とある街の片隅に、ひっそりと佇む廃墟ビル。
 ――――御影探偵事務所。
 ここの探偵事務所が扱うのは、世に蔓延るあらゆる謎。
 俗に言う、都市伝説と呼ばれる類もの。

 そして今日もまた。
 袋小路に迷い込んだ人間が、彼に助けを求めてやってくる。

 噂という謎を、手土産に……。






「ほら、撮るよー!」
「「「はい、チーズ★」」」

 カシャッ、パシャッ。
 シャッターを切る音が響く放課後の教室。
 宮野霞<みやの かすみ>はペットボトルを三脚に見立て、首を捻った。
「うーん……なーんか、アングルがイマイチ。いや……やっぱ被写体の問題?」
「おい! 失礼だぞ!」
「そうだそうだ! 私らの魅力がきちんと撮れないのは、間違いなくカメラマンのせいだね」
「はいはい、悪かったよ。もう一枚撮るよ! 並んで並んで」
 夕焼けが差し込む窓を背に、少女たちは肩を並べて微笑んだ。
 霞はこの瞬間がとても好きだ。
「はいOK!」
「ふぅー疲れた」
「こら伊織、アンタはただ笑ってただけでしょ」
「えへへ」
 写真部に所属するメンバーは全部で9人おり、霞もその一人だ。ちなみに、女の子しかいない。
 彼女たちの活動は主に放課後。各々が好きなところで好きなように写真を撮る。それを見せ合って、アドバイスしあうというのが主な活動内容であった。と言っても、ほとんどがくだらないお喋りをしながらの、ついで作業となっているのだが。
「そうだ霞。伊織の彼氏ゲット記念に一枚撮ってくれない? 今日カメラ忘れちゃったの!」
 伊織は部員の一人で、かなりの美少女だ。つい最近彼氏が出来て、皆のからかいのネタになっている。
「うん、いいよ」
 霞はこれでも一応部長だ。写真を撮るのが一番上手い。何だかんだ言って、重要な写真はいつも霞が撮ることになっていた。
「ほら伊織! 吉岡君を手に入れた気分を写真に表現しなさいっ」
「きゃー! 美貴、恥ずかしいこと言わないでよ!」
「このこのっ、皆のアイドルを射止めるなんて、お主もやりおるな〜!」
「もぉっ優子まで、からかわないでよぉ」
 顔を赤くしながら照れる伊織たちに、霞はレンズを向けた。
「ほらほら、撮るよー! ハイ、チーズ!!」





ファイル005 写真





「どうして……こんなことに……」
 優子と美貴が泣き崩れる前で、霞はただ呆然と立ち尽くしていた。ついこの間までの日々が、嘘のように思える感覚に眩暈がする。
 伊織が死んだのだ。
 しかも、学校の屋上から飛び降りて。

――――どうして?

 素敵な彼氏が出来て、素敵な友達に囲まれて、何を死ぬ必要があったのだろう。これ以上ないくらいに伊織は幸せだったはずだ。それなのに、何故?
 遺影の中の伊織は、ただ微笑むだけで何も語りはしなかった。

 葬式の帰り、霞は最後自分が撮ったあの教室での写真を取り出す。
 伊織を真ん中にして、優子と美貴皆で笑っている。
 伊織の顔が、夕焼けに隠れるくらいに赤く染まっている。
 いつもなら、綺麗と感じるはずの夕焼けが、何故か怖ろしいものに思えて霞はそれをしまい込んだ。



 数日後、残された部員たちは伊織の荷物の整理をしていた。
 伊織が撮った写真、ロッカー、クッション、インスタントカメラ……伊織の思い出が詰まったものは、全てダンボールに消えていった。皆、伊織のことを思い出さないようにしたかったのだろう。それくらいに、伊織の死はショックが大きかった。
「吉岡君ね、転校しちゃうらしいよ」
「うん、聞いた……伊織が飛び降りたの、本当にショックだったみたい」
「そりゃあ、ね……付き合って間もなくだったし」
 霞は部員たちの言葉を聞きながら、伊織の姿を想像していた。
 伊織はそれほど派手でもなく、どちらかと言えば控えめで大人しいタイプだった。しかし、だからと言って一人で全てを抱え込んで、欝になっていくようなタイプでもない。
 屋上から飛び降りるなんて、絶対にしない――――
「霞、大丈夫?」
「え、あ、うん……。あ、そうだ。美貴、優子、あの時の写真……いる?」
 飛び降りるなんてしない。なら、どうして飛んだの?
 霞は自分の問いに対する答えが見つからないまま、二人に写真を差し出した。あの、伊織と三人で写っている写真だ。
「あ、これって……」
「そっか……これ、撮ったんだよね」
 二人は力ない笑みを浮かべながら、その写真を手にとって眺めている。
 三人は、入部からずっと一緒だった。伊織が死んで、一番ショックを受けているのは間違いない。葬式での二人の取り乱しようと言ったら無かった。泣き叫ぶ二人に、誰もが胸を痛めた。
 霞は二人を見つめながら、やはり伊織が死んだ理由を考えるのだった。



 それから半月が過ぎ、部員たちもようやく落ち着きを取り戻し始めた矢先だった。
 校内でまた、飛び降り自殺があったのだ。
 死んだのは、三年生の女。テニス部のエースで、男女共から人気のある人だった。霞よりも年上だったが、その顔はよく知っている。

「なんで、あんな明るい先輩が……」
「ねー! ありえなくない!?」
「何か悩みでもあったのかなぁ」

 生徒たちが口々に囁き合う。霞はそれを、どこか遠くで聞いているような気分だった。
 伊織に先輩。二人は何故、自殺を図ったのか。それは二人にしか分からないが、どうしても納得がいかないのだ。
「あーあ、俺、先輩のファンだったのにな……この写真も、もう持っていられないか」
 クラスメイトの男子が、霞の席にやってくる。顔を上げた霞の前に、一枚の写真が置かれた。
「これ、写真部の奴にこの間撮ってもらったんだけどさ……やっぱ返すわ。悪いな」
「あ……」
 写真の中では、死んだ先輩が男子生徒二人に囲まれて笑っている。
 その笑顔は、まるで太陽のように眩しく光っている。
 しかし、何故かその光が不吉なものに感じられるのは、霞の気持ちの問題だった。



「二人も自殺なんて……この学校、どうなってるのよ」
「本当にね。あーあ……皆死ぬの早すぎだよ」
「早死にが集まる学校なのかしら」
「おいおい、それじゃあうちらも早死にするってか」
 冗談とも本気とも付かぬ話題を口にしながら、写真部の活動を行う面々。霞は溜め息をつきながら、ファインダーを覗く。
教室から見える景色は、この間まで見えていた景色とは明らかに違ってしまったような気がする。物悲しく、陰鬱な気分になるような景色だ。ファインダーは曇っていないはずなのに。きっと自分の心が濁ってしまったのだと霞は思った。人が死んだら皆、こんな風になるものだろうか。いや、きっと違う。何か心に引っかかるのだ。それが何か分からないもやもやとした気持ちが、心を曇らせる原因なのだ。
 曇り空を振り切るように、霞はシャッターを切った。
 伊織の顔が、シャッターの合間を掠めた。



 次の日。
 人だかりの出来た階段の踊り場の前で、霞はカメラを落とした。
 また、人が死んだ――――……。
 その瞬間に、霞の背筋に戦慄が走った。

――まさか……まさかまさかまさか!

 カメラを拾い上げることも出来ずに、両腕で己を掻き抱く霞。
 そのまま、人だかりを掻き分けるようにして、死んでいる生徒を確認した。

「この子って、確か演劇部の……」
「何で自殺なんて……」
「こらお前ら! 下がれ下がれ!!」

 教師たちの慌てた声と、生徒たちの騒ぎ声が木霊する中、霞は後ずさる。そしてそのまま、ある場所へと駆け出した。

 部室に駆け込んだ霞は、アルバムを引っ掻き回す。
「ひっ!」
 散乱した写真の中からそれを見つけた時、霞は思わず悲鳴を上げた。

 それは、文化祭の時の写真だった。
 今日死んだクラスメイトが、綺麗な衣装を身に着けながら微笑んでいる。彼女は演劇部のヒロインだった。その両隣には、同じく笑顔を浮かべる演劇部員が写っている。
 霞の手は震えている。
 その時、部室に写真部の一人がやってきた。
「あれ? 霞。どうしたの、こんな早くに」
「……ねえ、私気付いた……」
「え?」
「死んだ人たちに共通すること……皆、真ん中に写ってるの。写真の真ん中に……」
 霞は馬鹿げた考えだとは思いつつも、話さずにはいられなかった。
「昔からよく言うでしょ? 写真の真ん中に写ると、早死にするって……。死んだ三人は、全員写真の真ん中に写ってるの! だからこれは……」
 空ろな瞳で語る霞に、部員は困惑顔を浮かべる。
「霞……そんなのただの都市伝説だよ。だって、今までだって写真の真ん中に写ってる人なんて、ゴマンといるじゃん! その人たちが皆早死にしてるなんてあり得ないし」
「でも……偶然だとは思えないよ。だって、三人とも死ぬような人たちじゃないじゃない!」
 そうだ。偶然なんかじゃない。
 これは都市伝説の呪いなんだ……絶対にそうだ。
 じゃなければ、三人が死ぬ理由なんてあるはずがないのだ。
「霞……」
 霞の只ならぬ様子に、部員も黙ってしまった。

 霞の言葉のためか、他にも気付いた人間がいたのか。
 その後、瞬く間にこの噂は広がった。
 死んだ三人は「写真の真ん中」だったことが原因で死んだのだ。写真の真ん中に写ると呪われる、早死にする――――そんな噂で、校内は持ちきりだった。

「どーしよう! 私、この前真ん中に写っちゃったよ!!」
「えー!? それってヤバイんじゃないの??」
「やっぱり!? うわーん、お祓いでもしてもらいに行かなきゃ!!」

 写真を撮るのが日課である高校生たちが、途端に写真を撮らなくなった。
 撮る時は、必ず4人以上。しかも、真ん中には誰も並びたがらない。

 噂が広がるにつれ、写真部の肩身は狭くなっていった。
 部員たちも段々集まりが悪くなり、ついには「休部届」まで提出する者まで出てきてしまった。
「ごめん霞……今私、写真撮る気になれない」
「私も……何だか、気味悪いし」
 気味が悪いのは霞だって同じだ。何しろ、一番最初に三人の共通点に気付いたのだから。だから霞は、休部届を受け取るしかなかった。
 しかし、霞も写真なんか撮る気になれない。
 カメラを部室のロッカーにしまい込み、ただ写真の整理だけをする毎日を送るようになってしまった。そんな霞に、部員たちは何も言わなかった。 自分たちも精神的に追い詰められているからだろうか。部室に集まるメンバーはどんどん減っていき、やがて優子と美貴だけしか部室に顔を出さなくなった。
「霞……元気出そう?」
 優子が霞の手を取って、微笑んだ。その隣には美貴もいる。
「二人とも……」
「伊織があんなことになって……私たちだって辛いよ。でも、それでうちらが皆写真やめちゃったら、伊織はもっと報われないよ」
「そうだよ! 霞の写真、伊織大好きだったんだよ? 霞が写真撮らなくなっちゃったら、伊織悲しむよ」
 二人の言葉に、霞は頷く。
「うん……そうだよね。それは分かってるんだ……でも……」
 
――――どうしても、都市伝説が気になる。

 思い詰めた表情を浮かべた霞に、二人は何とも言えない様子であった。



「どうすればいいの……どうしたら……」
 うわ言のように繰り返しながら、ホームに立ち尽くす。
 すると、誰かに肩をぶつかられた。
「きゃっ」
 思わずよろけた先には、公衆電話。
 手を付いてふと見ると、壁の落書きが目に入った。
 何の変哲も無い、駅のホーム。そして公衆電話周りに書かれた落書き。
 しかし、何故かこの文字だけが鮮明に映る。

――――都市に蔓延るあらゆる謎、解明します

 走り書きのように流れる文字に添えられた電話番号。
 他の落書きの合間に書かれているそれは、決して目立つものではないはずなのに。何故か霞の目には、それしか見えてこない。
 携帯に番号を入力した霞は、迷わず発信ボタンを押していた――――……。






「なるほどね……今までの話が、君が体験したことの全てなんだ?」
「うん。お兄さん、この話信じてくれる?」
 憔悴しきった様子の霞に、橘香月は微笑んだ。
「もちろん。霞ちゃんの通ってる高校で、飛び降り自殺が相次いで起きてるのはニュースで知ってるしね。君が嘘をついてるなんて思わない」
 霞は安堵したように微笑み返すと、持っていた写真を香月に手渡した。
「これ、死んだ三人の写真」
「……」
 無言のまま写真を見つめる香月。するとその前に、すっとお茶が差し出された。
「粗茶ですが、どうぞ」
「ありがとう、璃緒ちゃん。霞ちゃん、璃緒ちゃんの淹れるお茶はマジで美味いよ」
「ふふふっ、香月さんお上手ですわ。霞さん、良かったら召し上がってください」
「あ、ありがとう……」
 薄すぎず、濃すぎず。確かに、美味しい。
 霞は、人形めいた少女の顔をまじまじと見つめる。目の前に座る香月という青年とは違って、およそ人間らしさを感じさせない不思議な雰囲気を持っていた。
「いかがです?」
「お、美味しい」
「それは良かったですわ」
 コロコロと鈴の音が鳴るように笑い声を上げて、璃緒と呼ばれた少女は去っていった。
「綺麗な子……人形みたい」
 そう言えば、死んだ三人も皆美人で可愛かった。伊織は小柄で内気な美少女だったし、テニス部の先輩は、全校生徒の憧れで華やかな美人。そして、演劇部のクラスメイトだって、ヒロインという言葉がぴったり当てはまるような容姿を持っていた。
「こんなこと言って不謹慎かもしれないけど……死んだ子たちって、かなり可愛い子たちだったんだな」
「うん……皆、すっごいモテて、人気あったよ」
 香月は、分厚いファイルのようなものを取り出すと、パラパラとそれをめくった。そして「あった」と呟くと、そのページを霞に見せる。
「これ……『写真の真ん中に写ると早死にする』っていう噂について調べたやつなんだけど」
 そのページには、様々な文献の切り抜きやコピーがファイリングしてあるようだった。目を丸くしてそれを見つめる霞に、香月は苦笑する。
「まだまだあるんだけど、今はとりあえずこれだけ。霞ちゃん。俺なりに今の話を聞かせてもらった見解を話してもいいかな?」
「うん」
「よし。……まず、自殺した三人の共通点は『皆写真の真ん中に写っていた』という点が1つ。そして2点目に『皆美少女だった』という点。他に共通する点あったかな?」
「……わかんない。でも、三人共自殺なんてするような人たちじゃないって思う……」
「うん。要するに、自殺するような悩みなんて無かったと思う……ってところかな?」
 黙って頷いた霞に、香月は少しだけ眉根を下げた。
「霞ちゃん。俺はね、この都市伝説、あながち只の噂や迷信じゃないって思ってるんだ」
「それってどういうこと? 都市伝説の呪いは存在してるってこと?」
「少なくとも、そういった伝説が創り出されたのは必然的だったと思う」
 ぽかんとした表情を浮かべた霞に、香月は思い出すような仕草を見せた。
「例えば……そう。この三人は皆美人で可愛いかった。人気者だった。そんな三人が写真を撮るとして……中心に写るのは、当たり前のように思わないか?」
 確かに。人気者を取り囲んで写真を撮るのは世の常だ。幾度と無く、何枚もの写真を撮ってきた霞には、それはよく分かっている。
「うん……そうかもしれない。人気者の周りに、皆集まってくるもんね」
「そう。じゃあここでもう一つ考えてみて。人気者は、絶対的な存在じゃないってことを」
「?」
「人気があるってことは、それだけ敵も作りやすい。容姿もあって、性格も良くて、異性からも人気がある三人。……誰かから嫉みや恨みを買っていてもおかしくない」
 香月の言葉に、霞は心に薄暗い影が立ちこめるのを感じていた。
 そうだ……。
 彼女たちは皆、とても綺麗で可愛くて、性格も良かった。でも、そういった彼女たちだからこそ、羨ましい気持ちが募って、大好きになれなかった。友達だけど、それだけ。一緒にいて笑い合えるけど、妬ましい気持ちは消えない……。少なくとも、霞はそう感じていた。
 だから、伊織が死んだ時……私は本当に悲しんでいた……?
 私、本当は少し――――……
 そこまで考えて、慌てて首を振る。
 違う、喜んでなんてない。そこまで私、歪んでない。絶対に違う……
「霞ちゃん……?」
「お兄さん、私……」
 今にも泣きそうな瞳と向き合って、香月はそっと霞の頭を撫でた。
「大丈夫。君は何も歪んでなんていないよ。人間なら誰だって、そういった気持ちはあるんだ。容姿があって、性格も良い奴……誰だって、羨ましく思うさ」
「私……伊織が死んで……先輩が死んで……心のどこかで喜んでたのかもしれない……そんなこと、思いたくないのに……!」
「うん、分かってる。大丈夫。だって君は、こんなにも思い詰めてここに来た。そして話してくれたんだから。本当に君が歪んでいたら、こんなところに相談にくるはずはないよ」
「うん……うん……」
「大好きになれないけど、大嫌いにもなれない相手なんて沢山いるよ。俺はそれでいいんだって思ってる。だから霞ちゃん、そんなに自分を追い詰めないで」
 顔を上げて、霞は香月を見つめる。
 自分より幾分か年上なだけに違いないなのに……こんなにも大人びて見えるのは何故なの? 
 香月の言葉は、自分でも気付いていなかった心のシコリを取っていくようだった。歪んでいると思っていた自分を、あっさりと肯定してくれた。
 確かに伊織のことを羨ましく思っていた。先輩のことも、クラスメイトのことも。
 写真を撮るたびに、そういった気持ちが膨らんでいく。人気のある子の周りは、それだけで輝いて見える。ファインダーを通して見てきた風景は、いつもきらきらと輝いていた。そういった風景を見るのは好きだった。自分の撮った写真の中の笑顔を見るのが好きだった。でもそれと同時に、それを羨ましく思っていた。
 いつか自分も、あの輝きの中心になれたら…………
「この写真、霞ちゃんが撮ったの?」
「うん……伊織のと、演劇部のは私が。先輩のは私じゃないけど……」
「そっか。すごい綺麗に撮れてるね。きっと、撮る人の腕前がいいからだよ」
 被写体じゃなく、撮影者の腕前がいい。
 そう言ってもらえることは、霞にとっては何より嬉しい言葉だった。
「お兄さん、ありがとう。そんな風に言ってもらえて、マジで嬉しいっ」
「写真ってのはさ、撮る人次第だと思うよ。知り合いにプロのカメラマンがいるんだけど、その人がよく言ってるんだ。『どんな被写体が相手でも、最高に綺麗に見せてやるのがプロだ』ってね。聞こえは悪いかもしれないけど、どんな平凡な人でも、プロの腕にかかれば途端に女優も真っ青な写真が撮れるらしいよ」
「へえ……なんか私、やる気出てきた」
 霞の言葉に、香月は微笑みながら続けた。
「じゃあ、話を戻すよ。つまり、写真の中心に写る人物ってのは、大方人気者が多いんだ。そして、人気者は敵も作りやすい。ここまではいいな?」
「うん……でも、お兄さん。ってことはつまり……」
 香月は少し躊躇うように視線を漂わせた後、真剣な瞳で霞を見つめた。
「ああ。彼女たちは、誰かの恨みや嫉みに殺されたんだ」
「……」
 香月の言葉を聞いても、さほど驚かなかったのは自分でも薄々気付いていたからだ。
 霞は最初から、彼女たちが「自殺したんじゃない」ということを本能で悟っていた。写真に写るのは、その情景や風景だけではない。写された人間たちのオーラも写し出すのだ。きらきらと輝いているのは、その人物たちのオーラに他ならない。霞はそれを、ずっと感じていた。だからこそ、今ここで、こうしているのだ。
「都市伝説ってのはね、皆人間が創り出したものなんだ。人が噂を語る理由は色々あるだろうけど……どれも共通しているのは『その噂が必要だから』って点かな。その噂を語ることが、その人々にとってはとても意味のあることなんだ」
「……何となく、分かるような気がする」
「うん。何となくで構わない。噂に対する感じ方、捉え方はそれこそ千差万別で人それぞれだし。俺の言うことが全てじゃない」
「ねえ、お兄さん。伊織たちは殺されたの? 誰に?」
 この問いに、香月は首を振る。
「それはまだ分からない。でも強いて言うなら――――」
 香月の瞳が、薄暗く揺れる。
「都市伝説に殺されたんだ」

――――ズキンッ

 頭の芯に響くような痛みが走る。
 都市伝説に殺された……という香月の言葉が、頭の中を反響している。
 何だろうこれは。何か、心の中が、頭の中で警告音が鳴っているような感覚がする。眩暈にも似たそれは、確実に私に何かを伝えようとしている。でも、それが何なのかは分からない。ただ、それが確実に私に近付いてきているということだけは何故か分かるのだ。

「お兄さん……私、どうすればいいの?」
「大丈夫。俺たちが解決する。きっと君の日常を取り戻してみせる」
 そう言って微笑んだ香月に、霞は不思議な感情を抱いた。
 さっきまで人間だったはずの彼が、途端に自分とは違う存在になってしまったような感覚。そんなこと、あるはずもないのに……。しかし、香月の瞳は最初に会った時のソレとは異なっているように見える。何故そんな風に思うのか、霞自身も謎だった。
 ただ、香月が大丈夫だと言うのなら、きっと大丈夫なのだろう。そんな不可解な安心感だけが生まれた。奇妙な包容力を目の前の青年からは感じるのだ。
「うん……お兄さん。私、お兄さんを信じるよ」
 返ってきた力強い頷きに、霞は微笑んだ。






 あの日以来、自殺は起きていない。
 部員たちも少しずつ復帰し始め、また放課後が華やぎ始めている。
 しかしながら、霞の心の焦燥感は無くならなかった。無くならないどころか、それは激しさを増すばかりで、最近はロクに眠ることもままならないほどだった。
「霞……目の下、スゴイクマ出来てるよ」
「最近寝不足で……」
 最近、嫌な夢ばかり見る。
 自分が誰かに殺される夢。逃げても逃げても、何者かが追ってくる。そして最後、追い詰められて……自ら命を絶つという嫌な夢だった。
 御影探偵事務所からは、何も連絡は無かった。
 こちらから連絡を取ることも、会いに行くことだって出来たが、それをしなかったのはあの日の、あの青年の――――橘香月の――――言葉をどうしても信じたかったからだった。
 この、バランスが崩れた危うい世界で、あの言葉と笑顔だけが、今の霞を支える唯一のものだったのだ。あれを信じられなくなったら、もうこの世界にはいられないような気がするのだ。
「お兄さん……」
 ギュッと携帯を握り締めて、教室から見える景色を眺めた。
 夕焼けだけが、消え入りそうな自分の存在を照らしてくれている。そんな風に感じて、涙が流れた。
 そんな時だった。
「宮野、いるか?」
 顧問の教師が霞を手招きしている。
 霞は涙を拭うと、足早に教師に駆け寄った。
「何ですか?」
「喜べ宮野。お前の作品が、入賞してたぞ」
「え!?」
 教師の嬉々とした声に、他の部員も寄ってくる。
「何々!? 霞の写真がどうしたんですか?」
「宮野の作品が、賞を獲ったんだよ! いやー、これでうちの部も安泰だな! よくやったぞ、宮野」
「すごーい!! 霞、やったじゃん★」
「ひゃっほー! これで部費は鰻上りじゃないですかぁ♪ こりゃあカメラ新調できるかも??」
「霞、プロになれるかもよー!?」
 部員たちが騒ぎ出す中、霞は呆然としていた。
 入賞するなんて、考えてもいなかった。まさか、そんなこと……。嬉しいのとびっくりするのとで、霞は立っているのもやっとだった。
「皆も宮野を見習って、一生懸命部活に励むようにな。あんまりお喋りだけに夢中にならないように」
「「「はーい」」」
 教師が行ってしまうと、部員たちは皆で霞を取り囲んだ。
「霞! マジですごいよ! おめでとーっ★」
「頑張ってたもんね、霞。さっすが我が部の部長様だよー♪」
「こりゃあもう、お祝いするしかないね!! 今日はこのままカラオケオールだ!!」
「バカ、テスト前だって……。でも霞、ホントおめでとう! アンタ、すごいよ」
「皆……ありがとう。私、自分でも信じられない……」
 そう言ったら、今まで溜まっていた全ての感情が溢れ出て、それと同時に涙が零れ落ちた。伊織が死んだ悲しさや、不安な気持ち、苦しい思い、そして嬉しさや喜び……様々な感情の渦が堰を切ったように溢れ出す。
「ちょっと霞! な、何泣いてんのよ……」
「だってぇ……私、もう、ホント……毎日毎日……うっ、うぇ〜っ……」
 部員は突然泣き出した霞に焦りつつも、苦笑しながら霞を落ち着かせた。
 霞は友人たちに背中を擦られながら、久々の開放感を味わっていた。もう大丈夫。溜まっていたものを吐き出したら、不安も苦しみも全て無くなってしまった。私はもう、大丈夫だ。
 携帯の着信に「お兄さん」の名前が無くても――――……
「そうだ! 霞の入賞記念に一枚撮ろー★」
「うん、いいね♪」
「どこで撮ろうか? やっぱ開放的な感じがいいよね??」
「うーん……そうだね。じゃあ思い切って屋上行っちゃいますか!?」
「「「賛成★」」」

 霞は皆に連れられて、屋上へと向かった。
 「立ち入り禁止」の札を、軽々と乗り越えていくのは何だか気分が良い。悪いことをしてるみたいで、気分が高鳴る。
「さーて、どこに立とうかね……。うーん、給水塔の上がいいんだけどなぁ」
「皆で乗ったら狭くない? 危なくない??」
「大丈夫! うちら皆細いね♪」
「きゃははははっ」
 霞を入れて、部員は8人。確かに、全員乗ったら狭い。しかし、そんなこと気にならないくらいに、霞たちの気分は高揚していた。
「ほらほら、早くしないと先生に見つかっちゃうよ! とっとと撮るよー!」
 その声を期に、部員たちは給水塔への梯子を上っていく。やっぱり8人が乗るのは狭かった。ちょっとバランスを崩せば、落ちてしまうだろう。
「今日は霞が主役だからモチセンターでね♪」
 中心に立つことが、憚られなかったわけではない。
 でも、そんな噂がバカらしく思えるほど、今の霞は気分が良かった。
 都市伝説に踊らされてる自分は、何てちっぽけだったのだろうか。ほら、伊織だってそんな私を笑ってるよ。そんな風に感じる。
 風が心地よい。夕暮れ時特有の、少し冷たい風が少女たちの髪を、スカートを靡かせる。
 そして、部員の一人が叫ぶように言った。
「撮りまーす! あ、私も入るからね! シャッターまで後10秒!!」
 急いで給水塔を上ってきたその部員は、霞に抱きつくような形でくっついた。
 そして、「ピース★」と微笑んだと同時に、パシャリという高い音が屋上に響き渡る。
 夕焼けが少女たちの姿を照らし出す。
 しばらくの間、少女たちは無言だった。
 風の音が、妙に大きく響くのも、さっきまで賑やかだったせいだろう。
「皆……マジでありがと……」
 霞はそう言って微笑む。部員たちも微笑んでいた。
「うん。霞、うちらホント嬉しいよ」
「私たち、霞には感謝してるんだ」
 にっこりと微笑みながら、部員たちは言った。霞に感謝の言葉を並べる。
「霞がいてくれたから、うちらここまで出来たんだよ」
「うん。霞が部長でいてくれてマジで良かった!」
「ありがと、霞!!」
 照れ臭くて、霞は俯いた。

 本当に嬉しい。最近の嫌なことが全て消し飛んでしまうほど、私は今満たされてる。
 だから霞は気付かなかった。
 少女たちの瞳が、狂気に満ちていたことに。
 並べられる言葉が、どこかおかしいことに。
「ホントありがとね、うちらの罪を被ってくれて」

――――え?

 顔を上げた先には、先ほどを変わらぬ部員たちの顔。
 皆、満面の笑みで霞を見つめている。
 しかし、その笑顔が薄ら寒いのは気のせいなんかじゃない。
「皆……?」
 異変に気付いた時は、既に手遅れだった。
 がしっと両腕を掴まれ、身動きが取れない。
「やめっ……何で……どうしたの!?」
 青くなる霞を見ても、少女たちは笑みを浮かべたままだった。
「ねえ霞。私たち、ずっと思ってたの。どうして人気者だけがいい目に遭うのかーって」
「え……何……」
「伊織もそう。あの子は可愛くて性格良くて……あの子といると、自分が惨めな気持ちになるの。分かるでしょ、霞なら。だって霞、吉岡君のこと好きだったもんね?」
「!? 何で、そんなこと……」
 美貴が皮肉めいた笑みで言う。
「私、見ちゃったの。霞が吉岡君のこと、写真に撮ってるとこ。入部してすぐだったかな……吉岡君は皆のアイドルだもんね。私もカッコイイなって思ってたし、皆もそうだったもん」
「私は……そんなこと……」
 突然のことに、頭が付いていかない。
 確かに吉岡君のこと、気になってはいた。でも、それはただ憧れとかそういうので……そんな思いがぐるぐると駆け巡る。そもそもどうして、今そんな話になっているのだろう。私は今、どういう状況にあるのだろう。それすらも理解出来ない。霞は目を見開いたまま、目の前の友人たちを見る。
「いいんだよ、それが普通。女の子だもん。皆そうやってカッコイイ子に振り向いてもらえるように努力して、幸せ掴むよね? でも、伊織なんて何もしてないんだよ。ただあの子はいつも通りに、何も知らない顔でただ笑ってただけ。それだけで皆のアイドルを手に入れちゃうなんて……なんか不公平だと思わない?」
 優子が頷く。その瞳は、爛々と輝いていて……身震いするほどだった。
「そうそう。私たちって、結局いつも伊織を引き立たせてあげるだけだったよね。三人でいても、男子の目が留まるのはいっつも伊織。うちらが先に目を付けた男だって、結局はいつも伊織を好きになる。もうね、そういうのに疲れたんだよねぇ」
 漠然と、霞は思った。そしてそれを口にする。
「……伊織を殺したの?」
 一層笑みを深くした美貴と優子。それで全てを悟った霞は、力を失ったように項垂れた。
「私たちだけじゃないよ。久美も皐月も……やっちゃったんだよ」
 先輩とクラスメイトの顔が浮かぶ。
 あの二人も殺されたのだ。目の前で笑う、友人たちに。
「だって許せなかったんだよ。テニス部のエースとか何とか言って……特定の彼氏も作らないで、いっつも男に囲まれてさ。その中に、私の好きな子だっていたんだよ? その子に『写真撮って』って言われた時の気持ち……霞なら分かるよね?」
「……私は……っ……」
「霞だって、辛かったでしょ? 吉岡君と伊織が付き合うって聞いて。自分で写真撮ってる身として、こんな辛いことってないよ。何が悲しくて、自分の好きな人と違う女の写真を撮らなくちゃいけないのよ」
 久美がそう言って自嘲気味に笑うと、皐月がその肩を叩く。
「人気者にしてあげてるのは私たち写真部なのに……あの子ってば、そんなことも忘れて笑って。私は許せなかったの。ヒロイン気取って、誰からも好かれてますオーラ出してるあの子が。今年の文化祭だって、本当はあの役、私がやるはずだったのに……」
 皐月が言っているのは、死んだクラスメイトのことだろう。確かに、クラス演劇で演劇部がヒロインをやる必要は無い。しかし今年、霞のクラスのヒロインは死んだあの子だった……。
「容姿に恵まれて生まれた子って、ホント羨ましい。だってそれだけで、凡人とはスタートラインが違うんだもん。努力する量だって、場所だって違う。そーゆうのずるい」
 霞は、友人たちの言葉に共感せざるを得なかった。確かに羨ましい。悔しい。そう思ったことだって何度もある。吉岡君は伊織のことが好き。それに気付いた時、霞だって伊織のことを憎く思った。どうして伊織なの? 私の方が、ずっと前から貴方を見てるのに……。
「でも……だからって殺していいわけない……いいわけないよっ……」
 霞の叫ぶような言葉に、少女たちは笑った。
「違うよ霞。うちらは願っただけ。伝説を信じただけだよ」
「……? どういうこと?」
「あの三人を殺したのは都市伝説。写真の真ん中に写ると早死にするっていう伝説。霞気付いてたよね? その噂通り、あの三人は早死にした。それだけだよ」
「っ…………」
 香月の言葉が脳裏に蘇る。

――――都市伝説に殺された

 友人たちの姿を借りて、都市伝説そのものが殺人を犯した……そんな気がしてくる。
 でも本当は違う。これは都市伝説なんかじゃない。ただの殺人事件なのだ。……でも、どこかでそれを認めたくない気持ちがある。認められない。認めてしまえば、自分も彼女たちと変わらない。彼女たちがやらなくても、自分が「伝説の力を借りていた」かもしれないのだから。
「霞は、うちらの気持ちを分かってると思ってた。ずっと仲間だと思ってた。でも……」
 掴まれた腕に、ぎりっと力が篭る。思わずうめき声を上げた霞を、冷ややかな顔で見つめる少女たち。
「霞は凡人じゃなかったね。才能に恵まれてるもんね」
「あ……」
 写真展で入賞した。そのことを言っているのだと理解した時、霞は自分も殺されるんだと確信した。
「霞が入賞したのは素直に嬉しかったよ。でも、同時に悔しいの。霞はうちらと同じだって思ってただけに、裏切りって思っちゃったの」
「だからね、うちらは考えた。今までのことは霞が全部一人でやったことにしちゃおうって。霞が写真を撮って、それを都市伝説になぞらえて殺人を犯してたってシナリオにしちゃおうってことになったんだ」
 たった数分の間に、そんなことが話されていたのか。そんなことに全く気付かなかった霞は、ただぼんやりと少女たちの笑顔を見つめる。
「ごめんね霞。でもさ、霞ならうちらの気持ち分かってくれるでしょ? もうね……この気持ち、止められないんだよ」
「霞がいなくなっても、うちらはずっと友達だよ?」
「霞、大好き。バイバイ」
 ドンと思いっきり突き飛ばされて霞の身体は宙を飛んだ。
 少女たち全員に突き飛ばされれば、誰だって飛ぶ。
 霞はそのまま、フェンスを越えたところまで吹っ飛び、何とかフェンスにしがみ付いた。しかし、間一髪と言えるかは分からない。少女たちが、笑いながらフェンスへと近付いてきたからだ。
「そう言えば伊織も最後……こんな風にフェンスにしがみ付いてたっけ」
「吉岡君、助けて!……なんて言ってた気がするけど……霞は誰を呼ぶの? クスクス」
「あっ……うぅっ……」
 声が上手く出せない。
 フェンスを掴んだ腕が、段々痺れてくる。下を見ると、眩暈がする。
 頭痛と耳鳴りが止まらない。
 少女たちの笑い声が、脳内で木霊する。

 嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない――――!!

 そう思った瞬間、霞は大声で叫んだ。

「助けて、お兄さん!!!」

 フッと意識が失われかけた瞬間、誰かに思いっきり引き寄せられた。
 その香りに安心した霞は、そのまま目を閉じた。

「――――っぶねぇ……間に合って良かった……」
 ぽかんとする少女たちの背に、数名の足跡と声が上がった。
「警察だ! お前たちを殺人、および殺人未遂で署まで連行させてもらう」
 警察手帳を見た少女たちは、まだ状況を理解できていないようだった。しかし、一人の少女が笑い始めると、他の少女たちも皆、笑い声を上げた。それを見た警察の方が面食らっているようだ。
「きゃはははっ、マジで警察? 嘘みたい。何かドラマみたいじゃない?」
「すっごーい! ほら見て、パトカー止まってるし!! すっごー★」
「きゃーーっ、何か警察ってカッコイイね!」

 少女たちの笑い声だけが、不気味に響く。
 その光景は、異常とも取れたが……警官たちには、少女たちに対する憐憫の念の方が勝っていた。下手すると、今にも全員が地上へダイブしそうな雰囲気を持っていたからだ。笑い声を上げて、無邪気に振舞うことで必死に自分たちを保とうとしている様子は、それだけでとても痛々しいものがあった。
「あまり刺激しないように……全員連れていけ」
 その指示の通り、警官たちは彼女たちを静かに諌めながら連れていった。彼女たちの笑い声が、段々とすすり泣く声に変わっていく様は、聞くもの全ての胸を締め付けた。

「……ん……」
「気が付いた? 霞ちゃん」
「お兄さん……」
 気を失っていた霞は、自分の置かれている状況を把握できていないようだった。しかし次第にその瞳に色を取り戻すと、空ろな瞳で香月に問う。
「皆は……?」
「……警察に行ったよ」
「そう……」
 呟いた霞の瞳からは、涙が零れた。その涙を拭おうともしないで、霞は起き上がると遠くなっていく夕日を見つめた。今にも消えてしまいそうなほど儚いその横顔は、やはり先ほどの彼女たちと同じような危うさを放っていた。
「紫季さん……俺、この子家まで送ってきます。今日は……いいですよね?」
「ああ。後日改めて……でいいな?」
 御影紫季はそう言って、刑事風情の男を見やる。その男は黙って頷き、手を振った。
「ありがとうございます。じゃあ、俺はこれで」
 香月は二人に一礼すると、霞を連れて屋上から出て行った。その後姿を見送った後、刑事はタバコを咥えた。
 ふわり、と紫煙が漂う。
「……こうやって顔合わせんのはいつ振りだ?」
「綺堂……久しぶりだな」
 綺堂<きどう>、そう呼ばれた刑事は、表情一つ変えずに言った。
「お前は相変わらずだな」
「フフッ。そうでもないさ。俺の周りの変化は目まぐるしい」
 低く笑う紫季に、綺堂は溜め息を漏らした。
「しかし……都市伝説になぞらえた殺しとはな。不気味な事件が増えたもんだ」
「都市伝説なんかじゃない。ただの殺人事件だ。まあ、謎が世の中を侵食してきた証拠でもあるだろうがね……」
「……お前、喜んでないか?」
 薄っすらと笑みを浮かべる様子に、綺堂は大きく息をつく。その様子はまるで、聞くまでもなかったかとでも言いたげだった。
「それにしても綺堂。お前がこんな事件に出てくるとはな。配置替えか?」
「まあな。特別捜査課ってところに配属された。『公には出来ない、不可解で不気味な事件』を専ら扱うところらしい。特捜課自体、都市伝説みたいな課だ。ったく……先が思いやられる」
「まあ、そう言うな。都市伝説も悪くない。そう思う日が来るだろう」
「……一生かかっても来ないことを願う」
 心底嫌そうに吐き出した綺堂に、紫季は微笑んだ。






「香月! こっちこっち」
 璃亜の指差した先には、一枚の写真があった。
 香月と璃緒は、人だかりを抜けてそこに駆け寄る。
 三人は、写真展に来ていた。ここにはあの、宮野霞が撮った写真が飾られているのだ。
 しかし、三人が今見ているのは別の写真だった。
 撮影者は不明となっている。しかし、誰もがこの写真の前で必ず足を止めるほどの人気ぶりだった。
「これは……」
 展覧会で絶賛されているこの作品は、ある高校の教師が提出したものだという。
 時期が時期であり、本来ならば展示されることもなかったが、教師立っての願いからそれが受け入れられたという異例の作品らしかった。 

 タイトルは――――『夕焼けと少女たち』。

「何だか……とても悲しい写真ですわね」
 ぽつりと璃緒が呟いた。香月も、写真を見たまま頷く。

 その情景はまさに、幻想的だった。幼さと大人との微妙なバランスを持ち合わせる彼女たちの、危うさが浮き彫りになっているような光景。この写真を、この情景を見た人物は皆そう思うだろう。少女たちの笑顔が、夕焼けの光を受けて切なく輝いている。遠く、長く伸びた影が、少女たちの心を表しているかのようだ。
 そして、一番印象的なのは彼女たちの笑顔だった。今にも、少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくるような気がする。しかし、楽しそうにしているのに、その瞳からは悲しみが滲んでいる。零れそうな笑顔が、逆に悲しみを露わにしていることに、何人の人間が気付くだろうか。

 そんな時、少し離れたところでこの写真を食い入るように見つめる姿に気付いた香月。
 少女は、ただじっと、この写真を見つめていた。
 その瞳からは、うっすらと涙が流れている。
 香月は、その少女に声を掛けることはしなかった。ただ、代わりに写真に向かって小さく呟いた。
「歪んでるのは君たちじゃない。壊れてるのは、この世界の方なんだ……」

 その言葉が聞こえていたかどうかは分からない。
 しかし香月には、写真の中から少女たちの楽しそうな笑い声が聞こえたような気がした――――。





――了――


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