第19章〜さよならの代わりに〜
「萌……どうしてなの……?」
私の問いかけに、萌は何もかも諦めたように、溜め息をついた。
「……もう隠してる意味もないわね」
そして、私たちを見据えると、冷ややかに言い放ったのだ。
「そうよ。全て私がやったの」
「津久井……どうして……」
ユリエが震えながら後ずさる。
縁と華子は、言葉も出ないようだ。
一緒に推理した義高でさえ、微動だにしない。
直接萌の口から「犯人だ」と告げられ、ショックが隠せないのだろう。
私だって同じだ。
そんな私たちに、萌は自嘲気味の笑みを見せる。
「ねえ、麻衣……私が何で、無敗でいられたか分かる?」
「え……それは……」
「弁護士になりたての新米に、そんな奇跡みたいな芸当が本当に出来ると思う?」
私は萌が何を言いたいのか分からなかった。いや……分かりたくなかったんだと思う。
言葉の意味に気付いたのだろうか。義高が、悲痛な声を上げた。
「まさか……津久井さん、君は……」
「ふふふっ……そうよ、義高君。私はね――勝たせてもらっていたのよ」
私は、膝の力が抜けるのを感じた。
まさか……あの萌がそんなことをしていたなんて……。
信じたくなかった。
「そんな……どうして? あんなに負けず嫌いなアンタが、どうしてそんなこと……!!」
「私だって、最初はそんなことするつもりじゃなかったわ……。でも、そうせざるを得なかったの!」
萌は遠くを見るように語りだした。
「最初のうちは、紛れもなく実力で勝ててた。自分でも驚いたくらいよ。でも……半年前……」
私は、初めて負けそうになっていた。
負けるはずの無い裁判で――。
裁判の内容はいたって単純かつ明快。
議員のバカ息子が、友人たち数人とゲーム感覚で親父狩り。
被害に遭った会社員は死亡。
奥さんと子供二人を残して……。
遺族たちが総出で、この議員の息子たちを告訴。
犯行現場に残されていた凶器数種と、度重なる目撃証言により、もはや言い逃れはできない状態。
誰がどう見ても、青年たちの明らかな過失。有罪で終わるはずだった。
しかし私はこの時、信じられない思いをした。
この案件を請け負ってから、毎日毎日受ける嫌がらせ。
誹謗中傷に始まり、ストーカーをされたり、モノを盗まれたり、脅迫電話を受けたり……。
私は精神的にも肉体的にも追い詰められていた。
だから、気付かなかった。
この被害を受けるのは、私だけじゃないということに……。
事件が起きて半月。
被害者の奥さんが、自宅のベランダから飛び降り自殺。
第一発見者は、不幸なことに子供たちだった。
被害に遭ったのはこっちなのに、責め立てられる日々に耐え切れなかったらしい。
両親を失って、死んだように裁判に出席する子供たち。
私は何とも居たたまれない気持ちでいっぱいだった。
でも、そんな私たちに追い討ちをかけるように、裁判はあり得ない方向へ進んでいく。
明らかに矛盾しているにもかかわらず、青年たちへの求刑はまるであって無いようなもの。
私は必死になって反論したけれど、どうにも上手くいかなかった。
――このままじゃ、確実に負ける。
そう確信した時だった。
あの人に出会ったの。
あの人は言ったわ。「裁判、勝たせてあげる……」って。
私はすぐにその話に食いついた。
この裁判に勝てるなら、どんなことでもしてみせる。そう思った。
あの子たち……残された子供たちに、少しでも何かしてあげたかった。
この裁判で勝つことが、あの子たちに出来る、今の私の精一杯だった。
私は、用意できるだけのお金の全てをつぎ込んだ。
残りは、これから必ず払うと約束して。
そうしたら……嘘みたいなことが起こった。
今まで、散々私にいちゃもん付けてきた相手の弁護人やら何やらが、手のひらを返したように今までの意見を翻してきた。
おかげで、すぐに裁判は終了。
もちろん、私の勝ちだった。
裏でどんなことが行われたのか……そんなことどうでも良かった。
ただ、子供たちの顔が、少しばかり晴れたのを見れただけで、私は満足だった。
でも、この子達のためにも、私はこれからも勝ち続けなくてはいけなかった。
そうすることが、せめてもの償い。
母親の苦悩を分かってあげられず、自殺を見過ごしてしまった私の……。
だから、ずっと、あの人にお金を払い続けているのだ……。
「そう…だったの……」
萌がそんな目に遭ってたなんて、知らなかった。
「でも……どうしてそれが、今回の事件に関係あるんだ?」
義高が問うと、萌は悔しそうに言った。
「……まっすーと須山に……バレてたのよ」
「!?」
萌は、唇を噛み締める。
「あいつら、事件を起こしたグループと知り合いで、犯行時も近くにいたのよ…! それで、裁判担当したのが私だって知ってて、どこでどう調べたのか、私が裏金を使って勝ってるって……揺すってきたの」
「そんな……あいつらが……?」
「悔しかったけど、どうすることも出来なかった。お金を払えば、見逃してくれるって約束したから……払うしかなかった」
萌が、まっすーと須山に揺すられていた?
私は二人に激しい憤りを覚えると共に、とても切なくなった。
皆、仲間だったのに……。
「そんな素振り、全く見せなかったじゃない……萌……どうして何も言ってくれなかったの?」
私が言うと、萌は淡々と答える。
「警察官のアンタに、言えるわけないじゃない」
「!? 萌……もしかして……」
「バレてないとでも思ってたの? 特捜課ってことまでは知らなかったけど、アンタが本当は警視庁に籍を置いてるってことは知ってたわよ」
「っ……」
萌は全部知ってたんだ。
だから、私には話してくれなかった。
きっと私は、萌を止めるから……。
「……今思えば、ホントバカだったって思うわ。あいつら、案の定調子に乗って頻繁にお金を要求してきた。払えないって言ったら、脅される毎日……もうね、何もかもに嫌気が差してたのよ……」
萌は私たちを見つめる。
「そんな時、同窓会の連絡が来たの……もう、これは運命だと思ったわ。それで、急遽殺人の計画を立てたの」
萌はすっと目を細める。
冷たい視線に、思わず寒気がした。
「あいつらを騙すのは、簡単だった。大金が手に入るからって適当に言ったら、ほいほい乗ってきたわ。まあ、一応の保険をかけるために、須山が経費使って遊びまくってるっていうネタは仕入れて、逆に脅しに使ったけどね」
「二人を殺害する動機は分かった……けれど、どうして関係ないメンバーまで?」
「……佐田たちが逃げ出すのは想定外だったわ。でも、逃げ出せないように仕掛けを作っておく必要はあった。あいつらは、運が無かったとしか言いようがないわ」
まるで罪悪感の欠片も感じていないような口調に、私は耳を疑う。
この人は……私の知ってる萌じゃない……。
尋ねた義高も、苦渋の表情を浮かべている。
「千絵子……は……」
絞り出すように言った私を、一瞥する萌。
「それはさっき、アンタが推理したとおり。あの子は私を疑っていた。だから、予め須山に言って行動を見張っていたの」
「だから……彼女も殺したのか……?」
押し殺したように呟く義高に、萌は悪びれもせず言った。
「そうよ。須山はショックを受けてたみたいだけど、計画を崩されるわけにはいかなかった。案の定あいつ、自首しようって言ってきた――全て計算どおり。あいつも殺してやったわ」
嘘……。
萌はこんな人間じゃない……。
ここにいるのは……――狂った殺人鬼だ。
「須山、まだまっすーが生きてるって思ってたみたい。うふふっ、馬鹿よね。私が殺したって言ったら、アイツ青ざめて逃げ出そうとしたのよ? 男の癖に、私に殴りかかることも出来やしなかったのよ」
「津久井さん……君は……」
義高が怯えたように呟くが、萌は聞いていないようだった。
「私のシナリオは完璧だった。あとは警察が来るのを待つだけだった。そうしたら、仮死状態だった私が目覚めて、残りのメンバーと共に生還。犯人は結局須山ってことになって、真相は闇の中……それなのに――」
萌は、私を睨みつける。
憎しみが込められていた。
「……まさか、アンタたちに真相を暴かれるなんて……やっぱり、先に殺しておけば良かったわ!」
まさかの言葉に、私は息を呑む。
そして、そのまま床に崩れ落ちた。
『殺しておけば良かった』
萌が私を……殺す……?
「津久井さん!! 君は、何てことを……!!」
義高の声も、遠くで聞こえる。
しかし、私にはもう、立ち上がる気力も残っていなかった。
「でも……それももう、お終いね……」
萌が、いやに通る声で呟くのが聞こえた。
そして次の瞬間、部屋から駆け出したのだ。
「萌っ!! 待って!!!!」
私は、弾かれたように部屋を飛び出した。
「麻衣!?」
義高の声が響く。
でも立ち止まれない。
嫌な予感がした。
そして、気付いてしまった。
萌は……死ぬ気だ……
――今度こそ、絶対追いついてみせる。
私は全力で萌を追った。
着いた先は、つり橋のあった場所だった。
萌はそこに、立ち竦んでいた。
「萌っ!!」
私が近付こうとすると、萌は大声で叫んだ。
「来ないで!! 来たら撃つわよ!!」
「!!」
萌の手には、黒光りする拳銃が握られていた。
後ろから声が聞こえる。
義高たちが追いかけてきたようだ。
「萌……っ……どうしてっ……どうしてなの!? 何でこんなことになっちゃったのよぉっ!!!」
涙が零れる。
悔しいのか、悲しいのか、もう私にも分からない。
ただ、涙だけが溢れてくる。
「……っ……」
拳銃を構えたまま、萌は何も言わない。
「津久井さん!! 麻衣!!」
義高が近付くと、萌は怒鳴る。
「近付かないで! これ以上近付いたら、本気で撃つわよ!!」
「っ!?」
義高も事態を飲み込んだらしく、その場でとどまった。
どれくらい時間が経っただろうか。
萌が口を開いた。
「計画通りなんて、本当は嘘よ…………計画なんて、最初から崩されっ放しだった……」
「萌……」
萌は、義高の方を向く。
「貴方がここに来た時から、私の計画は崩れ始めていたわ……まさか刑事さんが来るなんてね……」
「津久井さん……」
「誰かが貴方を呼び寄せたのかしら……?」
「津久井さん、僕は――」
「いいの。それ以上は言わないで」
義高の言葉を遮った萌は、全てを悟ったような表情を浮かべていた。
「……ふふっ……そう……そうだったのね……。所詮私も、あの人の手駒の一つにすぎなかった……」
「あの人って……萌、誰なの!?」
「ふふっ……あはははっ……あはははははっ……」
「萌……っ」
私の言葉も耳に入らないように、萌は笑っていた。
とても悲しそうに、狂ってしまったかのように……。
そして、拳銃を谷に放り投げると、私たちを見つめた。
「……どこで道を、間違えちゃったのかな……」
そう告げる瞳には、涙が浮かんでいる。
「津久井さん……大丈夫。まだやり直せる……!」
義高が、一歩前に進みながらそう告げる。
「萌……罪を償おう? 私も一緒に、頑張るから……」
私も一歩前に進む。
萌まであと数歩だ。
しかし、萌は被りを振った。
「……私はもう駄目……戻れないところまで堕ちちゃったもん」
「そんなことない……そんなことないよ…っ…!!」
私は泣きながら言った。
こんなに近くにいるのに、萌との距離は、とてもつもなく遠い。
「馬鹿……何泣いてるのよ。私は、狂った殺人鬼よ? 泣いてやる価値なんて無いでしょうが」
「萌っ……」
そう言いながら背を向けて、萌は一歩前に進んだ。
崖から石が零れ落ちる。
どうして……
萌には追いつけないの……?
「津久井さん! やめてくれ……頼む……っ」
義高の悲痛な叫びを聞いても、萌は振り返らない。
その背中には、もう何も届かないのだろうか。
「……でも」
萌が呟いた。
背を向けたまま。
「私のために泣いてくれて…………嬉しかった……」
こちらを振り返った萌は、とても穏やかに微笑んでいる。
久しぶりに見た笑顔だった。
「……ありがとね、麻衣……義高君……」
一陣の風が、私たちの間を通り抜けた。
最後に見たその後姿は……とても眩しかった。