「亮……血って、真っ赤だね……」

 忘れ去られた記憶。

「ほら見て……こんなにも……綺麗……」

 でも俺にとっては、永遠に魂に刻み込まれた記憶。
 
「……ふふっ……何だか、繋がってるみたいだね……」

 アイツの微笑みも眼差しも。

「赤い……血の……糸みたい……」

 鮮血が絡み合う、あの奇妙で心地よい感覚も。

「ねえ……きっと、私たちは離れないよ……」


 悪魔に心を囚われたあの日から、俺はずっと縛られている。
 赤い、優しい鎖に……





 The red thread to know eternity...





――――中世ヨーロッパ、貴族邸にて。

「亮様! お待ちください!!」

 俺は舌打ちをしながら、部屋のバルコニーに出る。
 月が綺麗じゃねえか、こんちくしょー。

「亮様! 亮様!! 今日という今日は、絶対に出席していただきますよ!!」
「ざけんな! 誰があんな退屈なとこ行くかってんだよ」
「亮様! それが次期三上家当主になるお方のお言葉ですか!? お父上も嘆かれますよ!!」
「うっせーな! 俺はこんな家どうでもいいんだよ!!」

 そう叫ぶように言って、俺はひらりとバルコニーから飛び降りた。

「あ、亮様――――っ!?」

 執事の悲鳴を聞きながら、俺は屋敷を抜け出した。



「ふぅ……ここまで来れば、追手もこねえだろ……」

 着いた先は、教会だった。
 人の気配が感じられないそこは、まさに聖地。俺は誘われるように、中へと足を踏み入れた。
 裏口……そう思われる扉を静かに開ける。

 中には、一人の女がいた。
 修道着に身を包み、祈りを捧げていた。
 何故か、引き寄せられる……。

「……どなたですか?」
「あ……」
「神に許しを乞いに来たのですか?」
「いや……」

 澄んだ水音のような声が、俺の心に響く。
 綺麗な金髪から覗く、真っ青な瞳。
 ……天使のようだった。

 目を奪われた俺に、女は微笑んだ。

「貴方は……三上男爵の御曹司」
「俺のこと、知ってるのか?」
「……ええ、貴方は有名ですもの」

 訝しがる俺に、その女はコロコロと鈴の音のような笑い声を上げた。

「社交界に出たがらない、気難しいお坊ちゃま」
「なっ」
「ふふふっ……今日も逃げていらしたのかしら?」
「ちっ……」

 バツが悪くなり、そっぽを向く。
 ちくしょう……俺はそんなんで有名になってやがるのか。

「でも……気持ち、よく分かるわ」
「え……」
 呟くように言ったその女は、俺を手招きする。
「良かったら、お話しない?」
「あ、ああ……」
 言われるがまま、誘われるがままに、俺はその女の後をついて行った。女は、懺悔室に入ると、俺に向かいに座るように促す。
「俺は別に、神に懺悔なんて……」
「分かってるわ。でも……貴方がここにいるって知れたら、大変でしょう? 神様なら、きっと貴方を守ってくださるわ」
 そしてソイツは、俺に向かって微笑んだ。
「私の名前は。亮、貴方に神のご加護があらんことを――」

 それが俺と……の出会い。



 は、神に仕える聖女だった。
 実際は貴族の娘であったが、権力争いや揉め事のしがらみを嫌い、自ら聖職に就くことを志願したという。

「一生神に仕えて、美しい心のまま死にたいの」

 神を心から崇拝するは、本当に天使のようだった。
 美しい容姿、綺麗な声。の全ては神のためにあった。

「全ては神の御心のままに……」

 時々、俺はの全てを手に入れている神に嫉妬した。
 と話す度、その想いは募っていく。
 いつしか俺は、に惚れてしまっていた。

 聖女に惚れるなんて、自分でもどうかしていると思った。
 そもそも女には不自由してなかったし、何より本気で恋愛なんてする気もなかった。女なんて、欲望を満たすための道具くらいにしか考えていなかった。

 なのに……

「亮、今日はどうしたの? 怖い顔をしているわ」

 と話していると、まるで自分が青臭いガキに戻ったような気になるのだ。
 嘘も偽りも、全てが見抜かれているような感覚。
 そう思うたび、への恋心の大きさに気付かされる。

 でも、は聖女。
 聖女に手を出すことは出来ない。
 が好きで、どうしようもなくなっても……俺は、アイツに触れることさえ出来なかった。
 それは禁忌だから……というよりも、純粋無垢なに対して、俺の欲情を向けることは憚られたと言った方が正しい。

「……何でもねえよ」

 そんな風にはぐらかしても、俺の気持ちは強くなる一方。
 を汚したくない。

 
でも――――汚したい。



 それでも俺は、と過ごす日々に幸せを感じていた。
 欲をむき出しにして近付いてくる奴らにうんざりしていた俺にとって、はまさに天使。といる時だけ、俺は心穏やかでいられた。
 燻った欲望や恋情でさえ、の前では浄化されていくような気さえした。

「なあ、。お前は本当に天使みたいだな」

 そう言ったら、は真っ赤な顔で狼狽していた。その顔があまりに可愛くて、思わず手を伸ばしかけて……踏みとどまる。

 
 俺はお前を……。


 そして俺はこの夜――――禁忌を犯した。


「っ……亮……?!」
「……悪い……でももう……限界なんだ……」

 を強く抱き締めて、その温もりを身体に刻み付ける。
 か細いその身体は、今にも折れてしまいそうで……胸が痛んだ。

「……もう、ここへは来ない。これで最後にする。……だから今だけ、神ではなく俺を……俺だけを見てくれ……!」

 月夜に照らされたは、神々しいほどの光を放っていた。
 その碧い瞳には、俺が映し出されている。

「亮……どうして? どうして最後だなんて言うの……?」
 涙を零し、俺に問いかける
「それは……」
 
 ……お前が好きだから。
 好き過ぎて、これ以上一緒にいたら俺はお前を傷付けてしまうから。

 ……、お前を愛してる…………

 そう心の中で呟いて、俺は教会をあとにした。

 もう二度と、この教会へは近寄らない。
 に会うことも、もう無いのだ……そう、自分に言い聞かせながら。





 に会わなくなって、しばらくの時が過ぎた。
 この頃、民衆が暴動を頻繁に起こすようになり、貴族との全面抗争が各地で勃発していた。つい最近では、隣町の貴族邸が次々と襲撃され、中にいた人間全員が殺されるという惨劇が起きていた。

「三上先輩っ!! 俺、先輩のこと……ずっと尊敬してましたから!!」
「っ……バカ代が……!!」

 そんな風に叫んで、投獄されていった奴もいた。
 俺なんかを尊敬してる……? 本当に……バカな奴だった。
 ちっ……涙が止まらねえじゃねえか。

 でも……俺が悲しみに暮れる暇なんて無かった。
 悪夢はすぐそこまで迫ってきていた。

「貴族を殺せ!! 拷問にかけろ!!」
「こいつらのせいで、俺たち民衆はいつも飢えに苦しんでるんだ!!」

 あまりにも突然過ぎて、俺は何も出来なかった。
 目の前で殺される両親や家臣を、ただ黙って見ているしか出来なかった。

「やめろ……やめろ……!!」

 あんなに嫌いだった親父。
 でも、目の前で動かなくなった瞬間、目の前が真っ暗になった。

「どうして……どうしてだよ……」

 呆然とする俺は、民衆たちに捕えられた。
 どうやらこのまま、拷問にかけられるらしい。

 でも、もうどうでも良かった。
 もう、暴れるだけの気力も残っていない。
 俺を慕った後輩も、もう誰もいない。

 そう――――誰も…………

「亮っ!! 亮――っ!!」

 悪魔のような表情の民衆の中に、一人だけ天使のような輝きを持った女が見えた。そいつは俺を見て、ただ泣き叫んでいる。

「神様! 亮を連れていかないでぇっ……!! 亮は悪くない!! 悪くないの!!」
 怒声と嘲笑の嵐の中、アイツの声だけが俺の耳には届く。
…………っ……」
 
 俺を取り囲む奴ら全員を殴り殺してでも、アイツの傍に行きたかった。
 アイツをもう一度抱き締められるなら、俺は悪魔に魂を売ることだって厭わない。

「神様……神様……私はずっと……ずっと貴方にお仕えしてきました……!! なのに、なのに……こんな仕打ちはあんまりです!! 彼をお救いください!! お救いください……!!」

 懸命に祈りの叫びを続けるに、俺は涙が止まらなかった。
 を愛してる、俺はアイツを心から愛してる。
 そう思うのと同時に、神に対する憎悪の気持ちが生まれた。

 どうしてアンタは、大事な時に助けてくれないんだ?
 俺たちはどうして、こんな目に遭わなければいけない?
 どうして俺たちは、普通に結ばれることが出来ない?
 アンタを信じて、アンタに全てを捧げてきたアイツを……どうして裏切るんだよ……!?

「っ……ククッ……ああ、そうだよな……」

 歪んだ笑みが自然と毀れる。

「……神なんて、ただの偶像だったんだ……最初からいやしないんだよ……」

 一瞬、俺を掴む腕が緩んだのを、俺は見逃さなかった。

「っ……どけよ!!」

――――ズシャッ!!

「ぐあぁっ!!」

 赤黒い血が、俺の頬を……心を汚す。
 俺がナイフを突き立てた男は、恐怖とも狂喜ともつかぬ表情を浮かべてあとずさる。
 それを見た民衆たちの歪んだ笑みは、更に深くなる。

 ほら……見ろよ、神。
 お前が創った世界を。
 こんな歪んだ、地獄を。

 俺は民衆に向かって叫んだ。

「よく聞け!! 俺は絶対お前らを許さねえ! 神を崇め、崇拝し、言いなりになるお前らを絶対にな!!」
「亮……」
「俺は死んでも、神のもとになんて行かねえ! 悪魔に魂を売ってでも、神に復讐してやる! 無責任で高慢な神を、永遠に呪ってやる……!!」
「亮っ……!!」
 泣き崩れるに聞こえるように、俺は叫び続ける。
!! 俺はお前に辿り着く!! 絶対に、何百年かかっても絶対に、絶対にお前とまた出会ってみせる!! 俺が信じてるのは『神』ではなく『悪魔』だ! どんなに醜くなろうとも、お前ともう一度出会えるためなら俺は……悪魔にだってなってやる!! 悪魔になって神を食い殺し、お前を手に入れる!! 絶対に……お前を神なんかに渡さねえ……!!」

 無茶苦茶だと思う。
 それをお前が望んでいないとも。
 でも俺は……そんな醜い欲望の塊になったとしても、お前を手に入れたい。お前を神になんか渡したくねえんだ。

「っ……も……」
「え……」
「私もっ、何百年かかっても、必ず貴方に出会ってみせるからっ……」
 そう言って、は自分の服を引き裂き、俺に飛びついた。
っ!?……んっ」

 は何も言わずに、俺に口付けた。
 触れる唇の熱さに、眩暈がする。
 一瞬、全ての音が聞こえなくなる。
 の香りと、鼓動だけが俺の全てを満たしてく。

……お前……」
「私もあの夜、禁忌を犯した……神を裏切った……」
 俺の胸元をきつく握り締め、縋り付くような仕草をする
「亮……貴方を愛してしまったから。神に全てを捧げた身でありながら、私は貴方を愛してしまったの……」
「っ……」
「……ねえ、亮。一緒に悪魔のもとへ行きましょう……?」
「ああ……」
 その僅か一瞬後、狂った民衆がに襲い掛かった。
「きゃあっ!!」
!!」
 は民衆に囲まれ、暴行を加えられていた。
「神を裏切るなんて、何て女だ!」
「コイツと一緒に、ここで殺してしまえ!!」
 しかしは、気丈に叫んだ。
「神よ!! 私は貴方の物にはならない!! 私の心は悪魔のもの! 悪魔に囚われた、あの人のものだから!!」
 は握った左手を掲げると、小指だけを立てる。
「亮……悪魔はきっと、私たちを裏切らない。だからまた、会えるよ」
 そう言って、は持っていたナイフで小指を傷付けた。
 珠のような鮮血が飛ぶ。
「っ……さあ、悪魔よ! 私と血の契約を交わしなさい!! さあ、早く!!」
っ……っ……」
「さあっ! 早く――――っ……」

 の伸ばした腕が震え、力なく垂れ下がる。
 ゆっくりと傾いていく身体。
 時が止まった気がした。

―――っ!!」

 血溜まりで倒れるに駆け寄る。
 狂気にとり憑かれた民衆たちは、ただ無意味に殺戮を繰り広げていた。
 俺たちのことなど、もう誰も見ていない。

「っ……亮……」
っ……っ……」
「亮……血って、真っ赤だね……」
 は小指を俺に向けると、薄っすらと微笑む。
「ほら見て……こんなにも……綺麗……」
 声が出ない。
 俺はただ、弱弱しく震えるの手を握った。
「……ふふっ……何だか、繋がってるみたいだね……」
 流れ出すの血が、俺の小指に絡みつく。
 まるで……
「赤い……血の……糸みたい……」
 頷く俺に、の笑みは深くなる。
「ねえ……きっと、私たちは離れないよね……?」
「……ああ。ぜってぇにまた……俺たちは巡り合う」
「ふふっ……次に会えたら私……亮のために生きる……」
「バーカ……何、言ってんだ。お前はお前のために生きろよ。『俺と共に生きる』っていう、お前のためにな」
 強がりを叩かないと、俺は意識を保っていられそうになかった。
 もそれが分かっているのか、悪戯な瞳を俺に向けた。
「ねえ亮……また、ね……?」
「……ああ。また、な……?」
 くすりと微笑んだは、そのまま目を閉じた。

 泣き叫びたくならなかったわけじゃない。
 悲しみに狂って、自分を見失ってしまいたかった。
 でも……俺は泣かなかった。狂わなかった。


「またね」

 がそう言って微笑んだから。


 手に絡みついたの血に、そっと口付ける。

「俺とお前は永遠に結ばれてんだ。この、赤い糸でな……」





 それから俺は投獄され、口に出すのもおぞましい拷問の数々を受けた。
 そして……

「不老不死になれるかもしれないぜ?」
「ぐっ……あぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
「名誉だと思え、三上家の跡取り息子よ」

 薔薇の雫(ローズドロップ)の実験台になった俺は、稀にみる成功例として生き残った。
 血に飢えてのたまう、醜い吸血鬼(ヴァンパイア)となって……。

 幾千もの夜を越え、いくつもの時代を生きてきた俺たち。
 生きている理由は、皆それぞれ。

 純粋に、自分の身体を治したいから。
 あの悲劇に、終止符を打ちたいから。
 愛する者を守れなかった悔しさから。
 またもう一度、人を愛したいから。

 そして俺は……

――――もう一度、愛したお前に出会うため……



 いくつもの時代。
 お前を捜して、お前の『魂』に出会ってきた。
 姿は違っても、心はいつも『あの時のお前』のまま。心は俺を覚えてる。

「愛してる……」

 俺はお前に、この言葉を囁き続ける。
 お前の姿が変わっても、変わらないお前の心に、俺は愛を紡ぎ続けてきた。
 お前が死ぬ瞬間まで、俺は常にお前の傍に寄り添ってきた。

「また……ね?」

 どの時代の、どのお前も、死ぬ間際必ずこの言葉を俺に囁く。
 そして俺は、その度にこう言うのだ。

「ああ……また、な……」



 そしてまた、幾千もの夜を越えた先。
 “また”お前と巡り合う。

「私は絶対に貴方を許さない! たとえ私が死んだとしても…………お兄の仇を討つまで、何度でも生まれ変わって、貴方を殺してみせる……!!」

――――何度でも生まれ変わって……

 俺はこの言葉を聞いた時、身震いした。
 いつの時代、どこの時代で聞いたよりも『あの時のお前』にそっくりなこの女。
 間違いない……『お前』なんだな……。

「ッ……クククッ……!!」

 笑いが込み上げてきた。
 嬉しい、楽しい、そんな感情じゃあない。

――――コイツなら、俺たちの輪舞曲を終わらせられるかもしれない
 『この』になら、死ぬ間際にもう「またね」と言わせなくて済むかもしれない。
 赤い糸が絡み付いて、離れられない俺たちを救えるかもしれない――――

 そんな漠然とした期待、予感、それを感じた。


 悪魔に囚われて、悠久の時を生きる俺。
 悪魔に囚われて、永遠に「次」を求める

 でも、コイツなら「次」ではなく、「新しい出会い」を求めるだろう。
 それでいい。
 そうしたら俺も、「あの時のお前」じゃなく、「今のお前」を愛することが出来る。

 
絡み付いていた赤い糸が、解けていく――――……



 そうして俺は、お前に賭けることに決めたんだ。
 少しの不安と、大きな期待を抱いて。

「続きは店の中で、だ。お前らも、お小言なら中で聞いてやる」

 永遠という鎖を断ち切るために――――……。




Fin....?




えーと……お題という場を借りて、『吸血鬼輪舞曲』の番外編を書いてしまいましたっ。しかもお相手はみかみん。んー……またおもった苦しい話ですね(苦笑)ていうかメチャメチャブラッディーだし。血みどろです、ハイ。
本編の後書きを読んでいただいた方は知ってるかと思いますが、実は最初吸血鬼輪舞曲は、みかみんがお相手になる……ハズでした。その名残で、吸血鬼と言えばみかみん、みたいな変な図式が桃井の脳内では出来上がってたりしたりします。
彼らの過去話は、是非とも書いてみたいネタで、今回書けて嬉しい反面ちょこっと緊張です。というのも、吸血鬼輪舞曲の連載が終わって、半年以上が経ってしまって……正直、「あれれ?こんな血みどろものだったっけ」とか思ったり。ま、いいか(おいおい)
お題で番外編書くのは正直駄目なんだと思いますが、時間の関係と、お題のタイトルがめちゃめちゃビンゴだったこともあり、あえて書かせていただきました。
本編は、何となく翼寄りーだったかもしれませんが、私としては「誰とくっつけた」気はありません。あの先の未来、もう永久の時を過ごさないみかみんとヒロインが「新たな赤い糸」を作っていくかもしれません。もちろん、お兄様と禁断の愛に走ってもいいかもだし(笑)翼とずっとラブラブしてもらってもいいしねv 未来は皆さんのお好きなキャラと築いていってくれって感じです。この番外編は、みかみんが過去の「永遠を知る赤い糸」を断ち切ることを祈ってる、ここを書きたかっただけです(え!?)永遠って美しいけど、とっても残酷で悲しい響きもありますよね……。永遠は無いから、人は先に進んでいけるのだし。そんな想いが伝われば幸いです。

2007/09/24 柚