とある街の片隅に、ひっそりと佇む廃墟ビル。
 ――――御影探偵事務所。
 ここの探偵事務所が扱うのは、世に蔓延るあらゆる謎。
 俗に言う、都市伝説と呼ばれる類もの。

 そして今日もまた。
 袋小路に迷い込んだ人間が、彼に助けを求めてやってくる。

 噂という謎を、手土産に……。



「紫季様、新聞が届いておりましたわ」
「すまないな」
 新聞に目を通した黒い青年は、一面記事に軽く目を留める。

『連続猟奇殺人――被害者、ついに3人目! 悪夢はいつまで繰り返されるのか』

「世間は物騒な事件で賑わっておりますのね」
「これってまだ、犯人の目星すら付いてないんでしょ? 今朝のニュースもこの話で持ち切りだし」
 テレビ画面を食い入るように見つめていた璃亜が言う。
「警察も動いているようですけれど……証拠も何も見つけられないそうですわ」
「ったく……検挙率9割を超える我が国の公僕は何やってんのかしら」
「……真相はいつも、俺たちの目の前にある。この事件においても、例外はない」
 双子の少女が振り返ると、青年は薄っすらと笑みを浮かべる。
「何、すぐに解決するだろうよ。まあ、それがどんな形になるかは知らんがね」
「「……」」
 青年の言葉に、双子の少女はお互い顔を見合わせた。



ファイル003 「テレビの砂嵐」



 気付けば俺は、古びた廃墟ビルの下に立っていた。
 崩れかけた看板には、古びた文字で「御影探偵事務所」と書かれている。
 異様な雰囲気が、辺り一体に立ち込めている。
 夕暮れ時の、あの独特な雰囲気とでも言うのか。赤黒い夕日が、俺の影を不気味に伸ばす。
 ……まさか、俺がこんな都市伝説まがいな場所に来るなんて……自嘲気味な笑みが零れる。

 でも、今は何かに縋らないと耐えられない。
 これ以上、自分の日常を壊さないためにも。
 世界を元に、戻さなくてはならないのだ……



 扉の向こうには、人形のように整った容姿を持った少女が立っていた。ここの事務所の関係者だろうか。
 彼女は軽く会釈をすると、静かに言った。
「こんばんは。調査のご依頼ですか?」
「え、ああ……はい……」
 俺の言葉に、彼女は少し俯く。
「……大変申し上げにくいのですが、あいにく所長の御影は外出しております」
「そ、そうなんですか……」
 俺は落胆を思いっきり出してしまった。そんな……今すぐに誰かに相談しないと、俺はどうにかなりそうなのに。
 そんな俺に気付いたのか、彼女が控えめに続ける。
「……もし、私で宜しければ、お話だけでもお伺いいたしますが」

 この際話を聞いてもらえれば、誰でも構わない。
 ただ、誰かとこの非日常を共有したかった。俺の恐怖を分かち合ってほしかった。

「ぜ、是非お願いします!!」
 俺の言葉に、彼女は薄く微笑んだ。



「私は当事務所の所員をしております結城璃緒と申します」
「佐村…碧海〈さむら おうみ〉です」
 名刺を差し出すと、彼女は恭しく「頂戴いたします」と頭を下げる。
「碧海さん…ですか。ふふっ、綺麗なお名前ですね」
 お茶を淹れながら、彼女は笑みを零した。
 コロコロと鳴る、綺麗な音だ。何だか鈴の音のような声だと思う。
「……あの、此処は本当に、おかしな事件を取り扱っているんですよね?」
 唐突に切り出した俺に、彼女は首を傾げる。
「おかしな事件……と申し上げて良いかは分かりませんが、確かに不可解な事件を調査することは多いかと」
「じゃあ……俺の話も信じていただけますよね……?」
「……ええ。どうぞ、お話になってください。堅苦しい敬語もいりません。楽な気持ちでお話ください」
 そう言って微笑んだ彼女が、聖女に見えた。

 自分よりも5歳は年下であろう少女に、俺は全てを委ねたくなっていた。
 それは彼女の持つ、不思議な雰囲気のせいなのか。
 それとも、それほどまでに俺が追い込まれているということなのか。

 いや……もう何だっていいんだ。

 向かい合わせに座った彼女に、俺は縋るような気持ちで話し出した。
「君は……『テレビの砂嵐』って知ってるかな?」
「ええ……今ではあまり見かけなくなりましたが、以前はよく、深夜のテレビ放映終了後に見かけましたわ」
「その砂嵐で……俺は……見てはいけないものを見ているんだ」
「見てはいけないもの……?」
「そう……。とても恐ろしい、悪夢を……」



 映像会社に勤める俺は、毎日の大半を映像や音声の中で過ごしている。業界最大手とまではいかないものの、それなりの規模を誇るうちの会社には、それこそ数え切れないほどの映像データがある。入社二年目の俺が担当しているのは主に、撮られた映像の編集。映像の種類は多種多様で、ドラマからバラエティ、ニュースと幅広い。
「そこ! 今の映像クローズアップした方がいい」
 瞬時に様々な映像を判断し、それを取捨選択していく。そんな作業が俺の最も得意とするところだった。映像の仕事は俺にとってはまさに天職だった。

 そしてその日も、いつものように深夜遅くまで編集作業に没頭していた。
 全てがいつも通り――なはずだった。

「うわ……珍しいな」

 目の前のモニターには、「ザザザッ」という音と共に灰色のモザイクがかかっている。要するに、砂嵐だ。久々に見たなーと思いつつ、今時、しかもデータに入り込むのも珍しいとも思う。
 しかし、編集するからにはこの部分はカットしなくてはならない。そう思い、削除しようとした時だった。突然、砂嵐が消え、映像が映し出されたのだ。

 そこは、どこかのゴミ集積所のようだった。
 いつの間にか、物悲しいBGMまで流れ始める。
 撮影の際、誤って入ってしまった映像だと思い、すぐに削除しようとした時だった。何か、文字のようなものがスタッフロールのように浮かび上がってきた。

――――青木 一成

 知らない名前だった。聞いたことも無い。
 その名前の後に続けて、その「青木一成」なる人物についての詳細が流れてくる。
 住所、生年月日、職業、趣味、特技など、ありとあらゆる個人情報がその映像には映し出される。
 これが誰かの悪戯にせよ、偶然紛れ込んだものにせよ、個人情報の漏洩レベルを遥かに超えてるな、などと頭の遠くで考える。それくらいこれは、俺の目に奇妙に映っていたのだった。

 どれくらいの時間が経っただろうか。ふと気付くと、スタッフロール(?)は終わり掛けていた。そして、文字が途切れた後、今までの文字より二周りほど大きな字が流れてきたのだ。

 その文字は、何故か赤い血文字に見えた。
 血文字はこう綴られていた。

『この人物が、次の犠牲者です。お休みなさい』

「……」

 何となく、鳥肌が立った。
 悪戯に間違いないとしても、こんな夜中にこれを見たら、誰もが薄ら寒く感じるに違いない。

 都市伝説の一つに「テレビの砂嵐」という話があったのを思い出す。
 伝説では確か、深夜にテレビを点けていたら、突然画面が切り替わる。映し出されたのはやはり、どこかのゴミ集積所。物悲しいメロディーと共に、スタッフロールのように名前がどんどん浮かび上がって流れていくのだ。そして最後に『明日の犠牲者は以上です。お休みなさい』という一文が記されているというものだったはず。
 今の俺の状況が、まさにそれだ。違う部分もあるが、大差は無い。そう言えばこの間、都市伝説についての映像を編集したばかりだった。……どうやら俺は、寝不足のせいでいらぬ妄想まで抱くようになってしまったらしい。
 念のためもう一度その映像を巻き戻して見たが、今度は砂嵐以外の映像や音声が流れ出ることはなかった。
「寝惚けてたんだよな……きっと」
 そう納得して、その日は早々に仕事を切り上げて帰宅したのだった。

 しかし次の日の朝……俺は愕然とした。
 目の前のテレビに映し出される映像に――その内容に。

『昨夜未明、都内某所に住む会社員青木一成さん(25)が、自宅付近の公園で遺体となって発見されました。青木さんの遺体は損傷が激しく、警察の調べでは怨恨による殺害である可能性が高いとして、捜査を進める方針を打ち出しています――――』

 青木一成――――
 その名前が、昨夜の記憶がフラッシュバックする。

 まさか……そんなバカな。
 あれは俺の妄想で……夢だったんじゃないのか……!?

 しかし俺はすぐに思いなおす。
 そもそも、同姓同名の人間なんてこの世の中に沢山いるに違いない。
 たまたま夢で見たことが現実になったって、そこまで不思議なことじゃあない。そういう偶然だって無いとは言い切れないじゃないか。

「しっかりしろ! 俺」

 映像に携わる人間が、映像に踊らされたら身も蓋も無い。
 俺は自分に活を入れるべく、冷水で顔を叩いた。



 それから数日。
 あの夜のような出来事は起きず、俺はまた日々の業務に没頭していた。
 映像には何ら不審な点は無く、やっぱりあれは悪い夢だったのだと俺に納得させた。

「お疲れさん、佐村」
「堀出課長、お疲れ様です」
「連日徹夜で編集してるんだって? お前はやる気があるって、皆が噂してるぞ」
「いや、そんな……」
「この分なら、すぐにでも出世できる。今は大変だろうが、ここが正念場だ。しっかり頑張れよ」
「はい、ありがとうございます」

 肩を叩かれて、俺は誇らしい気分になった。
 上司に認められるということは、それだけ俺が評価されているということだ。
 堀出課長は、俺が尊敬している上司の一人だ。映像に関する知識も豊富で、入社当時から何かと世話になっている。若くして課長にまで上り詰めた彼は、俺の目標だった。

「スロットばっかりやってるんじゃないぞ」
「はは……」

 どうでもいいが、俺はパチスロが得意だ。
 堀出課長と仲良くなったのも、実はパチスロがきっかけ……だったりする。
 とまあ、課長や周囲の期待に応えるためにも、俺は頑張らないといけないのだ。
 眠気を振り払って編集作業に勤しみ、それが5日間ほど続いた時だった。

 また……あの映像に出会ってしまったのだ。
 浮かび上がった名は「谷井芽衣子」という女性らしい。ニ、三度瞬きするも映像は消えなかった。
「やっぱりこれは……夢なんかじゃない……」
 『次の犠牲者はこの方です。おやすみなさい』というテロップが流れるまで、俺はその場から動くことが出来なかった。



 一週間後、ブラウン管越しに谷井芽衣子を見た。……既に遺体と化していたが。

『谷井芽衣子さん(34)の遺体は、自宅付近のゴミ捨て場に遺棄されていたとのことです。警察の調べによると、谷井さんの遺体は両手両足が切断されており、死後3日は経っていると――――』

 アナウンサーが淡々と告げる中、俺の心は警鐘を鳴らし続けていた。

 これはヤバイ。何かがおかしい。
 俺は何だ、死神にでも取り憑かれちまったのか?

 俺が編集する映像に紛れ込む、都市伝説も真っ青なあのテロップ。
 これから死に逝く者の名前を映し出すそれを、俺はもう二度も見た。
 ……一体どうなってるんだ……?

 そんな俺にさらに追い討ちをかけるように、その日編集していた映像にもあの、悪魔からのメッセージが入り込んでいたのだ。

――――鈴村 浩

「……俺は……どうすれば……」

 呆然と立ち尽くす俺は、ただあの悪魔の画面を見続けるしか出来ない――――……。






「……もうすでに、俺はあの『猟奇殺人事件の被害者』3人分の映像を見ているんだ……」
 目の前の少女は、無言のまま俺を見つめている。ただの妄想だと思われただろうか。
 しかし少女は、真剣な口調で俺に告げた。
「つまり碧海さん。貴方は、この事件で被害者となる方を事前に知っていた、ということなのですね?」
「ああ……知らされていた、と言った方がいいのかな」
「本日、何か映像データをお持ちですか?」
 俺は鞄の中から、一本のビデオテープを取り出した。
「……多分、何も写ってないと思うけど、一応……」
「こちらをしばらく、お借りしても宜しいですか? 調査したいことがありますので」
「構いません……宜しく」
 少女は軽く頷くと、ビデオデープを封筒にしまい込む。
「佐村さん。なるべく早く調査結果をお伝えできますように、弊社は力を尽くします。どうぞお気を落とさずに……」
「はい……」
「何かありましたら、いつでもご連絡ください」
「はい……」

 探偵所をあとにした俺は、そのまま会社へと戻る。まだまだ仕事は山のように残っているのだ。
 あの少女と話が出来たからだろうか。幾分か気持ちは楽になっていた。
 きっと全て解決する。
 そんな願いを胸に、すっかり暗くなった道を歩いた。



 御影探偵所に行ってから、三日が過ぎた。
 しかし、あれから何の音沙汰も無い。
 不安に駆られたが、どうすることも出来ない俺は、複雑な気持ちを持て余しながら毎日を過ごしていた。

 そして夜……またしても、悪夢が始まった。しかし、今度は今までとは違った。

――――佐村 儚

「はか…な?」
 儚は、俺の妹だった。時々家に来ては掃除や飯を作ってくれている。
「っ……やめてくれ……!」
 いよいよ怖くなった俺は、咄嗟にその映像を取り出そうとする。しかし、何故か機械が言うことを聞かない。
「くそっ……くそっ!!」
 停止のボタンを荒々しく押すも、機械は何も反応せず。焦る俺を嘲笑うかのように、そのテロップは流れ続けた。儚についてのありとあらゆる情報が、延々と流れ続ける。まるで、走馬灯のように。
「嫌だ……やめてくれ……!!」
 儚だけは何としても助けなくてはならない。
 そう思うや否や、俺はすぐさま儚に電話をする。
 しばらくのコールの後、眠そうな声が聞こえてきた。

「儚! 俺だ!!」
「ん……お兄ちゃん? どうしたの……こんな夜中に……」
「いいか、よく聞けよ! お前、今日から一週間一歩も外に出るなよ! そして今すぐ戸締りをしっかりするんだ!! いいか! 知り合いが訪ねてきても、絶対に開けるなよ! 分かったか!? 儚!」
「え!? ど、どうしたの?」
「いいから! 今は俺の言うことを聞くんだ!! 分かったな? 絶対に俺の言う通りにするんだぞ!」
「えっ、ちょ、お兄ちゃ――――」

 一方的に告げ、俺は電話を切った。
 今までは正直、俺の知らないところで、知らない相手が死んでいったせいか、あまり現実として意識していなかった。しかし今は違う。 次のターゲットは俺の家族。大事な妹だ。もはや、他人事ではない。
 そして気付けば俺は、御影探偵事務所の番号を押していた。
 もはや、一刻の猶予も許されない状況なのだ。

 夜中だというのに、2コールで電話は繋がった。
「もしもし!? 佐村です! 佐村碧海と申します!!」
 まるで俺が掛けてくるのを予想していたかのように、落ち着いた声音が返ってくる。
「話は助手から聞いています。所長の御影です」
「助けてください!! 妹が……次の標的にされているんだ!!」
「佐村さん。実は、調査結果が出たんですよ。是非今からお会いできませんか?」
 到底噛み合わない台詞に、俺は思わず怒鳴る。
「何言ってるんだ!? 俺の妹が今、殺されそうになってるんですよ!! 調査結果なんて今はどうでも――――」
「ですが佐村さん。この調査結果の方が重要かつ重大なんですよ」
 平然と言ってのける相手に、怒りが込み上げてくる。
 これじゃあ何のために相談しに行ったのか分からないじゃないか!
 あの少女は俺の話をきちんと伝えたのか!? 俺が名前を知った相手が、どんなに悲惨で無惨な最期を遂げているかちゃんと!?
「――もういいです! アンタたちを頼った俺が馬鹿だった!!」
「佐村さん、貴方――――」

 電話が切れる前に、相手が何かを言っていたが今はどうでも良かった。
 それよりも早く、儚を安全な場所に避難させなくては!!
 儚だけは何としても守らなくてはいけない。
 携帯を握り締め、俺は最愛の妹を守るため駆け出した――――。






 寝巻き姿のまま、小さく蹲る少女。
 時刻は夜中の3時を回っている。
 カーテンからは、街路樹の灯りが薄っすらと差し込んでいる。
 周囲は静まり返っている。

 ふと、少女の目に留まった影。
 それは明らかに、自分の部屋を見ている。間違いない。
「っ……」
 布団を握り締め、息を詰める。
 その影は、ゆっくりと動き、アパートの階段を登り始めたようだった。

 心音が大きく、早くなっていく。
 体が震える。
 冷や汗が流れる。

『連続殺人事件』

 この言葉が頭を過った瞬間、一際大きく心臓が跳ねる。

――――怖い

 足音が近付いてくる。
 玄関の前に、誰かがいる気配がする。

 怖い怖い怖い怖い怖い……

――――トントン

 控えめにノックがされる。
 少女は動けない。

――――ドンドン

 少し音が大きくなる。
 それでも少女は動けない。

――――ドンドンドンドン!!!!

「ひっ!」

 荒々しく扉が叩かれ、少女は耳を塞ぎ縮こまった。

 音が止み、代わりに何かが差し込まれる音が響く。
 ギギギィという嫌な音が聞こえた瞬間、少女は扉が開いたことに気付いた。
 しかし、足が竦んで動けない。

 近付いてくる影。
 あとずさる少女。
 暗闇の中を、二つの影が移動する。

「や、やめて……来ないで……」

 近付いてくる影の手には、鈍く光る凶器。
 少女の目からは涙が零れる。

「助けて……嫌……嫌っ……殺さないで……」

 少女の必死の懇願も虚しく、影は凶器を振り上げる。
 その顔は、愉悦と狂喜に満ちていた。
 お互いの目が合った瞬間、少女は狂わんばかりの勢いで叫んだ。


「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!! お兄ちゃぁん!!!!!!!!!」
「そこまでだ」


 少女の叫びと共に、部屋の明かりが一斉に点いた。
 その一瞬の隙を突いて、香月が凶器を取り上げる。
 気を失った少女を守るようにして、双子の少女が立つ。
 呆然と立ち尽くす影に、御影紫季は言った。

「佐村碧海。アンタがこの、連続猟奇殺人事件の犯人だよ」
「……な、何を言って……」
 男――――佐村は、わけが分からないといった様子で紫季を見返す。
「まあ、自覚が無いのは仕方がない。正確に言えば、アンタは操り人形同然だったわけだしな」
 紫季は鞄からビデオテープを取り出すと、佐村の前に掲げる。
「このビデオテープ。一見すると、何も不審な点は見つからない。しかしこれには、ある秘密が隠されている」
「秘密……?」
「アンタ『サブリミナル効果』って知ってるか?」
 佐村は頷く。
「……一種の催眠術のようなものですよね。映像の節々に、一瞬の映像や音声を入れることによって引き起こすアレ……」
「そうだ。このビデオテープの映像には、そのサブリミナル効果が起こるような仕掛けが施されている。しかも、常人にはかからないような、特殊なね」
「常人って……俺は別に何の変哲も無い人間なのに……」
「そんなことはない。アンタは動体視力……いや、瞬間視に長けてるはずだ」
 その時佐村は、自分の特技、スロットを思い出す。あれは運もあるが、動体視力に長けている方が遥かに強い。それに加えて「映像を瞬時に判断する能力」。一瞬の映像から、様々な情報を読み取る力はまさに「瞬間視」が長けていることに他ならない。
佐村は常人よりも、様々な「視力」が優れていたのである。
「アンタが見たっていう映像は、一種の催眠術効果によるものだ。砂嵐の中に、特殊な映像が組み込まれている。映像に施されていた仕掛けと、この砂嵐の相乗効果によって、アンタは一連の被害者の情報を植え付けられたんだろう」
 「しかも、その相手を殺したくなるようなおまけ付でね」、そう付け加えた紫季の瞳が赤黒く光る。
「俺が……まさか……」
 佐村の声が震える。
「アンタは誰かに嵌められたのさ」
「嵌められた……?」
「そう。アンタを操って、この狂った惨劇を作り上げた黒幕がいるってことだよ」
「そ……ん…な……本当に俺が……?」
「……残念ながら佐村さん。亡くなった三名の方の遺体が置かれていた場所で、貴方の姿が確認されています。まだ警察は動いていませんが、貴方のことが知れるのも時間の問題でしょう」
 璃緒の言葉に、がくりと膝を突く佐村。紫季は静かにそれを見下ろす。
「俺は……俺は……妹までもこの手に……映像に踊らされて……殺人鬼に成り果てて……俺は……俺は……」
 うわ言のように繰り返す佐村に、紫季は言った。
「アンタに残された道は二つある」
 空ろな瞳で紫季を見上げる佐村。その瞳には絶望と、ほんの僅かな期待が浮かんでいた。紫季の言葉に縋るような、そんな期待。その瞳に語りかけるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ黒い青年。
「一つは、このまま海外にでもどこへでも逃げるという道。今ならまだ間に合う。すぐにでも妹を連れて逃げるんだな。そうすればアンタは、少なくとも新たな人生をやり直せる」
「……でも、儚は俺を……」
「安心しろ。今夜のことは全て悪い夢だ。妹は一夜、アンタは少し長い間悪夢を見ていただけだ」

 紫季の言葉が、麻薬のように佐村の心に染み渡る。
 この狂った惨劇は全て悪い夢。目が覚めればまたいつも通り、明るい朝がやってくる。
 佐村は催眠術にかかったかのように、虚ろな瞳のまま紫季を見つめている。
 次の言葉を聞くまでは。

「そしてもう一つ。それは、カーテンフォールまで演じ切るという道」

 ハッとしたように紫季を見上げる佐村。
 紫季は薄っすらと笑みを浮かべている。

「好きな道を選べ。正誤は無い。全てはアンタ次第だからな」

 紫季の瞳が妖しい翳りを帯びる。
 
 佐村は、自分の隣で倒れている最愛の妹を眺める。
 妹までも手にかけようとした自分を、彼は許せそうになかった。そして何より、この連続殺人事件の犯人が自分だったという事実に絶望していた。

 意識が無かったとは言え、自分の両手は鮮血に染まっている。
 何も無かったことになんて、今更出来るはずもなかった。

「ハハ……そんなこと、むしが良すぎるよな……」

 そう……考えるまでもなかった。
 答えなんて、初めから決まっていた。

 彼が……黒い青年が自分に微笑みかけた時に。
 その赤黒い瞳が、鈍く輝いた時には既に。

「自分の舞台くらい、自分で締めるよ」

 呟きが決意に変わった瞬間、噂は終幕に向かって動き始める――――。







「ふふふふふ……最高だ……最高傑作だよ、これは!」
 沢山のモニターに囲まれながら、笑い転げている人物。
 映し出されているのは、一人の男が次々と人間を殺害していく過程だった。
「いいね! 飛び散る血飛沫、肉を切り裂き骨を砕く音、断末魔の叫び声!! この臨場感は、リアルでしか表現できない!! はははははは!!!!」
 まるで楽しい映画を見ているかのように笑うその人物――――堀出は、犯人役を務めた男のことを思う。
「ははは!! 佐村、お前は最高の部下だったよ! やっぱりお前は私の期待通りに動いてくれた。お前のおかげで、万人を魅了する映像が撮れた。感謝しているよ、本当に。残りの余生は、監獄で静かに暮らしてくれ。いや、すぐに死刑か? ひゃはっ」
 狂ったように笑い続ける堀出。
あの日から一週間が経った今、佐村碧海とその妹儚は行方不明となっている。
堀出は、現場近くに設置しておいた隠しカメラの映像を編集しながら、最後の被害者である佐村儚の映像だけが無くなっていたことを思い出した。
「最愛の妹まで手にかけたお前は、もう廃人と化してるだろうなぁ。あのカメラはどこに行ったんだろう……お前の絶望に満ちた顔が見られないのは実に残念だ」
 そんな時、モニターの画像が突然揺れ始める。
「ん? 何だ、故障か?」
 揺れは段々激しくなり、ついには灰色のモザイク、砂嵐へと変化する。苛立たしげに停止ボタンを押そうとすると、堀出の向かいのモニターの画面に映像が流れ始めた。
 それはいつかどこかで見た、あのゴミ集積所の風景だった。自分が編集した画面が、今、何故か目の前に映し出されている。音声は無い。
「今見ても、中々よく出来ているなあ。都市伝説を利用したのは正解だった。佐村はまんまと騙されてくれたしなあ」
 ぼんやりと眺める堀出。しかし、流れてきた文字に我に返る。
「な、何だこれは!?」

――――堀出 紳一

 次々と自分のプロフィールが浮き出しては消えていく。しかも、それに加えて自分が今まで生きてきた軌跡が、事細かに流れくる。言うまでもないが、こんな映像を堀出は作った覚えは無い。

「このっ! 誰の悪戯だ!? くそっ! 止まれ!!」

 しかし機械は全くの無反応。ただ機械的に、彼の人生を走馬灯のように映し出す。彼は半ば呆然と、その映像に見入っていた。次の一文を見るまでは。

――――20XX年 猟奇殺人事件の真犯人ということが発覚し自殺。享年、32歳。

「な!?」

 彼が何かに気づいた時は、もう既に手遅れだった。
 体の自由が利かなくなっていた。

「ぐ……な、何だこれは……体が動かない……」

 段々と意識が朦朧としてくる。頭に靄がかかったようだ。
 耳鳴りがする。頭を金槌でガンガン叩かれているようにも感じる。全身が痺れて、息が上手く吸えない。

「だ、れか……たずけ……て……」

 その場に這いつくばって手を伸ばす。すると目の前に黒い影。

「た、助けてくれ……」
「ええ、いいですよ」
 あっさりとそう答えた影に、堀出はしがみつく。
「は、早く……」
「はい、これを使ってください」
 影は屈みこんで、堀出にそれを手渡した。堀出は喜んでそれを受け取る。
「助かった! ありがとう! ありがとう!!」
「いいえ」
 堀出はそれを握り締めると、満面の笑みを浮かべた。そして立ち上がると、モニターの前に立つ。
「おい、撮影の準備は出来てるか?」
「はい」
「しっかり撮るんだぞ! じゃあ、いくからな!」

――――ドシュッ!!

「あひゃひゃひゃひゃ!!! ぐはっ! ひぃっひぃっひぃっ!!!」

 笑い声が木霊する。

――――ズシャッ! グチャッ!! 

「ぐあっ!! うげぼっ!!! ひっ!! いーひひひひひひひひっ!!!!!」

 自分の身体に、無数の傷を刻んでいく堀出。
 血飛沫が舞い、肉の切れる鈍い音が響く。
 彼が望み、欲していた通りの現実を、彼自身が創り上げているようだった。

――――ベチャリ

 B級のスプラッター映画のような光景を、影はただ無表情に見つめていた。糸の切れた人形のように動かなくなった肉片を見ても、影は何も感じない。
 そのまま振り向きもせずに、部屋をあとにする。

 影が出て行った部屋には、かつて人間であったものが無造作に転がっている。
 それを無慈悲に写し続けるモニターの映像には、赤い文字でテロップが出ていた。

「最後の犠牲者は貴方です。おやすみなさい」










「お兄ちゃん! もう朝だよー! 起きて!!」
「ん……」
「ほら! ご飯冷めちゃうよ」

 いつもと変わらない朝。
 朝日が差し込む部屋で、俺はまどろみから抜け出る。

「今日は遅いの?」
「いや、18時には帰れるよ。そしたら飯でも食いに行こう」
「やったーv 私、ハンバーグが食べたいな」
「よし! パフェもセットで付けてやる」
「きゃーv お兄ちゃん、太っ腹―」

 実は俺のここ一ヶ月の記憶は曖昧だった。気付いた時には、自宅で寝ていた。いつの間にか転職までしていたのだから驚きだ。しかも誰もそれを不審に思っていない。
 儚も俺同様、記憶が曖昧らしい。何故なのかは分からない。ただ、薄っすらと覚えているのは、何か怖い夢を見ていたような気がする……だそうだ。子供じゃあるまいしそんなこと、とも思ったが、どうやら嘘ではないらしい。そもそもそんな嘘をつく理由も分からない。
そんな儚は今、俺のマンションで暮らしている。気付いたら一緒に暮らしていた。俺の記憶が曖昧なせいで、何も詳しいことは思い出せない。最近は物騒な世の中だから、俺が儚を呼び寄せたのだろうか。

 俺が働いていた会社では、何でもあの『猟奇殺人事件の犯人』が自殺したとか何とかで、今はてんやわんやらしい。元同僚から掛かってきた電話では「お前、マジでいいタイミングで辞めたよなぁ。羨ましいよ」と言われたくらいだ。そう言われても、俺は何故自分が転職したのか分からないのだから答えようが無い。

「じゃあねお兄ちゃん!」
「ああ、気を付けろよ」

 儚と別れ、ホームを目指して歩く。
 人の波に揺られながら、俺はふと胸元を探った。

――――御影探偵事務所所員 結城璃緒

 誰かの名刺、しかも探偵事務所(?)のだ。
 しかし、一体いつどこで誰から貰ったのかは全く思い出せない。
 ただ、何となく、俺にとってとても重要な……でも何故か関わるべきではないような気のするものだった。
「……」
 そうだ。俺は記憶を失っているんだ。きっと思い出したくない何かがあるに違いない。この名刺を持っていたら、その何かを思い出してしまいそうな気がするのだ。

「俺は選んだんだ」

 ふと口を付いて出た言葉に、奇妙なデジャヴを感じる。その瞬間、人形めいた少女の顔が脳裏を掠めた。しかしその一瞬はすぐに他の記憶に掻き消され、もう思い出すことが出来なかった。

『三番ホームに電車が参ります。危ないですから、黄色の線の内側にお下がり下さい――――』



 電車のアナウンスが聞こえ、人々の動きがせわしなくなる。
 握り締めた名刺をくず入れに放り投げ、慌てて電車に乗り込む。

 電車の中は、何故か懐かしい香りがした――――。






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