第9章〜光と闇の境界線〜






「ん……?」

 私は妙な息苦しさと肌寒さを感じ、目を覚ました。その時はまだ、自分の置かれている状況が把握できていなかったため、かなり呑気な声を上げようとした……が、できなかった。

 当然である。

 今の私は、腕と足はロープで結わかれており、口にはタオルが巻かれているのだ。

「ふゃぁにほれ!?(何これ!?)」

 声をまともに発する事はもちろんの事、息することさえもままならなかった。私は気が動転したため思わず頭を天井にぶつけた。

「ひはっ!(痛っ!)」

 ここで私は、自分のすぐ真上に天井らしきものがある事を確認した。どうやら私は何かとても狭い所にいるらしい。

(ここは一体どこ?)

 私はそんな当たり前の疑問を抱きつつ、自分が何故こんな状態に至るのかを考え始めた。

(えっと確か……)

 私は親友である津久井萌を追い一階に来たのだ。辺りは真っ暗で、ただ闇雲に捜そうとしていたら、突然萌の悲鳴が聞こえてその声目指して走って……。

(そうだ! 思い出した。確かそこに萌はいなくて、いきなり後から声がして……)

 そう、私はいきなりの背後からの声に驚く暇も無く、何か口に当てられたのだ。そうしたら急に意識が朦朧としてきて……結局現在に至るのだった。

(くっ……こんな簡単に犯人の策略にはまるなんて!)

 私はかなりの自己嫌悪に陥りながら、他のメンバーの事を考えた。

 他のみんなは無事なのだろうか? 萌は……?

 一瞬、頭の中を嫌な考えが過ぎった。でもすぐにその考えを振り払う。

 自分もこうして何とか助かったのだ。みんなは無事だろう。

 それに、義高がいるのだ。

 彼がいれば大丈夫なはずだ。なんせ彼は「捜査一課」の刑事なのだ。

 普通捜査一課、いや、刑事になるにはまず、警官の段階を踏まなくてはならない。地元の交番などで確か、三年以上の勤務が必要なのだ。

 しかし、中には例外もある。

 それは親族等が官僚、またT大、K大レベルのいわゆるキャリアがある場合だ。義高の年から考えると、彼はそうに違いない。でなければ何か特別な能力があるかだ。

 私の場合がそうだった。自分に特別な能力があるとは信じがたいが、私は何故か「公務員試験」の結果により「特捜課」に配属されてしまった。

 しかも、その課の主な仕事内容は「探偵兼裏捜査」。

 怪しまれないように、また、他の警官にも悟られないように普通の探偵社を装い、警察に協力する事を目的とされていた。
 
 実際、この課に配属されているのはごく少数で、みんなそれぞれ都内全域に適当に配置されている。

 ちなみに私はその中で、一番警視庁に近い場所に配属されている。

 それゆえ、何かと依頼が多い。毎日はかなり多忙だ。しかも、居候兼副所長(後者自称)の萌のせいで、また客が増えてしまうのだ。

 彼女は今を時めく(!?)美人弁護士である。彼女の法廷での活躍を知らない弁護士、警察官はモグリだ! と言われるくらいだ。彼女目当ての客も後を絶たない。  

 そんな事を考えながらも、私は萌の安否がとても気になった。無事だとは思うが、不安は残る。しかし、悩んでも始まらない。

(とりあえず行動しなきゃ!)

 私はそう決心し、ロープを外そうと足掻いた。しかし、思ったよりもロープは頑丈で、もがくと余計にきつくなる感じがした。それどころか、手も擦り剥けてしまい、痛くなったので止めた。私は大声で叫ぶ。

「はれらーっ! ほっはらだへーっ!(誰かーっ! こっから出せーっ!)」

 しかしそんな事は無駄だった。音はタオルに吸収されてしまい全く響きもしなかった。私はこんな事をした犯人に、激しい怒りを覚えると共に何もできない自分に腹が立った。悔しさを堪え思う事はただ一つ。

(義高……早く助けてよ〜υυ)
 
 切実に彼女がそう思う理由が「トイレに行きたいから」かどうかは定かではない。































「犯人は……この中にいるんだ」

「!?」

 僕はきっぱりと言った。

 僕の推理上では、こう考えるのが一番自然で、つじつまが合うのだ。そんな中、吉文が呆れた様子で言った。

「おいおい……こんな時に冗談言うのは止めてくれよ」

 続いてみんなも口を開く。

「そうよー。もう冗談きついなあ、義高君は」

「怖い事いわないでよぉ。あはは」

 しかし、吉野さんと津久井さん、それに小倉先輩は何も言わなかった。堀之内さんは下を向いたまま、顔を上げようとしなかった。

(堀之内さんは何か知っているのか……?)

 僕はそんな事を考えながら、吉文達の顔を見ながら言った。

「冗談なんかじゃない。本当の事だ」

「え……」

 みんなの顔から笑顔が消えた。そして次の瞬間、予想通り吉文が殴りかかってきた。

「ふざけんのもいい加減にしろ!」

 僕は吉文の攻撃を手で受けた。「パシンッ」という音が響く。

「落ち着け。今はこんな事している場合じゃない」

「くっ……ちっ」

 僕は吉文の拳を離した。すると次は秋山さんと岸谷さんの「ダブル平手打ち」が迫ってきた。

「うひゃあっ!?」

――パンッ

 流石に今回は避ける事ができず、小気味良い音が闇夜に響き渡った。

「義高君! 何て酷い事言うの!?」

「そうだよ! 酷すぎるよ!!」

「う……いや……あのυ」

 僕は思わずたじろいだ。女性とはいえ、かなりの迫力と威力だ。この二人なら、性質の悪い暴走族達の取締役になれる! と確信した。

(酷いのはあんたらだよ……υυ)

 僕は二人に叩かれた頬を擦りながら、心の中でそう思った。そしてすぐさまみんなに背を向け鏡を取り出し、自分の顔をチェックした。

「げっ! 顔がオカメ納豆になってるっ!!」

 僕の頬は、今すぐ「実写版オカメ納豆」のCMに出られるぐらいに腫れていた。

(僕の美顔がぁぁぁぁぁっ!!!)

 僕は居住まいを正すように、腫れた顔を擦りながら、みんなの顔を見渡した。



 そこには、様々な“顔”があった。

 泣いている者、俯いている者、放心している者、落ち着いている者……みんなは一体何を考えているのだろう。

 そんな時、みんなの想いを背負うかのように、小倉先輩が言った。

「まだ、俺らの中に犯人がいるとは断定できないと思うよ」

 みんなは、僕と小倉先輩を交互に見つめた。

 彼の表情からは、焦りや怒りは感じられなかったが、代わりに「余裕」といったものが見受けられた。 どうやら僕の推理は間違えとでも言いたそうだ。

 先輩は続ける。

「まず、何故俺たちが犯人と言えるんだ? 宿の人や外部の人間の可能性は?」

 先輩の意見は最もだ。みんなそう思うに違いない。僕だってそう思ったさ。

 だけど違う。僕の第一の思い込みは「旧友間で殺人が起こるはずがない」というものだったんだ。

 最初の殺人の時に抱いた疑問は間違っていない。僕はこの考えに至った経緯をみんなに話し始めた。

「じゃあそこから説明します。そこで、まず一つ訂正しておきたい事があります」

「何々だい?」

 先輩はまるで嘲るかのような口調で言った。僕は少しかちんときたが、ここはあえて穏便に事を進めようと、気にしないようにした。そして続ける。

「僕は最初、犯人はこの中にいると言いました。しかし、正確にはこの中にもいるなんです」

 すると、先輩は表情を変えずに煙草に火を点けながら言った。

「ほう……でもそれはさて置き、何故俺らに絞り込んだんだ?」

僕はすかさず返した。

「まず僕は、益子君が殺害された現場を見て、気付いた事がいくつかありました」

 ここまで言うと、津久井さんはその場に座り込んでしまった。それを吉野さんが支えながら僕の話を促した。

 僕は自分でも酷な話をしているとは思ったが、話を止めるわけにはいかず、そのまま続けた。

「一つ目に、部屋の窓は内側から鍵が掛けてありました。益子君が殺害されたのは、おそらく吉文が発見する少し前……一時間前後だと思います。理由は、死後硬直がまだ見受けられなかった事からによります。人間は普通、死後一時間程度で硬直が始まります。ここで僕が気付いた点は、何故犯人は益子君の部屋に入れたのか? ということです」

 僕が言い終わると、吉文が呆れたように言った。

「そんなん無理に押し入ったに決まってるだろ!? 相手は殺人鬼なんだぜ?」

「じゃあその殺人鬼に、抵抗一つしないでみすみす殺される人間がいるのか?」

「!?」



 そうだ。これが外部説否定の一番の理由なんだ。

 吉文はこの意味を理解したらしく、黙ってしまった。先輩は相変わらずの表情で聞いている。女性陣は津久井さんのみ理解したようで、他は混乱しているようだった。

「つまり、犯人は益子君が警戒しない人物、すなわち“知り合い”という事になるんだ。しかもたぶん犯人は部屋の中まで簡単に入る事ができた。知り合い程度じゃあ部屋にまで入る事は難しい。そう考えると、知り合い以上の関係……すなわち、『友人』と言う事が考えられます」

「!!」

 やっと意味を理解したらしい四人は、息を呑みこみ押し黙った。さすがの先輩も、何も反論もできないようだった。友人……当てはまるのはこのメンバーなのだから。

 しかし、岸谷さんが喰ってかかってきた。

「でも! じゃあ、佐田達の事はどうなるの!? それこそ宿の人が一番怪しいじゃない」

「ユリエ……それはさっき、私が証明したわ」

 秋山さんが呟いた。岸谷さんのほうは、「え?」という顔をしている。僕はこれも説明した。

「確かに、僕も最初はそう思いました。だけど、秋山さんは宿の人達を送っているんです。しかも、佐田君たちと。おまけに宿の人は全て帰ったそうです。これでは必然的に、犯人である可能性が消えます。ロープの細工は、僕達側でされていたんです。ということは、当たり前の事ですが、犯人はこちら側から細工したということになりますよね? 人三人も支えられないロープに細工されていたんです。そんなロープの上を、車が無事に通れるはずがありません」

 みんなはもう何も言わなかった。お互いに視線を交わしては逸らす、そんな事を繰り返していた。

 しかし、今まで黙っていた津久井さんが口を開いた。

「ここまでの推理はよく分かったわ。私も正しいと思う。でも、じゃあ一体誰が私を襲ったの? 誰が麻衣をさらったの?」

 津久井さんの最後の方の台詞は、涙交じりだった。彼女は責任を感じているのだ。麻衣がさらわれてしまったのは自分のせいだと。

 この言葉を聞いたみんなは「あっ」と呟き、一斉に僕の方を見た。みんなは忘れていたのだ。自分達には決してできない犯行があったことを。

 しかし、僕はこれにも怯まなかった。僕はここまでを考えに入れていたのだ。

「最初に言ったはずです。犯人はこの中にもいると。犯人は一人じゃない、複数人の犯行だと僕は思います」

「何っ!?」

 吉文が叫んだ。先輩は初めて表情を変えた。僕を射抜くかのような、鋭く冷たい視線を向けてきたのだ。津久井さんは、真っ直ぐ僕を見ている。

「この中に、犯人と通じている人がいるんです」

 そう。こう考えれば全ては繋がるのだ。犯人は複数いるのだ。おそらく、益子君殺害の犯人はこの中にいることは間違いないだろう。

 しかし、他の二つに関しては、外部の人間だ。そしてそいつは今もどこかで、この光景を見ているに違いない。

「一体誰なんだ?」

 吉文は弱弱しく呟いた。しかし、残念ながら今の僕に分かるのはここまでだった。僕一人の力では、これ以上の発見は不可能に思う。

 僕は自分の限界を感じ、静かに言った。

「僕が分かるのは、今の段階ではここまでです。犯人と通じている人が誰なのか、犯人のトリック等はまだ分かりません。でもこれからは……酷な事ですが、お互いがお互いを見張りあった方が良いでしょう。それは犯人を見つけるためでもあり、自分自身を守る一番の方法でもあるんです」

 僕のこの言葉を最後に、僕たちは釣り橋を跡にした。

 僕はここを立ち去る際、もう一度釣り橋の下を眺めた。しかし、やはり何も見えなかった。僕は諦め、みんなと共に宿へと戻って行った。

 その時、深い闇の中で、誰かの声がした気がした。