――夢を見た。
 まほアカに入学した頃の夢……
 どうして突然、こんな夢を見たのだろう。
 
 時刻は8時。
 まだ教室には人は全然いない。
 読みかけの小説に栞を挟み、そのまま机へ突っ伏した。
 春の風が、撫ぜるように通り過ぎる。

 ああ、そう言えば……
 去年の今頃も、この風に出会ったような気がする。

 私はそのまま、思い出と言うには新しい記憶に思いを馳せた……。




 ときめいて★魔法学園!〜番外編〜

 『麗氷恋火――優子、恋語り――






「ねーねー優子、もう部活決めた?」
「んー……まだ」
 私は、小説を片手に答えた。 そんな私を見た友人――と言っても、まだ一月だけど――は、溜め息を吐く。
「……本当に優子って、反応薄いよね」
「……悪かったわね」
 私は昔から「冷めてる」と言われて生きてきた。まあ、自分でも感情の起伏はあんまり無いほうかなとは思うけど……。でも、そこまで冷めてるわけでもないと思う。
「ま、別にいいけどね。あ、そうそう、三年の先輩がさ――」
「うん……」
 適当に相槌を打ちつつ、私は小説へと目を戻した。
 四月ももう終わり。
 教室の窓から見える景色も、段々と皐月めいてきた。
 桃色の桜並木も、今はすっかりと萌葱色の新緑並木へと姿を変えている。

 フィーナル国立魔法アカデミー高等科。通称まほアカへ入学したのはついこの間。
 超難関、名門中の名門、エリートが集う学び舎……なんて、世間では騒がれてるこの学校。
 でも……正直、そんなことどうでも良かった。ただ、周囲からの薦めもあったし、学力的にも入れそうな感じだったので入った。そんな感じだ。
 そんな時、ふと誰かに名前を呼ばれた気がした。
「三村さん」
 振り返ると、長身の男が立っていた。
「はい?」
 見たことの無い顔だ。まあまだ入学してから一月だし、他のクラスのメンバーなんて全然分からないから当然なのだけど。
 相手は、少しの間逡巡した後、小声で呟いた。
「……昼休み、噴水前まで来てもらえないかな」
「え……」
 私が何か言う前に、その男は去ってしまった。
 ……何となく想像が付く。というか、いつものことだ。
 私は、読んでいた小説にしおりを挟むと、大きな溜め息をついた。隣では、友人たちが騒いでいる。
「ねーっ、今のって、F組のイケメン君じゃない!?」
「超カッコイイよね!! 優子、何て言われてたの!?」
「……別に。大したことじゃないわ」
「えー!? ホントにー!?」
 ……はーあ。ホント、何でこうも煩いかなぁ。
 軽く頭痛のする額を押さえながら、早く授業が始まってくれることを祈った。












「好きです! 付き合ってください」
 昼休み、噴水前に着くなり、単刀直入に言われた。
「ごめんなさい」
「……」
 私も、いつも通りの返答。
 案の定、相手はがっかりしている。でも仕方ない。私は今、恋愛に興味ないんだから。というか、今まで誰かを好きになったことなんてあったっけ?
「それじゃあ」
 きびすを返そうと、背を向けた瞬間だった。
「……あり得ない……」
「は?」
 低い声が聞こえ、思わず振り返る。すると、男が怒りの形相を浮かべている。
「この俺が、付き合おうって言ってるんだよ!? それを断るなんて普通はしないだろ!」
「……何言ってるの?」
 コイツ……バッカじゃないの?
 呆れてモノが言えない。究極のナルシストってやつ? とにかくもうついていけない。
 馬鹿馬鹿しくなって、そのまま無言で立ち去ろうとした時――
「ふざけんなよ!!」

――ボワッ

――!?

 突然目の前に、炎の壁が立ちはだかったのだ。威力はそれほどではないが、水属性の私にとって火は天敵。要するに、苦手なわけで。
「俺を馬鹿にした君が悪いんだよ……」
「……アンタ、頭おかしいんじゃないの?」
 ふつふつと込み上げてくる怒りを抑えながら、必死に冷静さを保とうと努力する。
 ここで怒ったら、それこそ相手の思う壺。
「おかしいのはお前の方だろう!? ちょっと美人だからって、お高くとまってんじゃねーよ!! このブス!!」
――ぷちんっ
 私の中で、何かが切れた。
「……そのブスに告白して振られたのは、どこの誰よ? そういうアンタこそ、自意識過剰のナルシストじゃない! 誰がアンタなんかと付き合うかって言うのよ!」
 普段あまり感情を表に出さない私の豹変ぶりに、男は一瞬怯んだ。
 私は構わず続ける。何だかイライラが一気に溢れてきたみたいだ。
「大体ね、私、火って大ッ嫌いなのよ! もう金輪際私に近づかないでくれる? 半径1メートル以内に入らないで。むしろ私の視界に入らないでくれる?」
 一息に言って、そのまま詠唱。
「――泡沫」
 自分の体を水の膜で包み、炎の壁を無理矢理通り抜ける。
 少し熱いけど、やっぱりそんなに威力が無いせいか、案外すんなりいけそうだった。
「……るさない」
 背後で男が何が呟いているが、今はこの炎を通ることで精一杯だった。
 やっぱり火ってホント嫌い。

「絶対許さない……!!」

 男が叫ぶように言った瞬間、体が燃えるような熱さに襲われた。思わず身を引くと、何と私を取り囲むように炎が燃え盛っていた。
 熱風が舞い、火の粉が飛び散る。
 はっきり言って……かなり熱い。
「……逆ギレ? 冗談じゃないわよ」
「フフ……優子、俺に謝りなよ」
 突如偉そうに言い出した男に、怒りがまた込み上げてくる……が、流石にこの熱さの中怒りにかまけて動けない。ていうか、名前呼び捨て? 私はアンタの女じゃないっつーの。
「そこで泣いて謝って、俺の彼女になりたいって言うなら、こっから出してやるよ」
「絶対嫌」
「……じゃあ一生そこにいれば? まあそのうち、酸素が無くなって死んじゃうかもしれないけど」
「そんな脅し、通用すると思ってるの?」
「さあね……まあ、その綺麗な顔に火傷の跡でも残ったら、お前も少しは反省するんじゃないの?」
「……最低ね」
 強がってみるものの、正直この熱さはかなり堪える。
 元々、水と火の相性は最悪で、それは性格だけではなくて、日常生活においても同じ。
 火の方が攻撃力に優れている分、今の状態は私にとってはかなりの拷問なのだ。
 しかもこの男、怒りで力が爆発しているのか、私の魔力じゃ到底敵いそうもない。

――ちょっと、やばい……かも。

 段々と意識が朦朧としてきた。魔法を使おうにも、これだけの炎を消せる魔法なんて使えない。むしろ、この現場を誰か見てないわけ? 校内でこれだけの炎が出てたら、誰かおかしいって気付いてもいいと思うんですけど……。
 男の嘲笑するような声を聞きながら「こういう奴がストーカーとかするんだわ……」とどうでもいいことを考えていた。

「そろそろ観念したらどう? ただ俺に一言謝って、付き合ってって言えば許すって言ってるんだよ?」
「……だから何でアンタと付き合わなくちゃいけないわけ? 絶対嫌よ。お断り。アンタと付き合うくらいなら、死んだ方がマシよ」
「くっ……本当生意気な女だな! お前なんて顔だけが取り柄の最悪女だよ!!」
 アンタだけには言われたくないわよ……!!
 しかし、もうまともに息を吸うのも辛くなってきた。
 く……本気でヤバイ……かも……。
「はぁっ、はぁっ……」
 息を吸うたび、余計呼吸が苦しくなる。
 目の前が、白くなってくる。
 もう駄目……立っていられ…な……い……

 視界が狭まり、そのまま地面に倒れ込みそうになった――瞬間

「晋也、頼むよー!」

 空から真っ赤な……炎を身に纏ったような……人が降ってきた。
 燃えるような瞳が、私を射抜く。

「――風車」

 次の瞬間、聞きなれない呪文と共に、信じられないほどの強風が吹いた。
 それは、竜巻のように渦を巻き、私の回りを取り囲む。
 あまりにも凄まじい風のためか、何も見えない。
 思わずよろけて、そのまま倒れそうになるが、降ってきた誰かに抱きとめられた。

「……あ……」
「大丈夫?」

 赤銅色の煌きを帯びた目が私を見ている。
 真っ赤な髪が、風に散らされ揺れ動く。
 見るからに炎属性なのに……私は何故か、嫌な感じがしなかった。

 咄嗟のことに声が出せずにいると、その人は風の壁の向こう側に向かって言った。
「サンキュー晋也。もういいよ」
「分かりました」
 すると、今までの竜巻は嘘のように消えた。
 同時に、私を取り囲んでいた炎も、ほぼ鎮火されていた。風で……炎を消したっていうの……?
「なっ、何だよ!? 一体どうやって……」
 男が驚愕に瞳を見開いている。無理もない。風に炎を消されたんだから。
 放心状態の私を、背に庇うようにして立った赤髪の人は、ナルシスト男に言った。
「オマエ、一年生? ダメだよー、こんなところでこんな魔法使ったら。危ないだろ?」
 先輩……だよね。
 多分、感じから言うとかなり上っぽい。三年生だろうか。
 そんなことを考えながらやり取りを聞いていると、ナルシスト男が怒鳴った。
「う、煩い!! その女が全部悪いんだ!! 俺を拒んだりするから……!!!」
 あり得ない責任転嫁だ。
 大体私、アンタに殺されそうになったんですけど……。
「……オマエねえ、女の子に振られたからって、それはないんじゃないの? ホントに好きなら、女の子傷つけちゃあいかんでしょ」
 呆れたような、諭すような声音で話す赤髪の先輩。
 随分背の高い人だな……。
 思わず、後姿に見惚れてしまった。
「煩い!! アンタには関係ないだろ!!!」
「いや、関係あるんだな。オレは生徒会として、学園の風紀を乱す奴を取り締まる義務があるんでね」
 そう言うと、先輩は私の腕を引く。
「そういうことだから、この子はこちらで引き取らせてもらうよ」
 すたすたとこの場を立ち去ろうとする先輩。私も腕を引かれながらついていく。しかし――
「待てよ!!! その女は俺のだ!!! 全てのものを焼き尽くせっ……――煉獄っ!!!!」

――ゴォォォォォォォォッ!!!!!

 叫び声と共に(またか……)、私たちの周りをさっきとは比べようもならないくらいの炎が包む。
 私は、熱さでまともに目を開けることすら出来ない。しかし、先輩は何ともないように、けろっとしている。
「あ、あのっ……」
「へえ〜……煉獄が使えるとはね……。あ、ちょっとだけ我慢しててね?」
 先輩は、制服の上着を脱ぐと私に被せた。
 まほアカの制服は、魔法陣が織り込まれているため、魔法耐性があるのだ。
 先輩の上着のおかげで、熱さが幾分か和らいだ。
 先輩は、にっこりと笑う。
「さーて、生徒会らしく、学園の風紀を守らせないとな」
 先輩は炎に近づき、向こう側で詠唱を続けている男に言った。
「なあオマエ、もうそろそろ止めた方がいいよ? これ以上続けると、先生たちが来ちゃうと思うけど」
 しかし、男は聞く耳持たず。
「煩い!! 先公なんて関係ねーんだよ!! お前一体何様のつもりだよ!!!」
 先輩は苦笑し、軽く肩を竦めた。
「ふう……若いねぇ。でも――ちょっとガキ過ぎるんじゃない?」
 その瞬間、先輩の体が赤く輝いた……ように見えた。
 そして……
「全てのモノを焼き尽くせ……――煉獄」

 空気が一瞬、全て燃やされた感じがした。

「っ!!」

 乾いた……というか、水分を全く失ってしまったかのような空間が広がった。
 酸素も水も、音や色さえも、全てが焼き尽くされている。
 私たちを取り囲む炎が、さっきの数倍以上の威力を持って、燃え盛っているのだ。

「うわぁっ!? 何で、こんなに……!!」
 男は、自分の魔法の威力との違いに仰天しているようだ。
 先輩は、不敵に笑う。
「知ってる? 炎はね……炎で消せるんだよ」
 
 次の瞬間……私は、信じられない光景を見た。

――グワァァァァッ

 煉獄が……煉獄を飲み込むようにして…………消滅したのだ。

「…………う……そ……」

 煉獄が炎の最高クラスの魔法だっていう知識はあったけど……
 煉獄を煉獄で消しちゃうって……どういうこと!?

「あ、あわわわわ……」
 腰を抜かした男が、半泣き状態で怯えている。
 ……ホント……みっともない男。
 先輩は「うーん……ちょっとやり過ぎたか?」なんて言って、頭を掻いている。
 そんな私たちに駆け寄ってきたメガネの先輩は呆れていた。
「宮田先輩……これじゃあ、生徒会も怒られますよ」
「アハハ……やっぱり?」
「笑い事じゃないですよ……」
 そう言ってメガネを直す先輩。あ……確かこの人は……
「……大丈夫だったか?」
「え……は、はい」
「そうか……」
 生徒会の……杉原先輩だ。確か入学式の時に、受付にいた気がする。
「悪い悪い。ま、責任はオレが取るからさ。とりあえず、この子とアイツ、医務室へ連れていってやってよ」
「……分かりました。医務室まで送るよ」
「あ、あの……」
 私は上着を抱え、赤髪の先輩に声を掛ける。
「ん?」
「上着……ありがとうございました。あと、助けていただいて……本当ありがとうございます」
「アハハ、全然いーよ。気にしないで」
 笑いながら上着を受け取って、私の頭をぽんぽんと撫でる。
「……」
 思わず言葉を失う。こんな風にされたのは、初めてだった。
「ま、とにかく助かって良かったよ。物凄い火の気が爆発したのを感じて、何事かと思って来てみたら、何かスゴイことになってて驚いたよ。アイツ、君の彼氏とか?」
「ちっ、違います!! 誰があんな男!」
 思わず声を荒げてしまう。誤解もいいとこだ。あり得ない。
 先輩は一瞬きょとんとした。
「そうなの? オレはてっきり愛情関係のもつれかと……」
「ホント誤解です! 私あの人の名前も知らないし……突然攻撃されて……」
 思い出すだけで、むかついてくる。
 でも……それと同時に炎に対する恐怖心も芽生えたような気がした。余計に火が嫌いになったわよ……。
 すると、先輩はもう一度私の頭を軽く撫でた。
「ま、時々あーいう困ったクンがいるから気を付けなね。三村優子チャン?」
「どうして私の名前……」
 先輩は、笑いながら手をひらひらと振る。あ……!
「さっき、生徒手帳落としてたの拾ったんだ。一年生か……若いなぁ」
「宮田先輩、そろそろ行かないと……」
 メガネの先輩が急かす。あ、そろそろお昼が終わっちゃう……。
「お、そうだな……じゃあ、晋也。そっち頼んだよ」
 そう言って校舎に向かって駆け出した先輩。
「あっ……」
 しかし、私が呼び止める前に、先輩は振り返って戻ってきた。
 ……?
「そうそう、言い忘れてたんだけど……」
 怯えながら萎んでいるナル男に向かって、にっこりと笑う。
「さっきオマエ、オレに『何様のつもり?』って聞いたよね?」
「は、はいっ……(涙)」
 もはや怯えるだけのナル男は、首をかくかく振りながら頷く。
 ダサ……。
「オレはね、まほアカ高等部生徒会、会長サマ」
「せ、生徒会長!?」
「そ。だから、あんまり勝手なことされると、ちょっと困るんだよね〜。分かるかな?」
「はひ……すみませんでした……!!」
「うっし! んじゃ医務室行ってこい。あと、ちゃんとその子にも謝るよーに。OK?」
 顔は笑っているけど、目はナル男を見据えている会長。
 ナル男は半泣きで頷いていた。
 ……いい気味だわ。
「じゃあね、優子ちゃん!」
 そう言って駆けていく先輩の後姿を、私は呆然と見つめていた。
 生徒会長……か。
 新入生歓迎の挨拶の時は、この人いなかったような……。
 

 
――これが愁……宮田愁との出会いだった。