幕間3〜彼と彼女の事情〜



――同時刻、須山・堀之内ペア(義高達が談話室に訪れるよりも前くらい)

「おーい。津久井―っ、岡野―っ!」

「麻衣ちゃーん! 津久井―っ! 何処にいるのー!?」

 二人は義高達とは別方向を探している。しかし一向に二人が見つかる気配はない。


 二人はとうとう端っこまで来てしまった。

 もう全ての部屋を探し尽くしてしまったのだ。

 ここまでの道は一本で、特に怪しい所は見当たらなかった。しいて言えば、周りの壁に一部色の違う所があったが、別に気にするほどのモノではないように思われた。

「はあ……やっぱこっちにはいないか」

 須山がそう言うと千絵子は無言で下を向く。顔色はかなり悪い。

「堀之内……? お前顔色悪いぞ。大丈夫か?」

「うん……まっすーは何で死んじゃったのかなあ……」

 千絵子は俯きながら独り言のように呟く。

 そう。
 
 もう人が一人死んでしまったのだ。

 千絵子はこの現実を今だはっきりとは理解できていなかった。

 いや……頭では分かっていても心がそれを否定しているのかもしれない。
 
 心が否定……それは千絵子にとっては、単に旧友の死だけを表しているのではなかった。

 千絵子はそれよりも恐ろしいモノを見てしまったのだ。


 一階に降りた理由……

 それはここで『ある事』を確認するためだった。

 さっき自分が見てしまったモノが本当なのかどうか。

 それを思うと緊張と不安で押しつぶされそうだった。顔色を悪くする要因になっているのは間違いない。

 須山はこんな状態の千絵子にどんな言葉をかけていいのか分からないといった表情だ。

 それに今の須山の精神状態も千絵子とさほど変わらないだろう。

 須山にとって、無二の友人だった益子隆。

 彼はもう帰らないのだ。きっと須山が一番良く知っている事だ。

「隆……」

 須山は力なく呟いた。

 

 二人はほんの暫くの間、沈黙した。

 それぞれの想いを巡らせながら……

 先に沈黙を破ったのは須山だった……と言うのも千絵子がフラフラとその場に座り込んでしまったためである。

「堀之内!? 大丈夫か?」

「うん……何とか。何かすごい頭がくらくらする……」

 千絵子はだるそうな瞳で須山を見上げた。

 さっきのショックが今になって身体に表れたのだろうか?

 それとも元々酒にあまり強くないのに無理をして飲んだからだろうか?

 千絵子はぼんやりした頭で考えた。

 この立ちくらみにも似た言いようのないだるさについて。

 しかし千絵子自身、そんなに飲んだ記憶はないし、まして無理をしたわけではないと思うのだ。

 自分の身体がおかしかったのはいつからだろう……?

 上でまっすーの死体を見た後から?

 いや……その時は意外とはっきりと意識があったはずだ。

 こうして今までを振り返るうちに段々と記憶が曖昧になっている事に千絵子は気付いた。

 何だか頭に白い靄がかかったようにぼうっとする。

 ……きっとまっすーの死が、自分でも気付かないほどの精神的ショックを与えているんだ。

 千絵子がそう自分に言い聞かせていると、ふいに須山もその場に座り込んだ。

「須山……?」

 不思議そうに尋ねる千絵子に須山は突然言った。

「辛かったら、俺の肩で休めよ」

「はあっ!?」

 千絵子は一瞬、幻聴を聞いたのかと思った。くらくらは更にひどくなった。

「ほら、早く」

「い、いいよっ……早く麻衣ちゃん達見つけなきゃ!」

 千絵子は照れながら必死に断るが須山は腰を上げない。

「顔色悪すぎなんだよ。これじゃあ探してるうちにお前がぶっ倒れるだろ!?」

「うっ……υυ」

 千絵子は須山の不可解な行動に戸惑ったが、同時に自分を心配してくれていると思うととても嬉しかった。いや、嬉しさのほうが強いだろう。

 それでも照れ屋の千絵子である。まして、自分が好意を持つ相手に自分から肩を借りるなんて出来る筈も無かった。普通できまい。

 そればかりか千絵子は真っ赤になって俯いてしまった。眩暈はひどさを増すばかりだ。

 すると須山は突然千絵子の腕を掴み、自分の方に引き寄せた。

「えっ――うわあっ!!?」

 千絵子はビックリして何もできなかった。そのまま須山の肩から胸の辺りに抱きつく形になってしまったのだ。

 しばらくはそのままの状態で黙っていた千絵子だが、はっと我に帰ると慌てて須山から離れようとする。しかし眩暈のせいで思う様に体が動かない。取りあえず言葉だけは発した。

「ちょっと!! いきなり何すんのよ!? 離して変態!」

 千絵子は半パニックになっていた。

 本当は嬉しかったが、怒った様になってしまった。しかし今ここでこんな事している場合ではない事ぐらい分かっていたから、ついこんな口調になってしまうのも無理はなかった。

 しかし須山は千絵子の腕を放そうとはしなかった。そして強い口調で言った。

「いいからお前は休め」

「だから……」

 続けようとしたが、須山のその言葉には有無を言わせない強い意志が含まれていた。

 そのまま黙ってしまった千絵子に、須山は呟いた。

「俺は……もう、誰かの苦しそうな顔を見たくないんだ……」

 千絵子は須山のその言葉を聞くと、居たたまれない気持ちになった。自分は今須山の胸しか見えないが、きっと辛い顔をしているに違いない。そして、その辛い顔をさせているのが自分だという事に、とても罪悪感を感じた。たぶん自分の青い顔が、益子の死を思い出させるのであろう。須山は第一発見者だったのだ。ショックは自分よりも遥か上に違いなかった。

「須山……」

 千絵子が呟くと、須山は小さく、しかしはっきりと言った。

「堀之内……お前は俺が必ず守るから……だから、今は俺の言う事を聞いてくれ……頼む」

 そう言った須山の千絵子を掴む腕の力は、更に強くなり、千絵子は余計、須山の胸に顔を押し当てる形になってしまった。

 千絵子はまともに息をする事もできなかったが、今は須山の言葉だけが頭に響き、既に須山に従う気持ちになっていた。

 眩暈は最高潮で、もはや意識が朦朧とし、視界は薄らいでいた。

「須山……絶対守って…よ……ね……?」

 千絵子はそう呟くと、そのまま須山によりかかるように意識を手放した。

 今は須山を信頼しよう、そう心の中で想いながら……



「堀之内……悪いな……」

 須山は、ぐったりとした千絵子を抱きかかえると、談話室の方へと足早に進んでいった。