというものに遭ったことの無い僕は、彼女の辛さを本心から理解することは出来ない。
しかし、事実こういう目に遭っている人は沢山いるのだと思うと、胸が痛んだ。
もし僕が、彼女と同じ場面で生活していたらどうするのだろう。
僕は彼女を助けられるのだろうか。
「証明なんて……出来るはずない。だって、中には誰もいないんだもの。私がノックしたところで、何も返ってこないはず。私は、三番目のトイレまで追いやられた。これでノックしてみろって。返事が返ってきたら、私が花子さんじゃないってことを、認めてやるって」
「でも、そんなの――」
「そう、無理なの。でもやるしかなかった。だから私は、意を決して叩いた。本当の花子さんに、助けを求めながら……」
「そ、それで、どうなったの?」
続きを急かす僕に、彼女は真剣な眼差しを向ける。
「――返ってきたのよ、ノックが! 周りの子たちは一目散に逃げ出したわ。私は驚いて、その場から動けなかった」
「まさか……!!」
背筋が凍りつくのを感じる。
冷や汗が、額から流れる。
「もしかしたら、私たちの聞き間違いだったかもしれない。でも、それでも私は助かった……それで良かったの」
僕は、怖さと安堵が入り混じった、おかしな気分になった。
もしかしたら、本物の花子さんが、彼女を助けてくれたのかもしれない。
幽霊は怖いけれど、こういう幽霊もいるのだと思うと、少しばかり安心する。
「そうか……。きっと、トイレの花子さんは、君みたいな子を助けてくれる、良い霊なのかもしれないね」
僕が微笑み、彼女も微笑む――と思いきや、彼女は、顔を曇らせた。
「まだ……この話には続きがあるの……」
「え……」
「これを体験したのが小学生の時。この後、皆別々の中学に上がったから、ずっと長い間会ってなかったの。でも、ついこの間……同窓会があって、久しぶりに小学生の時の友達に再会したの……」
何だか、秋山さんの声のトーンが、数段低くなったような気がする。
僕は、嫌な胸騒ぎがした。
「そうしたらね、私を虐めてた子の一人が来ていたんだけど、私を見るなり驚愕の表情を浮かべて、震えだしたの」
「!?」
「何事かと思うでしょう? そしたら次は、『ごめんなさいっ、ごめんなさいっ』って泣き始めた……周りもびっくりしていたけど、私が一番驚いた」
「それは多分……昔のことを悔やんで、とかじゃないのか?」
「私も最初はそうだと思った。私ももう大人になったし、今更昔のことでどうこう言う気もなかったから、『気にしないで』って声を掛けようとしたの。でも……」
「でも……?」
「その子、その場から逃げ出したの。私は後を追い掛けたわ。何故だか分からないけど、彼女は何かを知ってるような気がしたから……」
心臓が脈打つのが感じられる。
何なんだ、この嫌な胸騒ぎは……?
段々酷くなる……。
「やっとの思いで彼女に追いついて、問いただしたの。『どうして逃げるの? 私はもう気にしてない』って告げて。そうしたら……彼女、何て言ったと思う?」
――どくんっ
「え……いや、僕には分からないよ」
本当に……?
「想像……つかない?」
――どくんっ
「うん……」 気付かないフリ、してるだけなんでしょう?
「そう……」
秋山さんは、僕の前へゆっくりと回ると、叫ぶように言った。
「――『何でここにいるの!? 貴女はあの時死んだのに!!!』――」
僕は、言葉を失った。
喉が痛いほど渇いている。
手足が震えて、寒気がする。
何か言いたいけれど、歯の根が合わず、言葉を紡げない。
「……信じられなかった。私が死んでる? そんなはずあるわけない。だって現に、こうして生きているんだから」
「あ……ああ……」
そう答えながらも、これが本心かどうか僕自身分からなかった。
でも、現にこうして僕と話している秋山さんは、ここにいる。
それなのに何故、こんなことを考えてしまうのだろう。 そ れ は 貴 方 が
彼女を信じられないからでしょう……?
「言葉を失った私に、その子は言ったわ。『卒業式の日、確かに貴女は死んだ。死体は、あの三番目のトイレに隠したのに……』って」
「何で、そんなこと……」
「卒業式……私がトイレに連れていかれた日。でもそこで、私の記憶と、その子の記憶が食い違ってることに気付いたの」
「記憶が…食い違う?」
「うん。私は、驚きのあまり動けなかったって、さっき言ったでしょ? でも、その子たちの記憶では、私はその子たちと一緒に逃げ出したみたいなの。それで、一緒に逃げてくる途中に、階段から足を滑らせて……」
「……死んだって言うのか?」
「怖くなったその子たちは、このままだと、自分たちが疑われるって思ったらしいわ。だから、トイレまで私を運んで、三番目に閉じ込めたらしいの。勿論、私はそこにはいなかった」
「よく分からないな、その話……秋山さんが、二人いるってことか?」
「さあ……。でも、私はその時、放心状態で家に向かってたわ。もう、この学校に近付くこともないし、彼女たちに会うこともない、そう思いながら……」
「狸に化かされたって感じだな、それ。君を虐めてた子たちは、あまりの恐怖から在りもしない夢話を作ってしまったんじゃないか? 子供って、そういうのよくあるから。それに、君を虐めてた罪悪感が重なって、記憶が混乱しているってことも考えられる」
「……不思議なことに、その時三番目のトイレの鍵、開いていたのね……」
僕の話はまるで聞いていないかの口調で、そう呟く秋山さん。
「その子は続けて私に言った。『もう許して! 私はあの子に命令されていただけだったの! あの子達も連れていったんでしょ!? 私を殺さないで……』」
「秋山……さん……」
「どうやら、私を虐めていた子たちは皆、死んでいたらしいの。事故や事件に巻き込まれたり、自殺したり……。私は全く、そんなこと知らなかったから驚いた。でも、目の前で怯えているその子の様子を見ると、どうやら私が殺したように思ってるみたいだった。死ぬ前に皆、何故かあの時の小学校を訪れていたんですって。まるで、誰かに呼ばれたかのように……」
彼女の瞳は、どこも見ていないように、鈍く輝いている。
狂気を孕んだ瞳。
僕の横を、戦慄が駆け巡る。
「嘘みたいでしょ? でも、本当なの……。でも、私はここで初めて気付いたのよ」
「……何、を?」
本当は僕にも分かっていた。
しかし、敢えて認めたくない自分と、彼女の口から聞かないと、信じられない自分がいた。
気付いたら、僕は彼女に尋ねてしまっていた。
彼女は、にっこりと笑った。
「――もう一人の私が、私の代わりに復讐をしているんだって」 やっと気付いてくれたのね……
「秋山さん、君は……」
「ねえ義高君。ドッペルゲンガーって知ってるでしょ? 自分と瓜二つな、自分の分身」
彼女の、妙に明るい声が、耳に木霊する。
懐中電灯を持つ手が、恐怖に震える。
どうして彼女は、笑っているのだろう。
「もしかしたら、卒業式のあの日……私は、もう一人の自分を生み出したのかもしれない」
「ドッペル……ゲンガー……?」
「それか……本当に花子さんが私を助けてくれているのかもしれない……それは私にも分からない――でも」
言葉を切った彼女は、僕の手から懐中電灯を奪うと、灯りを消した。
「もう、どっちでもいいの……。だって貴女は、私だもの。ねえ――――――――――――
花子さん……?」 うふふふ……なあに?
「ぷっ……」
秋山さんが吹き出した。それと同時に、懐中電灯も点いている。
僕は、全身冷や汗でびしょびしょだ。
喉がカラカラに渇いて、声が出せない。
「あ、秋山、さん?」
必死に声を絞り出す僕に、彼女はお腹を抱えて笑い出した。
「あっはっは!! 義高君、まさか今の話本気にした!? 顔、真っ青だよ!!」
「え……?」
意味が分からない。
え?
「んもう、やだなぁ! こんなの、作り話に決まってるじゃない!」
「え!?」
「これ、実は次の舞台での役作りとして、練習してたのよ。試す人がいなくて、ちょっと義高君で実験しちゃった!」
「あ、秋山さん!?」
「でも、この分だと私、演技の才能アップしたかも!! 怖かった!?」
「こ、怖かったも何も……本気で驚いたよ……」
「よっし!! これで次回の主役もいただきだわ!」
「…………」
――正直な感想。
……勘弁してくれ……。
彼女が女優の卵というのは、僕のこの騙されようで、証明されたのだ。
「ごめんね、義高君。怒ってる……?」
心配そうに覗き込んでくる秋山さんに、僕は苦笑した。
「怒ってないよ。でも、本当に驚いた。才能あるよ、絶対」
「うふふっ、良かったー。さ、麻衣を捜さないとね」
「ああ……」
僕は嘘を吐いた。
才能? そんなもんじゃない。彼女は本気で、役になりきっていた。
観客は二人。
そう……。
二人いたんだ。
僕の他に、もう一人……。
――僕は確かに聞いていた。
君を見ている……もう一人の君の声を。
彼女は今も、ずっと君を見ているんだ。
君の 隣で……。
「あれ? 義高君、あそこ照らしてみて!」
秋山さんが突然、一点を指差して言った。懐中電灯を照らし、それを合図代わりにする。
「あれは……」
「押入れ……かしら?」
ライトに照らされた先には、鍵の掛けられた押入れのような、物置のようなものがあった。
大きさはそれほど無いが、人が一人が二人入れるくらいには大きい。
「見てみよう」
「うん」
二人でそれに近付いた時――
――バンッ!!
「きゃーーーーーっ!!!!!」
「うわぁぁぁぁぁっ!?」
二人して、思わず叫んでしまった。
何と、その押入れの中から音がしたのだ。
秋山さんは腰を抜かして震えている。僕も同様だ。
「よ、義高君……」
「あ、ああ……何か、いるのか……?」
すると、僕らの声に答えるかのように、続けざまに音が鳴り響いた。
――バンッ、バンッ!!
「きゃぁぁっ!」
「……!? もしかして、中で誰かがこの扉を叩いているんじゃないのか?!」
「え……?」
「ほら、扉を凄く強く叩いてるよ!」
――バンッ、バンッ、バンッ!!!
「まさか……麻衣……?」
僕の呟きに応えるかのように、今までとは比にならないほど強く扉が鳴った。
「麻衣……!?」
「麻衣なんだろ!? 今すぐ空けるからちょっと待ってくれ!!」
僕は立ち上がり、蝶番を揺らす。
しかし、錆びて脆くなってはいるものの、外すことは出来ない。
「くそっ! 何かいい方法は……」
「待って義高君。私に任せて!」
「秋山さん……?」
秋山さんは、ふぅっと息をつくと、蝶番から少し間を取った。
「義高君、ちょっと離れてて」
「え……」
僕が何か言うより早く、秋山さんが吼えた!!
「っとりゃぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
――バキーーンッ
「……ふぅ。一丁上がりね」
「お、お見事……」
秋山さんは蝶番に蹴り込み、見事外して見せたのだ。何という威力。恐るべし、華子さん……。
今の騒動で、すっかり「花子さん」は、消えてしまっていた。
流石というか、何と言うか……。
「ほら早く、中を確かめてみないと!」
「あ、そ、そうだね!」
僕らは勢いよく扉を開け放った。
その中には…………
「よひははーっ!! ははほーーーっ!!!!」
「「麻衣!!!!」」
――探偵救出作戦、成功?
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