第16章 「舞うは紅葉、散るは恋?」
「はあ……」
組織の体制表を見た僕は、何とも言えない気分だった。
――――捜査第一課 第二特殊犯捜査−特殊犯捜査第0係
これは、特捜課の仮名称だ。通常、特殊犯捜査は4係までしかない。0という数字が用いられている理由は分からないが、特別捜査課であることは間違いない。
僕と麻衣の他にも、何人か名を連ねているが、聞くところによると彼らは皆、今回新たに特捜課に配属されたらしい。特捜課も全国配置になったのだ。僕は直接顔を合わせたことは無いが、麻衣は何人か知っているとのことだった。特に、東西で権力を二分していることから、大阪のメンバーとは仲良くするようにと言われた……。
……ってそんなことはどうでもいいんだ今は。
結局、上からこの通知が出たということは、僕が特捜課に相応しいと認めてもらえたからなのだろうか。それとも、麻衣が僕を選んだのだろうか。どちらにせよ、何となく釈然としない気持ちが残っている。
巴里は、特捜課の連絡係になったようだ。今の警視に代わるというところだろうか。そう言えばアイツ、今日は姿を見かけてない。捜査一課を見渡しても、それらしき人影は無い。白瀬さんが大声で「佐伯さーん!?」と呼び続けているから確実にここにはいないのだろう。そう言えば、一緒に来ていたはずの麻衣もいない。
もしかしたら……二人で話をしているのかもしれない。
そう思ったら、胸の鼓動が早くなってく。そう言えば、麻衣が巴里に返事をするのは今日じゃないか! 巴里のイギリス行きは無くなったようだけど、麻衣なら多分、何かしらの答えを出すだろうし……。
「っ……」
何だか気持ちが落ち着かなくなって、捜査一課から出る。ちょっと外の空気でも吸いに行こう。そう思って、エレベーターに乗り込もうとした時だった。
「お前……」
中から巴里が出てきたのだ。上から降りてきたようだ。もしかして、屋上にでも行っていたのだろうか。
「どこ行くんだよ。屋上?」
「別にどこだっていいだろ。お前こそ、どこに行ってたんだよ」
「麻衣と屋上」
――――ズキン
巴里の言葉に、胸が痛んだ。
巴里の表情は、とても晴やかだ。それは、麻衣の返事が色よかったから? 上からの通知がなければ、麻衣はやっぱり巴里を選んだのか?
「辛気臭い顔すんな目障りなんだけど。何落ち込んでるわけ?」
「べ、別に落ち込んでなんかいないよ。ただ、僕がこのまま特捜課にいていいのかって思っただけだ!」
僕の言葉を聞くと、巴里はそのままエレベーターの閉ボタンを押す。そして、すかさず一階を押した。
「な、何すんだよ!? 僕は屋上に……」
「今は麻衣を一人にしてやってんの。だから行くな。話がしたいなら、ボクがしてやるよ」
「はあ?」
半ば強引にそう言い切られ、渋々ながらも了解した僕。
まったく、巴里が何を考えているかさっぱりだ。
一階に着いた僕らは、そのままロビーのソファーに座った。奴は立ち上がると、自販機に向かった。どうやら飲み物を買っているらしい。
「あ、ありがとう……」
御礼を言って手を差し出すと、奴は「は? 何言ってんの?」とそのままアイスココアを飲み始めた。
「え? 僕に買ってくれたんじゃ……」
「んなわけあるかよ。何でボクがお前に買ってやらなきゃいけないんだよ。買いたきゃ自分で買えよ」
「……」
巴里に少しでも期待した僕が馬鹿だった。仕方なく立ち上がり、アイスココアの隣のおしるこジュースを買う。これが意外と美味でイケると知ったのは最近だ。
「お前……そんなもの飲むのかよ」
「美味しいんだよ、コレ。知る人ぞ知る、一品なんだ」
僕がおしるこジュースに口を付けると、嫌なものでも見るかのような目つきで巴里が見てくる。本当に、一々癪にさわる奴だ。
「それで? 何で特捜課にいていいかとか悩むわけ?」
突然さっきのやり取りが戻ってくる。しばらく逡巡したが、この際全てぶちまけることにした。
「……麻衣は、巴里を選んだんだろ? その答えをさっき、麻衣から聞いたんじゃないのか?」
「お前……どこでその話を……」
「この前偶然、君たちを見かけたんだ。そこで、麻衣に僕たちのどっちかを選べって迫ってたのを見て……」
盗み聞きかよ、趣味悪い。そう呟いて、巴里はアイスココアを飲んだ。仕方ないだろ、不可抗力だ。そう言って、僕もおしるこジュースを飲む。
しばらく経って、アイスココアを飲み干したらしい巴里が、いつになく真剣な表情を浮かべた。思わず、ジュースを飲むのをやめる。
「な、何だよ……」
「勝手な想像で被害妄想抱くなよ。麻衣がボクを選んだなんて、どうして思うわけ?」
「だって、君の顔がすごい晴れ晴れとしてたから……」
「晴れ晴れ……ねえ。これでも結構、憂鬱な気分なんだけど」
「え?」
意外な言葉に、僕は巴里をまじまじと見つめた。そうしたらまた「見るな、気色悪い」と言われた。分かってるよ、そんなの!
「どうして!? だって麻衣は……」
「お前さ、これ以上先もボクに言わせたいわけ? それはわざと? 嫌がらせのつもり?」
「え? 何言ってんだよ、僕は全然」
わけが分からなくてたじろぐ僕に、巴里は呆れた様子で溜め息をついた。何だって言うんだよ、コイツ……。
おしるこジュースを再び飲み始めた僕は、次の瞬間それを見事噴出した。
「麻衣が選んだのはお前だよ」
「ぶふっ!?」
一瞬、時が止まったかと思った。いや、おしるこジュースは噴出した。巴里の言葉を理解するのに時間がかかった。
麻衣が……僕を選んだだって……?
「麻衣が?! 僕を選んだ?!」
慌ててハンカチを取り出す僕を、白い目で見る巴里。
「ああそうだよ。お前以外とパートナーを組むつもりはないって、はっきり言われた」
「……」
呆然とする僕は、もはや言葉も出なかった。巴里は、もう一度繰り返す。
「とにかく、麻衣が選んだのはお前だ」
「巴里は…それでいいのか?」
「いいわけないだろ! お前、喧嘩売ってんなら今すぐ買ってやるよ!?」
「ちょ、ちょっ待ってくれよ!」
拳を握り締めた巴里に、僕は両手を挙げた。どうやら、相当ご立腹らしい。巴里にしては、かなり無理をして僕に話しているようだ。
「まったく……どうしてお前に、ボクが負けたような気にならなくちゃいけないんだか」
巴里は空き缶を握り締め、そのままゴミ箱に投げ入れた。カランと小気味良い音が響く。
その後で、巴里がぼそっと呟いた。
「でもまあ……奪われないものもある。それが、分かったから……」
「……」
言葉の真意はよく分からなかったが、何となくとても深いものに感じられた。
そのままぽかんとしていた僕。
すると突然、思いっきりネクタイを引っ張られた。下側を。
巴里はお馴染みのシニカルな笑みを浮かべている。
「ぐえっ」
思わず、カエルのような鳴き声が出た。ネクタイの下側を引っ張られているため、ぐいぐい首が絞まる。ぐ、苦しい死ぬ……!!
あっぷあっぷする僕に、冷たいアイスブルーの瞳が迫る。底冷えするような鋭さと、凍て付くような輝きに射抜かれる。
「勘違いするなよ。ボクはただの連絡員で留まる気は更々無い。上からは、常に協力するように言われてるし、実質三名で特捜課を回せってことだ。お前が使えないなら、容赦無く叩き落すから」
メドゥーサに睨まれたかのように、僕の身体は凍り付く……が、すぐさま気を持ち直す。
とにかく巴里は、本気なんだ。その気迫が伝わってきた。だから僕も、精一杯の覇気を見せるしかない。このまま、巴里のペースに飲まれたら負けだ。
ネクタイを引っ手繰り、おしるこジュースを一気に飲み干す。そしてその空き缶を、思いっきり握りつぶした。
ぐしゃり、と鈍い音が鳴る。
ああ、アルミ缶で良かった。スチール缶だったらこうはいかない。かっこ悪いだけだ。
「……臨むところだ。使えないなんて絶対言わせない。お前に特捜課は渡さない!」
僕の言葉に、巴里は笑った。
それはあの時の、妹のことを話した時に見た笑顔だった。
二人でエレベーターに乗っている時、ふと思い出したように巴里が呟いた。
「……ホント、麻衣もつくづく小悪魔だよ。最後の最後まで、ボクを振り回して。あんな顔で、あんなこと言うなんて、ホント……」
意味深な言葉を紡ぐ巴里。珍しく、言葉に迷っているようだった。麻衣が小悪魔? すごい気になる……。
「あんな顔であんなこと言うなんてって……何て言ったんだよ、麻衣は君に」
しばらくの間があって。口の端を上げた奴。
出た、意地悪顔。皮肉めいた冷笑。
「お前言ったらきっと、色々ショック受けるよ?」
「なっ! 何だよ、それ!? 教えろよ」
ショック!? 麻衣は一体、何を言ったっていうんだよ!?
気になって仕方ない僕を嘲笑うように、奴は肩を竦めた。
「まあ簡単に言ったら、お前には男の魅力を感じないってさ。で、ボクにはそれを感じるから、パートナーは組めないってところかな」
「な、何だよそれ!!」
「お前はボクに、男としても劣ってるってこと」
「何だと!? しかも『も』って何だよ? 他にも劣ってるって言いたいのか!?」
「お前にボクよりも優れてるところなんてあるの? どこそれ? 何それ?」
「ほんっとうにむかつく奴だなー! 顔、体型、性格……どこを取っても、お前よりは遥かにマシだよ! 自信あるね!!」
「はー、お前、それ本気で言ってんの? お前みたいな猪突猛進イノシシ野郎のどこにボクより優れてる点があるっていうわけ? もう一度人生やり直したら? 痛々しくて、見るのも痛いよあー痛い」
「ぐ〜〜〜〜!!!(怒)お前だけはぜーーーったいに許さない!!」
「許されたいなんて思ってないし。驕るのもいい加減にしろよな。バーカ」
「むっきーーーーー!!!!!!」
ああ神様。
僕は脳梗塞か、ストレスで早死にしそうです。
……でも、こんなやり取りが少しだけ。
ほんの少しだけ楽しいと感じてしまい、僕は慌てて頭を振った。
ついに僕は、神経まで巴里に傷付けられたようだ。
「麻衣」
「巴里……」
屋上で、巴里と向かい合う。秋晴れの下、何だか不思議だなぁ。
呼び出したのは私。でも、巴里も私に話したいことがあると言ったから……。
「イギリスには、戻らないんだってね?」
「ああ。全ては兄貴の策略どおり。オレはまた、兄貴に踊らされてたってわけ」
巴里は「捜査第一課 強行犯捜査第2係」に配属された。ここは、捜査本部を設置したり、連絡調整をしたりするところ。と言っても、早い話が「特捜課との連絡係」にされたのだ。今まで警視が担当していた、特捜課絡みの業務の一切を引き受けることになったそうで。
「正直、兄貴の後釜なんてやりたくもないけどね。でも……兄貴に出来たことがボクに出来ないわけないし、兄貴以上にこなしてみせるよ」
「巴里なら出来るよ! 巴里が連絡係になってくれたら、私もすっごい嬉しい」
「……今度はお前を、もう少し近くで助けてやれる。もう、音信不通になることもないしね」
「うん……いつでも会えるもんね」
しばらく無言になって、お互い空を見上げる。
少しだけ肌寒くなってきた風が、髪を揺らす。
巴里の金髪が、サラサラと音を立てて流れた。陽に照らされたそれは、まるで金糸のようで思わず見惚れた。
「ねえ麻衣」
振り向けば、コバルトブルーの瞳と出会う。
空よりも青く、海よりも深い涼しげな瞳。それが今は少し、揺れている。
「……お前は、どっちを選ぶ気だった?」
「……」
結局私は、巴里と義高のどちらを選ぶこともしなかった。全ては上からの通知通り。巴里はそれがお気に召さなかったようで……少しだけ、苛立った表情をしていた。
「……半年前の私なら、迷わず巴里を選んでた」
「今は違うってこと?」
その問いかけには答えず、空を振り仰ぐ。
「巴里は今でも、私にとっては特別で……大切な人だよ」
「じゃあ――」
「ダメなの! 巴里と組んだら私は……」
巴里の瞳を見つめる。
言葉に出来ない本心が、伝わるように。
優しくて、頼りがいのある巴里。
私のために特捜課配属を志願して、イギリスにまで行った。そして、私を支えたいと言って戻ってきてくれた。
巴里といると、私は只の女性でいられる気がする。可愛げのある、普通の人生を歩んでいるような、そんな女性に。
でも私は……特捜課の刑事。事務所を一つ任された、女探偵。
それは自分が望んだこと。そういった立場を、私は望んで選び取った。
「巴里がいたら私、弱くなる。きっと、今までみたいに特捜課を回していけないよ」
女性なら誰もが「守ってもらいたい」と思うように、私も巴里に頼りきりになる。
「巴里に、依存しちゃうよ……」
本当はずっと、それを望んでた。
誰かに頼りたい、依存したい。そう思ってた。
半年前までは。――――彼と出会う前までは。
「……それでもいいよ。ボクは構わないよ」
思ったとおりの優しい答えに、苦笑せざるをえない。
「ふふっ……巴里ならそう言ってくれると思った。……だから、ダメなんだよ」
「何でだよ……」
巴里は複雑そうな顔で、私を見ている。
ホント、何でこんな厄介な性格になっちゃったんだろう。
もっと素直に、女を前面に出せればいいのに。
そうしたら、今よりも「世間一般的な幸せ」には近付くのかもしれないのに。
でも……
「……義高ってね、予期しないハプニング起こすし、一緒にいるとハラハラすることも多いんだ」
義高と過ごした日々を思い浮かべる。
思えば、毎日がハプニングの連続だった。小さいことから大きいことまで様々だけど、どれもこれも彼ならではの珍事件だった。
……自然に、笑みが零れる。
「でも……私と同じ目線で、同じ速度で進んでくれるんだ。リードしてくれるわけじゃないし、危なっかしいんだけど、必ず私の隣にいてくれるの」
そうなのだ。
何をしてくれるわけじゃないけど、絶対に私を一人にしない。彼は常に私を支えてくれる。
私が困っていれば、一緒に悩んでくれる。解決策を提示してくれるわけじゃないけど、一緒に苦しんだり、喜んだりしてくれるのだ。
彼を見ていると、もっと頑張ろうという気になる。二人で一緒に進んでいこう。助け合って頑張っていこう。そう思える。
彼となら、精神的にも対等でいられる。
助けてもらいたい、守ってもらいたい、そんな一方的な擁護関係を求めないでいられる。
依存ではなく、互いの成長のために一緒にいたいと思える。
だから……
「パートナーを組みたいと思えるのは、義高だけなの」
風が一際強く吹く。
ビル風に乗ってきたらしい紅葉が、くるくると回っては落ちる。
「……」
言い切ったら、少し胸の痞えが取れたような気がした。
でも、また一つ、私は何かを失くしたような気もする。
――――今言ったのは、私の本心?
少しだけ巴里の瞳が揺れ、眉根が下がる。そこには、苦笑したような笑みが浮かんでいる。
「フッ……ここまで言い切られるとはね。お前はまだ、ただの女になる気は…ないんだね」
「……うん。まだまだ刑事としても探偵としても頑張りたいの」
「そっか……じゃあ、仕方ない」
巴里はそっと、私の髪に触れた。ふわり、と巴里のコロンが香る。
「でも、そうじゃなきゃつまらない。お前はボクにとってもやっぱり……特別だから」
穏やかな瞳が、深みを帯びて揺らめく。
――――特別
何て甘美な響きなんだろう。
この言葉だけで、ずっと一緒にいられるような気さえした。
……そんな、夢物語みたいな気持ちが溢れる。
「巴里……」
「それに、お前の気持ちはちゃんと伝わったよ……」
巴里の指が、私の髪をひとふさ掬い上げる。そこに、巴里の唇が落とされた。
「あっ……」
クスッと笑みを零し、私に背を向ける巴里。
触れられた髪が、彼の後を追うように舞い流れる。
遠くなってく巴里の背を見ながら立ち尽くす。
私は選んだ。
「女性としての幸せ」ではなく、「刑事としての幸せ」を。
義高を選んだとか、そういうことじゃない。私はただ「刑事」として、皆と対等に渡り合っていきたかったから……だから、自分が成長できる道を選んだ。
――――本当に?
誰かに依存して、頼って、守られて生きていくのは素敵だ。いつかはそうなりたいとさえ思う。でも、今それじゃあ刑事や探偵なんて務まらない。世の中のそういう人たちを助けるのが仕事なんだから。頼られて、時には依存だってさせてあげる仕事。それを私は選んだのだ。
なのに……巴里が背を向けて去っていく瞬間、私は一瞬その背に追い縋りたくなった。それは巴里という名を借りた「守られる女性」に追い縋ったのだと思う。
「私も未練がましいなあ……自分で選んだくせに」
でも……女なんだから、仕方ないよね。
なら誰だって、守られたいと思ったことがあるに違いない。
恋や愛と決別して生きていくって決めたって、心の中では絶対に求めてしまう。それが女ってもの。萌あたりに語らせたら、きっと熱く語り出すに違いないけど。
「とりあえず今は……恋には、さよなら…かな」
ぽつりと呟いた言葉は、広い空に吸い込まれてく。
失恋したような、心にぽっかり穴が開いたような気分になって、私は大きく溜め息をついた。
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16章です。この物語の副題でもある「舞うは紅葉、散るは恋」を使っていることからも、この章が一番の見せ場……でありたい(汗)いや、なんか違うような気もしますが……。
巴里っ子が大活躍というか、めちゃめちゃ出てますv 巴里と麻衣の会話は、最初の方から考えてシーンだったので書くのはドキドキしました(笑)本当は、もうちょっと……いや、まあ色々語りはあとがきで語りますので今は伏せます(あ)まあつまり、今回のお話は麻衣の揺れる気持ちがテーマって感じですね。はい。あー訳わかんなくなってきた(;´▽`lllA``
さてさて、次回はいよいよ最終回!? 探偵と刑事、お好きな視点でお読みくださいね♪ではまた、完結後の御礼部屋でお会いしましょう☆
2007/11/27 桃井柚