――2月

 突然、愁から呼び出された。

『屋上で待ってる』

 こんな寒い日に、一体なんなんだろうか。私は足早に、屋上へ向かった。







 屋上には、愁以外誰もいなかった。
 それもそうだろう。こんな寒い中、屋上になんて出たがる生徒がいるわけがない。

「愁、何?」
「……」
 無言のまま佇む愁は、どことなく元気が無い。
 私は愁に近付く。
「……何かあったの?」
 すると、突然抱きしめられた。
「愁……?」
「優子……オレ……」
 そのまま愁は黙ってしまった。

 北風が吹き荒れる音だけが響く。
 しばらくの間があった後、愁が呟いた。

「優子……オレのこと…好き?」
「……突然どうしたの?」
「好き?」
 抱きしめられる腕に力がこもった。愁の身体は、微かに震えている。
「愁……」
 震えているのは、寒さのせいだけじゃない気がした。
 普段、大胆不敵に見える愁。
 でも私は知ってる。
 本当はとても繊細で、弱い部分もあるんだってこと……。
「好きよ……」
 愁は何も言わなかった。ただ、愁の腕が体に食い込むほど、強く抱きしめられた。







 次の日から、愁は学校に来なくなった。
 杉原先輩に聞くと、どうやら大学に研修に行っているらしい。魔法学の才能を評価され、国の代表としての資質を高める研修なんだそうだ。

「三村……宮田先輩は……」
「……分かってます。あの人、プライド高いから……」
「……逃げ場を作りたくないそうだ。だから、連絡先も教えないと言われた……」
「……そうですか」
「すまない……」
「ふふっ……どうして杉原先輩が謝るんです? 悪いのは、愁先輩ですよ」
「……すまない」

 何度も私に謝る杉原先輩。
 先輩だって、本当は淋しいはずなのに。あんなに仲良かったんだから……。
 愁は、根本的な部分で、私たちよりずば抜けているから……私たちには頼れないのかもしれない。

 でも……もしそう考えていたとしたら、それはちょっと思い上がりすぎ。
 今まで愁を支えてきたのは、杉原先輩を含め、まほ研の皆。先生たち。後輩やクラスメイト。その他、愁に関わってきた人皆――……
 彼らがいなかったら、愁はこんなに凄くなってなかったはず。
 愁は確かに天才だし、能力もずば抜けているけど……

「でも……アンタは……人間なんだから……」

 心の中に、想いが溢れて零れる。



 私たちと同じ人間なんだから。
 悲しいことや辛いことがあれば、泣きたくなるだろうし、腹の立つこともあるだろう。嬉しい時は笑っているし、照れたり、焦ったりだってしてた……。

「本当は……すっごく臆病なくせに……弱いくせに……」

 何よ。屋上で、あんなに不安がってたくせに。震えてたくせに。「オレのこと好き?」なんて聞いて……そんな奴のどこが凄いのよ。

「私に……縋ったくせに……」

 彼女にあんなみっともないとこ見せるほど、…弱ってた。
 大学での研修は、遊びじゃない。
 研修というのは建前で、本当は訓練だってことくらい、私は知ってる。辛くて、リタイヤする人が毎年続出していることだって……。
 でも、アンタは人一倍プライドが高いから、そんな姿を見せないようにしてたんでしょ。 いっつも、無理して笑って。
 でも、私の前ではそうじゃなかったじゃない。無理して笑ってなんていなかったでしょ? 弱ってる時は、必ず私に甘えてきて……。ただの気まぐれじゃないことくらい、私は気付いてた。

「……っ……何で……どうして…一人で行っちゃうのよぉ……」

 涙が溢れる。これは悲しいからじゃない。悔しいのだ。

「三村……」
「あの人は……いっつも一人で……傍でっ…支えたいのに……」
「……気休めになるか分からないが……」
 泣きじゃくる私にハンカチを差し出しながら、杉原先輩が言った。
「宮田先輩は……俺にいつも言ってたよ。三村は……自分にとって、長年追いかけてきた夢と同じくらい……むしろそれ以上に大切な存在なんだと……。でも、そんなこと面と向かって言ったら、重く思われるから言えないって……」
「っ……」 
 愁が……そんなことを言ってたなんて……。
「あの人は……確かにすごい人だと俺も思うよ。でも、お前の言う通り……実はすごく繊細で脆いところもある。大抵の人間は、あの人に過度な期待と羨望を向けるから……正直、きつかっただろうな」
「……」
「でも……三村。お前が支えてやれていた。お前がいたから、宮田先輩は、今回の話を引き受けたんだ」
「私はそんなこと……」
「少なくとも、俺はそう考えている。お前は、あの人が弱さを見せられる数少ない人間の一人だ。いや……むしろ、お前くらいにしか、あの人は心の内を明かさないかもしれないな……」
「そんなこと……ないです。杉原先輩の方が……」
 すると、杉原先輩は自嘲気味に笑った。
「俺は……あの人の支えにはなれないよ。俺はあくまでも、あの人の後輩にすぎない。フフ……あの人はプライドが高いから、後輩に弱さを見せられない。その点お前は……その……あの人の…恋人だからな……」
「……? それが、どう関係あるんですか?」
「……いや、だからその…………ごほんっ。つまりだな……」
「?」
 言葉を濁し、詰まらせる杉原先輩。しかし、先輩の言葉の意図するところが分かって、私は思わず苦笑してしまった。
「……ふっ…ふふふっ…………杉原先輩、分かってます」
「え、あ、その……」
 私は涙を拭って先輩に向かって微笑んだ。
「あの人は、私がいないと駄目ってことですよね!」

 杉原先輩は、一瞬面食らった顔をしていたが、やがて軽く目を伏せて笑った。
「……フフッ……そういうことだな」



 愁、貴方はやっぱり弱い。
 「重いと思われるから言えない」? 何を今さら。
 そんなことで、びくびくしてたら、到底夢なんて叶うはずないよ。

 貴方の夢は、私の夢。
 あの夏の日に、星にそう誓った。
 貴方の夢に少しでも近付くために、魔法陣研究だって頑張ってるのよ、私。
 貴方の夢に少しでも追いつきたくて、日々努力してるんだからね。



「これで夢を見せてくれなかったら……絶対に許さないんだから!」

 愁……頑張って。
 私も、貴方に負けないくらい頑張るから。

 二月の曇り空に向かって、私は微笑んだ。