携帯の電子音が響く。時刻は朝の七時だ。
「ふあぁ〜。良く寝たな……」
僕は大きく背伸びしながら布団から這い出た。
昨夜は、夜の十時半頃このホテルに着いた。確か桜都には八時半には着いていたはずだ。おかしいな〜? 何故二時間もかかったんだろう?(迷ったからだ)
僕ってもしかしてそんなに足遅かったのか!? ショッキ〜ング!!
おおっと。こんなこと考えてる場合じゃないんだった。今日はいよいよ問題の「桜山荘」に乗り込むんだ。待ってろよ桜山荘!
僕はヒーローを気取りながら急いで変身……じゃなくて、身支度を整えた。うん、我ながらとってもスーツが決まってると思う。完璧だ。
こうして朝から自分に酔いながら、食堂へと進んでいく。
「いただきます」
メニューはトーストとサラダとコーヒーという、なんともシンプルなものだった。味はお世辞にもおいしいとは言えないが、値段から文句をつけるわけにもいかない。しかし……
「ぶはっ!」
コーヒーは不味すぎて一口飲んで噴き出してしまった。というか吐いた……。もう、ゲロゲロと……。
「あの……大丈夫ですか……?」
「ひいぃぃぃ!!」
突然声を掛けられ驚いた僕は、コーヒーが器官に入ってしまい、更に咽込んで吐き出してしまった。多分、見かねて声を掛けてくれたのだと思うが、ちょっと余計なお世話だった。
吐き方があまりにもグロテスクかつショッキングだったらしく、声を掛けてきた女性は悲鳴をあげて逃げてしまった。
「あのー……」
僕は呼び止めようとしたが遅かった。
「うん?」
ふと見ると、女性がいた席には名刺らしき物が置きっぱなしになっていた。その名刺には山瀬 藍と書いてあった。どうやら、女性週刊誌の記者らしい。今のはきっといいネタになることだろう。
そんなこんなでホテルを後にした僕は、一人桜都の町を歩いていた。周囲は観光客だろうか。それなりの賑わいを見せている。
「しっかし、やっぱり本当にきれいだよな〜」
本当に美しい所だと改めて思う。桃色の夢世界といったカンジだ。こうやって歩いていると、いつの間にか自分が桜の中に溶けて同化してしまっているような錯覚に陥る。日頃自然に触れる機会が少ないせいか、心身共に癒されるような心地よさだ。
そんな時、何故か僕は、桜にまつわるいくつかの怪談話を思い出した。確かこんな話だったはずだ。
『桜の花は何故紅いのか……
また桜の木の下には死んだ人間が埋められていて、よく心霊写真として写るらしい。桜の花のとことかにね。
長く生きている桜を切ろうとすると、たたりがあるとか。事故にあったり、不幸があるとか。
桜を傷つけたら、幹から血が滲んできたりするとかしないとか……』
僕は完璧迷ってしまったらしい。
右も左も、どっちから来たのかさえもまったく分からない状態に陥ってしまったのだ。
こりゃあ、まずいぞ……υυ
――遭難――
この二文字が頭に浮かぶ。
そんなー。こんな所で終わるなんて嫌だ! まだ事件も何も起こってないよ〜。どうすりゃいいんだよ。くそっ、ここは一体どこなんだよ!? ここは迷いの森かよ!? はんっ! チャンチャラおかしいぜ!(お前がな)
「ううっ……誰かいないかな……」
僕は半泣きしながら道を彷徨っていた。時刻は既に一時を回っているが一向に着く気配はない。
この哀れな青年に幸あれ!
義高にはこの後救世主が現れるのだが、それは今から更に二時間後のことである。
「もう駄目だ……終わりだ……」
僕は既に諦めモードに突入していた。歩く気力も無くなり道端に座り込んでしまったのだ。
――その時
木の陰から誰かが走ってくるのが見えた!
「あっ! 人だ!!」
僕は声をかけようとしたが、女は僕には気付かず目の前を走り去っていった。
「!!? ちょっ……ちょっと待って!!」
僕は慌てて女を追いかけた。これで僕は助かる。神様、ありがとう!! そう思いながら……。
しかし、僕はこの後ひどい目に遭う事になる。だが、今の僕には知るよしもなかった。アーメン。
――女の後を追いかけること十五分。
「はあっ……はっ……やっと……お、追いついた〜」
息が切れて呼吸が苦しい。
なんて足が速い女なんだろうと僕は思った。見ると女は急に我に返ったかのように、とてつもなく取り乱している。一体何だ???
僕は茂みから少し様子を伺う事にした。女は段々落ち着いてきてはいるみたいだ。
「声をかけようか……かけないべきか」
僕は苦悩した。
なんせ知らない、ましては山奥で赤の他人に声をかけるのだ。気まずさといったらこの上ないだろう。でも今は軽く遭難中だし、桜山荘に行く目的があるんだ。
僕は、意を決し声をかけることにした。
……今思えば、このことが僕にとっての不幸(?)の始まりだったのかもしれない。
義「あの〜……すみません」
女「ああ〜……どうしよーっ」
義「すみませんっ」
女「うーん……υυυ(苦悶の表情)」
どうやら僕の声は全く女の耳には届いていないらしい。僕は仕方なく強行手段に出ることにした。
「すみません!」
「!!!」
僕は女の腕を掴んだ!
まあ、ちょっとくらいは驚かれるだろうとは思ったが、まさか……まさか……次にこんな事が起こるなんて考えてもいなかった。
女「キャーッ!!! 離してよ! 変態!!」
義「グヘェッ!」
そうなのです。僕はこの女――彼女に、なんと! あの[ブルース・リー]もビックリな「踵落とし!!(しかも秘儀)」をクリティカルヒットさせられたんだ。
僕は白目を向きながら、口から泡をブクブクと吐いてその場に突っ伏した。
薄れていく意識の中見たのは、僕とほぼ同い年くらいの女の子がさも満足げに、ゲームで言えばラスボス≠倒したかのような達成感を味わっている所だった。
ああ神様……僕は何か悪いことしたんですか???
結局、僕が目を覚ましたのはあれから三十分後だった。
「……すか? ……っかり……!」
「ん……う……」
誰かに呼ばれているような気がして目を開けると、あの女の子が覗き込んでいる。
「あの……大丈夫ですか!?」
「う……あ……は、はい」
どうやら僕はかなり危なかったみたいだ。気絶なんて生まれて初めての経験だったし、本当に目の前が真っ白になっていって、次第に意識も飛んでいって……。
そして今に至っているんだけど。でもしかし、かなり興味深い体験をしたな。いい思い出になりそうだ(死にかけておいて何を言う)
僕はあの時まさしく神≠ノなったんだ! あはははは……。
「あの……本当に大丈夫ですか?? υυ」
「へっ? えっ……あっ、はい!」
僕がいっちゃっていたせいか、女の子はかなり心配しているみたいだ。
よく見ると、彼女は目に涙を溜めている……本当に僕が死んだと思ったみたいだ。まさか、これでも僕は刑事だ。こんなことで死んでたまるか。
そんなことを考えていると、女の子(彼女と呼ぶことにしよう)……彼女が突然頭を下げて謝ってきた。
「あの……本当にごめんなさい! 私てっきり変質者かと……」
「いや、こちらこそすいません! いきなり腕なんか掴んだら勘違いされるに決まってますよね……ハハ」
笑顔でそう答えた僕は、少しばかり……いや、かなり善人ぶった。
本当は「変質者だと!!?」と言いたいところだが、状況が状況な上に、しかも相手が女性――同年代だ。あまり事を荒立てて道を聞けなくなったら困る!!
だから僕はあえて下手に出ることにしたのだ。頭はすっごく痛いが……。
「あの……お名前伺ってもよろしいですか?」
(へっ??)
僕は突然の質問に驚いた。何なんだ?? 一体? どうして名前なんか……
僕は少し焦りながらも答える。
「あっ、僕は北林……北林義高って言います」
「北林……義高さん……?」
彼女はしばらく何か考え込んでいるようだった。
……? もしかして名前聞いたのって、僕に一目惚れって奴をしてしまったのか?(勘違い)まあいいや。僕も名前聞いてみよう。
「あの……君は?」
「えっ!?」
何故か慌てふためく彼女。一体何なんだ?!
しばらく様子を見ていると、ふと我に返ったのか彼女は顔を真っ赤にしながら必死そうに捲くし立てた。
「ああっ、すみません。自分から名乗るのが礼儀ですよねっ…… 私は岡野 麻衣と申します」
(岡野さん……)
取りあえず名前聞けたし、早速本題に入ろう!!
僕はすかさず言った。
「岡野さんか……あの、聞きたい事あるんだけれど……この辺りに桜山荘っていう旅館あると思うんだけど知らないかな?」
すると彼女――岡野麻衣は意外な事を口走ったのだ。
「あの、実は私も道に迷っちゃって……それであの、地図見れば分かると思うんで見せてもらえますか?」
(この娘も道に迷ったのか)
僕は地図を差し出した。彼女は地図を受け取るとまじまじと見つめだした。しかし何故か首をかしげている。頭からは「?」マークがたくさん出ている。
「あの、この地図には本館の方、書いてないですけど……」
(本館?)
桜山荘は一つじゃないのか? 本館があるということは、別館もあるということか?
その後、色々と彼女に質問したが、どうやら僕の見解で合っているみたいだ。まとめてみるとこうだ。
・ 桜山荘は、本館と別館に別れているが、通常は別館の方は客に貸さず、特別な時のみ使用可能らしい。
・ 僕の持っている地図にはどうやら別館しか載っていないらしい。
・ 別館と本館は一つの古いつり橋を隔てた所に位置しており、およそ二十分離れている。
・ 今回は麻衣たち(そう呼んでいいことになった。ちなみに僕は義高と)は同窓会のためにここに来ていて、麻衣の友人の叔母が桜山荘の女将のため、特別に別館を貸切にしてもらえたらしい。
・ 桜山荘までは送迎バスというのがあるらしい(くそ! これがあれば迷わなかったのに!!)
まあこんなカンジで僕たちはすっかり意気投合して色々と話せる仲にまで発展した。
しかし……何故かお互いに「自分の職業」の話だけはしなかった。でも一体麻衣は何の仕事してるんだろう? ……まあ、いっか。
かくして無事、桜山荘(別館)に着くことができそうで安心する僕だった。
僕たちは今、麻衣が別館まで案内してくれるということなので山道を歩いている。
その間会話は弾み思わず時間を忘れてしまうところだった。
だって、もう既に五時、あれから二時間が経っている。そんなに会話に夢中になってたのか?(自分達が迷ったとは思っていない)
僕が、気兼ねなく話せる人なんて、大塚先輩だけだ。
あの人、口は悪いし、意地悪だし、暴力的だし、人使い荒いし……おまけに女癖まで悪いときてる。はあ〜……そんな人としか話せないなんて、僕ってやばいんだろうか……。
でも……麻衣は不思議だ。
麻衣の前ではいつもの僕のやばっけが発症しない。
彼女の前では、気兼ねなく振舞えるような気がした。
同僚に、一人はいてほしい存在。友人としても、その先の発展も望めそうなタイプの女性……それは麻衣のような人物だろうなと、漠然と感じる。
ここまで考えて、ふと僕は思い直した。
そうだ……。麻衣とはもうすぐお別れじゃないか。
もうすぐ別館に着く。そうしたらもうさよならだ。ああ、折角いい仲間ができたと思ったのに残念だ……。
そう思いながら、僕は麻衣の方をちらりと見た。
麻衣はとても楽しそうに、山の景色を見ている。
辺り一面が桃色なんていう光景、普段は絶対見ることなんてできないからな。
そして僕が辺りを見回していると、ふいに麻衣が声をかけてきた。
「ねえ、義高。ここの桜って、本当に綺麗だよね」
(確かに……)
本当に何度見ても美しいと思う。もうずっとここにいたいとさえ思う。現実を捨てても、ここの桜と共にありたいとまで……
「どうしたの? 義高?」
「へっ? あ、いや……何でもないよ」
「??」
そうだ。折角こんな所で出会えた女だっているんだ。
この思い出を穢れた物にはしたくない。そのためには僕は今回の事件の謎を解明してやる!!
……それに僕は……桜が好きだから――
こうして僕は自分世界から帰ってきた。しかし、麻衣はずっと桜を見続けている。
「桜、好きなの?」
僕は聞いてみる。すると麻衣はぱっと笑顔を見せた。
「うん! すごく好きよ」
そしてこう続けた。
「桜にまつわる悲恋話って知ってる? 」
「いや……知らないな。どんな話?」
「あのね、鎌倉時代のお話で、結構有名なんだけど……」
僕は麻衣の話に耳を傾けることにした……が、さて、じっくり聞くか? それとも軽く流そうかな……?
A、じっくり聞いてみよう(リンク先のサイト様へ飛びますので、お時間があって、なおかつ興味のある方のみ選択してください)
B、いや、軽く流す感じで……(麻衣の話の内容は省かれますが、本編の進行に何の影響もございません)