夜が来る。
 白く輝く月が、体の奥に眠る血を呼び覚ます。
 
 むせ返るような薔薇の香りで目を覚ませば甦る。

 俺とお前が出会った夜。
 親友と呼び合ったあの日々。

 なあ、翔。俺はあの時、本当は…………。





 
Reminisce about the good days.





 外界調査……もとい、外界の様子を窺うために宵の街を練り歩く。
 花町……というのだろうか。人々の欲望、羨望、憧憬などが渦巻くこの街は、独特な雰囲気を醸し出している。

「――――てめえ、メフィストの椎名じゃねえか!」
 俺は聞きなれた名前に思わず立ち止まる。どうやら、数名の男が誰かを囲んでいるらしい。
「この前はよくも、俺たちの客横取りしやがったな!」
 ……横取りと言うか、単にうちの店が目当てだっただけだろ、と突っ込みたくなる。こんなことは日常茶飯事なので、今更どうこう言う気もなかったが。
 しかし、俺はここでふと疑問に思う。
 何故、椎名が外に出ているのだろうか? ということだ。今日の見回りは俺の担当。椎名は、店に出ているはずだった。こんなところにいるはずがないのだ。
「……アンタら、さっきから何意味不明なこと言ってるわけ?」
 男たちに囲まれている誰かの、怒りに満ちた声が聞こえた。この声は……。やっぱり椎名に間違い無い。隙間から見える面差しも、椎名だ。
「メフィスト? 椎名? 聞いたことないんだけど」
「人違いだぁ? ふざけたこと抜かしてんじゃねえよ!!」
「ふざけてんのはそっちだろ? 俺は椎名じゃない」
「てめえ……」
 聞いている俺自身、わけがわからなくなった。椎名の声で、椎名の顔で、「俺は椎名じゃない」? じゃあお前は誰なんだ?
「お前らみたいなホストとは、関わったことすらないんだけど?」
「てめえはどこからどう見ても椎名だろうが!! 見え透いた嘘ついてんじゃねーよ!」
 馬鹿にされたと思ったのか、男が椎名(?)に向かって拳を繰り出した。
「お、おいっ!」
 俺は何故か止めに入ろうと駆け出していたのだが……

――――ぼすっ!

「なっ……!」
「いきなり殴ってくるとはね。物騒な街……」
 椎名(?)は、あっさりとそいつの拳を交わし、みぞおち辺りに一発お見舞いしていた。あまりにも鮮やかな身のこなしに、俺は一瞬見入っていた。
コイツ……一体……。
「てっめえ……!!」
 それを見た仲間の男が数名、続けざまに殴ろうとする。
「……血の気多すぎなんじゃない? お前らみたいなのは、吸血鬼にでも血を吸ってもらった方がいいね」

――――どすっ! ごすっ!! どかっ!!

「ぐふっ!」
「ごへっ!」
「ぐはぁ!」

 その時間、僅か30秒。
 俺はあんぐりと口を開け、目の前の椎名……っぽいのを見ていた。いや……どっからどう見ても椎名だ。

「……誰?」
「……あ」
「こいつらのお仲間?」
「いや……」
「そ。あ、今のは正当防衛だから、サツに言ったりするなよ?」
「あ、ああ……」
「じゃあね…………って、おい?!」

 そう言えば、ここ数日血を口にしていないことを思い出した。薔薇すら触れていない。要するに体が限界だったわけで……俺は、情けなくもその場に座り込んでしまったのだ。

「……大丈夫か?」
「ああ……悪い、ちょっとふらついた」
「顔色悪いな……貧血か? あ、そうだ。ちょっと待ってな」
 目の前の奴は、鞄の中から何かを取り出す。
 桃色の錠剤のようなものだった。
「これ、貧血に効くタブレット。薬っていうほどのもんじゃないけどな」
「……」
「毒じゃないから安心しなよ。俺、こう見えても薬科大のエリートだしね」
 怪しげな薬を飲むことに、いささか抵抗を感じつつも、あまりの疲労感には勝てず。俺はタブレットを口に含んだ。

 ……薔薇の香りがする。
 そして……あの、甘美な味も……。

 ふっ、と身体が軽くなる。
 力が……漲る。

「……気分はどう?」
「……ああ、すげえいい」
「そりゃ良かった」

 そう言って、苦笑したように笑う奴。
 見た目は椎名だが……どこか違う。

「……椎名、なのか?」
「は? 俺は翔。翔っていうんだけど」
 どうやら本気で椎名じゃないらしい。奴……翔は、溜め息をつきながら肩をすくめる。
「大体何な訳? たまたまちょっと用があってこの街に来たら、来る奴来る奴『椎名椎名』って。俺って、そんなに椎名って奴に似てるのかね」
「……そうか。悪かったな。でも、お前本当にその椎名にそっくりなんだ」
「へえ……迷惑だね、全く」
「……」
 その性格も、椎名まんまなんだが……。
 しかし、何故か一瞬、コイツの表情が曇ったような気がした。

 俺は翔と名乗る人物に、この薬について問うた。この成分は……。
「……この薬って、一体どこで……」
「これは俺のオリジナル。まだ研究段階でね」
「……」
「フフッ……あんた、吸血鬼みたいな格好してるね。八重歯もしっかり出てるし。貧血で倒れるなんて、血が足りない吸血鬼って感じ?」
「……」
「……まあいいや。じゃ、俺はもう行くよ」
 翔は俺を一瞥すると、そのまま踵を返した。
 数メートル先まで歩いた奴は、その場で一度立ち止まった。

 振り返った奴の瞳は、不思議な光を帯びている。
 この瞳……俺は知ってる……?

「……あんまり、目立つことはしない方がいいかもな」
「……?」
「……この街は、闇に紛れるには明るすぎる」

 ネオンの光に照らされた奴は、不思議な表情を浮かべている。
 まるで……何もかも知っているかのような、そんな表情。
 俺は、奴の眼差しから目を逸らせなかった。

「お前……」
 これだけ呟くのがやっとだった俺に、奴は苦笑する。
「……フフ、また会うかもね。――――三上亮」
「!?」
 奴はヒラヒラと手を振っている。
 手には、俺の名刺が握られていた。
 いつの間に……?

 呆然とする俺を置いて、奴は人ごみに消えていった。
……翔…………」

 これが俺と翔の出会いだった。






「亮―! またここで寝てんのか?」
「……翔」

 あの日から、俺と翔はよく会うようになった。
 どうしてそうなったのかよく分からないが、何故か奴に引かれる自分がいた。

 翔は都内の薬科大に通う大学生だった。
 俺から見れば、赤ん坊同然の年齢なのだが、奴はそんなこと微塵も感じさせないほど博識だった。何百年の時を生きてきた俺でさえ、コイツの知識量には舌を巻くこともしばしばあった。
 俺は翔に誘われて、よく大学を訪れた。
 最近は外に出ることがあまり無かったため、とても新鮮な気持ちになった。特に、薬品に関する資料や文献は、純粋に興味が湧いた。知識欲というのは、人間じゃなくなった今でも健在なんだな……と思うと、何だか少しおかしかった。

 白衣を着た翔が、呆れ顔で俺を覗き込んでいる。
 ここは大学の資料室。
 俺は薬科大の生徒になりすましては、こうやって文献を漁っている。しかし、何せ夜型の生活が続いている今、昼間の読書は眠い。気付いたら居眠りしているということがほとんどだった。

「……仕方ねえだろ。夜は仕事してんだからよ……ふあぁぁ」
「ああ、あのヴァンパイアホストってやつね」

 翔は、俺たちの体のことを知っていた。
 最初に会った時から、俺のことに気付いていた。
 その理由は分からない。何度聞いても、上手くはぐらかされる。
 ただいつも奴はこう言うのだ。
「創られた人間も、普通の人間も、何ら変わり無い」と。

「ローズドロップ……食べる?」
「……食う」
「一粒1000円」
「お前……それ、悪徳商法だろ」

 翔が差し出すのは、以前にもらった桃色の錠剤。『ローズドロップ』。この薬には……忌まわしいこの体を治すために必要な成分が含まれているらしい。
 その情報を知ったのは、つい最近。しかし、翔はもっと前からこれを知っていた。
 何故、翔がこの薬品を手に入れられたのかは謎だ。やはり聞いても答えてくれない。薬科大生の特権……そんな筈はないのだ。
 それだけではない。翔の持つ、ヴァンパイアに関する情報は、俺たちの持っているものを遥かに上回っていた。何百年もかけて集めた情報を、生まれて20数年の奴が簡単に追い抜いている。しかし、その理由もよく分からない。
 こんな具合に、翔は謎の多い奴だったが……俺は特に詮索する気にはならなかった。

 ……きっと、そんなこと気にならないくらい、コイツとの時間は俺にとって大切なものだったのだ。



 ある時、俺は翔に呼び出された。
 真昼間、しかも繁華街へだ。
 待ち合わせ場所に着いた俺に、奴はにっこり笑って言った。

「プレゼント買うのに付き合え」

 一体誰にやるのかと聞いても、アイツは笑みを浮かべるだけだった。しかし、見て回る店は、どれもこれも女が好きそうな店ばかり。大方、恋人にでもやるんだろう。コイツも、普通の人間だったんだな、などと思いを馳せていた。
 奴がふと立ち止まったのは、宝石細工の店だった。ディスプレイには、色とりどりの宝石細工が所狭しと飾られている。
「へえ……綺麗だね」
 翔は、真っ赤な宝石が埋め込まれている、シンプルなピアスを手に取った。四角い石が、控えめに輝いている。
「亮、どう思う?」
「ああ……いいんじゃねえ? あんまり派手じゃなくて」
 翔はフッと微笑むと、それをレジへと持っていった。
 きっと、女の顔でも思い浮かべたに違いない。アイツの微笑みは、翔が想う誰かに向けられていた。


「付き合わせて悪かったな……」
 帰り道、翔が言った。
「ああ? 別にどうってことねえよ。ま、お前に女がいたなんて、初耳だったけどな」
 俺はにやっと笑うと、からかい口調で言ってやった。バカ代あたりが見ていたら「デビスマ!」とか言われそうだ。
 しかし、翔は軽く目を伏せ、首を振った。
「……違うよ。恋人じゃない」
 てっきり「俺に彼女がいないわけないだろ?」とか言われると思っていた俺は、予想外の返答に驚いた。思わず立ち止まった俺に、翔は苦笑する。
「……妹だよ。これは、妹の誕生日プレゼントなんだ」
「妹? お前、妹なんていたのか?」
「ああ。っていう、可愛い妹がね」
「へえ……ククッ、翔はシスコンってわけだ?」
 冗談で言ったのだが、翔の返答は意外なもので、またも拍子抜けしてしまった。

「……かもな。フフッ…」

 そう言って、微笑んだ翔は、本当に幸せそうだった。
 コイツのこんな笑顔を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。きっと、仲の良い兄妹なんだろう。
 翔にこんな表情をさせる妹に、俺は興味を抱いた。

――――……会ってみたい。

 しかし、そんな俺を見抜いたのか、翔が笑顔のまま言い放つ。心なしか、穏やかな微笑が、刺々しい笑みに変わっているような気がする。
「言っとくけど亮。に近付くのは厳禁だからな。もし何かしたら……その時は、分かってるよな?」
「……けっ、妹バカめ」
 悪態を付いた俺に、翔は至極満足そうに微笑んだのだった。


 翔は大学に、俺は店に向かうため、交差点で別れることになった。俺は「じゃあな」と片手を挙げて駅へと向かう。

「――――亮!」
突然翔に呼び止められた。

交差点のど真ん中、向かい合う俺たち。
まるでドラマのワンシーンのような構図に、思わず失笑した。男とこんなシーンを体験するなんて、全く世も末だ。

「何だよ?」
「俺はお前を……必ず助けてみせるから」
「翔……」
「だから……頑張れよ」
「…………クッ。俺様は、お前の助けなんて必要ねえ。お前はお前の目的のために……頑張れ」
 俺は翔に背を向け、そのまま人ごみに紛れた。

 アイツはどんな表情をしていたのだろうか。
 素直じゃないって、呆れただろうか。
 それとも、機嫌を損ねたかもしれない。

 俺は、頬が自然と緩むのを抑えられなかった。
 心が、温かい気持ちで満たされていくのを感じていた。



――――この一ヶ月後、翔は姿を消した。



 翔がいなくなったことを……まさか妹……から聞くなんて思わなかった。
 まるで、翔と入れ替わったかのようなタイミングで、俺はと出会った。
 の眼差しは、翔のソレと同じだ。聡明さと、凛とした力強さがある。
 俺はいつの間にか、の中に翔を見るようになっている。の中に、翔がいるような感覚になる時があるのだ。……それほど俺は、翔がいなくなったことがショックなのだろう。

 の気持ちは痛いほど分かっているつもりだ。何せ翔は、俺がこんな体になってから、初めての友人と言える存在だったからだ。
 仲間なら沢山いる。しかし、友人は翔だけだ。
 翔は俺にとって、唯一無二の存在。


 なあ翔。
 俺はあの時、本当は…………嬉しかったんだよ。
 どうしようもなく、嬉しかった。柄にもなく、照れちまってお前を見れなかった。
 俺を助けたいって言ってくれたお前の言葉が嬉しくて、顔が緩んで仕方なかったんだぜ? だから、照れ隠しでそっけない態度取っちまった。
 でも……あれは半分は本心。
 俺の体は、正直俺の力だけじゃあどうにも出来ねえ。助けは必要なんだ。
 ただ……俺は、俺の体よりも……俺を友人と言ってくれた翔……お前の目的を叶えてやりたかったんだ。俺みたいな化け物を、「俺と何ら変わり無い」って言い切ったお前に、俺がどれだけ救われたかお前は知らないだろう。
 お前と出会って、やっぱり俺は、人間に戻りたいって思った。お前と同じ人間としてこの世で生きていきたいって、本気で思ったんだぜ。

 なあ翔…………。


――――亮…………

「ん……かけ……る……」
「亮、もう起きて!」
「…………――――っ!?」
「全くもう! 居眠りしてちゃ駄目でしょ? もうすぐ開店だよ」
「…………翔」
「え?」

 首を傾げた
 その拍子に、髪が横に流れ落ちる。
 露わになった耳には、控えめに輝く紅い石。

 翔……もしかしてお前、こうなることを知ってたのか?
 俺とが出会うことも、何もかも……。

「……ククッ……これじゃあ、迂闊に手も出せねえな」
「へ?」

 仕方ねえから、お前が帰ってくるまでの間、には手を出さないでおいてやるよ。ま、お前のことだから、ここまで見越しての失踪かもしれないけどな。

……」

……あの時の台詞、そっくりそのままお前に返すぜ。

――――『俺が必ず、お前を助ける』

「……似合ってるぜ、そのピアス」


 俺の言葉に、は微笑む。
 その微笑の中に、翔の面影が見えたような気がした。




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 長らくお待たせいたしました! みかみん視点、短編でございますv いやー、ヒロイン兄出張りますねぇ(笑)ヒロインなんて、最後しか出てきませんし(汗) 翔兄とみかみんの掛け合いは、書いててとっても楽しかったです。私、意外と翼タイプとみかみんタイプって、仲良くなれるような気がするんですよ。二人とも、根本的にクレバーだし。物事の本質を見抜く力がある者同士、気が合うような気がしてます。
 翔はヒロインにシスコン気味です。これぞ王道ですよね。ま、この辺りの事情は、この先ちょくちょく出てくると思われ。今回の笑いどころ(あんのかよ)は、まさに男同士交差点で見つめ合う!! これに尽きます(爆笑)何か、自分で書いてて難ですが、この二人「恋人同士っぽくね!?」と思っていました。いやいや、これは乙女向きノベルですよ、桃井さん(;´▽`lllA``  次回は、翼姫で頑張りたいと思います!