ファイル001 ハンバーガーの中身




「よぉ、香月。お前、昼飯まだ?」
「んー、まだ」
「じゃあ、マック行かね?」

 昼飯を、学食で食うかどうしようか思案していた俺に、友人の城戸鷹司が声を掛けてくる。俺は「おぅ」と返事をして、講義用ノートを揃える。
 駅前のマックまで……徒歩5分。午後の講義には、十分間に合う。三年になった今、そろそろ卒業のための単位取りを始めないといけない。一二年の頃のツケが、回ってきていた。

 校門をくぐり、行き交う人々の波に飲まれながら、俺と鷹司はマック・ド・ナルドを目指していた。俺の頭の中には、マックに着いたら何を頼もうか、腹が減ったから、ちょっと奮発してポテトとジュースをLサイズにしてみようか……それしかなかった。だから、鷹司が冗談混じりに話し出したことにも、反応するのに少しの時間がかかった。

「……でさ、マジだって言い張ってんだよなー、あいつ」
「?」
「今時そんなこと、本気で信じてやがんだぜ? ガキだよな」
「悪い、全然話が見えないんだけど……」

 「なんだよ、俺の話聞いてなかったわけ?」と不満そうに漏らす鷹司に、俺は素直に謝った。悪いが鷹司、今の俺にとってはお前の話よりも、昼飯をどうするかが重要だったんだ。

「だからさー、アレだよ、アレ。都市伝説!」
「都市伝説?」
 聞き慣れない単語が出て、思わず聞き返す。
「あれ? 香月、お前知らねえの?」
「いや、何となく分かるけど……」
 都市伝説……というタイトルの付くテレビの特番が、もうすぐ放映されるようなことが新聞に載ってたような気がする。でも、都市伝説について詳しく知っているわけではない。そんな俺から察したのか、鷹司は大げさに咳払いをする。
「ごほん。都市伝説ってのは、つまりはウワサだよ、噂。ほら、お前も聞いたことねえ? 口裂け女とか、ベッドの下の男とかさ」
「口裂け女なら、聞いたことあったような……」
 口裂け女は、俺が小学生くらいの時に流行ってたような記憶がある。確か、赤いコートを着た、髪の長い女で、大きなマスクで顔を覆っているんだっけかな。どうにも曖昧にしか思い出せない。
「下校中の小学生を呼び止めては『私、キレイ?』って聞いてくる、アイツだよ。キレイって答えると『これでも……?』ってマスクを取って、その下の裂けた口を見せて、追いかけてくるんだよな。うぅ、想像しただけでも怖えぇ……」
 そう言って、両手で肩を抱くような仕草をする鷹司に、俺は「お前の方が怖いよ」と突っ込みを入れた。男がそんなリアクションする方が、口裂け女よりもよっぽどインパクトあるだろ……。
「ひでえなー。とにかく、この都市伝説が最近また流行ってんだよ」
「らしいな。新聞にも、特番がやるって載ってたし」
「そうそう! それで、美咲がさ、この都市伝説にハマッてんだよ」
「美咲が?」
 美咲は、俺と鷹司の友人だ。一年の時、たまたま同じグループで課題をやったことがあって以来、俺たち三人はよくつるんでいた。もっとも、三角関係などドラマのような展開とは程遠い、色気の欠片も無い関係だ。
「アイツ、ほら、何だっけ……オカ研に入ってんじゃん?」
「あぁ……あの怪しげな集団ね」
「――――だーれが、怪しげな集団に入ってるですって?」
「「げ」」
 俺たちの声が見事にハモる。目の前には、腕組しながら俺たちを睨み付ける美咲こと、一宮美咲が立っていた。
「怪しげな集団とは聞き捨てならないわね。私が入ってるのは、れっきとした、由緒と伝統のある、世の謎を探求することを目的とした、素晴らしい研究会よ!!」
「それが怪しいんだっつーの……」
「鷹司、何か言った!?」
「いえ、何も……」
 小さくなる鷹司を他所に、美咲が俺に向き直る。茶色のショートヘアに、大きな丸い瞳が印象的な子だ。世間一般的には美少女なんだろうが、いかんせん、性格と趣味が……。
「香月……何か言いたそうね?」
「いや、別に……」
 美咲がじと目で見てくるので、慌てて目を逸らす。すると、今まで黙っていた鷹司が思い出したように言った。
「そ、そうだ。美咲、今、都市伝説について話してたんだよ! お前、詳しいだろ? 香月に教えてやれよ」
「鷹司、俺は別に……」
「何々!? 香月、都市伝説に興味あるの??」
 「いや、無い」と言える雰囲気ではなかった。美咲は心底嬉しそうに目を輝かせている。ああ、これはあれだ。話したくて仕方ない、そういう顔だ。あいにく、俺には美咲の期待を裏切る勇気が無かった。
「ま、まあ……少し」
 頷いた俺に、ぱあっと明るい笑みを見せた美咲は、待ってましたとばかりに話し始めようとした――――が。
「おいおい二人とも、マック通り過ぎてる!!」
 店の前を通り過ぎた俺たちを、手招きする鷹司の姿が見える。いつの間にか、通り過ぎてしまっていたらしい。俺が慌てて踵を返すと、美咲も慌ててUターンした。最初の目的を忘れるとこだった。



 駅前のマックは、昼時にもかかわらず意外と空いていた。俺たちはそれぞれ、カウンターに並び、注文する。
 店員の女性が、にっこりと微笑む。
 あまりにも完璧なその笑顔は、とても不自然だった。しかし、これが仕事だと言われれば、それまでだ。大して気にする必要も無い。
「……このセットを一つ。あ、あとポテトとジュースはLサイズにしてください」
「かしこまりました」
結局奮発して、Lサイズにした。隣の鷹司も、どうやら俺と同じく奮発したらしい。
 レジに金を置くと、ポテトとジュースだけが乗せられたトレーが出てきた。そしてそのまま、会計が進む。あれ、ハンバーガーはどこ行った?
「お客様、大変申し訳ございません。バーガーの方、ただ今お作りしておりますので、もうしばらくお待ちいただけますでしょうか?」
「あ、はい。構いません」
 店員の女性が、申し訳なさそうに頭を下げた。
「宜しければ、お席にお持ちいたしますので、お座りになってお待ち下さいませ」
「お願いします」
 トレーを受け取り、俺は先に席に向かった二人を追いかけた。
 それにしても、こんな昼時にハンバーガーのストックがなくなるなんて……と、少しの疑問を抱いたが、美咲と鷹司の声にそんな思いは掻き消された。



「どうしたんだよ。何か、トラブル?」
「いや、ハンバーガー、ちょっと時間がかかるんだと。席に持ってくるって」
「へえ、珍しいね。ハンバーガーがすぐに出てこないなんてさ」
「だよな……」
 しかし、こんなことは特に珍しいことでもないと思い直し、俺は席へと着いた。隣の鷹司は、既にポテトを半分平らげている。……この大食漢め。
「ちょっと鷹司ってば、もっとよく噛んで食べなさいよー」
「あいにく俺の胃液は、強靭なんだ。すぐ消化されるから平気だって」
「意味わかんないわよ、それ」
 美咲が呆れ顔でジュースを飲む。俺は、そんな二人のやり取りを眺めながら、早くバーガーよ来い、と念じていた。

 そんな時だった。ふと、思い出したように美咲が呟いた。
「そう言えば……ハンバーガーにまつわる、都市伝説があったよね」
 美咲の言葉に、鷹司が笑う。
「ああ、あれだろ? ハンバーガーの肉は、ミミズだーってやつ」
「そうそう。あれって、よく考えたらすっごい気持ち悪い話よね……」
 想像したのか、美咲はぶるっと体を震わせた。ミミズバーガー……聞いたこと、あったような気がするが、やっぱり思い出せない。
「おいおい、今まさにそれを俺らは食べようとしてんだよ? こんな時に、そんな話持ち出すなよ……」
 俺の意見に、二人は「ごもっとも」と頷く。
まったく、美咲のやつは、こういうのが苦手なくせに、知りたがるし話したがる。鷹司も、面白がって話を煽りたがるし……。溜め息をついた俺に、鷹司が苦笑した。
「まあまあ香月。お前だって、実はちょっと気にならねえ? 何でこんな伝説が生まれたのかとか、何でミミズなのかとか」
「そうよ香月。人間なら誰もが、好奇心を鷲掴みにされる伝説だと思わない!?」
 好奇心を鷲掴みって、どんな日本語だよ……と思ったが、あえてスルーした。好奇心、それは確かにあるが、今は早く昼飯を食いたいということが俺の脳の9割強を占めていた。
「俺が興味あるのは、美咲の食べた脂肪分は、一体どこに行くのかってことだね」
「!!」
 俺の視線の先に気付いたのか、美咲が咄嗟に自分の胸元を手で隠した。……大きく見積もっても、Bか……。
「隠すほどの胸じゃねえだろって――――いでっ!!」
 鷹司の脇に、美咲の肘鉄が綺麗に決まる。
「あんたに関係ないでしょ!? 香月! 今の言葉は、私への宣戦布告って取るわよ!?」
 俺は両手を挙げて、降参のポーズを取る。そして、こう付け加えた。
「まさか。どっちかって言うと、俺は小ぶりの方が好みだし」
「っ!!! そういう問題じゃなーいっ!!!」
 賑やかすぎる俺たちの周りには、ほとんど人はいなかった。



 10分くらいが経過しても、俺のバーガーは一向に現れない。鷹司はもう全て平らげてジュースを啜っているし、美咲でさえ、もうほとんど食べ終わっている。俺もポテトを数本残しているだけだ。
「ていうか香月、お前のまだ来ないのかよ」
「いい加減ちょっと遅いよね。お店の人に、聞いてみたら?」
 俺が立ち上がろうとした時だった。店員が、慌てた様子で席に駆け寄ってくる。
「大変お待たせいたしました! こちら、ハンバーガーでございます」
「あ、ああ、どうも」
 テイクアウトにしたつもりはなかったが、何故かしっかりと紙袋に入れてある。しかし、それを別に問いただしたところで、何のメリットも無い。店員はそのまま、カウンターへと戻っていったので、俺も特に気にせず見送った。
「ほら、香月。とっとと食っちまえよ。もうすぐ講義開始だぜ」
「え? もうそんな時間か」
「そういえばさ、さっきのミミズバーガーの話って、今の香月みたいな感じなんだよね」
「……は?」
 突然、何の脈絡もなく話し出す美咲に、俺は間抜けな声を上げた。
「だから、ミミズバーガーの伝説よ。友人とマックに行ったんだけど、何故かその人のハンバーガーだけすぐに出なくて……。しばらくして出てくるんだけど、不思議なことに、しっかりと紙袋に入れられてるのよね。それで、そのハンバーガーを食べてる途中で手が滑って、慌てて拾い上げた拍子に中身が零れ落ちる。それが、どこからどう見てもミミズだったって」
「うげ……今の香月と、まるっきり同じじゃん」
「でしょ? 私もこれ、噂だと思ってたけど……」
 ちら、と俺を見て、意味深な笑みを浮かべる美咲。
「……案外、実話だったりしてね」
 その笑みが、何となく悪意に満ちているように思えた俺は、抗議の声を上げた。
「美咲、お前……いくら何でも、人が食べようとしてるその瞬間に――」
「ああ、私着替えなくちゃいけないんだった。次体育だし。じゃ、お先っ」
「あ、おい、こらっ!」
「香月はせいぜい、ミミズバーガーを完食なさいな。じゃーねー」
 サッと席を立った美咲は、店から出る前に俺らを振り返ると、思いっきりあっかんべーをして行った。美咲、さっきの絶対根に持ってるな……。
 そんな俺の肩を、鷹司がポンポンと叩く。
「ま、今日は俺たちのが悪かったってことで、勘弁してやれよ」
「……ごもっとも。でも……」
 流石にこんな話を聞かされた直後に、このバーガーを食べる気はしなくなっていた。あり得ない話だが、何と言うか、やっぱり薄気味悪い。
「お前、まさか美咲の話信じてやがんのか?」
「別に、そういうわけじゃないけど……何となく、気味悪いだろ」
 俺の思いを知ってか知らずか、鷹司が笑った。
「大丈夫だって! あいつこの前俺には、食べかけのハンバーガーを床に落として拾ったら、中でミミズが蠢いてたぁって話があるって言ってきたぜ? しかも、俺がちょうど、ハンバーガー床に落とした直後に、だ」
「それってつまり……」
「そう。全部美咲の妄想――もとい、作り話だってこった!」
 鷹司の言葉に、肩の力ががっくりと抜ける。
 何だ、美咲の作り話だったのか……。しかし、それにしては妙に説得力のある話し方だな、などとある種の才能を感じざるを得なかった。
 気を取り直して、ハンバーガーの包みを開けようとした時、鷹司が「あっ」と大声を上げた。驚いて、思わずハンバーガーを落としそうになる。
「な、なんだよ突然」
「大変だ香月。講義開始まで、何とあと5分を切った!」
「げっ」
 無駄話が仇となったようで。結局ハンバーガーを引っ掴み、店から飛び出たのだった。






 講義中。やはりというべきか……腹が減ってきた。鞄の中には、マックの紙袋。この中には、ハンバーガーが一つ。講義中に食べるのはいささか気が引けたが、幸いここは講堂内。しかも俺の席は、最後尾近くの端だ。周りを見渡しても、誰一人としてまともに授業を聞いている様子はなかった。お菓子やジュースを、さも当たり前のように広げ、世間話に花を咲かせている。……この分なら、食べても問題なさそうだ。
 紙袋を開け、中からハンバーガーに包みを取り出す。もうすっかり冷めてしまっていたが、それも仕方ない。包みを開いて、思いっきり齧り付いた。
 味は…普通のハンバーガーだった。しかし、妙に中が冷たいような気がする。何となくだが……生っぽい。

「…………」

 咀嚼すればするほど、口の中に冷たい感覚が広がっていく。
 肉の味はするのだが、食感が何とも言えない。歯ごたえが、感じられない。いや、感じられるのだが……これは明らかに肉では無いように思えた。

 肉じゃない……?
 なら、何なんだ……?

 確認したい……。俺が今、食べたモノが何かを……。
 しかし、それをする勇気が湧いてこない。

 いやいや、まさかそんなはず、あるわけないだろ?
 美咲の話のインパクトがありすぎて、そんな風に感じられるだけだ。そうに違いない。
 そんな、都市伝説まがいなことが、本当に起きるはずなんて、無――

「っ!?」

 今……口の中で……何かが……動いた!?


 こうなったら、勇気も何もなかった。
 慌ててポケットティッシュを取り出し、口の中のモノを吐き出した。そして、恐る恐るそれを見てみると…………

「うっ……うわぁっ!?」

 ざわざわと、周囲が沸き立つ。
 教授が俺を、訝しそうに見上げているのが分かる。
 放り投げたハンバーガーが、講堂を転がる。
 立ち上がった俺に、教授の「何事かね?」という声が響く。

 ……あり得ない……っ。
 俺は、何てモノを……!!

 次の瞬間、耐え難い吐き気に襲われる。
 俺は何も言うことが出来ずに、講堂から飛び出すので精一杯だった。






「はあっ……はあっ……ぐえっ……おえっ……」

 トイレでは、何を吐き出したのかさえ分からない。
 自分の吐瀉物を、確認することなんて出来ない。
 何も吐くものが無くなっても、俺は吐くことをやめなかった。やめることが出来なかった。

 ハンバーガーの中身は……ミミズだった。いや、正確には、ミミズだったかどうかは分からない。が、牛肉じゃないことだけは確かだった。

 思い出すと、また胃液が込み上げてくる。
 確かに口の中で、アレは蠢いたのだ。
 まだ、生きている何かが、ハンバーガーにされていた。

 ミミズ入りバーガー……。
 あれはただの、都市伝説だったんじゃないのか?
 どうしてあんなものが……。

「うぐぅっ……げぇっ……」

 美咲の話が真実だったとしても、あんなものが売られているはずが無い。
 でも、俺が食べたのは、普通のハンバーガーではない。

 確認……してみよう。
 転がったバーガーと、俺の吐き出したものをもう一度……。
 そしてもし本当にミミズが入っていたのなら、あの店を訴えるべきだ……。






 俺が講堂に戻ったのは、講義終了後の放課後だった。
 あれから、どうにもこうにも動くことが出来ず、気付いたら夕方になってしまった。講堂には、俺の荷物だけがぽつんと置かれたままになっていた。
 ハンバーガーは、講堂の隅に転がっていた。誰も片付けなかったらしい。さっきより、幾分か気持ちが落ち着いてきた俺は、思い切ってそのハンバーガーを拾い上げた。
「え……」
 食べかけのバーガーには、何の不審点も見当たらなかった。食べ跡から覗くのも、何の変哲も無い肉。拍子抜けするくらい、それは普通のハンバーガーだった。
 吐き出したティッシュを見る。そこにあったのは、ただの肉片とパンとレタスの混じった、何とも見苦しい残骸だけだった。

「そんな、バカな……」
 信じられないような気持ちになる。眩暈がする。

 さっきのあれは、全部夢だったとでも言うのだろうか。……いや、そんなはずは無い。
 あの食感は、絶対におかしい。いくら美咲の話を信じていたからって、そんなことあるはずない。
 しかし、じゃあこのハンバーガーは何なのか。
 誰かが俺のいない間に、普通のハンバーガーとすり替えたとでも言うのか。
 
 ……いくら考えても、答えは出なかった。
 その代わり、とでも言うのか、携帯電話が鳴った。――――美咲からだった。






「……その話、マジ?」
 美咲の大きな瞳が、更に大きくなった。俺が「大マジ」と返すと、信じられないと言いたげな表情を浮かべた。
「ごめん、香月。私の話がリアルすぎちゃったんだよね? 妄想しちゃうくらいに!!」
「いや、あれは真実だよ。絶対に」
「でも……」
「信じられない話だけど、事実なんだ」
「……」
 美咲はそれっきり、黙ってしまった。

 俺だって、信じたくない。あれは夢か幻だったんだって、思いたい。
 でも……あの感覚が、それを許さない。
 夢なんかじゃない、あれは紛れもない事実だったんだと、俺に告げているのだ。

「でもさ、普通に考えてみてよ? ミミズが入ってたのが事実だったとしても、何で跡形もなく消えちゃったの?」
「さあ……」
「それってやっぱり、香月の勘違いだったとしか言いようがないんじゃないの?」
「……」
「ねえ香月、やっぱり悪い夢見てただけなんだよ。もう忘れよう? ね?」

 美咲が気を遣っているのが分かるが、俺はただ曖昧に頷くことしか出来なかった。
 あれを夢だと言い捨てるには、いささかリアルすぎる……。






 美咲と別れ、駅までの道のりの途中、あのマックの前を通りかかった。大学の生徒たちが、ジュース片手に話し込んでいる姿が目につく。しかし、誰も「ミミズバーガー」に怯えている様子は無い。やっぱりあれは、妄想の産物でしかなかったのだろうか。
 そんな時店員が、黒いゴミ袋を手に出てくる。昼間の店員だった。彼女は、路地裏のゴミ捨て場にそれを捨てると、またそそくさと店へ戻っていった。
 俺の足は、引き寄せられるようにゴミ捨て場へと向かっていた。

 ゴミ捨て場は、異臭が漂っている。猫やカラスが群がり、袋はズタズタなものがほとんどだ。中からはゴミが流れ出ている。集積所の人は、さぞ大変だろうなと他人事のように思った。
 ゴミの山の一番上に、さっきの店員が置いたらしいゴミ袋があった。

 もしかしたらこの中に、何か手掛かりがあるかもしれない。
 さっきのが俺の妄想なのか、真実なのかを確かめる鍵が、ここにあるかもしれない。半透明じゃなく、黒いビニール袋というのが、いかにも怪しいじゃないか。
 そう思って、袋に手を掛けた時だった。

「止めた方がいいよ、その袋開けるの」
「――!?」

 振り返る俺の前には、二人の女の子が立っていた。
 瓜二つの容姿をしている……双子だろうか。セーラー服を着ていることから、高校生くらいだと推測する。かなりの美少女なのだろうが、どこか人間離れしているように感じた。
 二人の少女のうち一人が、続ける。
「多分、それ開けたら後悔するよ。ていうか、一生この店来たくなくなるから」
「え……」
 呟いた俺に、もう一人の少女が答えた。
「多分、貴方が思っている以上の秘密が、その袋の中には隠されているのです。そしてそれは……とても恐ろしい真実なのでしょう」

 二人の少女が、俺を見つめている。
 俺は、ただ呆然とその場に立ち尽くした。

 何なんだろう、この二人は。
 後悔? 恐ろしい真実? この袋の中に?

 この二人の持つ不思議で異様な雰囲気が、妙に説得力を持って俺に語りかけてくる。

――駄目だよ、それ以上踏み込んだら。それ以上は、危険だよ……。

 その言葉が頭に響いた途端、俺が手にしているこの黒いビニール袋が、とてつもなく恐ろしい、悪魔の箱のような気がしてくる。持っていることさえ、苦痛になる。近付くことさえも、嫌悪感が沸き起こる。思わず袋から手を離し、数歩後退した俺に、少女たちは言った。
「そう、それでいいの。世の中にはね、知らない方がいいこと、たくさんあるから」
「貴方はまだ、未来があるお方。知りすぎることは時に、己を縛る枷となります……」

 いつの間にか夕日は沈み、辺りは暗くなっていた。
 声も出せずに、少女たちと対峙する俺。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。ふと、少女の一人が切り出した。
「もし……それでも貴方が、謎に触れたい、知りたいと願うのであれば……」
 スッと、何かが差し出される。……名刺のようだ。
「こちらへおいでください」
 呼び止める間もなく、二人の少女は去っていった。

 名刺には、こう書かれている。

――――都市に蔓延るあらゆる謎、解明します。 御影探偵事務所






 家に帰り、仰向けになって名刺を眺める。
 御影探偵事務所……聞いたことも無い。
「都市に蔓延るあらゆる謎って……都市伝説かよ」
 テレビを点けると、おどろおどろしい文字で『都市伝説怪奇ファイル!』というタイトルが映る。……どこもかしこも、都市伝説だ。
 都市伝説って、そもそも何なんだろう。鷹司の話では、噂話と一緒だっていうけど……本当にそうなのか?

 それにしても、あの少女たちは何者だったんだろうか。
 あの二人には、あのゴミ袋の中身が分かっているようだった。そして、俺に忠告まがいまでしてきた……。よく考えれば、おかしなことだった。まるで、俺がミミズ入りバーガーを食べたことまで、知っているかのようで。

「……」

 今の時刻は20時過ぎ。……まだ、間に合う。

 謎を解き明かしたい。
 忠告されても、自分の目で確かめたかった。
 たとえそれで、世の中の「知らない方がいいこと」に触れてしまったとしても……。

――――この時の選択が、俺の人生を決定的に左右したと言っても過言ではなかった。









「……璃亜、今日は機嫌がいいようだけど……何かあったのか?」
「ふふっ、紫季には教えてあーげないっ♪」
「璃亜……。申し訳ありません、紫季様……」
「璃緒が謝ることはないよ。それにほら……」
 漆黒の、濡れたように艶めく髪を揺らした青年は、楽しそうに微笑んだ。
「――お客様がいらしたようだ」
 その言葉に妹は目を輝かせ、姉は苦笑にも似た笑みを零す。
 控えめに鳴らされたノックに、青年と少女たちの瞳が妖しく煌く。
「失礼します……」
 緊張した声音に、青年は甘い笑みを浮かべ言った。
「……ようこそ、御影探偵事務所へ」








「……アレ、今思い出しても寒気がするんだよな…」
「だから私が、親切に忠告してあげたのに。香月はバカなのよ」
「香月さんは、ご自分で思っているよりも遥かに、謎を追い求める性質をお持ちでしたのね」
「そう…なのかねえ」
 ファイルに閉じられた報告書を開きながら、俺は呟く。



 結局俺はあの後、あのゴミ袋を見に行った。
 怖いもの見たさとはまた違う、好奇心よりも強い何かに突き動かされて……。

 でも……ソレは、想像を遥かに絶する恐怖だった。
 異臭がしていた時点で、俺はその恐怖に気付くべきだった。今ならそう思う。






「うっ……うわぁぁぁ!!!!」

 袋から転がり出てきたのは、おびただしい数の猫の死体、死体、死体――。
 胴体と頭が切断されているのもあり、転がった頭部と目が合った。カッと見開かれたそれは、憎悪の表情を宿していて……体が竦んで動かない。

 気を失えたらどんなに楽だっただろう。でも、出来なかった。
 恐怖で気を失えるなんて、嘘だったのだとこの時俺は悟った。

 それだけではない。
 猫の遺体に絡みつくように這い出してきたのは……無数の虫――ミミズだった。
 その光景は、この世のあらゆる恐怖を掻き集めたという表現が相応しいだろう。とにかく、全身を戦慄が駆け巡り、ぶつぶつと、鳥肌が音を立てるような、そんな感覚。

 そして、立ち尽くす俺の前には、いつの間にかあの店員の姿。
 呆然としている俺に、彼女はあの、作られた笑みを浮かべて言った。

「このことは、誰にも言わないでいただけませんか?」
「……」
「これは、口止め料です」

 淡々と、事務的に話す彼女。

 何なんだ、これは。
 このやり取りは、一体何だ?

 気付いた時、俺は手に封筒を持っていた。
 彼女はまだ、あの笑顔のまま、俺を見ている。

――――気味が悪い

「あんた達は……一体……」
 声が震えていた。でも、問いかけずにはいられなかった。
「何で、こんなことを……?」
 彼女は突然、貼り付いた笑みを消した。
 感情の無い、能面のような顔をしていた。
「お客様。噂を語るのが人なら、それを作り出すのもまた、人なんですよ」
 彼女の言っている意味が分からない。
 含みのある言い方の、真意が読み取れない。
「それでは、私はこれで。お気を付けて、お帰り下さい」
 そう言って踵を返した彼女を、俺は呼び止めた。
「待ってくれ……」

 くるりと振り返った彼女は……笑っていた。
 貼り付いた、あの、笑顔で。

 瞬間、ゾゾゾッと背筋に悪寒が走る。
 虫が背中を這うような気持悪さを感じた。

「君は一体……何……?」

 人に対して、誰ではなく、ナニ、と問う俺。それだけでも、異常だった。 
 絞り出すように告げた俺に、彼女はより一層笑みを貼り付かせて答える。
「ただのアルバイトですよ」
「……」

 俺は何も言えずに、立ち去っていく彼女の後姿を見ていた。









 待っていたとばかりに、二人の少女と一人の青年は俺に向かって微笑んだ。
 この人たちは、同じ世界に生きているようで、違う世界に生きているように思えた。
 何でだろう。理由は無い。

 促されるままに席に座り。
 今見てきた「日常の裏側」……つまり、非日常を洗いざらい話した。何故か、そうすることが普通な気がした。

 話し終わった俺に、青年は言った。
「君は、ある一つの真実を知ったようだね……でも、真実は一つじゃない」
 頬杖を付いて微笑む彼。漆黒の髪が揺らめく。
「……知りたくないかい? 日常に潜む、あらゆる謎の真相を」
「あらゆる……謎……」
「君が見たのは、世に蔓延る謎のほんの一部分に過ぎない。世の中は、君が思いもしない謎に満ち溢れているのさ」
 そう語る彼の紅い瞳は、不思議な光を宿している。
「もし君が、それを求めるのなら……」
 立ち上がった彼が、スッと右手を差し出した。
「俺たちは、君を歓迎するよ」

 黒衣から覗く、白い手。
 この手を取ったら、俺は多分、日常には戻れないだろう。

 でも……
 偽りの日常に浸るなんて、もう出来ない。

 そう呟いて、俺はその白い手を取った。
 青年――――後に、この人が所長の御影紫季だと知る――――は、最初に告げたあの台詞を、薄い笑みを浮かべて言った。

「ようこそ、御影探偵事務所へ。橘香月君」









「香月、昼まだ?」
「ああ、まだだよ」
「じゃあさ、駅前のま――」
「悪い、俺、やっぱ学食行くから」
 背後で「馬鹿!」と美咲の怒鳴り声が響き、「え!? 俺、何か悪いこと言ったのかよ!?」と鷹司の困惑した声が聞こえた。



 学食でうどんをすすりながら、ふと思い出す。
 あの夜、能面のような表情が告げた、あの言葉を。

「噂を語るのが人なら……創るのもまた、人か……」

 俺はアレ以来、あの店に行かなくなった。というか、行く気が起こらない。
 鷹司にはまだ、話していない。……多分、この先も話すことは無いだろう。
 美咲は、何も言わない。
 ただ、あの後俺が少し変わったことには気付いているようで……時折、何か言いたげな表情を浮かべている。

 美咲、俺は知ってしまったんだ。
 この世界の裏側を、見てしまったんだよ。

 こっちの世界に足を踏み入れたら、もう元の世界には戻れない。
 目には見えない境界線が引かれ、それを踏み越えることは出来なくなる。
 俺が最初に、あの三人を目にしたときに感じたのは、その境界だったに違いない。同じ世界に存在しつつも、まるで違う次元にいるような感覚。美咲は俺に、そんな感覚を抱いているに違いない。

 そして、美咲には話してしまった。
 俺は美咲に、こっち側の世界の扉を覗かせてしまった。少し、責任を感じる。

「でもまあ……こっちに来るも来ないも、あいつ次第だ」

 そう……。
 何を真実とし、何を偽りとするかは、全部その人間次第なのだ――――。






 あの店の前を通る時、いつも思う。
 何故人は、伝説を創り出し、それを語り広める必要があるのだろうか、と。
 科学が発展し、非科学的なものが否定され続ける現代社会において、都市伝説や噂話というものに、どれほどの意義があるのだろう。

「ありがとうございました。また、お越しくださいませ」

 でも、俺は忘れられない。
 あの貼り付いた、創られた笑顔を。
 そうすることが当たり前で、何を疑問に思うことがあるのか? というような笑顔が。

「ねーねー、マック寄ってかない?」
「うん、いいね! 今、100円セールやってるもんね」

 次に謎に気付くのは誰だろう。
 その人物には、俺のように二つの選択肢が与えられる。

 一つはその謎を、なかったことにするという選択肢。
 そしてもう一つは、真実を追い求め、日常の裏側へと踏み込む選択肢。
 前者を選べば、またいつもの日常に戻ることが出来る。
 しかし、後者を選んだのなら……それは、日常との決別を意味する。

「そう言えばさ、知ってる? ハンバーガーの肉が、実はミミズだったっていう噂!」
「あー、知ってる知ってる。あれ? でもそれって、猫肉じゃなかったっけ??」
「えーっ、そうだっけ? どっちにしてもキモーイ!!」
「キャハハハハ」



 そして俺は見た。
 楽しそうにお喋りに花を咲かせる少女たちの後ろで、あの、貼り付いた笑みを浮かべた店員が、黒いゴミ袋を片手に佇んでいるのを……。



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