? 何、やってんのこんなところで」

 心臓が跳ね上がる。
 何で、こんなところで彼に会うのだろう。

「翼! すっごい偶然!」

 本当に、すごい偶然。
 だってここは、今日たまたま来たところで。
 翼には一言だって告げてない場所なのに。

 鼓動が、当たり前のように早くなってく。



 何も告げずに、助手席に座り込む。……当たり前のように。
 翼の助手席は、多分、私だけの特等席。
 だってほら、シートの位置は、私が合わせたまんまになってる。

 まだ、誰も他に乗せてないんだ。
 私だけ……特別。

 そんなことを考えて、少しだけ優越感に浸る。
 でも、本当に偶々、偶然出会ったから送ってもらうだけ。
 他意はない。それだけ。

「翼の車って、ホントカッコイイよねv いいな〜」
 ちらり、と翼を伺う。
 案の定、彼は複雑な表情を浮かべて、ミラーを睨んでる。
「……柾輝も持ってるだろ? 乗せてもらってるじゃん」
 そうだよ。乗せてもらってるよ。
 でも……
「うーん。でも、翼の方が似合ってるんだもん」
「……」

 ごめん。
 でも、これが本心。



 ハンドルを切る翼の横顔。
 出会って数年経った今、彼は周囲の期待を裏切らずに綺麗なまま。
 大人びた表情も、その眼差しも。見る者を惹きつけてやまない。

 仲の良い友達だよ…そう必死に言い聞かせてる。
 翼は私の先輩で、私は翼のマネージャー。
 それ以上でもそれ以下でもないんだよ。

「翼、ありがと」

 翼を見つめ、微笑みを浮かべる。
 少し赤くなって、視線を逸らした彼。

 ……でも、私は気付いてる。
 翼の手が、私に伸ばされ掛けたことに。

 だけど、彼の手が私に届くことは無い。
 ラジオから流れてきたメロディーが、翼と私の距離を離した。
 我に返ったかのように、正面へと向き直る私たち。

 柾輝の顔が、頭を掠める。
 
 私は柾輝の、翼の親友の彼女。
 だから……翼のモノにはなれない。それが事実なんだ。

「でねっ、柾輝ってば、この間ね……」
「うん……そっか……」

 ねえ、翼。
 私、本当は貴方の気持ちに気付いてる。
 でも、わざと気付かないフリしてる。

 私を見つめる、その眼差しの熱さに。
 泣きそうな顔で微笑む、貴方の心の痛みにも……。

 柾輝の話をすると、翼はいつも、泣き笑いのような表情を浮かべる。
 普通なら、気付かないくらいの変化だけど……私には分かる。
 彼は私と同じだから。
 翼を見てるとまるで、私を見ているような気になる。

 中学で出会って、高校、大学とずっと一緒だった。
 私たちは、お互いきっと、ずっと両思いだったんだ。
 でも、それを伝えなかった。
 
 だから、お互いに「特別」だったのに、「特別にしてほしい他の誰かの気持ち」を断ることが出来なかった。

 私が柾輝と付き合った後すぐに、翼も彼女を作った。

 私は忘れない。
 柾輝と付き合うことを告げたあの時の、翼の顔を。
 見ているこっちが泣きたくなるような、そんな悲しい顔で翼は笑った。

――――もしあの時、翼が私を無理にでも奪ってくれてたなら……。

 そんなことを思ってしまう。


 翼に彼女を紹介された時。
 不覚にも私は、泣きそうになった。
 でも、必死に笑顔を作った私の顔は、翼のソレと全く同じだったのだろう。
 翼の瞳が、困惑に揺れてた。

――――もしあの時、私が翼に素直な気持ちをぶつけられたなら……。

 後悔しても、もう遅いけれど。



 私はずっと、柾輝と、何となく付き合ってる。
 翼はあの彼女と別れてからは、誰とも付き合っていない。
 その理由は、多分私。それが、こんなにも嬉しいなんて、私は本当に最低だ。
 
 何て酷い女……自分でもそう思う。
 結局私は、柾輝を裏切って、自分を偽って、翼を弄んでる。

 柾輝の話をして、傷付いた翼を見ると心が弾む私は最低。
 翼が私を熱っぽい視線で見つめてきても、それに気付かないフリをして、翼の瞳を揺らす私は最低。
 
 そして何より、翼の笑顔を見るたびに、泣きそうになってる自分が一番最低――――


 
 翼の微笑みは、いつも酷く悲しい。
 その笑みを見るたび、私の心は酷く軋む。
 
 好き。
 大好きなの。
 翼が好きで、どうしようもないんだよ。

 本当は今すぐにでも、その胸に飛び込んでしまいたい。
 その手を取って、彼に触れたい。
 伸ばせばすぐに、手が届く距離にいるのに。

 ……私たちの間には、見えない壁が立ち塞がってる。

 だって、翼は私に触れられない。
 あんな瞳で、あんな表情で私を見つめるのに、この壁を乗り越えられない。
 私だって翼に触れられない。
 こんなに好きで、触れたくて仕方ないのに、この壁を乗り越えられない。

 どうしてこうなっちゃったんだろう。
 どうして私たち、こんな関係になっちゃったの?

 ほら……今だって、私はわざと鞄を膝に乗せた。
「もう、お別れだよ」
 そう、翼に言うために。

 それを見た翼は、諦めたような、ほっとしたような溜め息を一つついた。
 多分……今日もまた、彼は自分の気持ちを掻き消すのに成功したんだ。
 ……きっと、失敗することなんてこの先無いんだろう。
 そしてそれは、私も同じ――――……。

 だから、私たちには【真実】を確かめる術がない。
 あるのは、私たちが作り出した、何年もかけて築き上げた、偽りの【事実】だけ。

「翼って、本当に優しいね。翼の彼女になれる人って、どんな素敵な人なんだろう」
「っ……」

 でも……今日私は失敗した。
 ふと口をついて、こんな白々しい台詞が出てしまったことが、何よりの証拠。

 ……翼、何か言って?
 冗談にしてもいいから、「バカ」って小突いてくれてもいいから。
 このまま、私に色々考えさせる時間を与えないでよ。

 期待と落胆が入り混じったような気持ちの中、切ない表情で曖昧な笑みを浮かべる翼を見つめる。

 ……そうだった。
 私は……柾輝のモノだ。
 もしここで、翼と過ちを犯してしまったら……私はきっと、翼も柾輝も、他の大事な皆も全部失う。
 
 翼を
――友達としてでもいいから――失くしたくない。
 柾輝も、皆も……失いたくない。
 そう思うのは事実で、真実なんだ。

 でも……
 もう、胸が軋んで悲鳴を上げるくらいに、翼が好きなことも事実で、真実なの…………。



「ほら……、着いたよ」

 翼の言葉で、現実へと引き戻される。
 夢の時間は終わってしまったんだ。
 私はわざと、軽快な仕草で助手席から滑り降りた。

 ……未練があるなんて、見せないように。
 まだ降りたくない、このまま私を連れ去ってほしい……そう思ってることなんて、絶対に気付かれないように。

 でも……これだけは、言いたいの。

「翼、ありがとう! 大好きだよ」

 嘘じゃない、私の心からの本心。
 たとえ翼が、私の想いに気付くことはなくても。
 この言葉だけは、伝えたいの。

 真実としての「すき」は言えなくても、私が「すき」と言った事実だけは残るから。

 翼の瞳が、揺れる。
 でも、彼は優しく微笑んでこう言うのだ。

「……そういう言葉は、柾輝に言ってやれよ」

 うん……分かってるよ。
 だってそれが、私たちが作ってきた【事実】だもんね。
 翼がこう言うって分かってたから、私もこの言葉を告げれるんだ。

「ふふっ、じゃあ、またね」
「ああ、また」

 振り返ったら、私が先に崩れることは目に見えて分かってる。
 ここで崩れたら、今までの努力が全て水の泡になってしまう。

 今、翼に手を引かれでもしたら。
 もし、翼に引きとめられでもしたら。
 ……私はきっと、全ての事実を壊してしまうから。

 だから、振り返らずに走った。
 知らずうちに溢れてきた、涙が頬を横に流れても、気にも留めずに走った。

 背に感じる、翼の視線が熱い……。






――――不在着信 2件

 携帯は、わざとサイレンスにしていた。
 翼との時間を、邪魔されたくなかった。

 着信の相手――――柾輝に、電話をかける。

「もしもし、?」
「柾輝……ごめん。携帯の充電切れてて……」
「いや、なら別にいいけどよ。今から……俺んち、来ねえか?」

――――さっき、翼がこう言ってくれてたなら……
――――この電話の相手が、翼だったら……


 柾輝、私ってこんなに最低なんだよ。
 一緒にいても、幸せになんてなれないよ。

 でも……私から別れを切り出すことなんて出来ない。
 だって、きっと、柾輝と離れたら……翼も離れていってしまう。
 そんなの耐えられない。

 ごめんね柾輝。
 本当にごめん。
 もし、この想いが貴方にバレたら……私は一生、貴方に償っていく。
 
 どんなに酷く、罵っても構わない。
 一生、幸せになれないようにしてくれたっていい。
 それだけの酷いことを、私はしてるって分かってるから。

 だからお願い……今だけは。
 今だけは、このままでいさせてほしいの。
 傍にいて……ほしいの。

「うん……行く」

 たとえ始まりが偽りだったとしても。
 時間が経てば、それは真実になる。

 翼が好きだという真実を、"好きだったという事実"に変えてみせる。
 そう、するしかないんだよ。
 変われないよ、私たちは。
 もう、自分の思いを素直に口に出来る年齢じゃないんだよ。

「好き……大好きだよ……」
「……俺も」

 携帯を閉じれば、私の目からはとめどなく涙が溢れる。

 私は今、また恋人を裏切った。
 

「好きだよっ……翼ぁっ……」


 こうやっていつも、私は翼に愛を紡ぐ。
 柾輝という、仮の姿を通して。


 ねえ、翼。
 私たちはもう、出会った頃の、中学生の私たちじゃないんだよ。
 大人になっちゃったんだよ、私たち。
 もう、自分のためだけに生きれないんだよ。


 だから……
 せめて今だけはこのままで。
 この、甘くて痛い、荊のような関係を続けさせて。

 翼が泣くなら、私も泣くから。

 悲しいことかもしれない。
 お互い傷付くだけなのかもしれない。
 でも私は、貴方といられて幸せなの。

 翼の本当の笑顔を見ることは出来なくても。
 私の本当の笑顔を見せることは出来なくても。

 せめて今だけは、傍にいてほしいの…………。



 そして私は、翼への想いを胸に秘め恋人の家へと向かう。
 偽りの言葉で自分を偽って、それを事実にするために――――……





At least...Stay with me

(「す」の次が言えない・・・――――ヒロインver.柚)




最近のマイブームが「センチメンタル」なので(え)、切なさシリーズ爆裂で行こうとか思い、こんなんを書くことになりました。
ヒロイン視点の『「す」の次が言えない・・・』です。本当は、全くもって気付いてない鈍感ヒロインっていう設定だったんですが……まあ、切なさを敢えて目指した結果、こんな感じになりました。うーん、ヒロイン酷いな……。
このヒロインは、鈍感でも何でもありません。そして、結構酷いかもしれません。翼が好きだけど、柾輝と付き合ってる。だから柾輝に向かって愛を紡ぎながらも、それは全部翼に向けたもので……みたいな黒い感じです(は)でも、女の子ってこういうこと結構出来ちゃう子いるんじゃないかな? いや、男の子も出来るでしょうけど。何ていうか、人って愛のためなら他を犠牲に出来ちゃう子って多くないですか? その人のためなら、結構他はどうでも良くなるみたいな。例えば好きな人がいたとして、その人のためになら何でも頑張るけど、どうでもいい相手にはどうでもいい感じになるとか……?(お前だけだ)いや、そうですか。私、ダメ人間ですね(;´▽`lllA`` でもそれって、人間ならある程度仕方ないことなのかもって思います。誰だって、自分の一番大事な人と、そうで無い人とは多かれ少なかれ、区別して付き合ってるはずだし。そんな、人間らしさを持たせてみましたがいかがでしたかね。
年取ると、こういう黒い部分ばっかが目についてきやがって、嫌になりますね☆私って夢書くの向いてないかもな〜……(遠い目)
あ、ちなみに、『風と奏でる唄』の結波ちゃんが、もっと純粋で素敵なお話を書いてくれてますv 桃井の読んで「マジこの話欝。気分最悪なんだけど」となった方は、迷わず解毒剤を(結波ちゃんのSS)戴きましょう。きっと心が洗われること間違いなし◎

2007/10/21 桃井柚