「ねえ、。ホワイトデー、空けておいてよね」
そう言ったのは、つい二週間前。
はにかんだような、照れたような顔で微笑んだ、付き合って間もない彼女。この笑顔がもっと見たくて、僕は入念な計画を立てた。
……はずだった。
僕の計画が崩されるなんて、誰が予想出来ただろうか。いや、誰も出来なかったに違いない。(反語)
この僕が?
全てを覆されるような屈辱に遭うなんて!
薄暗い夜道に、しゃがみ込んだ情け無い影だけが、ゆっくりと伸びている。
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2月28日(水)天気 晴れ
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――本日の予定。
「にホワイトデーの予定を聞く」
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は二つ返事でOK。ま、当たり前だけどね。
今日から二週間、を僕に陥落させるべく計画を実行に移す。
今のままじゃ、まだ足りない。
僕の方がに溺れてるなんて、面白くない。
僕に溺れて、僕ナシじゃあ息も出来ないくらいにしてやりたい。
……こんな狂気を抱くなんて、僕もどうかしてるね。
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3月3日(土)ひなまつり 晴れ
――本日の予定「ホワイトデーのお返しを探しに行く」
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今日は部活を休みにした。部長の権限で。
直樹たちはグチってたけど、気にしないことにする。柾輝だけは、喜んでたけど……ま、アイツも僕と同じようなこと、考えてたんだろ。
の喜びそうなものを見つけに、駅前に出かける。
女が好きそうな店に、男一人で入るのは気が滅入る。店員や客が、好奇の視線を送ってくるのが痛いほどに分かる。でも、可愛いのために必死で耐えた。
何件目かに入ったアクセサリーショップで、目に留まったリング。シルバーの細身のデザインで、紅いラインストーンが飾りで添えてあるシンプルなものだ。細いの手に、さぞ映えるだろうと想像する。
気付けば店員に「彼女さんへの贈り物ですか?」と話しかけられていた。……もしかしたら、無意識のうちに頬が緩んでいたかもしれない。居住まいを正すように、わざとらしく咳払いをした僕に、店員はクスクスと笑みを零した。……その時の僕の顔は、とてもじゃないけど、には見せられない。勿論、アイツらにも絶対に! 照れてるなんて認めたくないけど……正直、これを書いてる僕が言っても、説得力はゼロだ。ま、いいけど。
結局そのリングを包んでもらい、僕は家へと戻った。
今も机の端に置いてある。
これをが付けることを想像すると、やっぱり頬が緩んでくる。
……駄目だ、これじゃあ。アイツを僕に溺れさせるなんて、出来やしない。
いつもの、計算高い、クレバーな俺はどこ行った……。
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3月7日(水)天気 曇り
――本日の予定「レストランを予約確認をする」
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夜景が綺麗と有名なレストランを予め押さえておいた僕は、最終的な打ち合わせをすべくオーナーと連絡を取った。この店は、玲の知り合いが経営してるから、色々と融通が利く。飲み物も食べ物も、全部好みを揃えてもらってある。
ちょっと値が張ったけど、アイツの喜ぶ顔が見れるなら安いものだ。世の男は、皆こんなことを考えてるんだろうか。いつの間に僕は、こんなにも俗っぽい男に成り下がったんだ。……はあ。ため息しか出ない。
そういえば、溜め息をつくと幸せが逃げるって言うけど……今の僕なら、何万回溜め息をついたらこの幸せがなくなるだろう。むしろ、ため息をつくたび、幸せが深くなってくような気がする。
……何だか恥ずかしくなってきたのでやめよう。この日記は、ホワイトデーが終わったら、永遠に封印だね。
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3月10日(土)天気 曇り
――本日の予定「特になし」
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あと四日でホワイトデーだ。も口には出さないけど、とても楽しみにしていることが伺える。嬉しそうに笑うを見ると、こっちまで嬉しくなるから不思議だ。早く当日になれ……と、柄にもなく浮き足立つ自分に、苦笑せざるを得ない。この分なら、明日の試合も絶好調だろう。
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3月11日(日)天気 晴れ
――本日の予定「試合」
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今日の試合は、案の定僕の独壇場だった。体が自分でも驚くほど軽く、思ったように動いた。でも、いつも以上に緊張していたような気もする。それもそうだろう。フェンス越しに見えるアイツの笑顔は、僕の起爆剤になるんだから。
とにもかくにも後3日。を陥落させるまで、あと少し――。
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3月13日(火)天気 雨
――本日の予定「いよいよ明日」
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いよいよ明日に迫った。もう一度、明日の流れを確認してみることにする。
10:00 と駅前で待ち合わせ。適当に街をぶらつく。
12:00 イタリアンの店でランチ。(ジェラートが絶品)
14:00 が見たがってた映画を見る。
16:30 夕日が綺麗な公園を、散歩する。人があまりいないのがポイント。
(良い雰囲気になったところで、焦らすように夕食へ……)
18:00 レストランで夕食。食事がひと段落したら、リングを渡す。そして、畳み掛けるようにを口説き落とす。
21:00 花火が打ち上がる。
(、陥落成功 (*^―’)b)
こんな馬鹿らしい予定を立てるなんて、本当にどうかしてる。
でも、そんなおかしな自分でさえも、微笑ましくなるからどうしようもない。
まあ、物事を有利に進めるには戦略が大事だからね。……ということにしておこう。うん。何だかこの部屋、暑いな。
花火はこの時期、特別に打ちあがることになってるらしい。まあ、ホワイトデーに打ちあがるなんて、中々粋な計らいだと思うけどね。
……、覚悟しなよ。
身も心も、俺しか見えなくなるようにしてやるから。
そう意気込んだところで、明日のためにそろそろ寝よう。
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そう息巻いて昨日が、遠い過去に思えてくる。
どうして僕は今、こんなところでしゃがみこんでるんだっけ?
あぁ……そうだった。
僕は今、人生最大の窮地に陥ってるんだった。
思い起こすことさえ憚られる今日の失態の数々。
でも、嫌でも思い浮かんでくるのが人間の悲しき性……。
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*回想*
携帯の目覚ましが鳴った。
午前7時を指していた。
約束までまだ三時間もある。
僕は入念に支度して、余裕を持って家を出た。…………つもりだった。
「もぅっ、翼ってば大遅刻―っ」
「は?」
「今、何時だと思ってるの?」
可愛い服に身を包みながら、最愛の彼女が頬を膨らましている。
遅刻? この僕が??
見上げた先には駅の時計。
――午前11時。
僕はしばらくの間、身動きも取れずに固まった。
「……こ、これは……」
「翼が10時って言ったんだよ? しかも、連絡付かないし……事故にでも遭ったのかと思ったよー」
携帯を慌てて確認するが、ディスプレイに変な線が入った状態でフリーズしていた。こ、こんな日に故障するなんて……。
「ご、ごめん!! 携帯が壊れたみたいで……その、時間もズレたみたいで……」
「……なら仕方ないか。ふふっ、翼が無事で良かったよ」
「ホント、悪い……」
「大丈夫だよ、全然。さ、行こ?」
「あ、ああ……」
出鼻を挫かれたとは、まさにこのこと。
遅刻なんてしたことがなかったのに、まさかこんな日にするなんて……。今日壊れた携帯にも、チェックが甘かった自分にも腹が立ったが、の手前それを表に出すことは出来なかった。
予定はズレたけど、がすぐに「お腹空いた〜」と言ってくれたので、気を取り直すことが出来た。
自然に彼女をリードして、イタリアンの店に案内した…………が。
「あれ……ここ、今日お休みだって」
「なっ!?」
「あらら、残念だねぇ」と呑気な声を上げるを横に、僕はまたもや固まった。降ろされたシャッターには、性急な字で「一身上の都合により、本日は休業させていただきます」との貼り紙がしてあった。な、何てこと……。あり得ない……!!
フリーズした僕の腕を引いたは、屈託の無い笑みでこう言ったのだった。
「あっちに美味しいパスタ屋さんあるんだ。行かない?」
に案内されたパスタ屋は、美味かった……んだろう。
でも、今の僕には味を楽しむ余裕なんて全く無かった。
表面上はの話に相槌を打っているが、正直全然頭に入ってこない。
この後は、映画と公園、そして夕食が残ってる。次こそは、何としても成功させなくては……。
「翼? アイス、溶けちゃうよ?」
「え、あ、ああ……」
「?」
、もうちょっと待ってて。
すぐにいつもの僕の調子を、取り戻してみせるから。
そう心の中で誓いを立てて、僕は次の試練(?)へと向かっていった。
映画は普通に見れるはず……そう考えたことが間違いだった。
「きゃーっ、きゃーっ」
「ママー、トイレーっ」
「〜〜〜っ(怒)」
ここは映画館だ。
なのに何で、こんなガキどもの声が木霊してるんだよ!……と怒鳴りたくなる気持ちを何とか押しとどめる。幸い横に座るは、さほど気にしていないようだし。
「まったく、最近の親は子どものしつけすらロクに出来ないのかよ」、そう、心の中でごちた瞬間だった。
――――バシャッ!
「わわっ、じゅーすがこぼれたぁ」
「まあっ、体、濡れなかった?」
「ぬれたー」
「あらあら、こっちで拭いてあげるからおいで」
「…………」
……僕の頭から滴り落ちる液体は……何?
ほのかに柑橘系の香りが……あぁ、これはオレンジジュース――――って、何ボケてんだよ俺!!
怒りで震える僕には、は気付いていない。嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちだ。いや、この無様な姿を見られるよりは全然いい。
結局映画の半分も見ないで、僕は頭の汚れと服のシミを取ることにもう半分の時間をトイレで費やしたのだった……。
「翼……気分でも悪いの?」
「え」
「顔色悪いし……映画も、途中で出ちゃったし」
「い、いや、大丈夫だよ。ちょっと眠くなってさ……顔、洗ってたら時間がきて……ハハ、悪かったね」
「う、ん……?」
にまで心配かけて、僕は何をやってるんだろう。
というか、今日は厄日とでも言うのか? あり得ない偶然の数々に、僕は嫌気を通り越してある種の恐怖を感じ始めていた……。
映画館から逃げるように出て、色々なことを思案しているうちに気付けば公園に来ていた。
高台に位置するこの公園から見る夕日は、筆舌に尽くしがたいほどの絶景だ。
「うわぁ……キレイだねぇ」
「だろ? これをお前に見せたかったんだよ」
「翼……」
何だかいいムードになってきた。
静かな公園でと二人きり……。うん、やっと、いつもの調子が戻ってきた気がする。
僕たちは、芝生の上に並んで腰を下ろした。
「翼っ…」
「うん……?」
「あ、あの……」
が俯きながら、手を握ったり開いたりしている。
ふと、横を見ると……他のカップルが人目も憚らずキスを交わしているところだった。多分は、これを見て焦っているのだろう。こういった仕草が、可愛いと思う。
「フフッ……僕たちも…してみる……?」
「えっ!?/////」
「……」
「つ、翼っ……!」
戸惑うを抱き寄せて、そっと顔を上げさせる。
の顔は、これ以上無いほどに真っ赤に染まっていて……正直、我慢するのは無理だった。
「、好きだよ……」
「つば、さ……」
夕日が僕らを照らし、二人の影が重なり合おうとした時…………
『にゃあんv』
「え?」
「ね、猫ちゃん??」
『にゃーんvv』
足元に、猫がじゃれ付いてきた。
その猫は何を思ったか、そのまま僕に飛び掛る。
「うわっ!?」
「翼!?」
『にゃーんっ』
ジャケットの胸元に入り込み、もぞもぞと動く猫。どうにも身動きが取れない僕を、はおかしそうに見ている。
「あはははっ、翼ってばこの子に気に入られちゃったんだね」
「、見てないで助けろって……」
「だって翼も可愛いんだもんv」
「あのなぁ……」
猫が突然、ジャケットから飛び出てくる。
途端、胸元がスースーする感覚。
……何かが無くなったような、そんな感覚。
「ま、まさか……」
恐る恐る猫を見た僕は、今日三度目のフリーズを起こした。
――猫がへのプレゼントを咥えてる……!?
「あれ……猫ちゃん、何か口に……」
「こら、待て!!」
『にゃんっv』
猫は僕が叫ぶのと同時に、公園の茂みへと駆け出した。僕は慌ててそれを追いかける。
ぐ……ここで猫が来るとは、思いもしなかった……。
しばらく捜したが、結局猫は見つからず……仕方なく、を一旦店へと連れていくことにした。
「ごめん、。ちょっとどうしてもやらなくちゃいけないことが出来て……すぐに戻るから、飲み物でも飲んで待ってて!」
「あ、翼……」
「オーナー、すぐに戻りますから! を宜しく!!」
こうして僕はまた、あの泥棒猫を捜しに向かったのだった。
クソッ、絶対に、何が何でもあの猫捜し出してやる……!!
公園に着くと、猫が毛づくろいをしていた。
「あっ、お前!」
『にゃっ』
「こら、待てって!!」
僕は猫と、何とも馬鹿げた奮闘を繰り返した。
壁際に追い詰めたと思えば、軽々と乗り越えていく猫。
飛び掛ろうとしても、あっさりと逃げられる。
「ほら、逃げるなって……うわっ!?」
たまに顔面に向かって飛び掛ってくることもあり、僕は「こんなことなら、渋沢にキーパーのコツでも聞いておけば良かった」などと、どうでもいいことを考えたり。気付けば、洋服は砂埃で汚れ、木や葉の破片が絡みついている。
「おい猫……頼むからそれ、返せって……」
『にゃーん』
「はあ……」
いつの間にか駅から離れ、住宅街に入り込んでいた僕ら。
僕は路上に座り込み、それを塀の上から見下ろす猫。
……一人と一匹の影が、重なって伸びている。
どうして? 何で今日に限ってこんな失態を犯してしまうのか、本当に謎だった。
本番に強い僕が、こんな重要な日に、こんなミスを連発すること自体があり得ない。しかも、ミスというか不運がこんなにも重なることが、果たして起きて良いものなのかという感じだった。
『にゃお〜』
欠伸交じりの鳴き声に、猫を思いっきり睨み付ける。……が、所詮塀の上を見上げることしか出来ない僕は、完全な負け犬。
猫にまで馬鹿にされて、僕は今、人生最大の屈辱を味わっている。
くそ……一体なんだっていうんだよ!
――ガコンッ!!
イラついて蹴り上げた空き缶が、壁に当たって宙を飛ぶ。
しかし、今日は厄日。
まんまと残っていた液体が、僕にシャワーのように降りかかった。
「…………」
もう言葉も出ない。
濡れた髪を拭う気力も無い。
猫は面白そうに僕を見ている。
……最悪だった。
僕が一体、何したっていうんだよ。
ここまで酷い目に遭う謂れなんて無いはずだ。
そりゃあ、部長の権限使ったりはしたよ?
でも、こんな仕打ちを受けるほどのことじゃないよね?
『にゃーっ』
猫がまた、明後日の方向へ駆け出していく。
まだだ……。まだ、諦められない……。あのリングよりに似合うものは、見つけられなかった。
僕は重い体を引きずるようにして、よろよろと猫を追いかけていった……。
「……はあ……はあ……」
『にゃーん♪』
公園付近まで戻ってきた時、時刻は既に午後八時。
を一人で待たせて、相当な時間が経ってしまっていた。しかし、携帯が無いので連絡のしようがなく、何よりも猫からリングを取り返さなければ、の元へは戻れない。
心の中でに謝罪しつつ、猫へと近寄る。
「おい……そろそろ追いかけっこはやめない? お前も……疲れただろ」
『にゃー』
「頼む……それが無いと、アイツに顔向け出来ないんだ」
僕は猫に向かって、頭を下げていた。必死に懇願した。
猫に頭を下げるなんて、人生にそうそうあることじゃない。
でも今は、そんなことでこの猫がリングを返してくれるなら、何て安いのだろうと本気で思えてきた。
……人が動物に屈した瞬間だった。
何という屈辱だろう。対人間にも土下座なんて死んでもする気なんてなかったのに、まさか人生初の土下座(正確には頭を下げただけだが……)が猫相手なんて……。
しかし、僕のこんな思いも虚しく。
猫は身を翻すと、闇夜にその姿を溶かしてしまった。
「っ……そ、んな……」
何て無様で滑稽なんだろうか。
膝をつき、動く力も失った僕は、途方に暮れるしかなかった。
公園の時計が、20時40分を指しても、僕は動けない。
の笑顔が曇るのが見たくなかった。
曇らせるのは自分。
それがとてつもなく腹立たしい。
に会ったら、何て言おう。
上手い言い訳なんて、思いつくはずも無い。
謝る……でも、それでどうする?
もしかしたらもう、これで僕たちの関係も終わってしまったら……。
三月半ばの夜は、まだ冷える。
でも、寒いのは気温のせいではなかった。
僕の心が急激に冷えて、冷たくなっていくからだ。に嫌われて、振られる自分を想像すると、情けないことに体が冷たく冷えていく……。
「翼っ……!」
愛しくて、でも今は会いたくない彼女の声が響く。
「っ…………」
木々の合間にしゃがみ込んだ僕に、息を切らしたが駆け寄ってくる。
上気した頬と、少し乱れた髪が艶っぽいなどと、今の状況には不釣合い、お門違いなことを考える僕は、相当参っているのだろう。
「翼っ、大丈夫!?」
「……僕……」
「ずっと戻ってこないから心配で……もしかしたら、猫ちゃんを追いかけてるんじゃないかって思って……」
「……」
「翼……」
黙りこくる僕に、が困惑している。
僕は最低だ。
のために、最高のホワイトデーにしたかったのに、結局最低な日にしてしまった。
「、ごめん……本当にごめん……」
「翼……」
「僕は……最低だね……」
俯いた僕に、は首を振った。
「そんなことないよ!」
「……」
は僕の正面に座ると、優しく微笑む。
「翼が色々準備してくれてるの、分かってたの。レストランだって……私の好きなものばっかり……全部翼が私のためにしてくれたことだよね。……愛されてるなぁって、実感した」
そう言って、僕を見つめる。
「翼は努力してる姿とか、そういうの見せないから……こんなに頑張ってくれたんだって思ったら、涙が出るほど嬉しかった」
流れる風の音しか耳に入らないような静寂の中、の言葉に胸が温かくなる。
でも、一番大事なものを渡すことが出来なくなってしまった事実は変えられない。
「、ごめん……お前に渡すはずだったプレゼント……猫に取られた……」
「猫……。そっか、それで追いかけてくれてたんだね」
「……こんなみっともない姿、お前には見せたくなかったのに……幻滅しただろ?」
自嘲気味に零した僕に、は緩やかに首を振る。
「ううん……もっと、好きになった」
「……」
「翼も、普通の男の子なんだなって思ったら……前よりももっともっと好きになっちゃったよ!」
満面の笑顔でそう言われて、心臓がドクンと跳ねる。
あーもう、何だか全てがどうでもよくなってきた。
「……お前、可愛い過ぎ」
「翼……」
「ねえ、キス……していい?」
「え、あ、う……/////」
照れるを引き寄せて、見つめ合う。
この瞳に僕が映るのなら、お前に溺れ続けるのも悪くないかもしれない。
今はまだ、お前に溺れる魚のままでも……。
『にゃぁん♪』
「つ、翼っ……猫ちゃんが……」
「いいよ……ほっておけば」
「で、でも……」
「黙って」
「っ……////」
の唇を塞ごうした瞬間……
――がぶっv
「痛っ!?」
『にゃーっ』
猫が、僕の腕に噛み付いていた……。
「お前……僕に恨みでもあるわけ!?」
しっかりと歯型の残った腕を擦ると、が心配そうに覗き込んでくる。
「大丈夫?!」
「何とか……」
僕のこの、やるせなさはどこにぶつければいいのだろう。
二回も、いいところでコイツに邪魔された。
人間だったら殴ってる……いや、半殺しだ。
「こら、猫ちゃん。駄目でしょ? 翼を噛んだりしたら、私が許さないわよ」
『にゃーん……』
が「めっ!」と叱ると、猫は頭を垂れて、茂みへと潜り込んだ。そして、すぐさま何かを咥えて戻ってくる。
「……?」
「それは……」
『にゃ〜』
猫はの手元にそれを置くと、そのまま木々の合間に姿をくらました。
「翼、これって……」
「……お前への、プレゼント」
猫のやつ……。に渡すのは俺だっつーのに。
アイツは絶対オスだな……と、どうでもいいことを考えてしまった。
猫の分際で、俺のに近づこうなんて、おこがましいにもほどがある。
「ふふっ、猫ちゃんも改心したのかな?」
「さあね……それ、貸して」
本当は「んなわけあるかよ」と言いたかったけど、がそう思いたいのならそれでいいか、と思ってあえて言わなかった。猫、に感謝しなよ。ていうか、今度見つけたらただじゃすまさない……。
から箱を受け取ると、取り出して中身を確認する。
……中身は無事のようだ。箱にはくっきりと、歯型が付いているけど……。
「……コレ、バレンタインのお返し。手、出して」
おずおずと差し出された手を取り、右手の薬指にシルバーのリングをそっと嵌める。サイズはぴったりだった。
「わぁ……キレイ……」
「お前に似合うと思って。気に入った?」
「うん……! すごく!!」
「良かった……」
呆けたようにリングを見つめる。僕はその右手を取る。
「恋人の座は、僕のもの。……婚約者の座も、すぐに手に入れてみせるよ」
次に左の薬指を手にとって、軽く口付ける。
「翼……//////」
「好きだよ……」
「つば………っ……」
背後に、光を感じる。
木々の合間から覗く、打ち上げ花火。
でも、僕ももそれを見ることが出来ない。
花火の轟音よりも、熱を交し合う、の切なげな息遣いの方が大きく感じられる。
の心音が直に響き、僕の熱を更に上昇させる。
眉根を寄せて、息苦しそうな表情を浮かべていても、僕はを解放しなかった。
「つば、さぁ……もう、駄目……っ……」
「……? おっと……」
「ふえぇぇ…」
ぱたりと力を失ったように、僕に倒れ込んでくる。苦しそうに、肩で息をしている。……ちょっと、やりすぎたかもしれない。
「……大丈夫?」
「つ、翼……あ、あんな長いキス……駄目だってば……」
潤んだ瞳が、上目遣いに見上げてくる。その表情こそ、こっち的に「駄目」なんだけど……。
「短いキスじゃ、足りない」
「そ、そんな……」
「お前が僕以外のこと考える余裕がなくなるくらいしないと、満足出来ないんだよ」
「っ……//////」
真っ赤になって俯いたが、小声で呟く。
「……私はいつも、翼のことしか考えられなくなってるのに……」
本当はしっかり聞こえていたけれど。
いつもの癖で、口から出たのはこんな言葉。
「まだ余裕あるみたいだね? じゃあもう1回」
「え!?」
「……」
「やっ……つば……///////」
の心音に重なるのは、僕の心音じゃない。
この煩い音は、花火だ。
そう自分に言い聞かせた僕は、今日一日の苦悩を全て払拭するかのように、の唇を求め続けた。
を陥落させるには、僕はまだ修行不足だ。
今回は完全に、僕の負け。
僕はまたしても、に溺れそうだし……。
でも今はまだ、これでいい。
こうなったら、がもう嫌だっていうくらい、愛し抜いてやるよ。
僕の愛に溺れさせるくらいにね……。
そう考えたら、今日という厄日も、まんざら捨てたもんじゃなかったかもしれないと思えたのだった。
「あら、これって翼の……?」
――――diary
「何々……あら、まあ……あの子ってば、こんなむっつりだったのね。うふふ、これは色々使えそうだわv」
――――数日後。
「に、日記が無い!? 嘘だろ!!」
「うふふふ……」
翼の焦った声に、玲がほくそえんでいたことは、誰も知らない……。
Fin....
というわけで、見事一位に輝いた翼姫のホワイトデー特別ssをお送りしましたが、皆様いかがでしたでしょうか。何ていうか、翼姫へのコメント&リクエストに「翼くん大好きですvvどんなお返しをしようか以外に必死に考えてくれてたら素敵かも♪意外な感じにときめく!」というものがありまして……。翼は何でもそつなくこなしてしまわれるので、たまには悪戦苦闘させてみよう! と思い立ち、このリクエストに応えられるような話を考えました。いや、応えられているかは謎ですが……(汗)このリクくださった方、ありがとうございましたvていうか、今回はssというには長すぎた……。
今回のテーマは「彼女に尽くす!」だったのですが、それはまあ何とかなったんじゃないでしょうか……?(びくびく)いや、なってねーよって突っ込みは置いておいてください……。タイトルは「誰も知らない僕の苦悩」という意味です。いやはや、翼姫、災難でした……(お前のせいだろ)
最後は、バレンタイン以上に甘―くしたつもりです。という微エロ……? いや、あれくらいは許容範囲ですよね?? だって私、そんな乙女っ子な年じゃないし★(開き直り)中学生くらいにも、受け入れられるエロを目指します!(何だよアンタ)
この先のリンクに、ちょっとしたおまけがあります。ssまで書くことは出来ませんでしたが、翼姫以外に投票してくださった方々への御礼です。宜しければどうぞ。
ではでは、ここまで読んでくださった方々へ、厚く御礼申し上げます。またねーv
2007/03/15 桃井柚
*おまけはコチラから*