開幕〜将軍様の華麗なる転身〜
ここは江戸城将軍様御室。
将軍様の御前には、胃を押さえた役人が一人。
「で? ここまで通したってことは、よっぽど重大かつ重要な内容なんだろうね、柾輝」
頬杖を付きながら、腹心を見やる16代将軍椎名翼。
そんな将軍様の腹心は黒川柾輝。
「まあな。ほら、とっとと翼に話しちまえよ」
「あ、ああ……」
緊張した面持ちで、役人――水野竜也は言った。
「実は将軍、先日部下から妙な噂を聞いたもので……」
「噂?」
「はい。何でも、代官の三上が将軍家並びに幕府に対し謀反を考えている、というものです」
「へえ……謀反ね」
謀反という言葉に、翼のこめかみがぴくりと動く。
それを見た水野は、より一層胃を押さえ始めた。
「ただの噂ではないように思ったため、一度将軍の耳に入れておくべきだと思いました。つきましては、何かしらの調査をすべきかと……」
「……ふーん。お前の話は分かった。後はこっちで何とかする」
「はい。それでは失礼します」
ようやく将軍室から解放された水野は、ため息をつきながら将軍御室をあとにした。
水野が出て行った後、翼は言った。
「はいる?」
すると、タンッという軽い音と共に、一人の女性が姿を現した。
。
将軍家お抱えのくの一である。
「はい、こちらに控えております、将軍様」
「敬語は使うなって言っただろ? あと、将軍様じゃなくて翼」
「……はいはい翼。癖なんだって」
は苦笑して、その場に跪く。
すると、その両隣に黒い影が降り立った。
「お帰り吉田、藤村」
「ホンマ自分、人遣い荒いわー」
「そうやで! なんて、お肌が荒れに荒れて……ぐはっ」
藤村がその場に崩れ落ちる。の片手には、短刀の柄が握られていた……。
ちなみに、彼ら吉田光徳と藤村成樹は、同様将軍家の忍。と三人、忍衆を取りまとめている。
言うまでもないが、将軍に敵は多い。つまり、忍衆にも休みはないわけである。
三人は傍から見ても、疲労困憊していた。
「……そういうわけやから、将軍。ちょびっと休暇もらえへんかな? ちゃんは女の子やし、相当キツイと思うんや」
「大丈夫だよ。私なら平気。それよりも早く、代官屋敷を調査しないと」
「、無理したらあかんで。お前、全然寝てないやん。任務ならシゲちゃんたちに任しとき?」
を気遣う二人に、翼は言った。
「……確かに、無理させたかもね。、お前、目の真っ黒だよ」
「うっ……」
翼の言うとおり、の目の下には大層なクマが出来ている。
は「しまった、白粉で隠すの忘れてた!」と心中で喚く。続けて「まさか将軍にこんな指摘をされるとは……忍としても、女としても、終焉を迎えたわ」と嘆いた。
「、ホンマ大丈夫か?」
「ちゃん、無理して倒れたら、元も子もないで?」
「うぅ……」
三人のやり取りを見ていた翼は、ふぅっと息をついた。
「悪かったよ。いいよ、休暇やるよ。代官屋敷の調査は、その後でもいい。大した問題じゃあない」
「ホンマに!?」
「翼、いいの??」
「姫さん! 話分かるやん!!」
「ああ。でも、一つ条件があるけどね」
嬉々として聴き入る三人に、将軍こと翼は、にっこりと微笑んだ。
隣の腹心がこれから先の未来を予見して、溜め息ともつかぬ苦笑を洩らしていたのに気付く者はいなかった。
――――江戸、城下町。
「いやー、快晴快晴」
「ホンマ、いいお天気やねぇ」
「どうしたんや? 」
「いや、どうしたのって……」
は隣を歩く人物を見やり、ため息をつく。
当の本人は、の視線など気にせず、足取り軽く進んでいく。
「……まさか白昼堂々、こんなお方が私たちと歩いてるなんて、誰が想像できるかしら」
の隣を歩くのは、紛れもなく将軍である翼。
しかしその身なりは、町人や商人が着るような簡素なもので。普段、将軍の顔を拝見することさえ叶わぬ庶民たちは、到底彼に気付くはずもなかった。しかしながら翼はそれを逆手に取って、こんな酔狂なことをしているのだ。
「たまにはこうして羽伸ばさないとね。やってらんないっつーの」
「……玲ちゃんにまた文句言われるんじゃないの?」
「それがどうしたことか、今回は二つ返事でOKしたんだよね。何企んでんだか」
将軍のお目付け役兼、たちの直属の雇い主である玲。
向かうところ敵無しな翼も、彼女だけには頭が上がらないようだった。
「うーん……まあ、素直に休暇を楽しめってことかな?」
「そう思いたいけどね。ほら、お前ももっと楽しそうな顔出来ないわけ?」
「……そう言われても……」
「何。僕が一緒だと、休暇一つ楽しめないって言いたいの?」
真正面から覗き込まれ、はたじろいだ。そして、思いっきり首を振る。
「ま、まさか! しょうぐ――じゃなかった……翼と一緒に町歩けて、すっごい嬉しいよ!?」
「そ? ならいいけど」
翼はそう言って、出店の方へと行ってしまった。その後を、ノリックとシゲがついていく。
「はあ……翼ってば、いつどこで、間者が狙ってくるか分からないのに……」
呆然としているの肩を、将軍の腹心が軽く叩いた。
「でも、アイツはお前も知っての通り、俺たちの誰よりも強い。大丈夫だ」
「うん……それは分かってるんだけどね」
「ま、お前の気持ちも分かるけどな」
出店の前で騒ぐ三人を見やり、柾輝は吹き出した。
「ぷっ……翼のやつ、相当楽しんでやがるな」
「ふふっ、そうみたいだね」
もつられて笑い出す。
「翼、お前らのこと、いっつも心配してんだぜ?」
「うん……分かってる」
「アイツもたまには、色んなこと忘れたいんだろうな」
「そうだね……将軍様って、大変だもん」
この江戸が平和でいられるのも、全ては将軍家、もとい翼の尽力の賜物。
将軍の地位が、どれほど過酷で危険なものかを、忍衆や上層部の部下たちは嫌と言うほど知っている。そしてその都度思うのだ。自分たちでは到底成しえないことを、いとも簡単そうにやってみせる現将軍は、まさに主としてこれ以上無い器であると。
「柾輝! ! 早く来いよ!」
翼の声が響く。
は柾輝と顔を見合わせると駆け出した。
将軍と言うには、まだあどけない表情を残した、友人のもとへ……。
これが――
将軍様+お供四人の、短くも長い、休暇の始まり――――。
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