「犯人は――――萌――あなたよ!!」
皆は呆気にとられているようだった。
しかしすぐに呆れ声が返ってくる。
「麻衣ちゃん……何言ってるの? 津久井が犯人なわけないじゃないの!!」
「そうだよ! 津久井は、だってもう……」
縁の声が荒々しく響く。
でもこれが――――私と義高の結論なのだ。
「もういいのよ萌――――死んだフリは止めて」
「!?」
私の言葉に、他のメンバーは言葉を失っている。
私はそのまま部屋の中へと進むと、電気を点けた。
カーテンが引かれているこの部屋は、電気を点けた途端に明るくなった。
萌は顔にタオルが掛けられている上に、向こう――壁側――に向けているため表情を伺うことはできなかった。
「麻衣! 津久井はもう死んでいるわ! 脈無かったし、手もあんなに冷たかったじゃない!」
縁が叫ぶが、私は俯きながら言う。
「萌……そのままで良いから聞いて。皆も…………」
すると肩に何かが触れた。
振り向かなくても分かった。
義高の手だ。
それは私に「頑張れ」と言っているようだった。
私は小さく頷くと、更に奥へと足を進めた。
「まずは私の話を聞いていてね」
そして「それと」と付け足す。
「萌……もし私が全てのトリックについて解くことができたら――――自首しなさい」
「ま、麻衣ちゃん!?」
「ちょっと! 本気なの!?」
ユリエと華子が慌てふためきながら言った。
「本気よ」
私はさらりと言って、更に付け足した。
「でももし、解けないことがあったら…その時は…………この事件を永久に闇に葬ることを誓うわ。萌は死んだ――そう信じる。一切この事件に関わらない……私の全てをかけて、これを守るから」
「麻衣……そんなこと言って……」
縁が呆れと不安の混じった声で呟いたが、私はこれを変える気はなかった。
いつの間にか横にいた義高は、無言のまま私を見ている。
私は皆の視線を背中に感じつつ、考えていた。
私の知る萌――
それは人一倍負けず嫌いで意地っ張りである。
特に自分の失敗――欠点を指摘されると、頑なにその相手を拒否するところがあるのだ。萌は中々の完璧主義者だ。
私は、そんな萌の性格を熟知している。
萌が折れる時があるとしたら、それは――……
「萌」
私は、今までよりも強い口調でその名を発した。
未だ明らかではない、その布の下の素顔を見つめながら。
萌が折れる時――それすなわち自分の負けを認めた時≠ネのだ。
萌に勝つには、この事件を完璧に解かなくちゃいけない。
そうしなければ意味がないのだ。
完璧に打ち負かさなければ、萌は全てを語りはしないだろう。萌はそういう奴なのだ。
「さあ、知恵比べといきましょうか?」
こうして探偵と弁護士、お互いの命運を賭けた、最後の知恵比べが始まった。
あれは高校の時だった。
萌と二人、将来について語ったことがある。
『萌は将来何になりたいの?』
「私は弁護士よ。法律を駆使して戦うなんて、かっこいいじゃない?」
『そうだね。まあ萌なら……できるかもね』
「そういうあんたは何目指してるのよ?」
『私? 私はね……警察官!』
「警察官?」
『うん。でね、ゆくゆくはパートナーなる人と、難事件を解決するのが夢なの!』
「ふーん。パートナーねえ〜……」
『でも……萌と二人で事務所を開くってのもいいかもね』
「それって私があんたのパートナーになるって事?」
『そうよ。何よ、嫌なわけ?』
「別に? まあ私程良いパートナーはそうそういないだろうから? なってやらなくもないわよ」
『はいはい。じゃあその時はよろしくね』
この言葉通り、萌は弁護士、私は探偵となった。
パートナーとは言えないけれど、私たちは親友――そう信じていた。
信じていたのに……
「じゃあ順を追って説明するから、聞いていて」
皆が頷いたのを確認して、私は話し始めた。
「まず、まっすー殺害から説明するわ…………ずばりあの時、まっすーは死んではいなかった。正確には死んだフリをしていたの。つまり、まっすーと萌、須山の三人は共犯なのよ!」
「!?」
皆が目を見開いた。
私はそれに動じることなく話し続ける。
「信じられないかもしれないけど、私たちは三人に騙されたのよ。まっすーはあるトリックを使っていた。……あの時義高が脈を取って、私が死因を言ったけれど、私たちにもう少し余裕があれば……いや、もっと注意深く見ていれば見破れないものではなかったわ。私たちのミス……」
あの時に気付いていれば、犠牲者を出さずに済んだかもしれない。私たちが浅はかなせいで、こんな事になってしまった。
「トリックを聞かせてくれ」
小倉先輩が話しの続きを促す。私はそれに答えるように皆に向き直った。
「トリックは本当に簡単。あらかじめ上腕大動脈を圧迫しておく――そうするとしばらくの間、脈が止まるというものよ」
「古典的なトリックだったのにな……」
義高が後ろで呟く。
悔しい。あんなトリックに引っかかった自分が許せない。どうしてもっとしっかり確認できなかったの?
「私たちは、脈のない、そして胸に刺さったナイフと流れる鮮血を見て、まっすーが死んだと思い込んでしまった」
ここまで言い終えると、すぐに縁が言った。
「でも、どうしてまっすーが死んだフリをしていたなんて分かるの!?」
「私と義高は、皆が二階で仮眠を取って下に下りる前に、まっすーの部屋に行ったの。何か手がかりがないかと思ってね。そうしたら先客――萌――がいたのよ。萌はまっすーの傍で蹲って泣いていた。でもそんな時、義高がまっすーの胸からナイフが抜かれている事に気付いたの。そしてそれをやったのは萌だと。理由は――」
「津久井さんの服に、血が付いていたからだよ」
義高が言った。
「これだけだったら、皆はただ津久井さんの優しさの表れだと思うかもしれない…………でも、よく考えてみて」
そうなのだ。これが萌が犯人になる大きな理由――いや、最大の理由でもあるのだ。
もっと早くに気付くべき事だった。やはり私たちは死神の言うとおり、思い込みに惑わされていたのだ。
私は言った。
「まっすーが殺されてから、既にあの時は四時間も経っていたのよ? そうなると死後硬直はかなり進んでいるから、まずナイフを引き抜くなんてできないはず。もちろん、血が沢山出るはずもない。そう考えると、萌に血が付いていた=まっすーが生きていた。すなわち萌は……ナイフを抜いたんじゃなくて――――刺したのよ」
私は萌を見つめた。しかし萌は何の反応も示さない。
「そ、そんな!!」
「津久井が?……でも……」
口々に皆が言った。
私は萌から視線を逸らして続ける。
「萌が犯したミスは、あともう一つある。それは、まっすーの手が凍傷を起こしていた事よ」
「凍傷!?」
縁が聞き返す。
「正確には霜焼け程度だったかもしれないけれど……まっすーは死んだフリをする為に、あらかじめ氷で手を冷やしておく必要があった。案の定、大量の氷が無くなっていたわ。きっと萌か須山が持ち出したんだと思う。それで、まっすーの手だけ濡れているのを誤魔化す為に、浴衣全体を濡らしたのよ。実際凍傷を起こしていたのは、萌がまっすーを本当に殺した後。あの時、まっすーの手は異常に赤かった。あれは氷の握りすぎだったのよ」
さっき義高が確かめたのはこれだった。
冷凍庫の中には、氷が山のように入れられていた。
私はこれには気付かず、義高に言われて気付いたのだ。でも今考えると、これは見落としてはいけなかった。
「でもじゃあ……千絵子は……須山に……」
華子が泣きそうに言った。私はとりあえず話を続ける。
「……今思えば、萌と須山は様子がおかしかった。萌の携帯が鳴った時のあの慌て様は普通じゃなかったし……あれは萌の携帯じゃなくて、まっすーの携帯だったんだわ」
「どういうこと!?」
「縁も聞いたでしょ、さっき萌の部屋で……あれが萌の着メロなの。でも私が聞いたのはあれとは違った。あれはまっすーの着メロだったのよ。さっき確かめたから、間違いない。萌はまっすーの携帯を使っていたのよ」
私が気付いたのはこれだ。
さっきまっすーの部屋に行ったとき、携帯の着メロを調べたのだ。
だが今度は逆に、義高は気付いてはいなかった。本当に、出来すぎている。
「じゃああの時、永田君にメールが届いたのも――」
「そう、萌が送ったのよ。でも萌は須山がメールを送った時、マナーモードにしていないという重大なミスを犯した。だからあの時、須山の顔も青ざめていたのね……萌はこのトリックによって完璧ともいえるアリバイを作ろうとしたのよ」
「そうだったのか……これは知らなかった」
義高が呟く。
みんなはあの時の状況を思い起こしているようだ。
「あの時の私たちは、皆が共通のアリバイを持っていることになる。それを萌は狙ったのよ。まっすーの携帯で死亡推定時刻を操作し、疑惑の目を自分から逸らそうとした」
私がここまで説明すると、縁が言った。
「そう……じゃあ一階へ萌が走っていったのも、計画のうちだったのね?」
私は頷いた。
「うん。萌はわざとあの時感情的になったフリをして、皆の注意を自分に向けさせた。そして部屋から飛び出す。もちろん萌は、私が追いかけてくる事も予測済みだったと思うわ。そして悲鳴を上げて二階の須山に合図を送ると同時に、私の冷静さを失わせる。で、私の背後へ忍び寄ってクロロフォルムを嗅がせたってわけ」
「でも! 麻衣ちゃんを津久井が運ぶのは無理じゃない!?」
ユリエが至極最もなことを言うが、私は首を振った。
「私を運んだのは、須山よ。多分須山は、義高が言わなくても何か理由をつけて、一階に行くつもりだったと思う。でも須山にとって、縁と千絵子がついてくることは計算外だった。だから、一階に着いてすぐに、二手に別れようなんて言ったんじゃない? 二人の方が一人になれるチャンスが多いし。幸い、義高が縁を選んだ。これは須山にとってラッキーだったのよ。千絵子が須山に好意を持っていることを、須山自身気付いていたから、縁よりもはるかに扱いやすかったと思う。
それで――……ここからは本当に想像でしかないんだけど……千絵子、具合悪そうにしてなかった?」
突然の私の問い掛けに縁は驚いていたが、何かを思い出したかのように呟いた。
「そういえば……千絵子、談話室では随分ぐったりしていたような……」
「僕もそれを感じたよ。それに何か堀之内さんと吉文、津久井さんの中に、……違和感とぎこちなさが漂っていたんだ」
義高も縁に続くように呟く。
私は二人の話に頷きながら言った。
「私が思うに、多分千絵子も須山にクロロフォルムの類をかがされたんじゃないかと思うの。それで須山は千絵子を眠らせてから、私を閉じ込めた――」
「それと同時に、吊り橋の細工をしたんだよ」
義高が言った。
ここからは私が知り得ない事。
私は義高の後ろに下がった。
「津久井さんを最初に発見した時、僕はものすごく酷い怪我をしているように思えたんだ。でも実際はほとんどが掠り傷程度のものだったんだよね? 吉野さん」
義高が相槌を求めると、縁はコクンと頷く。
「うん。ほとんど外傷というような傷はなかったわ。服はすごいズタズタだったけど……」
「つまり、津久井さんは自作自演をしていたわけだ。自分で自分を傷つけるのは、中々大変だ。擦り傷程度しかできないのも無理はない」
そう言って義高は、萌に視線を向けた。
相変わらず何の反応も無い。
タオルの下の表情はどうなっているのか、それを知ることはできない。
私はそんな萌をじっと見つめた。
「で、吉文は堀之内さんから離れ独りになった後、麻衣を運んで――いや、運ぶ前かもしれないけど、吊り橋の細工を行った。どちらもそんなに時間の掛かることじゃない。長くても十五分未満で出来たはずだ。そして何気ない素振りで談話室へ行き、僕らを待てばいいわけだ。まあ時間は津久井さんに稼いでもらえただろうから、失敗の可能性は低いと思う。
唯一の失敗の可能性がある所は――麻衣にクロロフォルムを嗅がせる事と、上手く一人になれるかどうか――だな。この辺はまあ運が良かったんだろう。クロロフォルムは、人によっては効きすぎて死に至ることもあるんだ。麻衣たちは偶々平気だったけれど……恐ろしい薬品でもあるんだよ」
私は義高のこの言葉にぞっとした。
自分はもしかしたら死んでいたのかもしれないと思うと、鳥肌が立った。
萌が私を殺すなんて、考えたくない――
「でも――」
義高は一瞬の躊躇の後、言った。
「でも……吉文本当は、殺人なんて犯したくなかったんじゃないかな? 永田君たちが吊り橋を渡ってしまった時、僕には吉文が本当にショックを受けているように思えた。あれが全て嘘偽りだとは思えない……」
「うん……そう考えると、須山は本当に千絵子の事好きだったのかもね……」
「でも、何らかの理由で殺さざるを得なくなったってこと……――」
義高に続いて、華子、ユリエが言った。
何らかの理由――
それは……
「それは多分……萌が犯人だと知ってしまったからよ」
私は言った。
「えっ!? 千絵子犯人に気付いていたの!?」
「堀之内が……?」
縁と先輩が驚きの視線を向けてきた。
「これよ」
私は二人に携帯を見せる。
二人はわけが分からないらしく、訝しげな表情を見せた。
「これも想像の域を出ない話なんだけど、多分千絵子が萌に気付いたのはこの事件が起きてからすぐ――最初にまっすーの部屋に行った時とか……」
「そんなに早く!?」
華子が思わず声を上げた。
私は萌へ再び視線を向ける。
「あの時の千絵子は、とても青ざめていた。私はてっきり、まっすーの事でショックを受けているだけかと思い込んでいた。だけど実際は違った。千絵子は見てしまったのよ。萌がまっすーの携帯を置く所を!」
「!?」
私は萌を見つめたまま続ける。
「だから千絵子は、事の真意を確かめるべく一階に行くことにしたんだと思うわ。普通なら行かないわ。千絵子は……きっとずっと悩んでた。だからあの時も……」
「あの時……?」
縁が聞き返す。
「千絵子はね、私と義高が事件の話をしていた時、義高の部屋を訪ねてきたの。話したいことがある≠チて。でも中々話してくれなくて……ようやく口を開いたと思ったら――」
私はここで一端話を切り、次を強調した。
「――須山がやって来たのよ」
「そ、それって……」
ユリエがおどおどしながら言った。
ようやく話が見えてきたらしい。
「……そう。つまり須山は、千絵子が義高の部屋に行くのに気付いたのよ。……まあ、千絵子が話し始めた瞬間にノックしたのはさすがに偶然だったとは思うけれど……。須山は萌に、千絵子が勘付いている事を知らせたのかもしれない。あるいは逆かもしれないけれど……それで千絵子が私たちに余計なことを吹き込まないように見張っていた――」
ユリエは小さく頷いた。
私は先輩を見ながら言った。
「多分先輩が足音を多く聞いたのは――萌が部屋を移動し、まっすーの部屋に行ったからだと思います。萌はあの時にまっすーを殺したんだと思います」
「ああ大丈夫。その辺は理解した」
「そうですか……では続けます」
先輩はさらりと言った。
私は今更ながら、先輩の冷静さに驚く。私や義高ならともかく、先輩が何故ここまで冷静でいられるのかは全くの謎だった。
冷静沈着――
感情の起伏を決して表さないこの人に、私はある種の恐怖にも似た感情を抱きつつあった。大人の魅力――と華子は言うかもしれないが……。
私はそんな考えを先輩に悟られないように、先輩から顔を逸らした。この行動はこの行動で怪しいとは思ったが、あえて気にしない。
「それで……結局私たちは千絵子の話を聞くことはできなかった。そして一階で、今度はその千絵子が殺された……」
皆から溜め息が漏れる。
千絵子のことを、思い出しているのだろうか。
「死因、トリックについてはさっき私が実演した通り。萌は予め席順を操作したのよ。あまりに離れてしまうと、失敗する可能性も出てくるから。あの時に関しては、須山は何もやっていないと思うわ。不審な行動はしていないし……」
私はここで言葉を切った。だがすぐに続ける。
「須山は千絵子を殺そうと考えてはいなかったと思う」
「麻衣……」
華子が、微笑を含んだ表情を見せた。そんな華子に軽く頷く。
「私も思うのよ……千絵子が死んでしまった時の須山の顔。あれは演技なんかじゃないわ。須山はきっと知らなかったのよ。萌が千絵子を殺すなんて。だから須山も相当驚いただろうし、何よりも千絵子を死なせてしまった事を後悔したはずよ」
「何で……須山が堀之内を殺そうとしていなかったと分かるんだ?」
先程よりも数トーン低い声で先輩が言った。私はすぐに答える。
「……須山が最初から千絵子を殺害するつもりであったなら、最初に二人で一階の捜索をしていた時にでも手をかけるでしょう。わざわざ皆がいる前で殺す必要はありませんし、あえてリスクを負う手段を選ぶとは、考えにくいと思います」
私の言い方が気に食わなかったのか、先輩は今度無言だった。一体何だというのだろう。
それに先輩がこんな単純な事に気付かなかったとは考えにくい。むしろただ、私に対する当てつけだった気さえするのは何故だろう……。
私は先輩を一瞥し、また皆に向き直る。
先輩のことは、もう気にしないことに決めた。何だか考えるだけ無駄な気がしたからだ。
「でも、千絵子と須山に関しては実際のところは分からない。ただ、一階に戻った後、萌が突然頭を押さえて倒れた。そして須山が突然部屋に戻ろう≠ニ言った。もう殺人は起こらない≠ニも言ったわ……きっと須山は萌を止めようとしたのよ」
「――だけど逆に殺されてしまった?」
縁が間髪入れずに答えた。
「その通り。実際に須山が殺された時間は、私たちが萌の死を確認した後だと思うわ。義高が部屋で、どこかの部屋が開く音を聞いているし、萌が生きている間に殺してしまったら、自分にも容疑がかかるのは必至。だからあえて、自分は死んだことにしたのよ。そのトリックはまっすーの時同様、上腕大動脈の圧迫により脈を止めるというもの」
ここで私は床に転がったキーホルダーを拾うと、皆に見せた。
「多分これを使ったのよ」
私は皆の反応を待たずに続ける。
「これは私が萌にあげたゴム製のキーホルダー。縁が萌のことを揺すった時に転がり出てきたの。萌はこれで脇を圧迫し、脈を消していた」
「でも麻衣! 津久井は手が冷た――」
「冷たすぎたのよ、萌の手は」
私は縁の言葉を封じるように言った。萌にも聞こえるように大きく。
「私も死体に触った経験なんてなかったから、最初はただその冷たさに驚いただけだった。だけど今なら分かる。死体が死後硬直を始めるのは死後一時間前後。これは、体内の血液の凝固時間を表しているの。つまり、死んでから一時間くらいは人間の体はそこまで冷たくはならないのよ。でも萌のは、まるで直前まで氷を触っていたくらいに冷たかったわ。
萌が本当に死んでいたとしても、萌を二階に運んでから時間は三十分くらいしか経っていなかった。まだ硬直の兆しが見受けられる程度だろうし、体もまだそんなに冷えはしないはず。萌……ミスしたわね」
私の声が届いているのかいないのか、萌は身動き一つしなかった。
こうも反応が無いと、本当に死んでいるような気がしてくる……。
しかし、ここでやめるわけにはいかないのだ。
私は萌に思いが届いていると信じ、続ける。
「須山殺害については、背後から何か鈍器のようなもので殴った――撲殺ね。萌は、須山に全ての罪を着せるために睡眠薬を用意した。そして極めつけは遺書。これで須山が罪を悔いて自殺して全ては解決――そういうシナリオを作ろうとしたのよ。
でも実際はそんなに上手くはいかなかった。恐らく萌は忘れていたんだと思うけど、須山は左利き。つまり携帯は左手に持たせないといけなかった。その上、薬を飲む為に必要な水とコップも無かった。まあ時間がなかったこともあるとは思うけど、このミスが大きな仇となってしまった……」
「………」
皆の、納得したような、信じられないといったような、そんな沈黙が流れる。
そして皆、同じ方向に目を向けた。
萌は動かない。
「津久井さん……もう止めましょう。僕はもう一度、君の死を確かめるような無粋な真似をしたくないんだ……」
義高が呟く。
と、その時先輩が、私の傍まで近づいてきて言った。
「一つだけ解らないことが残ってる」
「何でしょう……?」
「一階の停電だ。津久井が犯人だというなら、どうやってあの場にいなくて電源を落とせるんだ?」
――停電
さっきブレーカー室で調べたことだった。
私は先輩から離れるように、また萌に近づくように歩く。
「まだそれを話していませんでしたが、それにもあるトリックが使われていたんです。さっき義高と確認してきました。
まず、ブレーカー室には一階と二階、別々のブレーカーがありました。もちろん、二階とは言っても、各部屋用はまた別にあります。
私たちは一階のブレーカーが壊されているのを――正確には外れているのを発見しました。そしてその周りにはバケツ、砂利、理科で使ったような漏斗の大きめのもの……アルミ製のものです。それらが散らばっていました。
ここから想像すると、萌は予めこれらの道具を用意しておき、まっすーを送った後、須山と二人でブレーカー室に行ってこれらをセットした。バケツには半分くらい砂利を入れておき、アルミ製の漏斗はブレーカーの上の辺りにガムテープなどで固定する。そして漏斗に砂を流し込み、段々とバケツに砂が落ちるような仕組みを作った。
漏斗は先がとても細くなっていて、砂は一気に流れないから、バケツがいっぱいになってブレーカーが落ちるまでには時間がかかる。もちろんその時間も計算はしていたと思いますが、これは萌と須山とまっすー、三人の共犯ですから、たとえブレーカーが落ちるのが早くても、遅くても、三人の計画には何ら支障は出なかったと思います。須山とまっすーの呼吸さえ合っていれば、この計画は成功すると言えるから」
「でも、何で津久井たちはそれらを処分しなかったんだ? そうすれば見破られずに済むだろうに」
「確かにそうです。でも、ブレーカーは結局は外れてしまっていましたが、これは予期せぬことだったと思うんです。まさか壊れてしまったなんて思わなかったでしょう。
電気を落としたかった理由。それは――」
「麻衣を閉じ込めた場所を解らなくする為――……」
義高が静かな声で言った。
「僕は、壁の色が微妙に違っていたのに気付けたので麻衣を助けることができたんですが、あれは運が良かっただけで、本当なら、見つからないはずだったと思います。多分津久井さんたちは、麻衣が動くと事件を起こしにくくなると考え、麻衣の動きを封じ込めようとしたんでしょう。
本当は津久井さんたちは、これらの証拠となる物を処分したかったと思います。でも、二人にはそれだけの時間がなかった。下手に動けば疑われる状況だったんです。少しでも不審な行動は避けたかった。だからあえて、この件は捨て置くことにしたのではないでしょうか? たとえこのトリックが見破られても誰にでも犯行は可能だった≠ニなるだけですから」
「私の話は――――以上です」
私は先輩にそう告げると、義高を見つめた。
私の推理、これで良かった?
あなたと同じだった?
しかし、義高が私に返す視線は「もう何も言うことはないよ」と言っているようだ。
彼の表情は穏やかだ。何も恐れてはいないように――
私は今、どんな顔をしているのだろう。
とりあえず、できることは全てやった。後は萌がどんな反応をするかだけだ。
確かに不安は残る。
全てが正しいなんて思ってはいない。
でも、持てる力の全てを出し切った。
心はすっきりとして、爽やかだ。
――光風霽月――
まさしくそれだ。
私は萌に近づき、言った。
「萌。私の話は以上よ」
萌に反応は見られない。
私の推理は間違っていたのだろうか。
「萌……」
私がそっと、その顔に掛けられているタオルに手を掛けようとした時だった。
「――まさか、本当に謎を解くなんてね」
「!!」
振り返ると、入り口に持たれるようにして立つ、萌の姿があった。